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母、太后エミリアの秘密  作者: りんご
エピローグ
37/37

母上の伝えたかったこと



 草木が青々と茂りはじめる季節となった。

 王宮に眩しい太陽が照りつけ、温かい風が王都を包み、人が賑わう声が耳に残った。僕はというと、王宮の王の間で童話にでてくるチーターのように王座の周りをグルグルまわっていた。



 ――遅い。遅いぞ。遅すぎる。とっくに医師の言った時間を過ぎてるではないか。



 周っては立ち止まり、立ち止まっては、また周りはじめる。そんな僕をみかねてか、隣から溜息混じりの声がきこえた。


「陛下、王たるもの、いついかなる時も焦ってはなりません。それが王でございます」


 声の聞えた方向に顔をむけると、筋骨隆々とした体に白髪の混じった側近のアルールが、しかめっつらで僕を睨みつけていた。


「分かっているさアルール」と僕は吐き捨てるように言った。


 そう、分かってはいる。みっともないことぐらい。

 僕は自分の唇を軽く噛み、ついで顎に手をあてた。顎髭のチクチクした感触が、僕に月日の移ろいを感じさせた。


 そういえば、あの頃の僕は髭さえ生えていなかったな。


 母上から重大な話を聞いたあの夜の出来事を思い出す。あの暗闇を。



 ――もう、あれから10年も経ったのか……。



 僕は王座の背もたれにかけられた女ものの羽織物に手を伸ばし、それをそっと撫でた。

 月日が流れるのは早い。本当に、この10年があっという間だった気さえする。そして、その10年の間、僕はあの日のことを一日たりとも忘れたことはなかった。



 僕が王宮の廊下で目を開けた時、全てが終わっていた。僕を殺そうとしていたゾーイは消え、母上の姿さえもどこかに消えていた。あとにのこされたのは王宮の壁にあけられた大きな穴と、僕の体を包むようにかけられた母上の羽織物だけだった。



 僕はまたぐるぐると王座の周りを歩きはじめる。

 とにかく、何かをしていないと色々な想いで頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。アルールは呆れた口調で言った。


「エミリア様もハロル様も陛下のように情けなく動きまわることなどありませんでしたぞ。そのような態度をとっていたのはサマンサ様ぐらいのものです」


 僕はピタリと足をとめた。サマンサ御婆さまは僕が本当に小さい頃に亡くなったので、あまり覚えていないが、母上の話を聞き、血のつながりのない他人なのだと分かった数少ない人物だった。


 ――僕が唯一似てるのが、血のつながりのない御婆さまだけとはなんたる皮肉か。


「いいですか、私でさえ――」とアルールが言いかけた時、廊下を駆ける音が聞え、次いで王の間の扉が乱暴に開けられた。顔面に汗の粒をたっぷりつけた近衛兵のリラオラが叫んだ。




「生まれましたよ陛下! 元気な女の子です!」




 僕は大きなツバをゴクンと喉の奥に押し込めた。それからリラオラをジッと見ながら呟くように言った。



「もう一度言えリラオラ。大きな声で」



 リラオラは更に大きな声で叫んだ。



「アベル陛下の御子が生まれました! 立派な女の子でございます!」



 僕は、弾けるように王の間から飛び出した。

 後ろから「王たるものぉぉ」というアルールの声が聞えた。

 僕はその声を無視し、駆けに駆けた。王宮の下女や侍女たちが全速力で王宮の廊下を走る僕を見て、驚き、飛び上がった。一度加速をつけた体はなかなか止められない。僕は「どけどけ!!」と叫びながらゆったりと歩く人の群れをかきわけた。


 廊下に設置された椅子や壺や燭台が倒れ、顔をひきつらせた六騎士の面々が追いすがるように僕に手を伸ばす。

 まさに混沌(カオス)だった。

 僕が走るだけで、王宮は混乱の渦に包まれた。

 僕が王妃の部屋に辿りつく頃には、とりまきが100人ほどになっており、壺の破片や、植物の一部などが体についている輩が多数いた。


 僕は「そなたら絶対に入ってくるでないぞ!」と自分の後ろに向かって吠えると、王妃の間のとってに手をかけ、ゆっくり引いた。


 ベッドに仰向けに寝ていた妻のサンドラと、彼女の腕の中にある白い布が見えた。僕が一歩部屋に足を踏み入れると、サンドラはこちらに気づき、陛下、とささやくように言った。僕は一言も発する事なく、一歩一歩ベッドに近づいてゆく。


 サンドラの両腕の中にある白い布の中が見えてきた。


 目の奥が熱くなり、堪え難い熱いものが僕の内側から湧いてきた。

 白い布の中には金色の髪の赤ちゃんがいた。

 トカゲのような目をした赤ちゃん。

 サンドラがこちらを見て言った。


「唇と額の感じは私そっくりですが、この目。この愛らしい目は陛下にそっくりですね」


 堪え切れず、目に涙が溢れた。

 そうか、母上はずっとこのことを言いたかったのかもしれない、と思った。

 僕は、ずっと考えていた。この10年の間ずっとだ。僕はずっと何故自分の方が生き残ってしまったのかずっと考え続けていた。


 僕か母上、どちらかしか生き残れない、とゾーイに告げられた時、僕の中に残ったのは惨めったらしい恐怖心だけだった。僕の中にあったのは自分だけだった。なのに、母上はそんな僕を生かした。どうして母上は僕を生かしたのだろう。なぜ僕の方が生き残ってしまったんだろう。


 この程度の僕なのに……。


 僕は自分の浅はかさや、臆病さが気に入らなかった。

 ゾーイに指摘された欠点が日を追うごとに僕の中に育ってゆくのが気に入らなかった。

 母上は、強く、そして相手を思いやる優しさがあった。土壇場で命を僕にゆずるほどの覚悟も美しかった。

 だから余計に思った。



 死ぬべきだったのは僕の方じゃないのか、と。



 違う。母上があの時本当に伝えたかったのはそういうことじゃない。

 僕等は何度も生まれてくるんだ。

 血をつなげ、次の世代に僕を託すことで、僕等は何度も生まれてくる。

 それが完全に僕じゃなかったとしても、僕等は受け継がれてゆく。

 母上が言いたかったこと、それは、こういうことだったんだ。



 また会いましょう、と言いたかったんだ。



 僕は頬を伝う涙をぬぐう。サンドラはそんな僕をみて笑った。



「そんなに泣いて。お産を頑張ったのは私ですよ? 御褒めの言葉をいただきとうございます」

「そ、そうだな。でかしたサンドラ。僕ほど恵まれた男はいないだろう」

「して陛下。この子の名を何としましょう。占星術師殿に相談しなければなりませんね」

「いや」と僕は言った。「名はすでに決めてある」


 僕は白い布の中からトカゲの目をした赤ちゃんを取り出し、天高く持ち上げる。赤ちゃんが不思議そうな瞳で僕を見下ろす。僕と赤ちゃんの目が合った。




「アナスタシア。そなたの名はアナスタシアだ」




 扉の外から「おおおおお」という歓声が聞えた。

 アナスタシアは、その声がよほど怖かったのか、思い切り泣き始めた。慌てるサンドラを尻目に、僕は泣きじゃくるアナスタシアをぎゅっと抱く。

 そしてアナスタシアの耳元でそっとささやいた。




「次こそは、絶対にあなたを守ってみせます。母上……」


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