EP1. 異変
特急「北海」編成図
荷物車/機械室 - 普通車 - 普通車 - 普通車 - 普通車 - グリーン車 - 食堂車 - 個室グリーン車
⇐至札幌(1号車側) (8号車側)函館⇒
函館駅を出発した列車は、ポイントを通過する微かな振動の後、エンジンの唸りを響かせながら加速を始めた。窓の外では、微かに光る函館の街並みが後方へと流れ去り、列車は山間部へ向かうように軌道を辿る。佐伯涼介は4号車の座席に座り、荷物を整理しながら窓の外の光景を眺めていた。
床下から伝わる振動が心なしか大きくなり、列車が速度を上げ始める。程なくして、スピーカーから車掌の穏やかな声が流れた。
『本日はご乗車ありがとうございます。この列車は、特急『北海』九号、札幌行です。停車駅は、札幌のみです。また、森、長万部、倶知安、小樽ではそれぞれ五分ほど停車いたしますが、列車から降りることはできませんのでご注意ください......』
放送は続き、各車両の設備案内や注意事項が丁寧に伝えられる。乗客たちは耳を傾ける者、雑談を続ける者、それぞれだったが、佐伯は窓外に目を向けたまま、放送の内容を聞き流していた。
吹雪が車窓を叩きつけるように舞い、景色を完全に覆い隠していた。やがて列車の速度が徐々に落ちていくのを感じ、佐伯は異変を察した。
「......遅いな」
独り言を呟きながら、彼は立ち上がる。通路を通りかかった車掌を呼び止めた。
「どうしてこんなに遅いんです?」
外套を着た車掌は少し眉をひそめながらも、落ち着いた口調で答えた。
「吹雪の影響で、速度制限がかかっております。すぐに放送があると思いますよ。」
その説明を聞き、佐伯は納得しつつも、車掌の微妙な態度が気になった。だが、再び座席に戻り、猛吹雪の外を眺めるしかなかった。
数分も走り続けていると、段々と山を下り始めたのか街の灯りがぼんやりと見えてきた。おそらく、停車予定の森駅だろうと佐伯は予想しつつ、目線を窓から車内に移す。車内には、ずっと座っていることに疲れたのであろう乗客が立ち上がったり、車両を行き来したりしていた。その中に灰緑色の服を着た男が6号車側に消えていったことに、佐伯は気づかなかった。
・・・・・・
6号車 車掌室
6号車のデッキに設けられた車掌室では、大森車掌が札幌にある司令所と連絡を行っていた。備え付けのマイクに口を寄せ、淡々と報告を続ける。
「特急『北海』九号、森駅へ定時到着予定でしたが、吹雪の影響で低速運転を余儀なくされ、約二〇分の遅延見込みです。追加の列車交換について指示を願います」
マイク越しに返答が届く。
『了解しました。森駅で長万部方面より参ります除雪列車との交換を追加で行ってください。また、運転手には当面の低速運転継続を伝達願います』
「了解しました。それでは、森駅での交換準備を進めます」
大森は深呼吸し、受話器を置く。スケジュールがさらにタイトになると考え、軽く肩を回した。
その時、無線が再び鳴った。応答すると、今度は福田車掌からの連絡だった。
「大森さん、今普通車の検札中なんですが、ちょっと時間がかかりそうでしてね。グリーン車の検札を手伝ってもらえませんか?」
福田の声はいつも通りふてぶてしく、急ぎというよりも面倒な仕事を押し付けたい意図が透けて見える。だが、現場の状況を理解している大森は仕方ないと了承した。
「わかりました。森駅の停車準備が終わり次第、そちらに向かいます」
その後、大森は運転手に低速運転継続と列車交換の指示を伝え、森駅の停車準備を急いだ。一時的に車掌室のカーテンを閉め、森駅の停車位置と時間を確認する。そのカーテンに映った人影に、大森が気づくことはなかった。
・・・・・・
列車はやがて森駅へ滑り込むように停車した。窓の外にはホームの照明がぼんやりと浮かび上がり、吹雪の勢いがさらに増しているのが見て取れる。ホーム上に立つ駅員達は外套を身につけ、除雪作業を行っていた。
大森は業務を進めるために車掌室を出た。6号車から8号車へ向かう途中、食堂車を通り抜ける際、調理員たちの姿が視界に入る。彼らは忙しそうに料理を運んだり、片付けをしたりしていたが、一瞬だけ奇妙な静寂が流れた。
大森がふと視線を向けると、調理員の一人が目を留め、じっとこちらを見つめているようだった。しかし、その目が何を意味するのかは分からない。
(......なんだ?)
疑問を抱きつつも、大森は足を止めることなく先を急いだ。その後ろ姿を、別の調理員がカウンター越しに追うようにして見ていたことには気づかなかった。
大森は個室グリーン車に到着すると、検札を開始した。予約者の名前が書かれた紙が貼られた扉を一部屋ずつノックし、切符を確認していくが、最後の「杉浦様」という紙が貼られた一部屋で返事がなかった。
「お客様、検札に参りました」
大森が話しかけても、一向に返事がない。眠っているのかもしれないが、それでも検札を済ませる必要がある。
「......失礼します」
鍵を開けようとするが、扉はびくともしない。予約状況を確認すると、この部屋の鍵は開けられる状態であるべきだった。
「おかしいな......」
扉の前で立ち尽くす大森。次第に違和感が募り、胸の奥で不安が広がる。このまま状況を見過ごすわけにはいかないと判断し、大森は車掌室へ戻る決意をした。
再び食堂車を通るとき、調理員たちの視線が背中を刺すように感じた。彼らは何かを知っているのか、それとも偶然の一致なのか。大森は心の中でその違和感を振り払いつつ、急いで車掌室に戻った。
「お客様のお呼び出しを申し上げます。『杉浦吉幸』様、いらっしゃいましたら、6号車の車掌室までおいでください」
大森は放送を終えた後、ふと窓の外を見つめた。暗闇と吹雪の中に何かが潜んでいるような、そんな得体の知れない不安が静かに広がっていく。停車中の車内が、少しだけ浮足立ったような気がした。
次回: EP2. 消えた男




