第106話 白か黒か
トルクメニスタン。首都アシガバート。最高裁判所内。
エリーゼの意思能力。空触是色が発動し、数秒が経過した。
これで、対象となった被告人イブの『白か黒』がハッキリする。
悪魔側の都合で開いた異端審問も、そろそろ終わりを迎えるだろう。
「………………」
ただ、どうも様子がおかしい。
心ここにあらずと言った様子だった。
勝ち誇ることも、渋い顔を見せることもない。
――無。
まるで死んでいるかのような、淡泊な反応を見せる。
まだ術中の可能性もあったが、閉じた両目は開いている。
その視線の先にはイブがいて、見るからに意識は戻っていた。
「結果を聞かせてもらっても構わないかな?」
進行役の僕は、右隣の裁判官席に座るエリーゼに尋ねる。
能力発動後のインターバルの可能性もあるが、嫌な予感がした。
「………………………………………………りる」
しばしの沈黙の後、か細い声で彼女は言った。
そのせいで、内容を上手く聞き取ることができない。
「すまない。もう一度言ってくれないか?」
丁寧に聞き直す。機嫌を損ねないよう細心の注意を払う。
今のところ決定的な証拠はなく、彼女の協力は欠かせない。
何を見たかは不明だが、情報がないと振り出しに戻るだろう。
――それだけは避けたい。
すでに傍聴席では、不穏な空気が漂い始めている。
現にダヴィデは、聖遺物を構えて、一線を越えかけた。
答えが出るまで、難なく進行できると思ったら大間違いだ。
早めに終わるなら、それに越したことがない。それが僕の心情。
「――降りるって言ってんの!!! もう知らない!!!」
しかしエリーゼは、僕の意に反する行動を取る。
教皇の証であるロゼッタ帽を床に叩きつけ、言い放つ。
勢い余るままに立ち上がり、法廷から立ち去ろうとしていた。
(この反応……干渉を受けて操作されたのか? いや、それにしては……)
感情的な彼女とは対照的に、僕は至って冷静だった。
あらゆる可能性を想定し、最も現実的な結論を導き出す。
ただ、どうもしっくりこない。合っているような気がしない。
――何か見落としている気がする。
明確な根拠こそないものの、違和感は膨れ上がる。
少なくとも、能力発動後に何かあったのは間違いなかった。
「待ってくれ。彼女の処遇を決めないと、悪魔との和平協定は白紙だ。何があったか知らないが、君の能力で見たものを参考に『白黒』をつけてくれないか? 詳細は聞かないし、無理にとは言わないが、教皇としての責務は果たして欲しい」
とはいえ、エリーゼをこのまま帰らせるわけにはいかない。
去り際の彼女の肩を掴んで、諭すように止めた理由を説明した。
「あぁ、もう……っ! イブ・グノーシスは『白』!! これで満足?」
ぶっきらぼうに返ってきた言葉は、理想の回答だった。
悪魔側としては、『意思衝突騒動』に白教が絡まなければいい。
イブが『白』なら、他はどうでもよく、和平協定は上手くいくだろう。
(これなら異端審問の目的は果たされる。でも、これで本当にいいのか?)
逆切れするエリーゼを前に、僕は自問自答していた。
首を縦に振れば、この場は解決するが、彼女は法廷を去る。
今だけを考えればそれでいいが、先のことを考えれば不安が残る。
――できれば、エリーゼの機嫌は取っておきたい。
少なくとも、和平協定が実現するまでは教皇でいて欲しい。
機嫌を損ねた原因を特定し、メンタルをケアする時間が必要だ。
そのためには、引き留めないといけないが、選択肢は限られている。
(仕方ない。あの手を使うか……)
頭に思い浮かんだのは、隠していた切り札。
ここで使う予定のなかった、最終手段とも言える。
晒さずに進行するのが理想だったが、贅沢は言えないな。
「僕はマーリンの魂を宿した『転写体』だ。何かあったなら後で相談に乗る。だから、投げやりにならないでくれ。存在や在り方を否定されたのだとしても、君が歩んできた人生や出会いが全てなかったことになるわけじゃない。目の前にない不確かなものじゃなく、今、目の前にあるものだけに目を向けてくれ」
惜しみなく言い放ったのは、秘匿すべき情報の開示。
もちろん、彼女にしか聞こえない程度の声量で伝えていた。
「……っっ」
ハッとしたような表情を作り、エリーゼは反応する。
どちらとも言えないが、足を止める効果があったのは確か。
「教皇でいてくれるなら、帽子を被ってくれ。それが嫌なら帰ってもいい」
そこで僕が差し出したのは、地面に落ちたロゼッタ帽。
続けるか帰るかの二択に絞って、エリーゼの判断を促した。
正直、どちらに転ぶか分からないが、なるようにしかならない。
機嫌を損ねた結果、死が待ち受けているとしても喜んで受け取ろう。
――全てはエリーゼ次第。
彼女の肩書きもそうだが、彼女の存在にも依存している。
『永遠の国』を成立させるためには、絶対に欠かせない人材だ。
あらゆる思惑と陰謀と可能性が揺蕩う中、結果は一つに収束される。
「その帽子は、今のわたしには重すぎる。一から出直すから探さないで」
優しく差し伸べた手は、前向きな理由で拒絶される。
それは、予想だにしていなかった、新たな成長への兆し。
肩書きに囚われず、自分を見つめ直し、更なる高みへ向かう。
物質世界と非物質世界の二元論じゃない。その先にある第三世界。
わがままを経て、他者貢献を経て、自分を探求した先にある根源の道。
(黒の極点候補……。どこまで君は僕をワクワクさせるんだ。観測できなかった将来が楽しみで仕方がない)
初代王が持つ、過去現在未来を見通せる観測の魔眼。
それは、マーリンや転写体が関与しない未来しか見えない。
このきっかけを予期することはできず、予想を完全に超えてきた。
どうにも興奮が収まらず、法廷から去る彼女の背中に、僕は声をかけた。
「この帽子を受け取ってもらえる日を、楽しみに待ってるよ」
そのやり取りを最後に、異端審問は幕を閉じた。
イブ・グノーシスは『白』となり、新たな教皇が誕生する。




