No.7 非観測的ダークマター
拝啓、地球のみなさん。
僕は元気です。
転生してから十二年。学園の入学試験もひとまずは無事に終わり、ある程度は順調に進んでいる……
……と、さっきまでは思っていました。
現在、僕はラーファルに廊下を引きずられております。
あんな顔をされて彼の誘いを断ることなど、僕には出来ませんでした。
ところで本当にどうしたものか。
さっき無理矢理にでも断っておくべきだったってのは分かる。
ただ出来なかったものはいまさらどうしようもないし、ラーファルの手を振りほどこうにも……駄目そうだ。
この子、見た目の割にとんでもなく力が強い。
一応振りほどく事自体は出来なくもないが、もしそんな事をしたらラーファルに怪我をさせてしまう。
今の僕に出来ることは、ただただ黙ってラーファルについていくことだけだ。
しばらく歩いた先。悲しい事に、何の解決策も思いつかないまま僕達は大浴場まで辿り着いてしまった。
残念な事に、大浴場にはすでにそこそこ人が集まっているようで、中から楽しげな声がわんわん響いてくる。
まだ少し早い時間帯だし、もしかしたらまだあまり人はいないのではないかと淡い期待をしていたものだが、そんなものはほんの一瞬で打ち砕かれた。
最悪だ。ますます気分が沈む。
みんなは楽しいのかもしれないけれど、僕にとっては楽しくも何ともない。
もはや抵抗する気すら起きず、僕はそのまま脱衣所まで連れ込まれる。
こう言う時こそ何かトラブルが起こって欲しいものだが、現実は無情だ。
こんな時に限って、事件は何も起こらないらしい。
どうにかタオルで隠せたりしないかとも思ったが、もちろん着用したままでの入浴は禁止。
まさに万事休すだ。
「ねぇ、さっきからどうしたの? 急に静かになったりして」
「えっ」
「もしかして体調悪い?」
「いや、そんな事無いけど……」
ラーファルは心配そうにこちらを見つめる。
一体どうやって誤魔化したものか。
この善意の塊みたいな子に嘘はつきたくないし、かと言ってここまで来て拒否なんて……
そんなの絶対に悲しむに決まってる。
でも、嘘だけは……っ!
「あの……さ、体調は特に悪くないんだけど、何て言うか……あんまり体見られたくないんだよね。ちょっと、色々……」
言える範囲で正直に柔らかく拒否る。
苦し紛れの弁明だが、これ以上は本当に無理だ。
パチリとまばたきをして、ラーファルは僕を見つめる。
(残念がられるだろうな……)
まっすぐ見つめ返すことが出来ずに僕は目をそらした。
しかし意外な事に、ラーファルはなぜか安心したように笑い出した。
「なんだぁ、そんな事か」
(そんっ……)
僕にとっては大事なのに!
そう叫びたいのはやまやまだが、まぁ何も話せない僕が悪い。
「まぁさ、とりあえず行ってみなよ。すぐに分かるだろうから。ほら!」
「うわぁっ、ちょまっ……」
有無を言わさぬ勢いのラーファルにひん剥かれ、僕は大浴場の中に投げ込まれた。
「うぅ、そんな強引な……」
「ほら、ね。大丈夫でしょ」
「大丈夫って……え? なにこれ?」
顔を上げると、体に白いモヤがまとわりついている。
よく見ると自分だけじゃない。
他の人達もみんなそうだ。
「言ってなかったっけ? そう言うの、気にする人も結構いるから、ここの大浴場には大事な所が見えないようになる魔術が掛けられてるんだって。まあ、もしそうじゃなかったら僕だってちょっと無理だもん、あはは……」
なんだ、そう言う事か。そうならそうと早く言ってくれよ。
まごまごしてたのが馬鹿みたいじゃないか。
それはともかく、直接見られる事が無いと分かったのは良かった。
ひとまず今ここで色々バレる心配はしなくても良さそうだ。
それにしてもこれ、上手く隠れるのはマンガとかの演出の中だけでの話じゃなかったのだろうか?
現実に湯気でここまで隠れるものか?
……まぁ、良いか。どうせファンタジーなんだし。
なんだかいいかげん僕も慣れてきたな。
悩みの種が一つ無くなったところで、改めて周りを見渡してみる。
何と言うか……すごい。
確かにラーファルの言った通りだ。
すごいと形容する以外に、ふさわしい言葉が見つからない。
まずとにかく広い。
それに、壁の装飾も無駄に凝ってる。
さらにはなぜか露天風呂まで……
すごいなぁ。空気が澄んでるから、小さな星まで綺麗に見える。
温かい湯船に浸かりながら夜空を見上げる、この時間はまさに最高の一時……
(……いや、なにこれ?)
冷静に考えてみれば、ここは学校だったはずだ。
間違ってでもリゾート地の高級ホテルなんかじゃない。
――それがどうしてこんなことにっ!?
「うわっ! 何だこれ! すっげー!!!」
うわっ、何だこのガキ、うるせー。
「……エス?」
「はい?」
衝撃のあまり、またぼーっとしてたみたいだ。
ラーファルが後ろに来ていた事に気づかなかった。
「あのー、エスってさ……」
「はい」
「何と言うかたまに……辛辣?」
「ウッ……」
もしかして今の声に出てたか?
「ごめん。気をつける」
「いや、大丈夫だよ。僕はそう言うの正直で良いなーって思うし」
「うぐっ」
おそらくフォローしてくれているのだろうが、逆効果だ。
自分が悪かったって自覚がある分、善意の棘が深く心に突き刺さる。
本当に、今後は気をつけるようにしよう。
「そんな事よりさ、ほら、僕の言った通りだったでしょ?」
ラーファルはバッと腕を広げた。
緑色の目がキラキラと輝いている。
「うん。確かにこれはすごいとしか言いようがないね」
心の棘を投げ捨て、熱い湯船に肩まで浸かる。
最後にまともな風呂に入ったのは一体いつだったか?
詳しい事は定かではないが、少なくとも十二年ぶり以上である事は確かだ。
ここに来てからは水浴びばかりだったし、前世でも風呂は適当に済ませる事が多かった。
冷たい水も悪くはないが、やはりこれは別格。
ああ、極楽とはこの事か……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
廊下で晒した醜態とか、口からポロッとした心の声とか。
そんな事はどうでも良いから、ひとまずこれだけは言わせてもらおう。
とにかく風呂は最高だった!
流石に湯上がりの牛乳は無かったけれども、それを差し置いても至高の一時だった。
やはり風呂は抜くものじゃないな。
さて、リフレッシュしたところで次に待ち受けているイベントは何か?
――そう、夕食だ!!
僕のテンションがおかしくなっているのは気のせいではない。
事実、今の僕のテンションはぶち上がっている。
僕は種族柄食事は必要無いのだが、やっぱりあるのと無いのでは全然違うものだ。
「なんか、えらい嬉しそうだね。さっきの君とは別人みたいだ。そんなに夕食が楽しみなの?」
「そりゃあ! もちろん! 今日僕はこの瞬間の為に生きてきたと言っても過言ではないからね!!」
「それは……ちょっと言い過ぎじゃない?」
ラーファルは僕を見て、さっきの僕みたいな反応をした。
側から見たら大袈裟なのかもしれない。
でも、僕がこうまでになるのにも理由があるのだ。
確か、あれは五、六年ほど前の話だ。
『父さん、いくら必要無かったとしても、食事はあった方が楽しいと思うんだ』
いくら空腹の概念が無いとはいえ、食事の一切無い生活にいい加減辟易していた僕は、思い切って父さんに聞いてみる事にした。
『食事か。そういえばそんなのあったな。存在は知ってるいるけれど……分かった。ちょっと試してみるよ』
そして父さんがふらりとどこかへ向かっていった、その数時間後……
『……何これ?』
『とりあえず、木の実を軽く炙ってみたんだけど……どう? 鳥とかがよく食べてるやつだし、毒は無いと思うけど』
『……軽く?』
全ての光を吸収するほどにどす黒く、焦げ臭いどころか、もはや何の臭いもしない物体。
その黒い『ナニカ』は石炭みたいな味がした。
その日の夜の事。
『これは……何で動いてるの?』
『何でだろうね。スライムと三つ目ウサギを一緒に煮込んだだけなのに』
結果は目に見えていたが、恐る恐る僕はそれを口に運んだ。
突如走った顔面をぶん殴られたかのような衝撃。
その後は気がついたら二日が経っていた。
本当は他にもあるが、正直もう思い出したくない。
これ以上やったら本気で吐きそうだ。
とにかく、これで分かったはずだ。
今、僕がいかに心躍っているのか。
『楽しみ』という言葉ですら最早生ぬるいんだ。
「それが言い過ぎじゃないんだよなぁ。僕が今まで食べて来たのは料理というより凝縮された地獄、うっ、吐き気が……」
「……?」
へたり込みながらにやにや笑っている姿は、周りから見ればただの変人にしか見えないだろう。
相当やばかったのかラーファルもドン引きである。
でも今は人目なんて気にしちゃいられない。
僕は謎テンションのまま、食事会場のホールの扉を勢い良く開いた。




