No.13 なんとも長い入学当日
エリクサーには及ばないにしても、竜涙には小動物なら全快させられるほどの力がある。その事をもっと知っておくべきだった。
でも今となってはどうしようもない。現にメルトの傷は完治してしまっているのだから。さて本当にどう説明したものか。
「何って……薬だけど……」
「薬ってポーション? でもそんなに強いのってある? ここまでの傷が一瞬で治るポーションなんて聞いた事が無いけど……」
ラーファルは訝しげに首をかしげる。一方でメルトは少し考え込んでいるようだ。
「もう痕も何も無い。いくら強力とは言え治癒痕が一切残らないのはおかしい。……つまりポーションじゃない。この回復速度、時が巻き戻ったかのような治癒力……まさか、エリクサー……?」
へぇ、メルトはエリクサーを知っているのか。僕の生まれ上、僕の知識とこの世界、この時代の常識には多少の齟齬がある。現にラーファルはエリクサーを知らないようだし。
メルトがエリクサーを知っているのは、貴族である事が関係しているのか? まあ何にせよ、今この流れは都合が良い。
「うん、まぁ……それに似たようなもん」
う、嘘じゃないもんね。一応材料だし? じ、実際傷も治ってるし?
「似たような……? でもエリクサーはうちの……いや、お前の事だ、どうせ考えるだけ無駄か。それはともかくその……ありがとう。傷、治してくれて……」
メルトはうつむきがちに言う。面と向かって感謝をするのが苦手なのだろう。終始目を伏せていたが、その言葉が本心からのものである事は良く伝わって来た。
「そう言えば……さ、雰囲気をぶち壊すようで悪いんだけど、さっきのアクトって先輩の人とメルトって結局どんな関係なの? 久しぶりって言ってたし……ああ、ごめん。言いたく無かったら別に無理に教えてくれなくても良いから……」
ラーファルがそうメルトに問う。……確かに僕もそれは気になるな。
メルトは一瞬口に出すのを躊躇したようだったが、意外にもあっさりとその問いに答えた。
「……兄だ。俺の」
はい? 何だって?
「え? 兄? でもお前、前に嫡男って……」
「ああ、覚えてたのか……あの時の事は忘れてくれ。正直あいつらの事は好きじゃないんだ。それで……確かに嫡男ではあるが、母上が正妻だったってだけで俺は次男だ。兄上は庶子だった。たったそれだけの事で、家の中では父上達だけじゃなく使用人達にまで疎まれ続けてきたから、俺を憎むのも当然だと思ってる。俺は兄上を疎ましいなんて思った事は一度も無い。むしろ尊敬してるってのに。……周りの大人は誰一人として目を向けようともしていなかったが、兄上はかなりの努力家なんだ。『擬似魔剣』、剣への魔術の多重付与。あれを成功させる為にどれほどの試行錯誤をしたのかは想像も出来ない」
擬似魔剣、さっき見たのはそれか。あの傷の様子から察するにかなりの威力があるのだろう。その技術を努力だけで身に付けたと言うのだ。メルトが尊敬する気持ちも理解出来る。
公爵家と言うしがらみさえ無ければ、二人がすれ違う事も無かったのだろうか。そんな事を僕が考えたところで仕方が無いが、それが貴族と言うものなんだろう。
納得は出来なかったとしても、それをどうしようも無い事として割り切る事の出来るメルトは、はっきり言ってすごいと思う。前世の僕にはそんな事は出来なかったから。割り切れていたらもう少しくらいは幸せに暮らせていただろうに……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
今日は本当にかなり濃い一日だったな。明日から授業も始まるってのに、こんなんじゃ先が思いやられるよ。
「あー、なんかどっと疲れた」
寮の部屋でベッドの枕に顔をうずめ、今日あった出来事を思い出す。
えーっと? 入学式で急にスピーチをする事になって、原稿が古代文字で無意識に同級生達を煽り散らかして、学園長室に呼ばれてやっと解放されたと思ったら二人が何か大変な事になってる。急いで駆けつけたのに全部終わってて、メルトが大怪我でそれをやったのはお兄さん。しかもその怪我は一瞬で治った。
これが全部一日で起きたとか本当信じられない。もうすでに満身創痍だよ。まだ入学しただけなのに。
「何か……大変だったね。お疲れ」
隣のベッドで翼の手入れをしながらラーファルが言う。あー、良いなぁ、フワフワの羽。
鳥は昔から好きだったな。あの翼を触ってみたいと何度思った事か。スズメなんかは特に好きだったけど、近づくだけで逃げられちゃうし。
今の僕にも翼はあるけど何かシャリシャリしてるからなぁ。
正直触りたい。一回で良いからモフモフしてみたい。でも流石に失礼だよな。僕だったら嫌だし。何より、そんな事言ったら変態みたいじゃないか。
「はぁ〜」
何とも間抜けな溜め息が出る。こう言う時は思いっきり翼を広げて……いや、いっその事元の姿に戻って、水浴びするなりどっかに飛んで行くなり出来たらそれが一番良いんだけど……ここじゃそんな事出来るはずも無いもんなぁ。
気怠さを紛らわす為に目を閉じる。こんな気持ちになるのはいつぶりだろうか。
しばらくして明かりが消える気配がした。ラーファルも眠りにつくようだ。
すうすうと寝息が聞こえ始めた頃にゆっくりと起き上がり、ベッドの上にあぐらをかいて座る。
カーテンの開いた窓の向こうには月が見えた。満月より少し欠けた月だ。
ここは地球では無いからあれを月と言って良いのかは分からないけれど、元の世界のものより二、三倍は大きく青白く輝くその星は、眺めているだけで何だか懐かしい気分にさせてくれた。
(そう言えば、今向こうの世界はどうなっているのかな。時間の流れがここと同じだとしたら、もう僕が死んでから十二年は経つのか。みんな社会人とかになったりしてるんだろうな。どうせ僕の事を覚えてる人なんてほとんど……)
「……虚しいなぁ」
かつての事を思い出すと、前の僕がいかに死んだような毎日を過ごしていたのかが良く分かる。今世ではそうはならないと良いなぁ。
そんな事をぼんやりと考えながら、僕は眠りに落ちた。