第二章 28 『知られている技』
正式至冠戦の開始を告げる合図が響いた瞬間、リゼルヴェートは正面に立つサルディオン・メルクレイドを見据えた。
面会の時と変わらない暗い青緑の長衣、その腰には十二枚の金属板が整然と収められている。穏やかな表情も変わっていないが、今は机を挟んだ会談ではなく、互いの技が届く戦場の上だった。
試合に必要な申請、会場確保、立会確認、安全区域の設定、双方の休息まで、開催に必要な準備だけを終えてこの場へ来ている。
戦場外にはイェルシェリナ、ゼルディヴァン、ルシェルトの姿があり、三人ともここから先へ入ってくることはない。実際に戦うのはリゼルヴェート一人だが、その一戦へ至るまでに三人が積み上げてくれたものまで消えるわけではなかった。
サルディオンまでの距離は、開戦時点で互いに最初の手段を選べる程度に確保されている。いきなり近接戦へ持ち込まれる位置ではなく、リゼルヴェートにとっても最初に試したい技を使う余裕は十分にあった。
ならば、まずは一番扱い慣れていて、相手にも一番知られているものから始めればいい。
「それじゃあ、いくね」
「どうぞ」
返答を聞き、リゼルヴェートは源素を展開した。淡い星光が周囲へ広がり、その中から桜花を思わせる無数の光片が一斉に咲き上がる。
何度も使ってきた技であり、数も方向も自在に変えられる、自分にとって最も基本的な攻撃の一つだった。
「——『星桜千華』」
大量の星桜が空間を埋め、正面だけでなく左右へも幅を持って展開する。サルディオンが単純に横へ逃げても別の群れが追いつけるよう、最初から一方向だけに道を残す配置にはしていない。
威力を落としたわけでもなく、直撃すれば第二十七位であろうと無視できないだけの攻撃だった。
それでも、サルディオンは星桜が飛び始めるまで待たなかった。射出より一瞬早く右斜め前へ踏み出し、先頭群が元いた場所へ殺到した頃には身体一つ分以上ずれている。
さらに右へ流れる群れが追いつく前に内側へ入り、複数の軌道が交差する直前の空白を迷いなく通り抜けた。
「え?」
リゼルヴェートは一瞬だけ目を見開いたが、攻撃そのものは止めなかった。サルディオンは星桜より速く走っているわけではなく、撃たれた後に超反応で避けているようにも見えない。
攻撃が届く前に、最初から安全になる場所へ身体を置いているような動きだった。
最初の一群を抜けられても、まだ攻撃は終わっていない。リゼルヴェートは左右へ残していた星桜を内側へ寄せ、逃げた先を両側から挟むように軌道を閉じる。
普段なら最初の回避で体勢を崩した相手へ、そのまま二段目を重ねられる流れだった。
しかしサルディオンは、迫る左側の群れを振り返らなかった。包囲が閉じるより先に右側の薄い部分へ自分から近づき、攻撃の密度が完成する前に包囲円そのものから外へ出る。
長衣のすぐ近くを数発が通過したものの、星桜は一つとして身体へ触れなかった。
「止めたんじゃない……」
そこでようやく、リゼルヴェートにも何をされたのか分かった。《星桜千華》そのものを消されたわけでも、威力を落とされたわけでも、強制的に軌道を曲げられたわけでもない。
自分が過去に使った攻撃の形へ、最初から《どこへ動けば抜けられるか》を用意されていたのだ。
サルディオンは腰の金属板へ指を触れながら、過度に得意げな様子もなくこちらを見た。
自分の対策が成功したことに驚いているようにも見えず、想定した結果を一つ確認しただけのようだった。その落ち着きが、かえって事前準備の量を実感させる。
「過去記録では、初撃で正面へ圧力をかけた後、左右から閉じる使い方が確認されています」
「そこまで見てたの?」
「見られる記録は、できる限り」
「本当に調べてきたんだ」
「申し上げた通りです」
面会で聞いた《対策してあります》という言葉が、ようやく戦場の形になって見えた。技の名前と大まかな効果を知っているだけではなく、どこへ展開し、どの順番で撃ち、回避した相手へどう重ねるかまで調べてきたらしい。そこまで知られているなら、同じ使い方を繰り返す必要はなかった。
リゼルヴェートは次の星桜を展開しながら、正面の数を意図的に減らした。左右へ広く散らす代わりに高さを変えて二層へ分け、足元を狙う群れと頭上から落とす群れを同時に用意する。
これなら、さっきと同じ横方向の空白を探すだけでは抜けられない。
射出した下段が先に走り、上段が僅かに遅れて落ちる。ところがサルディオンは大きく横へ逃げず、足元へ迫る群れだけを最小限の動きでかわし、上段が落ち切る前にその間へ入り込んだ。
上下の攻撃が最も重なりにくい場所だけを正確に使われ、二層へ分けた意味まで先回りされたように感じる。
「これも?」
リゼルヴェートは驚きながら、上段の一部だけ速度を変えた。全部を同じタイミングで落とさず、三つだけ半拍遅らせれば、先に避け終わったと思った場所へ後続を残せる。
さっきとは違う条件を混ぜれば、同じ読み方では抜けられないはずだった。
それでもサルディオンは、最初の上段を抜けた直後に姿勢を戻さなかった。さらに一歩だけ前へ出たことで、遅れて落ちた三つが背後を通り、地面へ光を散らす。
攻撃が終わった瞬間を安全だと判断しない動きまで、すでに対策へ含まれているらしい。
「時間差も記録にあった?」
「ありました」
「じゃあ、これなら?」
今度は星桜の数を増やし、左右だけでなく背後へ回り込む軌道まで混ぜる。
最初から全部をサルディオンへ向けず、いくつかを大きく外側へ回して後ろから戻すことで、正面だけ見ていれば遅れて包囲が完成するようにした。さっきまでより広い空間を使う分、相手の移動先も増えるはずだった。
サルディオンは正面群を見ながら左へ一歩動いたが、その位置に留まれば背後群と重なる。リゼルヴェートがそう判断した直後、彼はさらに斜め前へ踏み込み、包囲円が完成するより早く外側へ抜けた。
背後から戻った星桜は追いつけず、何もない空間で互いの軌道を交差させて消えていった。
「逃げる方向まで決めてる……?」
ただ反応して回避しているだけではない。星桜がどこへ集まるかを見た上で、攻撃密度が完成する前に最も薄い場所へ入っている。
反射速度だけで動いているなら、毎回ここまで余計な移動を減らしながら綺麗な位置へ抜けられるとは思えなかった。
足元へ意識を向けると、その違いはさらに分かりやすかった。サルディオンは大きく飛び退いて立て直すような回避をほとんど使わず、次の攻撃へ対応できる位置を残しながら必要な分だけ動いている。
一度の回避が、そのまま次の攻防へ繋がる位置取りになっていた。
「……すごい」
「ありがとうございます」
「褒めてる場合じゃないんだけどね」
「私もそう思います」
サルディオンの返答は穏やかなままで、戦えているから余裕ぶっているというより、最初からこういう人物なのだろう。
リゼルヴェートも会話を続けながら、同じ技の中で何を変えればいいかを考え直した。数、高さ、時間差、包囲方向を変えても対応されるなら、もっと根本的に撃つ順番そのものを崩せばいい。
次の《星桜千華》では、最初から大量に展開しなかった。少数だけを正面へ置き、サルディオンの視線がそこへ向いた後から左右へ追加の光点を作る。
最初に見せる数と最終的な数をずらせば、展開時点だけで全体を判断しづらくなる。
正面を先に撃ち、次に右、最後に左へ流すつもりで順番を組む。サルディオンは正面の射線を外しながら右群へ対して一度距離を取り、左がまだ動いていないのを見ると、そのまま完全に逃げず両群の間へ残った。
そこでリゼルヴェートは、予定していたより早く左群を射出する。
今度こそ届くと思ったが、サルディオンは左群が加速する直前に身体の向きを変えていた。射出と同時に一歩だけ移動し、花弁の先端が長衣を掠めそうな距離を通過する。完全に同じ使い方をしていないのに、また攻撃が来る前から動かれた。
「今のも記録?」
「一部は」
「一部?」
「あなたは、相手が一方向へ意識を向けた時、その逆側へ次の攻撃を置く傾向があります」
リゼルヴェートは目を瞬き、自分が使った技ではなく、自分自身の選び方を見られていたことに気づいた。技の軌道だけを覚えているのではなく、どんな状況でどんな手を選びやすいかまで記録から拾っているらしい。
しかも、それを未来が決まっているように扱うのではなく、候補の一つとして準備している。
「そんなのまで分かるの?」
「何度か同じ判断が記録されていましたので、可能性として入れています」
「毎回じゃないよ?」
「もちろんです。ですから確定ではなく、候補として」
その言葉で、逆にリゼルヴェートの中では対処の仕方がはっきりした。未来そのものを知られているわけではなく、自分が過去に選んだ答えから次の候補を絞られているだけなら、今ここで違うものを選べばいい。
読まれたこと自体に立ち止まるより、サルディオンが知っている自分と現在の自分を少しずつずらしていく方が早かった。
「じゃあ、もっと変えるね」
「そのつもりだと思っていました」
リゼルヴェートは再び星桜を広げ、今度は数そのものを途中で変えた。最初に生んだ光点の一部を撃たずに残し、別の群れだけを先に走らせる。
遅れた星桜はサルディオンの移動を見てから角度を変え、さらに二つだけ速度を落として進路上へ残した。
サルディオンの動きは、それまでより僅かに増えた。最初の群れを外しただけでは抜け切れず、一度足を止めて低速の星桜だけを先に処理し、その後から来る高速群の薄い側へ身体を滑らせる。
それでも動きが崩れたわけではなく、追加された条件へ新しい対処を当てているだけだった。
ならば、さらに起点そのものを動かす。リゼルヴェート自身も横へ移動しながら、展開した星桜を最初の位置へ固定せず、発生位置を少しずつずらしていく。
同じ角度から撃ったように見えても、起点が変われば到達位置まで変わる。
サルディオンは一度だけリゼルヴェートの移動と星桜の位置を見比べ、すぐに自分の進路を変更した。完全に対応を崩せたわけではないが、最初より判断に必要な要素が増えているのは見て取れる。
そこまでついてくるなら、リゼルヴェートとしても次々に試したくなった。
「やっぱり対応するんだ」
驚きはまだ残っていたが、嫌ではなかった。自分が一つ変えるたび、サルディオンもそれを見て新しい答えを出してくる。
力で押し切る前に、この人がどこまでついてこられるのかを確かめたいという気持ちが、攻防を重ねるほど強くなっていた。
リゼルヴェートは《星桜千華》をもう一度組み直す。正面へ少数、左右へ中数、背後へ回す二つを置き、そこへ速度差と時間差、発射順の違いまで重ねた。
さらに自分自身の位置取りも混ぜれば、サルディオンが見るべき条件は今までより増える。
右へ動くように重心だけを先にずらし、視線は左へ置く。星桜そのものは正面へ残し、今までなら視線を向けた側へ追加攻撃を置くことが多かった流れを、今回はあえて最後まで確定させない。
サルディオンがどこへ避けるかを見て、その後で次の軌道を決めるつもりだった。
正面群を放つと、サルディオンは右斜め前へ動いた。リゼルヴェートが想定していた位置であり、その先へ左側に残した星桜の軌道を変えようと意識を向ける。
ところが変更を確定し終えるより先に、サルディオンはさらにもう一歩、別の位置へ踏み込んでいた。
「……え?」
まだ追加の星桜は放っていない。そこへ飛ばすと決めたのもほんの今で、それでもサルディオンは、これから攻撃が通るはずの場所から先に身体を外している。
ここまで同じ種類の動きを何度も見た後では、偶然で済ませられるとは思えなかった。
知られているのは技だけではなく、数でも、角度でも、過去の軌道だけでもない。どんな状況で次の手を選びやすいかまで、サルディオンは戦う前から候補へ入れている。
その事実を理解した瞬間、リゼルヴェートの中では驚きと同時に、次に崩すべきものまで自然に浮かび始めた。
リゼルヴェートは変更しかけた軌道をそのまま確定し、サルディオンが先に捨てた位置へ星桜を走らせた。攻撃が届くより早く正しい場所へ動いた第二十七位の足取りを目で追いながら、偶然ではなく明確に読まれているのだと確信する。
それなら次は、その読みが正しかったことを確かめた上で、さらに別の条件を重ねればよかった。




