第二章 27 『調べてきました』
サルディオン・メルクレイドから正式面会申請が届いた翌日、リゼルヴェートは用意された会談室で第二十七位の至冠者と初めて顔を合わせた。
黒に近い深緑の髪、淡い琥珀色の瞳、暗い青緑を基調とした商盟式の長衣。派手な威圧感はないのに、腰回りへ整然と収められた十二枚の金属板だけが、目の前の男も間違いなく戦う側の人間なのだと伝えていた。
「――サルディオン・メルクレイドです。本日は面会を受けていただき、ありがとうございます」
「リゼルヴェート・アルシェノアです。よろしくお願いします」
互いに名乗ってから席へ着く。リゼルヴェートの隣にはイェルシェリナ、少し離れた位置にはゼルディヴァンとルシェルトがおり、アシェラもいつものようについてきている。
サルディオン側にも最低限の実務担当者はいるが、話の中心になるつもりはないらしく、必要な資料だけを置いて後方へ下がっていた。
目の前にいるのが、現在第二十七位で八十四ポイントを持つ至冠者。数字としてはすでに何度も見たはずなのに、実際に対面すると資料だけでは分からなかった部分が増える。
ユルディオのような軽さとも、レグシェリアの軍人らしい真っ直ぐさとも違い、サルディオンは戦う前に必要なものを全部机の上へ揃えてから話し始める人物に見えた。
「先に、一つお伝えしておきたいことがあります」
「なに?」
「私は、あなたについて事前にかなり調べています」
あまりにも普通に言われたので、リゼルヴェートは一度瞬いた。隠されていたわけではなく、ゼルディヴァンたちからすでに照会履歴について聞いている。それでも本人の口から最初に言われるとは思っていなかった。
「本当に言うんだ」
「隠す必要がありますか?」
「ないのかな」
「少なくとも、私はそう考えています」
サルディオンは悪びれる様子もなく、持参した資料の一部を机上へ並べた。そこにあるのは公開戦歴や正式に照会できる記録の一覧で、イェルシェリナが昨日までに整理した非公開情報は含まれていない。取得できなかった部分まで無理に埋めた形跡も見えなかった。
「レグシェリア・ヴァルディナさんとの至冠戦。ユルディオ・ネフェルス君との至冠戦。公開されている通常技、戦闘中の判断傾向、確認可能な範囲での行動記録について調べました」
「私だけ?」
「いいえ」
そこでサルディオンは視線を少しだけ横へ動かした。イェルシェリナ、ゼルディヴァン、ルシェルトの順に確認し、それからリゼルヴェートへ戻す。
三人を一括りにするのではなく、それぞれ別の役割として見ている視線だった。
「クロヴェリアさんについては、外交・契約・情報管理。アルネグラート君については、分析と情報整理。ヴァルネイド君については、移動・物流・施設運用。調べられる範囲では、三人についても確認しています」
「そこまで?」
「はい」
「私と戦うのに?」
「あなたと戦うからです」
即答だった。リゼルヴェートはそこで少しだけ考え、サルディオンが何を言いたいのかを待った。直接戦場へ立つのは自分と彼だけなのに、三人まで調査した理由がまだ完全には繋がっていない。
「最初は、あなた個人の戦闘記録を中心に調べていました」
サルディオンは言葉を選びながら続けた。
「ですが途中で、認識を修正しました。あなたが戦場で強いことと、あなたが戦える状態を作っていることは別です」
「戦える状態?」
「誰と戦うのか。どの情報を相手へ渡すのか。何を事前に知っておくのか。どの道で移動し、どこで訓練し、どう帰還するのか。戦場へ立つ前には、すでに多くの条件があります」
言われてみれば、ここ数日ずっと三人がやっていたことだった。イェルシェリナは出していい情報と駄目な情報を分け、ゼルディヴァンは知られても困らないものを選び、ルシェルトは見られやすい道そのものを変えた。リゼルヴェート自身は訓練を続けていただけだが、その裏で三人が動いた結果、サルディオン側へ渡る情報量は実際に減っている。
「ですから、三人も調べました」
「怒ってない?」
「何に対してでしょう」
「情報、減らしたから」
「いいえ」
サルディオンは少しだけ目を細めたが、不快そうには見えなかった。むしろ予定外の変化を確認して、そこから次の準備を組み直したことに納得しているようだった。情報を取れなくなったから腹を立てる、という考え方ではないらしい。
「取得できない情報は、取得できないものとして扱います。権利上出ないものを無理に取るつもりはありません」
「じゃあ、困らなかったの?」
「困りましたよ」
「困ったんだ」
「もちろんです。準備の精度は下がりますから」
それでも口調は変わらない。困ることと、それを不当だと思うことは別らしい。サルディオンは自分にとって不利な変化も、そのまま対戦条件の一つとして受け入れていた。
「ただ、そこまで含めて相手でしょう」
その一言に、リゼルヴェートは少しだけ目を見開いた。
「あなた一人を調べれば十分だと考えていたのは、私の評価不足でした。三人が直接私へ攻撃するわけではなくても、あなたがどう戦場へ入るかには影響している。ならば、準備段階では三人も含めて考えるべきです」
「四人まとめて?」
「そういうことです」
後ろでルシェルトが僅かに笑った気配がした。昨日、自分たち三人を無視できなくなるだろうと言っていた本人からすれば、狙い通りだったのかもしれない。ゼルディヴァンも口を挟まず、サルディオンの説明そのものを分析するように聞いている。
リゼルヴェートは改めて目の前の第二十七位を見た。調べられていたこと自体に驚きはあるが、不快感はそれほどなかった。何を調べたかを隠さず、取れなかった情報についても不満をぶつけず、それでも戦う準備は続けている。
「サルディオンさんって、いつもそんなに調べるの?」
「対戦相手によります」
「弱かったら調べない?」
「いいえ。必要な量が変わるだけです」
「じゃあ、私だからいっぱい?」
「そうですね」
さらりと認められ、リゼルヴェートは少しだけ姿勢を正した。そこまで準備されるほど危険な相手として見られているなら、軽く受け取る方が失礼な気がした。
八十四ポイントを持つ相手が、それでも調査を重ねてから挑んできている事実は、順位以上に重かった。
「一つ聞いていい?」
「どうぞ」
「そこまで調べてから戦うのって、ずるいとは思わない?」
責めるつもりで聞いたわけではなかった。ただ、真正面から戦うことを好む至冠者もいるだろうし、レグシェリアなら事前情報より自分の鍛錬を重視しそうだった。サルディオンがどう考えているのかを、本人の言葉で知りたかった。
「思いません」
返答は迷いがなかった。
「相手が強いと分かっているのに、調べられることを調べず、準備できることを準備せず、それで真正面から挑む方が、私には失礼に感じます」
「失礼?」
「はい。相手が積み上げてきたものを、こちらの無準備で軽く扱うことになりますから」
サルディオンは机上の記録へ一度視線を落とした。レグシェリア戦もユルディオ戦も、彼にとっては単なる攻略資料ではなく、リゼルヴェートが実際に何をできるかを示した記録でもあるらしい。
見た上で対策することそのものが、相手を強敵として認める方法なのだとリゼルヴェートにも分かってきた。
「何も知らずに殴り合うことだけが、敬意ではありません」
「なるほど」
「もちろん、そういう戦い方を否定するつもりもありません。私には向いていないというだけです」
「サルディオンさんは、準備する方なんだね」
「準備不足は失礼ですから」
その言葉だけは、少しだけ強かった。サルディオンが勝つために情報を集めるのは当然として、それ以上に《できる準備をせず戦うこと》そのものを嫌っているらしい。
リゼルヴェートは、その価値観なら八十四ポイントまで戦い続けてきたことにも少し納得できる気がした。
ただ、納得できることと、安全だと思うことは別だった。
イェルシェリナがそこで資料を一枚こちらへ滑らせる。面会前に四人で確認していた、サルディオンの戦歴と真律概要をまとめたものだった。
本人が目の前にいるからといって、リゼルヴェートが危険性を忘れないよう改めて確認するためのものだと分かる。
「リゼルヴェート。ここからは受諾の確認をするわ」
「うん」
「改めて言うけれど、相手は第二十七位。累計八十四ポイント。戦闘不能勝利を中心に、長期間かなりの数の至冠戦を経験している」
「分かってる」
「《戦律配列》は、既知の戦闘情報が多いほど最初から有利な対応を組みやすい。あなたの公開技には、すでに何かしら対策されていると考えるべきよ」
「それも分かってる」
「それでも受けたい?」
リゼルヴェートはすぐに答えず、もう一度サルディオンを見た。怖くて迷っているわけではない。相手がどこまで準備してきて、それでも自分が戦いたいと思うのかを、自分の中で確かめるためだった。
第二十七位。
八十四ポイント。
大量の実戦経験。
公開技への事前対策。
戦闘中にも観測した情報から対応を組み替える真律。
ここまで揃えば、簡単な相手ではないことくらい分かる。それでも、だからこそ実際に戦ってみたいという気持ちは消えなかった。
「受けたい」
リゼルヴェートが答えると、イェルシェリナはすぐに頷くのではなく、表情を見たまま確認を続けた。
「理由は?」
「強そうだから、だけじゃないよ」
「ええ」
「私の技を知ってて、対策もして、それでもどこまで通じるのかやってみたい。私も戦いながら変えられるし、相手がそれにどう合わせてくるのか知りたい」
言葉にすると、さっきまでぼんやりしていた判断がはっきりした。知られているなら知られている状態で戦えばいい。対策されているなら、その対策を見てから自分も変える。
サルディオンが《準備してから戦う》なら、リゼルヴェートは《戦いながら答えを変える》。どちらが正しいという話ではなく、その違いそのものが面白そうだった。
「危険なのは分かってる?」
「うん。ユルディオさんの時みたいに、相手が危なくなったらすぐ降りる前提でもないし、私の知ってる技を最初から止めてくるかもしれない」
「戦闘不能まで行く可能性もあるわ」
「分かってる」
「なら、私は止めない」
イェルシェリナの返事は静かだった。戦いたいと言ったから何でも認めたのではなく、危険を説明し、それを理解しているか確かめた上で本人へ決定を返している。それはセラフィネアとの会談で話していたことと何も変わっていなかった。
ゼルディヴァンも資料から顔を上げる。
「俺からも一つ。公開技が最初から通じない前提で考えた方がいい」
「うん」
「でも、だからって使うなとは言わない。向こうがどう止めるかを見る材料にもなる」
「分かった」
「あと、止められた時に俺の想定通り動く必要もない。お前が戦場で見たものを優先しろ」
「そこはいつも通りだね」
「それが一番いい」
ルシェルトからは、戦場までの移動と帰還について説明された。正式試合になれば会場条件も詰める必要があり、負傷時の搬送や終了後の帰還経路も決めておく。
勝つための話だけではなく、終わった後に全員が帰ってくるところまでが彼の担当だった。
「俺からは、無茶するなとは言わない」
「言わないんだ」
「言って止まるなら戦わないだろ。だから帰れる状態はこっちで作る」
「ありがとう」
「ただ、会場決まったら勝手に知らない道から帰るなよ」
「しないよ」
「お前ならちょっと怪しい」
思わず抗議しかけたが、アシェラが隣で小さく頷いたので止めた。二人から同じ扱いをされるのは少し納得できないものの、今はそこを争う場でもない。サルディオンもそのやり取りを邪魔せず、四人の確認が終わるまで待っていた。
「アシェラは?」
最後にリゼルヴェートが聞くと、アシェラはサルディオンを一度だけ見た。
「……澪桜が決めたなら、それでいい」
「心配じゃない?」
「する」
「するんだ」
「でも、止めない」
短い返答だったが、それで十分だった。アシェラまで含めて反対する者はいない。ただし誰も、相手を軽く見ているわけではなかった。
イェルシェリナが正式受諾書を机上へ出す。申請内容、決着条件、今後の戦場協議、必要な安全手続きが順番に確認され、最後にリゼルヴェート本人の意思を記録する欄が残された。リゼルヴェートは一度内容を読み直してから、自分の名を書き込んだ。
「正式に受けます」
「承りました」
サルディオンも受諾書を確認し、静かに頭を下げた。これで面会は単なる挨拶では終わらず、第二十七位と第三十一位の正式至冠戦が成立したことになる。
試合日時についても、会場確保と必要な準備・休息を終えられる範囲で調整され、双方が無理なく臨める日程へ決まった。
書類確認が終わると、サルディオンは席を立つ前にリゼルヴェートへ向き直った。対戦が成立したからといって態度を変える様子はなく、最初から最後まで同じ穏やかな口調のままだった。
「一つだけ、改めてお伝えしておきます」
「なに?」
「公開されている技には、対策を用意してあります」
そこまで言って、サルディオンはわずかに間を置いた。
「知っているあなたを相手に、どこまで届くか試させてください」
挑発には聞こえなかった。むしろ、本当に自分が調べたリゼルヴェートへ正面から挑むつもりなのだと、その一言でようやく実感できた。
すでに互いの準備は始まっているが、次に顔を合わせる時には、その答えを実際の戦場で確かめることになる。




