107 希望に意味を持たせるもの
死の世界に取り残された5体のビヒーモスが、小さくいなないていた。
ひもじい思いをしているのか、とても寂しげな声に聞こえる。
この世界は、人間にも魔物にも等しく絶望しか与えない。
俺は目を大きく見開いて、歯を食いしばった。
……メリッサが、ドラゴンだった。
俺が勇者として戦えるのは、間違いなく、種族的弱者の犠牲があるからだ。
それは分かっているが、不平等というのは、平等が前提である場合に問題になるのだ。
ビヒーモスを引きつける囮の役割ができるのは、まちがいなくドラゴンだけだ、人間にその役割を担うことは出来ない。
だが……種族が違うというだけで、メリッサを俺の味方につける事が絶望的なように思われた。
種族の違いというのは、それほど大きな物だ。
「《評議会》の利益だと? そんなもの吾輩には関係なかった、全てはメリッサの為に行った事だ。まあ、《評議会》を動かすために、多少利益をちらつかせはしたがな……」
飛竜ラストラは、小さな声で呟いた。
彼は人間離れした強靱な精神力で、怒りを鎮めている。
この世界に対する復讐心も、恨みも、何もかも。
人間を超越した所は、やはりドラゴンらしい。
今の飛竜の声は、何もかも諦念したような声だった。
「あれがこの世界に召喚されたと聞いた時……《評議会》の代表としてこの世界に召喚されていた吾輩は、前線にいる勇者クレゾールに全てを任せ、ただ連絡を聞いている事しかできなかったのだ……。
穏やかだったメリッサが、絶望と苦痛の中で、次第に手のつけられない暴れ竜と化していくのを吾輩は聞いていた。だがその時、一瞬だけ正気を取り戻させたのが、曲がり角で偶然ぶつかった、見知らぬ勇者だった……」
飛竜の鼻が、俺の胸をつつくように伸びてきた。
「吾輩と勇者クレゾールは、その恩人であるたった1人の勇者を、25万人の勇者の中から捜し当てた。……それが、貴様だ」
「……俺が?」
俺は記憶を探った。
……曲がり角で、偶然ぶつかった、ドラゴン。
何の話だ、俺的には、そんなラブコメチックな出会いをした記憶は皆無だったんだが……。
しかし、飛竜はにやにや笑うだけで答えなかった。
「では、貴様に与えられた機能を紹介するぞッ!
各スキル石の溜められるエネルギーの限界値はゲージ3本分にまで上昇!
召喚石(R)は吾輩の中指まで召喚できるようになった!
そして召喚石(L)は吾輩の《エア機能》も召喚できるようになったぞ!
この機能を召喚している間、炎や吹雪のダメージを軽減できるッ!
この力をスキル石に溜め込めば、《アトモスフィア機能》を解放し、炎や吹雪のダメージを軽減できるエリアを周囲に展開できるッ!」
飛竜のツメが、メキメキと形を変え、槍やサーベルのように鋭く尖った剣へと姿を変えた。
……まて、戦うな、勇者マキヒロ。その剣を取って、戦っちゃダメだ。
「……ふざけんなッ! だからお前の勝手な『希望』を、俺に押しつけんなよッ! 結局お前も、自分より弱い奴らに負担を強いているだけだろうがッ!」
「くっくっく、ならば貴様の勝手な『絶望』も吾輩に押しつけないでもらいたいものだなッ!
強い世界の強い勇者が召喚されず、弱い世界の弱い勇者が召喚され、戦わされるようになる……それがこの世界の未来だと?
阿呆が! 弱い勇者を25万人召喚したら、再召喚を断られて、また新しい勇者を25万人さがさなければならんだろうが! そんなことしている場合があったら最初から強い勇者召喚するわ!」
飛竜は、いきなり反論をぶちまけた。
……極論だが、確かにそうだ。
「この世界の汚れはシンクにこびりついた頑固な油汚れも同然なんだぞ! お前、そんな強烈な汚れを取るのに安価だからってティッシュを使うのか? アホか、雑巾ぐらい使うわ普通! 本当に生活力ないんだから貴様は!」
「ぐっ……! ひ、飛竜に生活能力のなさを指摘されたッ!? くやしい、否定できないッ!」
こいつはいったい、元の世界でどういう生活を送っているのか。
俺の常識を覆してくれた飛竜は、ますます図に乗ってのけぞった。
「この絶望の世界は、たった一度絶望したぐらいでコンティニューを諦めるような輩など、もともとお呼びではないのだッ!
そもそも、そんな奴は勇者でも何でもないッ!
絶望しても、絶望しても、絶望しても、絶望しても、絶望しても、絶望しても、絶望しても、絶望しても、それでも不死鳥のごとく、何度でも立ち上がってくるッ!
それが世界の求める、真の勇者だッ!
我々に必要なのは、偽りの希望を与えてくれる者ではない、絶望に立ち向かう、真の勇気を持つ者だッ!
そこに勇気がなければ、ただ脆いだけの希望など意味はないッ! いまだ倒れない限り、そいつが強かろうが、弱かろうが、間違っていようが、吾輩はそれを勇者と呼ぼうではないかッ!」
一方的な口上に、俺はイラッとする。
少なくとも、それで金儲けができる立場の奴の言う台詞じゃない。
「ふざけんな……ッ! 聞こえの良いことを言いやがって、お前は勇者の自己満足を美化して、持ち上げて、つけ込んで利用しようとしているだけじゃないかよッ!
結局お前は、他人の犠牲を欲しているだけじゃないかッ!」
「犠牲だと? ふはは、いったい何を勘違いしている、お前は25万人の勇者の中で唯一、知っている筈だ。
どの世界に行った所で、けっきょく我々には、『絶望』しか残されていないのだと!」
飛竜が口の端を吊り上げて、激しく笑っていた。
こいつは完全に、俺の心を見透かしている。
いや、俺が考えているよりも、もっと先の事を言い当てていた。
「熱力学の第2法則、諸行無常、貴様の世界でもそのくらいの知識はあろうッ!
もともと絶望へと落ちていく世界で、生み出された希望がいずれ無に帰す事など、もはや世界が生まれた時から自明の理なのだッ!
だが、それを知った所で、貴様ら人間は、結局『希望』を捨てられない!
絶望しても、絶望しても、いずれ『絶望』に転化するしかないと分かっている『希望』を抱かなければ、お前達は一歩前に進むことすらできないのだ!
ならば『勇気』を抱けッ! この絶望の世界で、『絶望』から逃れられるすべがある、などと言うのは、単なるまやかしにすぎん! それでもなお、戦い続ける『勇気』こそ、最も賞賛されるべきだッ!」
詭弁――単なる言葉遊びだ。
俺は耳を塞いで、大声でうなり声をあげた。
まずい、飛竜の思い通りに操作されようとしている。
戦うな。誘導されるな。
俺以外の人間を大勢、こいつの食い物にされたいのか。
「知ったような口を効きやがって、お前に一体何が分かるって言うんだ……!」
俺は気力を振り絞って、飛竜を睨みつけた。
強靱な精神力を持つ瞳は、らんらんと輝いて俺を覗き込んでいる。
ぞっとするような、人間離れした目だ。
「俺が前の世界で、いったいどんな事があったか、どんな絶望を味わったか、お前に一体なにが分かるって言うんだ!
この世界に召喚された時でさえ、俺は眠ってて、まだ召喚の対価さえ受け取って無かったんだぞ!
こんな状態で、これ以上俺に、一体何をしろっていうんだ!」
飛竜は、再び腹の底から笑い声を上げた。
「ふぅーははははぁ! 貴様、目が覚めていたら覚めていたで、それで一体どんな対価を望むつもりだったというのだ! 金か、名誉か、少しばかりの力か!
その程度の物を与えられれば貴様はもうこの世界の『絶望』を克服できるとでもいうのか! 愚かな、なんと安い絶望ではないか! 貴様ひょっとして、この状況でまだ本気で『絶望』してなどいなかったのではないか!?」
――だめだ、まるで話が通じない。
こいつは正真正銘の化け物だ。人間の感情なんて軽く超えてやがる。
金色の長い首が、蛇のようにぐいっと伸びてくる。
俺の心臓に噛みつこうとするように。
「ならば――今ここで吾輩に請い願うがいい、吾輩が貴様の願いを叶えてやろう。貴様は召喚の対価として、この『絶望』の世界に、いったい何を望むつもりだ?」
低く、くぐもった声に、俺は喉を鳴らした。
――この世界に、俺はいったい何を求めればよかったのか。
どう答えても、俺がこの世界で戦わざるを得ないのに。
絶望的な展開へと、誘導されているのは、分かっているのに。
俺を引き留める奴は、どこにもいない。
俺の耳には、吹雪の音と、耳の奥で血管が脈打つ音しか聞こえてこなかった。




