第22話:偽物には、できないこと
市場の立て札の前に、人垣ができていた。
〈告知。翼の座は本日より封を改める。新しい封は緋一色に統一、藍封および照合札は廃止とする。旧規則による検めは無効。 翼の座〉
緋色の封蝋。見慣れた印章。人垣がざわめき、荷を持つ手が迷い始めた、そのときである。
「はーい、皆さん、おはようございます!」
人垣を割って、読み上げ役の見習いが、いつもの台に立った。朝晩の相場を読み上げる、あの台である。見習いは立て札を一瞥し、それから、覚えたての口上を、腹の底から張り上げた。
「翼の座よりお報せします! 当ギルドの更新の告知は、すべて『黒い封』で、お一人ずつにお届けします! 紙で規則をお報せすることは、金輪際ございません! ——つまり!」
見習いは、緋色の立て札を、びっと指差した。
「黒くない告知は、ぜんぶ偽物でーす!」
一拍おいて、市場がどっと沸いた。
人垣の前のほうに居た乾物屋の親爺が、懐から黒い封の跡が付いた紙片を掲げてみせる。昨日、ギルドの伝令が店まで来た。合言葉を口頭で預かった。紙には何も残さなかった。——同じ経験をした店が、人垣の中に、次々と手を挙げた。
「なんだ、そういう仕掛けかい」
「おい、じゃあこの立て札、偽物の野郎が自分で『偽物です』って貼り出したようなもんじゃねえか」
笑い声は、市場の外まで転がっていった。
疑いは、この朝、向きを変えた。ギルドの封が信じられるかどうか、ではない。ギルドの封を偽る何者かが居る——そちらが本筋だったのだと、王国でいちばん口さがない場所が、いちばん大きな声で言い始めた。
偽物に、本物のすべてを写すことはできる。
ただひとつ、使われたことのない色を除いて。
その日の夕刻までに、帳場の受け箱には、各地からの応答便が積み上がった。
〈更新集計、三日目終業時。中継三十一所、応答三十一。顧客百六十、照合済み百六十。遅延なし。落失なし。 マルロ〉
算盤を置いた番頭は、集計の紙を三度確かめてから、腰の痛みも忘れて立ち上がった。三日、三十一所、百六十軒、遅れなし。網が死んだかどうかの賭けは、網の完勝で終わった。
しかも、この三日の一斉配達を、王国中が見ていた。黒い封を負った翼が、峠を越え、湊を渡り、雪解けの街道を駆け抜けていくのを。それは弁明の千倍、雄弁だった。
「——配達完了、っと」
最後の経路札を箱に納めて、ピナが帽子のつばを弾いた。三日で四つの経路を走り抜けた少女は、埃まみれで、上機嫌だった。
更新の翼は、王都にも降りていた。
商務局の受付で、ギルドの伝令は書役に黒封を渡し、規定どおり、合言葉を耳打ちした。書役は復唱しかけて慌てて呑み込み、周囲を見回してから、几帳面に頭の中へ仕舞い直した。
その様子を、使いの帰りの老侍従セドリックが、廊下の柱の陰から見ていた。
王家が、北の店から合言葉を頂戴する。忘れれば、報せの真贋を確かめる術がない。老侍従は手控えを出し、いつもの調子で短く書いた。
——王家、合言葉を賜る側になる。
書いてから、彼はほんの少しだけ笑った。笑ってよいものか分からなかったが、柱の陰では、誰も見ていなかった。
偽封の彫師が挙がったのは、その翌日である。
蝋問屋への上物の注文筋を、ロザリンドはずっと辿らせていた。緋の立て札が貼られた朝、市場の子供らが「夜明け前に札を貼っていた男」を覚えていた。線はふたつで足りた。川湊の安宿で、領兵に踏み込まれた男は、彫りかけの印章を呑み込む間もなかった。
王都駅逓崩れの彫師、コッブ。
男の荷から出てきたのは、精巧な型が三つと、支払いの革袋だった。あらためたアルディスの眉が、動いた。
「……王国鋳造の金貨だ。それも今年の新打ち。おまけに、王都の両替商の手形まである」
帝国の仕事ではないのか、と武人の目が問い、ロザリンドは印章の型を検分しながら、静かに答えた。
「雇い主は、蠍でしょう。手口が署名のようなものです。……ですが、金だけが王都から出ている。帝国の諜報卿に、王国の内側で金を払う者が居る、ということです」
線の先は、まだ闇の中である。だが点は、また一つ増えた。彼女は型と手形を封じ、帳面の同じ頁に書き付けた。消えた検分綴り。断罪の写し。そして、王都の金。
帳場に客の列が戻ったのは、更新から五日と経たぬうちだった。
解約した四軒は、そろって出戻ってきた。競りを降ろされたあの商人は、帳場の前で長いこと揉み手をしてから、定期報を「倍の口数で」頼み直した。列は、偽封の前より長くなった。
一度疑われた店が、疑いに勝つ。それは、疑われたことのない店より、よほど固く信じられるということだった。
帝都の諜報院で、ヴォルクハルトは敗報を読み終えた。
副官は、机の前で叱責を待った。三月仕込んだ偽封の網は、たった三日の一斉更新で根こそぎ枯れた。彫師は取られ、あまつさえ金の筋まで摑まれかけている。
だが、諜報卿は紙を置いて、笑ったのである。
「駒がよく走る……いや、違うな」
男は地図のカルテンを、長いこと眺めた。
「巣が、良い。……伝令が命懸けで走る網など、金では編めん。あの女、駒ではなく人を使う。だから読み違えた」
閣下、と副官が掠れた声を出した。次の手をお立てになるので、と。
「無論。だがもう『商売の邪魔』はせん。あれは、わたしと同じ卓に着く相手だ」
諜報卿は新しい紙を広げ、蠍の印章を手元に引き寄せた。
その目は、負けた男の目ではなかった。良い敵を見つけた男の、目だった。
夜、カルテンの帳場。
ロザリンドは一人、更新の集計を綴じ終えて、帳面の隅に小さく日付を書いた。用件のある日付である。ただ、その下に一行だけ、用件でないものを書き足した。
——全員、無事。
戸口で、アルディスの声がした。
「祝いの酒を持ってきた。……店は、もう仕舞いか」
「いいえ」
彼女は帳面を閉じ、灯りを一つだけ残して、立ち上がった。
「守る仕事が、いま終わりました。——次は、こちらから参ります」
偽封戦、第一ラウンドはギルドの完勝です。列は前より長くなりました。
ですが蠍は「同じ卓に着く相手」と笑い、金の筋は王都に続いています。次話から、こちらの番です。——蠍の巣に、偽の報せを届けに行きます。
※一度押したブックマークの信用は、偽物には写せません。




