優しく終わる日々の営み
夜が静かに吠える。
振りまかれる暗闇に木々がざわめき、透き通る寒さが生命の息吹を霞ませる。
母屋と隣接するように、ぐるりとはめ殺しの格子を纏った木造の建物。
張り出した庇が風雨を阻みつつ大部分は静まりかえっていて、その沈黙が冷感を更に増す。
その一部の格子から光が漏れ、寒風の唸りの間を縫うようにささめごとが聞こえてくる。
「ひえー。今日も寒いねぇ」
「そうですねー」
湯気の立つ神輿柄のマグカップを、座っている神楽の前に置く。
暖をとるように両手で包み込みながら、
「それにしてもさぁ」
「?」
向かいに座って首を傾げる千華に、
「千華ちゃんそれ、返ってきたテストじゃないの?」
「はい、そうですよ」
「合ってるトコないかの間違え探し?」
「あ、いえ。間違えたところの復習しておこうかと」
すると天を仰いだ神楽は、
「くぁー!偉いねぇ千華ちゃん。あたしなんてテスト終わったら答案用紙どっかいっちゃってたなぁ」
視線を落として手に持った書籍と紙片を交互に見比べながら、
「ふふっ、それは神楽さんがお勉強出来るからですよ。私は神楽さんやお姉ちゃんみたいに出来ないから、せめてこれくらいはしないと」
「いやいや、あたしはお尻に火がつかないと進めないタイプだから。・・・そうだねぇ、静音ちゃんはコツコツ秀才タイプなのかもねぇ」
「お姉ちゃん、中高って首席だったんですよ」
「わぉ、やっぱりなぁ」
苦笑しながらマグカップを傾ける。
一呼吸おいて、
「それにしても高い目標設定だよねぇ。静音ちゃん厳しいなぁ」
「あ、目標設定はわたしの方から言ったんですよ」
「おー、千華ちゃんチャレンジャー。・・・大学は、やっぱりこっち系?」
「はい。・・・神楽さんは何でその学部に?」
「んー・・・まぁちょっとしたきっかけ、かなぁ」
「きっかけ、ですか」
「うん。うち、じいちゃんと同居しててね。おばあちゃんはもういなくて」
言葉を切って顔をあげ、格子から覗く闇夜に視線を向ける。
「じいちゃん、普段はあまり呑まないんだけど、おばあちゃんの命日とか誕生日の日は仏壇の前に座って呑んでたんだ。家族はあまり気に留めてなくてあたしもずっとそうだったんだけど・・・高校の進路決める頃かな?その頃に何となく仏壇の前で座ってるじいちゃんを見かけてね。それで、その時のじいちゃん、笑ってたんだ」
ゆっくりと千華に顔を向け、柔らかく顔を綻ばせる。
「その横顔を見たときに、もちろんおばあちゃんと会話してるから楽しいんだろうと思ったんだけど、手にしてるお酒を見てね。あ、これで笑顔を作りたいって思ったんだ」
そう言って視線を下げ、マグカップを両手で包み込む。
「それから猛勉強だったなぁ」
すぐに再び顔を千華に向けると、
「今思い出すだけでも吐きそうだよ」
苦笑する。
呼応するように柔らかく笑った千華は、
「ふふっ。素敵なご家族なんですね」
「うん。・・・うん、好きだったなぁ」
降り注ぐ沈黙は優しく、酒蔵の冷涼な空気も穏和な柔らかさを帯びる。
「わたしも」
ぽつりと呟いた千華は、
「わたしも、そんな素敵なお酒を造りたい」
その言葉に力強く頷いた神楽は、
「うん、造りたいね・・・でもね」
「?」
「実はじいちゃんが呑んでた銘柄、ずっとここのお酒だったんだよ」
「えっ!?」
「だからじいちゃんにとっては既に、この蔵のお酒は最高なものだったんだなぁって思うんだ」
「そうだったんだ・・・」
座ったまま蔵内をぐるりと見渡して、
「そんな思い入れを持って来てくれてたんですね、神楽さん」
「ふっふっふ、そうなのだよ千華ちゃん。あたしの雪下酒造に対する熱い想い、気付いてくれたかな?」
大きく頷くと、
「もちろん!」
すぐに含み笑いしつつ、
「だからいつも龍さんと熱い想いをぶつけ合ってるんですね」
「うぐっ」
苦虫を噛み潰したような顔をすると、
「それはほらあれだよ。・・・えーっと」
「同族嫌悪?」
「ちっがーう!」
柔らかく笑う千華をジト目で優しく睨むと、すぐさま表情を変え、
「そうそう、同族といえば」
「?」
「お近くの鯨井さん、何だか噂が立ってたよ」
「噂、ですか」
「うん。あそこの酒造さん大きいじゃん?それで、後継者について問題になってるみたい」
一旦言葉を切り、マグカップに息を吹きかける。
蕩けた湯気が小さな暖気となって霧散してゆく。
その間、千華は微動だにせず神楽を真っ直ぐ見つめる。
「あそこ娘さんいるでしょ?たしか千華ちゃんと同い年だったかな。よくある話ならその娘か結婚してその婿が、ってなると思うんだけど」
顔を上げて、真っ直ぐ見つめる千華と視線を絡める。
「どうやらその娘、継ぐ気は無くて、早々に留学するって話みたいよ」
再び視線を下げる神楽にも、千華は動かない。
しかし机上に置いていた両手は、それぞれ固く握られている。
「・・・そう、ですか」
絞り出すような小さな呟きに、
「ま、あくまで噂だけどね。第一あそこの社長さん、まだまだ元気だからしばらく関係ないだろうねー」
あっけらかんと話すと、マグカップを口元に傾ける。
「・・・ん?千華ちゃん、鯨井の娘さんとお知り合い?」
「あ、はい。クラスは違うんですけど、一応顔見知りです」
「あちゃー。ごめん、微妙な話題だったかな」
肯定も否定もせず、手元を見つめて黙り込む。
「・・・千華ちゃん?」
ハッとしたように顔をあげると、
「あ、すいません。大丈夫です、そんなに親しい訳でもないですし」
「うーん、そかそか。ま、何にせよこの話題はシークレットでよろしくね」
首を縦に小さく振る。
「よしよし。・・・まぁ盤石の構えを見せる我が酒造には関係ないことなのだよ」
「盤石・・・」
「あれ?千華ちゃん、ここ継ぐ気ないの?よそ行っちゃう?」
すると勢い良く立ち上がり、
「いえ!継ぎたいです!」
「うわっ。びっくりしたぁ」
それでもすぐに笑顔を作ると、
「そっか。なら安心だね」
穏やかに語りかける。
「・・・でも、正直ちゃんと継ぐことが出来るのか、不安です」
「あぁ大丈夫だよ」
「そんな即答で・・・」
「だいじょうぶ」
不安に重ねる声はゆったりと、柔和な表情は優しく千華を包み込む。
「あたしはちゃんと見てるから、千華ちゃんがすごく頑張ってること。・・・だから、ね?不安もあるけど、それをいっぱい超えるだけの楽しみを考えよう。あたし達もいるから」
机に身体を乗り出すと、千華の両手にそれぞれ手を乗せる。
その手を見つめた千華は、ぎゅっと口を結び、ゆっくりとほころばせると、
「・・・はい」
神楽の目を見て、しっかりと頷いた。
「よしよし」
手を離し、乗り出していた身体を戻しながら、
「それじゃお姉さんは今以上に身を粉々に砕きながら働くとしますかねぇ」
「ふふっ。よろしくお願いしますね、先輩」
「任せとけ!」
冬服の上からでは全くわからない力こぶを見せつけると、二人揃って笑ってしまう。
「んじゃ、次期社長様。まず取り組みたいことは何かありますかな?」
千華は笑ったまま、
「あははっ、社長はやめてくださいよー。・・・そうですね、実は最近気になっていることがあって」
「ほぅほぅ。何でも申してごらんなさい」
「うちで使ってるお米なんですけど」
「ふむ、酒米かぁ」
「はい。別に他のお米に変えたいって訳ではないんですけど、他にも色々試せないかなって」
腕組みをして思案顔になった神楽は、
「そうだねぇ。あたしが入った頃にはもう今の農家さんと契約してたから、酒米について話題に出ることはあんまりなかったなぁ」
「わたしのおじいちゃん、先々代からのお付き合いというのは聞いたことがあって・・・」
「あたしも聞いてるのはそのくらいかなぁ」
と、建物の入り口方向から扉をひくカナざり音。
次いで冷風が二人のいる最深部まで流れてくる。
すぐにまた扉をひく音が聞こえ、外気が遮断される。
入り口を見やるが人影はまだ見えない。
手元の腕時計を見た神楽は、
「あれ、龍さんかな?早くない?」
「そうですね。まだ結構早いような」
そう話すうちにペタペタと足音が近づいてきて、
「・・・おぉ千華ちゃんもいたか」
老年とおぼしき男性が、皺を深めて笑みを浮かべながら歩み寄る。
「龍さん、こんばんは」
「お疲れさまです、龍さん」
「おぅ、こんばんは。神楽ちゃんもお疲れさん」
龍さん、と呼ばれた男性、日吉龍力は渋木の机に手を置き、神楽の隣の椅子に座る。
立ち上がった千華は机の隣にある木棚からデフォルメされた龍の絵が描かれたマグカップを取り、近くにある水筒の蓋をあけて液体を注ぎ込む。
「龍さん今日は早いですね」
「ん?あぁ今日は昼寝しちまってな。目が覚めたら何だか落ち着かなくてさっさと来ちまったぁ」
注がれたカップを龍力に差し出した千華は、
「もう仕込みも始まったんですから、あまり無理はしないで下さいね」
心配そうな声音で話しかける。
「おぅ大丈夫大丈夫。若い子達にゃまだまだ負けられんしなぁ」
受け取ったカップを無造作に持つと、口元へ引き寄せて啜る。
「・・・ん?このお茶、うんめぇなぁ」
「あ、それ千華ちゃんがお取り寄せしたお茶ですよ」
「中部のやつなんですよー」
再度カップを持ち上げて、仄かに立ち上る湯気に顔を寄せて香る。
「・・・ちぃと苦いが甘いのが上か。飯前に良さそうだなぁ」
「あっ、龍さんもそう思います?呑む前に合いそうですよね!」
頷いた龍力は、
「なんだ、呑める前から千華ちゃんはのんべぇだなぁ」
可笑しそうに破顔させる。
「そう、次期社長は根っから飲兵衛なのです!」
「あはは、やめてくださいって神楽さんー」
「あぁ社長なぁ。まぁ千華ちゃんなら問題なかんべぇ。・・・ま、継ぐんなら自分の色も考えんとなぁ」
「色、ですか?」
「あぁ、自分の色だぁ。源も、あれはあれでちゃーんと色だしてっからなぁ」
「お父さんの、色・・・」
「大丈夫ですよ、龍さん。千華ちゃんはもう既に自分の色を模索し始めてますから。ねっ」
ウインクを見せる神楽に、
「?」
首を傾げる千華。
「ええっ!?さっき千華ちゃん言ってたじゃん、酒米について考えたいって」
「あっ!あれは思いつきというか何となく考えついたことで、そんなちゃんとしたものじゃなくて・・・」
尻すぼみになる語調に、
「おぉ酒米かぁ。なんだ千華ちゃんも良いとこ目ぇつけるなぁ」
感心と言わんばかりに数度首を縦に振る。
「それな、こん蔵継いだばっかの頃の源も良く考えてたよぉ」
「そうなんですか?」
声を上げて食いついた神楽に向き直ると、
「そうよ。別んとこの酒米仕入れて造ったりもしたなぁ」
その言葉に、机に手を突いて上半身を乗りだした千華は、
「それ!どうなりました!?」
早口でまくしたてるが、ゆっくり向き直った龍力は語調を変えず、
「まぁお客さんの反応は上々だったよぉ。実際しばらく続けて造ったしなぁ。・・・でも、やめたよ」
「反応良かったのに?」
「あぁ、源に言わせれば自分の酒造りじゃなかったんだと。まぁおれもそんな感じしたけどなぁ」
「・・・自分の、酒造り・・・」
会話が止み、暫し沈黙が降り積もる。
猛る寒風は絶えず吹き荒び、硝子の無い格子窓から侵入を続ける。
その寒冷を遮るように湯気の立つカップを傾けて啜る龍力は、中空を睨むように思案の海に沈む二人を見て頷くと、
「・・・んなら、いっぺん結郷さんとこ見学に行かしてもらったらいいんじゃなかんべぇ」
『・・・ゆいさと?』
「なんだ、千華ちゃんはともかく神楽ちゃんは知っとるだろ。ほら、吟さんのことさぁ」
すると納得したように手のひらに判を押す格好を見せ、
「あぁ吟さんのことかー!いやー、名字で呼んでなかったからすっかり忘れちゃってましたよ」
苦笑いで言い訳する神楽の横で、
「・・・ぎんさん?」
頭にハテナが飛んだままの千華。
「そっか、千華ちゃんは多分知らないよね。結ぶに故郷のきょうで結郷さん。そこの吟さんがうちに酒米卸してくれてる農家さんだよ」
曖昧に頷く千華を見つつ、
「んー・・・千華ちゃん、ちっちゃな頃結郷さんとこ行ったことあんじゃなかったかなぁ」
「あ、はい。今日妃にも言われて少し思い出してました」
「あぁ、お友達も行ってたっけなぁ。息子さん覚えとるかい?」
「同い年くらいの男の子ですよね。何となく、朧げには」
すると目を輝かせた神楽が、
「へぇ、同い年の男の子いるんだー。何てお名前?」
「それが覚えてなくて・・・」
「ありゃりゃ。・・・龍さんは知ってる?」
「んー・・・んにゃ、名前は忘れたなぁ」
「そっかー・・・そしたらさ」
千華の顔を見て、
「千華ちゃん、吟さんのところに行ってみたら?見学みたいな感じで」
すると首を縦に振り、
「あぁそうだなぁ。一度行ってくるといいよぉ」
龍力も賛同する。
「そうですね。行ってみたいです。でも・・・」
躊躇うように視線を落として、
「お忙しい中だったら悪いなぁと」
「うーんそうだねぇ。あちらのご都合もあるからねぇ」
神楽も思案顔になるが、
「・・・なら、源に相談してみんべぇ」
「あぁ源さんに相談すればいっか」
「お父さん、ですか」
歯切れの悪い語調に、
「ん?あれ千華ちゃんお父さん苦手?」
「あ、いえそうでは無いのですが・・・ここの手伝いしてるのにも不満そうなのに、そんな事までお願いしていいのかなって」
「そんなことないよ!源さん、すごく嬉しいと思ってるよ!」
「そうでしょうか・・・」
神楽の言葉にも暗い表情のまま。
その様子を見ていた龍力が、
「・・・なぁ千華ちゃん。源はな、千華ちゃんがよぅやってくれてるって思ってるんだよ」
「・・・・・・」
「雑用だって進んでやってくれるって嬉しそうに話してたよぉ。おべんきょいっぱいしてるのだって知っとる」
言葉を切って千華を見据えると、
「だからこそな。千華ちゃんの色んな可能性をつぶしちまうんじゃないかって不安に思ってるんだなぁ」
「お父さんが・・・不安に」
「そぅだ。だからこそ、決めたことは自信を持ってやってけば、源だって理解してくれるんじゃあんめぇか」
そう言ってお茶を啜る。
引き締まった表情で下を向いていた千華は、小さく頷き、
「そう、ですよね。・・・一つずつちゃんと取り組んで、真剣な事を伝えていくしかないですよね」
「あぁ。今までやってくれてたように頑張ってくれればだいじょぶだよぉ」
「そうだよ!千華ちゃんほんと頑張ってるし大丈夫!」
その言葉に表情を崩した千華は、
「・・・ありがとうございます」
そう言って、優しく笑う。
つられて笑顔になる神楽と龍力。
「・・・ま」
と、神楽が悪巧みをするように顔を歪め、
「テストがちゃんと目標に達したら、だけどね」
「わぁ!そこで言いますか神楽さん!」
「えへへ。お姉さんは大丈夫だと思っていますけどねー」
舌を出し、調子良い笑顔を作る。
そうして重なり合う笑い声は格子窓を抜け、寒空を温ませるように高らかに響いた。




