No.28 目撃者
話は数時間前、一限にまでさかのぼる。
「昨日も話した通り、迷宮壁の精錬は希少な鉱物の入手にたびたび役立ち……」
この日の3-Aの一限は『選択科目①』。
生徒達はそれぞれの教室に移動し、自らの選択した教科の授業を受けていた。
この選択科目の授業で用いられる教室のうちの一つ、錬金術のアトリエは、学生寮のすぐ近くの実験棟の中にある。
一年生の時に例のアンケートで錬金術を選んだ生徒達は、そのアトリエ……ではなく隣の小教室で、皆黙々とノートをとっていた。
エスの友人メルトの兄であり、三年生首席の少年、アクト・キングスランドもそんな生徒のうちの一人である。
彼も他のクラスメイト達と同様、特に感情を抱く事も無く、教師の話の内容を淡々とノートにまとめていた。
授業内容は『迷宮壁の精錬とそこから得られる物質』について。
中には授業の内容に頭を抱える生徒や、睡魔に負けてペンを持ったまま机に倒れ込む生徒もいたが、アクトは流石は首席とでも言うべきか。居眠りをする事も、途中でつまずくような事も無く、授業の内容をほぼ完璧に理解していた。
(ああ、今日の内容もほとんど去年の復習か。……ここは分かる。ここもすでに知っている。何もかも、全く難しく無い。……つまらない)
だがそんな彼も、簡単過ぎる内容に、流石に集中力が切れてきたようだった。
ふとノートにペンを走らせる手を止め、窓の外に目を向ける。
いつも通りの穏やかな朝だ。
雲が流れ、小鳥が飛びかい、道の端では、雑草がぽつぽつと小さな花を咲かせている。
(……何だ、あれ)
そんなのどかで平凡な景色に混ざり、少年の目に飛び込んできたのは、とある異様な光景だった。
学生寮の裏口近くで、何やら怪しげな影が蠢いている。
(あれは……人?)
よくよく目を凝らしてみると、蠢く『何か』は人の形をしていた。
だが人であろうとなかろうと、少なくとも絶対に大人ではない。
周囲の構造物と比較すればそれは明らかだ。
身長約一メートルくらいだろうか?
またその背には、その小さな体躯とは不釣り合いなほどに大きな荷物が担がれていた。
半ば引きずられるようなかたちで運ばれていくその黒い物体は、まるで等身大で人を模した大きな人形のようで……
(!!)
アクトはすぐにその荷物の正体に気づいた。
あれは人形なんかじゃない。人だ。
あのよくよく見慣れた装い、大荷物の正体は、この学園の生徒だ。
生徒を担いだ小さな人影は、寮の裏からまっすぐに芝生の中を進んでいく。
その行く先数メートルには、これまたなんとも奇怪な物が存在していた。
……いや、厳密には『物』ではない。
それは確かに“ある”ものであり、目視する事も出来るが、決して物質としては存在していない。
『穴』だ。空間に穴が開いている。
人影は穴の前まで辿り着くと、突然ぷつんと、糸が切れたかのようにそれの中へと倒れ込み、穴の内側へ吸い込まれた。
二つの人影の姿が穴の中へと完全に見えなくなると、その穴も周囲の空間が押し寄せるようにしてだんだんと細くなり、しまいにはただの線となって消えた。
後には再び、何事も無かったかのごとく平和で平凡な景色が広がる。
(今のは一体……誘拐? あの生徒、あれはまだ生きているのか? それとももう死んで……いや待て、まだ終わりじゃない。これは……見られている?)
人影と穴が消えても、異変はまだ続く。
アクトはどこからともなく、脊髄に絡みつくようなおぞましい視線を感じた。
(何だこの、気味の悪い……)
視線が送られて来ているであろう方向に目を向ける。
学生寮のさらに向こう側、はるか遠くの方には、学園管理下の森が広がっていた。
(まさか、あんな遠くから見えるはずが……っ、)
すると一瞬、『見られている気配』が身を引き裂かんばかりに強くなった。
(距離があり過ぎて視認は出来ないが……今、間違い無く何かと目が合った)
殺気はこもっていなかったが、内側から暴かれるような感覚にアクトは体がこわばる。
それでもなおしばらく向こうを見つめていると、突然強風にあおられたかのように森が震え、同時に奇怪な視線も消失した。
窓の外には今度こそ、いつも通りの平凡な風景が広がる。
「……このようにして得られた精錬後の物質には不純物が多く含まれており、これを除去する為に……」
チョークの音と教師の声に、アクトはふと我に返った。
それほど時間は経っていなかったのか、授業の内容はさほど進んでいない。
だが先程とは違い、教師の説明する内容は、全く頭の中に入ってこなかった。
(生徒を担いだ小さな人影に、空間が裂けるように開いていた『穴』。それに何よりあの視線。今、この学園に何が起こっている? 少なくとも今までにこんな事は一度たりとも無かった。明らかに異常事態だ。それと……なにやら胸騒ぎがする。この教室内には、俺以外で今起こった事に気づいている奴はいなさそうだが……他の場所ならどうだろうか? それとも全て見ていたのは俺だけか? どちらにしろ、これだけは断言できる。ここでは今、確かに『何か』が起こっている。……そして俺はその『何か』、大きな渦のようなものに巻き込まれた。)
アクトは目を閉じ、今しがたの視線を思い浮かべる。
あの視線の主は、不敵な笑みを浮かべていた。そんな確信が頭の中を駆け巡った。
なぜだろうか、彼女の姿は一切見えていなかったというのに……




