第二章 24 『情報は誰のものか』
イェルシェリナ・クロヴェリアが最初に確認したのは、サルディオン・メルクレイドが何を調べているかではなかった。
どの情報へ、誰が、どの権限を使ってアクセスしようとしているのか。そこを分けなければ、止めるべきものと止めてはいけないものまで一緒になる。
ゼルディヴァンが拾い出した照会履歴は、すでに机いっぱいに広がっていた。至冠戦の公式記録、訓練施設の利用履歴、公開任務記録、移動に関する公的資料、観測記録を扱う商会への問い合わせ。数だけを見れば多いが、その大半は正規の手続きを通している。
「まず、全部を《リゼルヴェートの情報》でまとめるのはやめるわ」
「分ける?」
リゼルヴェートが資料越しに顔を上げる。イェルシェリナは頷き、机上の書類を三つの山へ分け始めた。一つ目は誰でも条件を満たせば見られる公開情報、二つ目は王国や施設管理者が権限を持つ管理情報、三つ目は本人の同意なしでは出せない個人情報だった。
「例えば、あなたの正式至冠戦の結果。これは公開情報ね」
「うん」
「でも、訓練で何を試したかは違う。施設を使った事実と、その中で何をしたかも別」
「同じ場所の話でも?」
「同じ場所だから同じ権利になるわけじゃないわ」
イェルシェリナは訓練施設の利用記録を公開情報側へ置き、その横に訓練内容に関する記録を別へ移した。いつ、誰が、どの施設を使ったかは運用上記録されることがあるが、その場で何を試し、どの技を使い、どこまで成功したかは別の情報だった。
「行動予定も同じ。すでに公表されている公式行事なら外から確認できる。でも、これからどこへ行くか、どの経路を使うか、誰と会うかまで全部公開されるわけじゃない」
「じゃあ、相手が聞いてきたら?」
「聞くこと自体はできるわ」
「答えなくてもいい?」
「権利がなければね」
そこを曖昧にしないことが大事だった。聞かれたこと自体を敵意として扱えば、正規の照会まで全て悪意に見える。逆に、正式な書類だからといって、出してはいけない情報まで渡せば管理の意味がない。
ゼルディヴァンが別の一覧を差し出した。そこにはサルディオン側から流れてきた照会先と、それぞれの回答状況が整理されている。
イェルシェリナは一件ずつ見て、取得権限と回答権限が一致しているかを確認した。
「これは問題ないわね。至冠戦の公開記録」
「戦歴照会権で取ってる」
「なら止めない。こっちが嫌だからという理由で、正式に認められた権利を潰すのは違うもの」
次の照会は、訓練施設の利用時刻だった。施設規定上、利用区画と時間帯までは一定範囲で照会可能になっている。そこも制度上は問題ない。
「これも出るわね」
「止めないの?」
「止める理由がないもの」
「向こうの材料になるぞ」
「それでもよ」
ゼルディヴァンの指摘は正しい。利用時間だけでも、訓練量や準備期間を推測する材料にはなる。
だが、情報戦で不利になるからというだけで、本来公開される情報まで恣意的に閉じるのは、イェルシェリナの考える情報管理ではなかった。
「私たちがやるのは、都合の悪いものを全部隠すことじゃない。誰の情報なのかを正しく扱うことよ」
その言葉に、リゼルヴェートも書類を見直した。イェルシェリナは次の照会へ進み、今度は手を止める。そこには《訓練内容詳細》の開示可否確認が記されていた。
「これは本人同意が必要」
「私の?」
「あなたの。訓練相手や他の参加者がいるなら、その人たちの情報も混ざるけれど、少なくともあなたの未公開戦闘情報を外へ出すなら、勝手にはできない」
「じゃあ、出したくないって言ったら?」
「出ない」
「簡単だね」
「簡単なところは簡単よ」
ただし、簡単だからといって放っておけばいいわけではない。本人同意が必要な情報だと明示されていなければ、現場の担当者が《至冠者からの正式照会だから》という理由だけで渡す可能性がある。だから制度上の境界を、実務側にも分かる形で残す必要があった。
イェルシェリナは王国側の管理規定を引き寄せ、該当項目へ付記する文面を作り始めた。新しい権利を生やすのではなく、既存規定のどこに本人同意が必要かを明文化する。曖昧だった部分を具体化するだけなら、サルディオンだけを狙った特例にもならない。
「これ、相手が変わっても同じ?」
リゼルヴェートが尋ねる。
「当然よ。サルディオンだから隠す、じゃない。あなたの未公開情報だから、本人同意なしでは出さない。それだけ」
「じゃあ、私がいいって言えば出せる?」
「情報の種類によるわ」
「また分かれるんだ」
「本人の情報でも、王国の安全保障情報と一緒になっていれば、あなた一人では決められない。逆に、王国が持っているからといって、あなた自身の戦闘記録を勝手に売っていいわけでもない」
そこが今回の一番重要な部分だった。誰が保管しているかと、誰に権利があるかは同じではない。王国の施設に記録があるから王国が何でも自由にできるわけではなく、本人のことだから本人だけで全て決められるわけでもない。
イェルシェリナは情報ごとに権利主体を書き足していった。
公開至冠戦記録。
閲覧可。
施設利用日時。
規定範囲内で閲覧可。
訓練内容。
本人同意および管理者確認。
未公開技の観測記録。
保有主体と本人双方の権利確認が必要。
非公開行動予定。
原則非開示。
王国管理の警備経路。
国家責任で非開示。
「こうして見ると、結構違うな」
ルシェルトが横から覗き込んだ。情報は全部一つの箱へ入っているわけではなく、同じ一日の記録でも細かく権利が分かれる。だからこそ、全部止めるより、どこを閉じるべきかを決める方が難しかった。
「サルディオン側は、違法なことしてるわけじゃないんだよな?」
「今確認できる範囲ではね」
「なら、こっちが勝手に怒るのも変か」
「変というより、意味がないわ」
サルディオンは正規の権利を使っている。商会を通す場合も、購入可能な記録を買おうとしているだけで、脅迫や侵入をしている形跡はない。なら、こちらも正規の手続きを使って守るべき情報を守ればいい。
感情的に全情報を遮断すれば、逆に問題が生まれる。相手に認められた照会権を不当に妨害すれば、こちらの方が制度を歪めることになる。だからイェルシェリナが閉じるのは、《本来出す権利がない場所》だけだった。
「この三件は止めるわ」
イェルシェリナは、本人同意なしでは出せない訓練内容照会、未公開技観測記録、非公開行動予定へ印を付けた。
「止めるって、どうやって?」
「一つは管理者通知。もう一つは本人情報の取り扱い確認。最後に契約」
「《誓環律》?」
「使わなくてもできるところからやるわ」
イェルシェリナは即答した。真律で情報そのものを縛る必要はない。既存の契約、管理規定、本人同意条項を揃えれば、正規経路から勝手に流れる情報の大半は止められる。
「まず、施設側に《本人同意が必要な情報範囲》を正式通知。次に、記録を扱う商会には権利確認のない情報を再販売しない条項を確認する。王国側の保管記録は、誰が承認権を持つかを一本化する」
「それで漏れない?」
「正規経路ならかなり減らせる」
「正規経路なら、か」
「絶対なんて言わないわ」
情報管理に絶対はない。だからこそ、どこまでなら止められるのかも正確に言う必要がある。契約を結べば世界中の情報が消えるわけではなく、すでに誰かが見たことまで無かったことにはできない。
書類が整ったところで、イェルシェリナはゼルディヴァンへ資料の一部を回した。
「あなたは、《知られても問題ないもの》を分けて」
「隠す方じゃなく?」
「両方。全部を重要情報扱いしたら、こっちが何を守るべきか分からなくなる」
「分かった」
ゼルディヴァンはすぐに照会履歴へ目を戻した。公開済みの技、すでに何度も見られている行動、外から容易に確認できる情報。そこへ過剰な防護をかけても労力ばかり増える。
「《星桜千華》の存在そのものは隠せないな」
「当然ね」
「過去に使った時の大まかな軌道も、記録がある以上は無理。逆に、今後どう変えられるかまでは出てない」
「そこを守るべき?」
「守る価値はある。ただ、戦闘中に見られたら終わる情報でもある」
「なら《秘密だから絶対見せない》じゃなく、《事前には渡さない》で十分ね」
イェルシェリナはその区分を記録へ足した。永続的な秘密と、戦うまで知られなければ価値がある情報は違う。そこを同じ扱いにすれば、不要な制限で自分たちの動きまで鈍る。
「リゼルヴェート本人にも、全部話しておきましょう」
「もういるけど?」
「そういう意味じゃないわ」
リゼルヴェートが少し首を傾げ、ルシェルトが笑いを噛み殺す。イェルシェリナは構わず、今確認した照会内容を本人が理解できる言葉へ置き換えた。相手が何を調べているのかを、戦う本人にだけ隠す理由はない。
「サルディオンは、あなたの至冠戦記録だけじゃなく、訓練、施設利用、行動傾向まで見ようとしている」
「うん」
「ただし、今のところ違法なことはしていない。見られる情報を、見られる手続きで集めているだけ」
「じゃあ、悪い人じゃない?」
「それとこれとは別。合法だからいい人、違法だから悪い人、みたいに単純には分けないわ」
「そっか」
「でも、少なくとも《ずるをして情報を盗んでいる》とは扱わない」
リゼルヴェートは素直に頷いた。相手が正面から情報を集めてくるなら、こちらも正面から守るべきものを守ればいい。戦う前から始まっているというゼルディヴァンの言葉も、今なら四人全員が同じ意味で理解できていた。
「私、何かしない方がいいことある?」
「今のところ、普段の生活を変えすぎる必要はないわ」
「訓練は?」
「するべき。相手に見られるのが怖いから何もしない方が、本末転倒でしょう」
「よかった」
「ただし、どこで何を見せるかは考える必要がある」
そこで、イェルシェリナはルシェルトへ視線を向けた。移動や施設、実際に人が出入りする場所は彼の担当に近い。書類上の情報だけなら契約と規定で整理できるが、現場そのものは別だった。
「ルシェルト。拠点や訓練場所で、外から見えるものは?」
「ある」
「どの程度?」
「結構あるな」
返事が早かった。ノルシェリア派の拠点は小さく、周囲から完全に切り離された場所でもない。訓練施設も公共利用が混じる以上、誰かの目を完全に排除するのは難しかった。
「例えば、誰がどこから出て、どの経路で訓練場へ行くか。荷物が増えたか。施設に何時間いるか。全部、書類がなくても見れば分かる」
「訓練そのものも?」
「場所による。完全に閉じた区画ならまだしも、出入りや音、源素反応までは隠せないこともある」
「それは契約では止めにくいわね」
「通行人全員に秘密保持契約結ばせるわけにもいかないしな」
イェルシェリナはそこで初めて、机上の整理だけでは終わらないことをはっきり認識した。正規照会経路は閉じられる。本人同意が必要な情報も、管理規定と契約で止められる。
だが、見れば分かることまで権利処理だけで消すことはできない。
ゼルディヴァンも同じところへ気づいたらしく、照会資料から顔を上げた。情報には記録として渡るものと、現場を観察すれば拾えるものがある。前者を整理した今、残った穴はむしろはっきりした。
「じゃあ次は、そこね」
イェルシェリナが言うと、ルシェルトは机の上に広がる書類ではなく、部屋の外――実際の街と拠点がある方向へ視線を向けた。
「書類で止められない方が残ってる」
契約と管理規定で閉じられる経路は、これでかなり減らせる。それでも、拠点の位置も、移動の癖も、訓練場所へ続く道も、その場に立って見れば拾えてしまう情報だった。戦う前から始まった勝負は、書類の外へ場所を移しつつあった。




