No.2 人間の世界
さて、この世界に来てから、そろそろ十年が経つ頃だろうか。
転生したあの日から今日までに、特に変わった事は何も無い。
僕は相変わらずこの霊峰で、父さんと安心安全なスローライフを謳歌している。
……あ、でもやっぱり、一つだけ変わった事が。
つい最近の事だ。
数ヶ月どころかまだ一週間も経っていない、ほんの数日前の話。
そう、あれは忘れもしない。
朝、僕はいつもの通り、小屋のベッドの上で目を覚ました。
軽く伸びをして、なにげなしにベッドから降りる。
――ここで僕は、ある違和感に気づいた。
今考えてみると、気づくまでが遅すぎたくらいだ。
明らかにおかしい、見逃す方が無理なほどのこの強烈な違和感に僕の反応が遅れたのは、おそらく、僕がその感覚にあまりにも慣れていたからだろう。
いつもより高い視線。
地を踏み締める二本足。
そして、視界に映るのは、可動域の狭い前足ではなく……
――鋭い爪のついた、二本の『腕』。
相変わらず翼やツノの感覚がある以上、人間と同じとまでは言えない。
だけど確かに、この時僕は人とよく似た姿をしていた。
ただ、気づくまでに時間がかかったとはいえ、僕は人外の姿のまま十年間も過ごしてきたんだ。
その時の衝撃といったら尋常なものではなかった。
最初は訳が分からなすぎて、また死んだんじゃないかとも思った。
でも、目に映る見慣れた部屋の光景がそれを否定した。
大丈夫だ、死んではいない。
でも、自分の身に何が起きたのかは、やっぱり理解出来ない。
頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされて、気がついたら僕は、慌てて父さんの元へと走り出していた。
――ちょっと前までは完全に竜の姿だったものだから、自分は服を着ていないのだという事も忘れて。
父さんはいつもの崖の上にいた。
いつも冷たい岩の上に腰を下ろし、何かを考え込むように、じっと目を閉じているんだ。
声をかけたらすぐに振り向いてくれるから、まぁ寝ている訳ではないんだろうけど。
そう、そして僕は何一つ分からない状態で、半ば叫ぶように父さんを呼んだ。
いつもの喉の奥から響く鳴き声ではなく、僕の口から出た声は、ちゃんと言葉になっていた。
この時初めて僕は自分自身の声を聞いたのだけれども……
うん。僕はなかなかに良い声をしていた。
……前世に比べたら。
「どうしたんだい? エス。そんなに慌てて」
父さんは落ち着き払って振り返った。
我が子が初めて喋ったってのに、その冷静沈着ぶりといったら、まさしく人外のものだった。
「どうしたもこうしたも! 何これ!? 何で僕、こんな……人型になってるの!?」
そんな父さんとは対照的に、僕は大混乱で疑問を吐き出す。
でも、それでもまだ父さんは涼しい顔だ。
「ああ、なんだ。言ってなかったっけ? 私達は十歳前後で、自然に人の形を取れるようになるって」
「聞いてないよっ!!」
全力で上げた叫び声が、周囲の山々に反響した。
これには父さんも、わずかに肩をすくめる。
そして小さく笑った。
「まぁ、言い忘れてたのは悪かったよ。でも安心して良い。別にずっとそのままって訳じゃないから。戻ろうと思えば、いつでも元の姿に戻れるよ。逆に、練習すれば羽もツノも消す事が出来るようになるし……便利だよ、色々とね」
父さんはニコニコと僕を見つめると、ふいにすっと小屋の方を指さした。
「ところでエス。人型になれたは良いけど、そのままで活動したいなら服は着るようにね。この日の為に、君用の服は家の中に置いてあるから」
……その時、やっと僕は気づいた。
(あ……僕、服着てないじゃん……)
――ってのが、この十年で唯一変わった事のあらまし。
でもまぁ、そんな事は今はどうでも良いんだ。
元が人間の僕にとって、こちらの姿の方がなにかと都合が良かった。
何より手が使えるようになったのは大きい。
ところで、この悠々自適な生活には問題が一つ。
――すごく、暇なのだ。
始めのうちは、見た事の無い動植物を探し回るとか、小屋の本棚にある本を読み漁るとかして気を紛らわせてたんだけど……
最近は、それにももう飽きた。
そこで僕は考えた。
(何か良い暇つぶし無いかなぁ〜……)
とはいえ、一人では何をしようにも限度がある。
実際、思いつく限りの事はもうやり尽くしてしまった。
それで思いついたんだ。
『どうせなら、この世界について父さんに教えてもらえば良いじゃないか』って。
暇もつぶせるし、この世界についての知識も得られる。
一石二鳥。我ながら良い考えだ。
「ねぇ、父さん」
僕はさっそく父さんに声をかけた。
岩の上によじ登り、父さんの隣に腰を下ろす。
「うん? どうしたの?」
「部屋に置いてある本、あれ読んでからずっと気になってたんだけどさ、この世界に人間って本当にいるの? 今まで見た事無いから、いまいち信じられないんだけど……」
もちろん、これはブラフだ。
話を自然に切り出す為のただの口実。
“人型”という概念がある以上、人間はいるに決まってる。
「人間? もちろんいるよ。いるし、私たちなんかよりずっと数も多い。まぁ、人間達はここまで来る事が出来ないから、ここで彼らを目にする事はまず無いけどね。」
ほら、やっぱり。
思った通り人間はいる。
ここで一つ疑問だ。
「人間はここまで来られない? どうして?」
「どうしてか……理由は複雑なんだけど、簡単に言うと、人間にとってここは魔力濃度が高すぎるんだ。どうしても来たいのならば、かなりの特殊な装備を整えなければならない。ここは山頂に近いから、よっぽどね。まぁ、だからこそここに住んでいるのだけれど……そうだ、エス。この世界の歴史、成り立ちについては、どれくらい知ってる?」
ふむ。質問をしたら質問が返ってきた。
とりあえず、人間を見ない理由については納得。
『魔力』……なかなかそそるワードだ。
それで……世界の成り立ちか。
確か、本に書いてあった通りには……
「えっと……神が世界を創った時に、自らの子として五種類の人間を生み出した。それが、『人』、『エルフ』、『獣人』、『ドワーフ』、『魔人』の“五大種族”。そしてそれらを見守り、彼らの助けとなるようにと創り出されたのが竜……だっけ?」
記憶をさかのぼり、前に見た本の内容を思い出す。
ページが黄ばんでいて、かなり古そうな本ではあった。
子供向けのおとぎ話のような話であったのをよく覚えている。
「そう、その通り。……それが本来の創世神話だ」
すると、父さんは意味ありげにつぶやいた。
何か含みがあるな……
「本来……って事は、今は違うの?」
「うん。歴史がね、すり替わってるんだ。……人間達の間だとね」
父さんは目を細める。
黒く長いまつ毛がフワリと揺れた。
「今からだいたい、三千年くらい前の話だ。かつて、五大種族が二つに分かれた戦争があった……」
父さんは語り出す。
なにやら重要な話になりそうだ。
僕は一言も聞き逃す事が無いように、じっと耳を傾ける。
「きっかけは些細なものだったらしい。種族の価値観の差からくる、よくあるような小競り合いだ。だがそれは時の流れと共に広まりゆき、やがて種族を分かつ戦争となった。もはや何の為に争っているのかは誰にも分からない。人、エルフ、獣人。そして、魔人、ドワーフ。二つに分かれた勢力のこの無意味な戦争は、実に二百年ほど続いたと聞き及んでいるよ」
ふむ、なるほど。
しょうもない理由で戦争を始めて、終わらせどころが見つからないからぐだぐだ引き延ばす。
どの世界の人間も、そういうところはあまり変わらないらしい。
続きを聞こう。
「……やがて時間が経つほどに、人間達はだんだんとその無意味さに気がついてくるようになった。そして同時に考えた。『なぜ我々は、こうも傷つけ合わなければならないのか?』けれども、理由など始めから存在しないのだから、答えなど出るはずも無い。だが、それを受け入れられるほど人間は強くなかった。心身共に弱りきった人間達。……そこにつけ込んだ者がいた」
ふいに父さんの顔が曇る。
怒り……ではない。
強烈な嫌悪の表情だ。
「彼女……白竜『テクノバルテ』は、人の心の傷を利用した。今、この世界に現存する竜は四種。黄竜『エドバルテ』、緑竜『リンドバルテ』、赤竜『ハルバルテ』、そして私達、青竜『リズバルテ』。他の同胞達は、白竜の計略により全て滅ぼされてしまった」
……なんとなく道筋が見えてきた。
つまりは、その『白竜』こそが歴史の改ざんを……
「今となっては誰も知らない。いや、そもそも誰も知らなかった。彼女の企みは、考えようとするだけで気が狂うほど、猟奇的なものだったという。残っているのはただ事実だけ。白竜は、とある人族の人間に己の血を混ぜ、英雄に仕立て上げた。そして人々の心を扇動し、竜は彼らの共通の敵であると刷り込み、そして、殲滅が始まった」
父さんはふぅと息をつく。
「すでに人間達は、この事実を知らない。その歴史も全て白竜が消し去った。今彼らの内に残るのは、彼女の手により新たに植え付けられた歴史だけ。『ある日、竜は創造主たる神を裏切り、人間達に牙を剥いた。だが白竜だけは人に味方し、全身全霊をもって彼らの脅威を退けた』と……」
……酷い話だとは思う。
父さんがこんな山奥に引きこもっているのも、それが理由なのだろうか?
(思ったよりめんどくさそうな世界だな。まぁ流石に、順風満帆な異世界生活とはいかないか)
春の風が前髪を揺らす。
そこまで話して言葉を切ると、父さんは肩の力を抜き、いつもの柔らかな調子で続けた。
「とはいえ、人間に対して恨みを抱いてはいけないよ。白竜のした事は到底許せるようなものではないが、人間達は彼女に騙されていただけ。その被害者である事は、私達と変わらない。まずはそれを知ってほしい」
僕は父さんを見上げる。
僕だって、前世は人間だった。
たとえどんな悪人がいたとしても、みんながみんな同じだと決めつけて拒絶する事は到底出来ない。
明確な意思をもって強くうなずく。
すると父さんはフッと小さく微笑んだ。
「そう。なら良かった。君にはね、十二歳になったら人間の国にある学園に行ってもらおうと思っているんだ。この先の時代、人間達と関わらない事には、流石に無理があるだろうから。大丈夫、それまでは私が色々教えてあげよう」
……なんと。
この話の流れでそうなるか。
それにしても、異世界の学園……
僕は一体、何を学ぶ事になるのだろうか?
「学園? それって、どんな……」
「んー、具体的な事は行ってからのお楽しみかな。算術とか歴史とか魔術とか……学ぶ事は色々あるし、選択制の授業もあるから、退屈はしないだろう。あと、友達作りの場としても悪くないだろうね」
なるほど。
学園の概念としては、前の世界とあまり変わりは無いようだ。
とはいえ、流石に学ぶ内容は少し違ったりもするらしい。
魔術……
……魔力がある世界なんだから、やっぱり本当に魔術も存在するんだよな。
“ある”事自体は本の知識で知ってはいたけど、直接人に聞くのとではなんかこう……
……感慨深さが違ったりする。
魔術、魔術……
ああ、なんかにやける。
あれ、待てよ……
確か本には、魔術以外にももう一つ……
「ねぇ、父さん。魔法は? 魔法は習わないの?」
そう、この世界には魔術とはまた別に、『魔法』が存在するらしい。
でも違いが全く分からない。
そもそも本では、魔法に関する記述がほとんど見つからなかった。
魔術についてはたくさんあったのに、だ。
「ああ、うん。魔法は魔術と違ってかなり異質だから、学園で教わるような事は無いかな。魔術は極論、空中に陣を描けば誰にでも行使出来る。でも、魔法は個人の適性によるところがかなり大きい。発動方法も色々特殊だしね」
「ふぅん……」
色々って何だ?
……まだよく分からない。
分からないなりに適当に相槌を打ってみたりして……
何だか悲しくなってきた。
「はは、もしかしてがっかりしてるの? 大丈夫だよ。エスは竜だから、ちゃんと魔法も使える。竜言語魔法っていってね、私達にしか扱えないものがあるから。知りたい?」
「うん、知りたい!」
間髪入れずに僕は答えた。
間違いなく、今の僕の目はキラキラと輝いている事だろう。
我ながら分かりやすいやつだ。
でも、それも当然。
魔術に魔法なんて、前世ではファンタジーそのものだった。
でも今は、それが現実に存在している。
こんなの、ワクワクしないはずがない。
僕は岩に尾を打ちつけた。
あと二年。
たったそれだけ待てば、楽しい学園生活が待っている。
二度目の青春。
今から楽しみで仕方がない。
それこそ、お決まりの学園無双とか出来るかも。
でも父さんの話を聞いた感じ、正体がバレても面倒そうだし……
――まぁ、最強ムーブはほどほどにね……




