断片・ねずみ色の女
處田さんね。出かけてると思ったんだけどね。
奥さんのほうの話ね。息子さんは知らないですよ。見ないもの。出てこないの、家から。ほとんど。もう顔も忘れちゃったわよ。本当に出てこないから、全然。
それで、奥さんね。火事の二週間くらい前に、朝、ゴミを出して帰ってくるときにすれ違ったの。ゴミは持ってなかったね。燃えるゴミの日だったんだけどね。
『處田さん』
って声をかけて、挨拶しようとしたんだけど、ずんずん行っちゃってね。普段は愛想のいいひとだったんだけど。
いや、腹を割った話とかはしたがらないのよ。
特に息子さんのこととかね、あまり話したくなかったみたい。
でもね、挨拶はきちんとするひとなのよ。だけどその日は何でだか無視されたのよね。急いでたのかもしれないけど、いやだ、感じ悪いなって思ったよね。
それから帰ってないと思ってたんだけどねえ。いや、私だって別にいつも見張ってるわけじゃないから。夜中に帰ってきたかもしれないって言われれば、そうかなあと思うわよ。たださ。
あの家の玄関ね、開け閉めするときに『きぃぃーーー』って嫌な音がしてたのよ。うるさいの、耳につくのね。直せばいいのにって思ってたのよ。ずっと。何年も。
その音もしなかったし、新聞も玄関に溜まってたしね。いつも旅行に行くときは、あの人、新聞を止めてたんだけど。もったいないからって。
旦那が亡くなって、年金で生活してるでしょ、だからそういうのにはうるさかったよね。なのに変だなとは思ってたの。二週間もねえ。
息子さんの荷物もね、何だか来てて、何回来ても誰も出ないって宅配便の人が困っててさ。預かってもらえませんかって言われたけど、アニメなんたらとかいう荷物ね、断ったわ。近所でもね、面倒でしょ。うんと仲がいいならともかくさ。そういうわけでもなかったし。
それも後から思えばおかしかったのね。あの息子さんも、そういう荷物だけは自分で受け取ってたのよ。玄関の奥にチラッと姿が見えたことがあったから。私に気が付くと、急いで扉を閉めちゃうんだけど。会釈のひとつもしないでさ、もういい大人なのにねえ。
死んでたんでしょ、ずいぶん前に。そんなこと知らないからさ、こっちは。奥さん、いつ旅行から帰ってくるのかしらと思ってたのよ。すぐ近所の家でねえ。何日も放りっぱなしでねえ。いやねえ、気持ち悪いわ。
奥さんね、奥さんは、最後に見たとき、いつものねずみ色の上着を着てさ。
いや、グレーっていうか、そういうおしゃれなのじゃないのよ。何ていうか、ねずみ色なのよ。みっともないのよ。
間違えたりしないわ。あんなの着るの、あのひとしかいないもの。前にね、それどこで買ったのって聞いちゃったわよ。あんまり変な色だからさ。本人はほめられたと思ったみたいだけどさ。
目立つの。間違えない。それでさ、無視されたから、最初のうちは具合でも悪くて病院に行ったのかねって思っててね。
何で? 何でかね。何だかそう思ったのよ。
ああ……そういえば、何だか変な歩き方をしていたね。片方を引きずるような……。
普段はしゃきしゃき歩くひとだったのよ。それでだわ、きっと。




