断片・揚羽
揚羽とは高校で出会ったんです。
入学して、初めて行った教室で、たまたま隣りの席で。
気が合って、すぐに仲良しになりました。毎日毎日いろいろな話をして、本当に楽しかったし、学校に行って彼女に会えるのが嬉しくて。高校生活が楽しかったのは、本当に彼女のおかげです。
おうちが山のほうで、毎日通学するのが大変なので市内に下宿していました。そういうひとは、クラスにも何人かいましたね。学区はありましたが、一応進学校だったので県内でも遠くから入学してくるひとが多かったんです。島から来るひともいて、長期休暇だけおうちに帰ったり、毎週末に家に帰ったり、それぞれでした。
揚羽は週末に帰る派でしたけれど、必ずというわけじゃなくて、私たちと遊ぶ約束をしたときなんかは下宿にそのままいて。私もよく揚羽の下宿に行って、何時間もゲームをしたりおしゃべりをしたりしました。本当に懐かしいです。
卒業後、揚羽は神戸の大学に進学しました。私は家の経済事情もあって、県内の国立大学に行ったので、毎日は会えなくなってしまったんですけれど。
それでも長期休暇には何度も会って遊びました。一緒に旅行に行ったりもしましたし。就職してからも、ええ。揚羽は戻ってきて地元で就職したので。ずっと付き合いは続いていました。
結婚式の披露宴にも招かれて行きましたよ。旦那さんは大学の先輩で、高校は違うんですけど県人会で知り合って仲良くなったのだって聞きました。旦那さんもUターン就職だから、地元で暮らせて良かったねって思ったんですけど。
披露宴のときに、そういえばお父さんがおっしゃってましたね。『どうせならあっちで就職して結婚すれば良かったのになあ』って。
いえ、神戸のほうがお給料はいいし、オシャレなものやお店もいっぱいあるからいい生活が出来るでしょうけれど。うちの親は私が地元から出るのは絶対に許さないってずっと言ってて。都会に行ったら女は堕落するってスタンスなので、ちょっとびっくりしたんです。
親って、自分の子供に近くにいてほしいものだと思い込んでいたので。なんだか揚羽のお父さんが、娘に遠くに行ってほしがっているみたいに聞こえちゃって。
親子仲は悪くなさそうだったし、私のカン違いなんでしょうけれど。揚羽のことを心配しての言葉だったんでしょうけれど。
その後もずっと仲良くしていました。揚羽のところはすぐ赤ちゃんが出来て、産休育休を取って。私はそのときまだ結婚していなかったので、遊びに行って赤ちゃんの世話を手伝ったりもしたんですよ。
とってもかわいがっていました。この子は私の宝だって、自分は幸せだって。
ええ、とってもいい子だったし、いいお母さんだったんです、揚羽は。大好きでした。最高の友達でした。大切な親友でした。
なのに、あんな事件が起こって……。
お父さんお母さんのお葬式には行きました。揚羽はすごく取り乱していて、
『どうしよう、どうしよう、どうしたらいいの』
って赤ちゃんをだっこしながらずっとそればかり言っていました。
親があんな風に殺されたら、誰だって取り乱します。私、何もできないけど、出来ることは手伝うからせめて泣いて…… って言ったら、『そうじゃないの』って言うんです。
『泣いている場合じゃないの。兄さんも、ちゃんとしたことはお父さんから教えられていないって言うの。私はなおさらだし、叔父さんだってたぶんそう。でもなんとかしなきゃダメなの』
って、すごく追い詰められた様子で……。
『ちゃんとしないとダメなの。ちゃんとしないと、この子を守るためにも……』
そう繰り返していました。
私にはわかりませんでしたけど、何か事情があるんだなっていうのは感じました。
揚羽とはずっと仲良くしていたんですけれど、ご実家に招かれたことはなかったんですよ。
『ド田舎だから。行くのが大変なだけで、何もないし、つまんないよ』
と言っていて。おうちの話もあまりしませんでした。
農家だっていうことと、お兄さんがいて後継ぎだってことは聞いていましたけれど。しきたりがいろいろあって面倒くさいんだってことも、よくこぼしていましたね。私はそんなもんかと思っていただけでしたけど。
でもそのお葬式のときの言葉で、何かそれだけじゃないことがあって、だから実家に私を呼んで遊んだりもしなかったのかなって感じたんです。財産とか、相続とか、何かそんなことなのかなって、私はそのくらいしか思いつきませんでしたけど……。
一週間後にお兄さん一家も殺されてしまって。そのお葬式に行ったと思ったら、次は揚羽の家が襲われて、ご主人が殺されてしまって。マスコミもすごかったですし、もう揚羽とあまり話もできませんでした。揚羽や、世話役の叔父さんというかたのまわりに、ご主人のほうの親戚がずっといて、何か問い詰めてるみたいな感じで、ピリピリしていて。
揚羽はその中をちょっとだけ抜けて、私のところに来て手を握って、
『マリちゃん、ありがとう』
って言ってくれたんですけれど、表情は暗かったです。
犯人に殴られたとかで、頭も、腕も足も包帯だらけで、顔にもあざがあって。痛々しかったです。私は何も言えなくて、ただその手を握り返して、
『無理しないで。なんでも手伝うから』
って言うのが精一杯でした。
二、三日したら揚羽からメールが来て、『療養でしばらく京都に行くことになった』って書いてありました。『赤ちゃんは?』って聞いたら、『ヒロくんのおうちで預かってもらうことになった』って。ヒロくんというのは亡くなった旦那さんのことです。
あんなに赤ちゃんを大事にしていたのに、寂しいだろうなあと思いましたが、言葉にしたら余計に悲しくさせるかなと思い、
『早くけがを治して帰って来てね』
みたいなことを返事に書いたと思います。
そうしたらすぐに返事が来なくて、一時間くらいしてからやっと、
『泣いてた。私はもう目を付けられちゃったから、あの子に会わないほうがいいのかもしれない。悲しい。辛いよ』
ってメールが来て。
ちょっと変な文章だったし、どうしよう、なんて言ってあげたらいいんだろうって迷いました。電話したほうがいいんだろうか、でもまだ京都に向かう電車の中かもしれないし……と迷っていたら、数分ですぐまたメールが来て、
『ごめん。ヒロくんがいなくなって情緒不安定。ケガのせいもあるだろうってお医者さんにも言われてる。マリちゃんに心配かけないよう、早く治るよう京都で頑張るね』
ってありました。
私はもう辛くて辛くて、自分が何にもしてあげられないのが悲しくて、
『迷惑とか思わないでいいから、私で良ければいくらでも話を聞くから、またメールして』
って、子供みたいなことしか書けなくて。
揚羽は『ありがとう』と返してくれました。『心強いよ』って。私は何もできなかったのに。そのやりとりは、今も保存してあります。もう何度も機種変して、今はスマホだけれど、そのときの携帯だけは捨てられなくて。
最後に会ったのは、それから数日後のことでした。私は出張の帰りで、人の少ないJRの普通電車でウトウトしていました。揚羽の家の事件が続いて、お通夜やお葬式にも何度も言ったから、私もちょっと疲れていたのでしょう。
そうしたら、**駅のちょっと手前で、『マリちゃん、マリちゃん』って呼ぶ声がして。目を開けたら、揚羽がいるんです。
え、夢? って思ったんですけど、包帯も顔のアザもあるし、旦那さんのお葬式で会ったときのままなんです。夢だったら、学生時代の姿で出てくると思うので。わざわざあんな痛々しい姿を夢でまで見たいと思わないので、現実だったと思うんです。
『ここで会えて良かった』
ちょっと急きこんで揚羽がそう言って、私はまだ眠かったのもあって、
『なんでこんなところにいるの。京都にいるはずじゃ』
って、ばかみたいに聞きました。
『叔父さんが実家にいるから。私も行かなきゃ。本家の人間はもう私しかいないんだから、私がちゃんとしなきゃいけないの。だから退院してきた。もともと、そんなに具合が悪いわけじゃなくて、事件から遠ざけたくて叔父さんが無理やり入院させただけだから』
揚羽は笑って言うのですが、その明るい顔がなんだか不穏な感じがして、
『ちゃんとって、何をするの』
と私はたずねました。
『ちゃんと、ちゃんとするの』
と揚羽は笑いました。
そして、子供はこのまま旦那さんの実家に任せることに決めたと言いました。
『私は力が足りないから、うまくやるのは難しいと思う。でももう子供にこういう思いをさせたくないから、私の代でちゃんと終わらせないと。がんばってくるわ。ここでマリちゃんに会えて本当に良かった』
アナウンスが、もうすぐ次の駅に着くと言っていました。
『私と会って、マリちゃんも目を付けられたかもしれない。このまま一宮まで行って、お祓いをしてもらって。垂郷の津峨森の紹介だと言えば通るから』
揚羽は低い声でそう言ってから、私をギュッと抱きしめて、
『マリちゃん、大好きだよ』
とささやいて、ちょうど着いた駅でサッと下りていってしまいました。
私は驚いてしまって、起きたことが夢なのか本当なのかも定かにわからないままで、ぼんやりとそれを見送ってしまったのです。でも揚羽のお気に入りだったフレグランスの香りと、抱きしめられた感触がはっきりと残っていたので夢のはずがなかったのですが。
それっきり揚羽とは連絡が取れなくなってしまいました。
揚羽の叔父さんが、揚羽の実家で翌朝殺されて見つかって、それで忙しいのかとも思いましたけれど、どこでお葬式をやるのかって連絡すらこなくて。メールを送っても返事が来ないし、住んでいた家もいつの間にか引き払われて、ご実家にも誰もいないから電話も通じないし、どこに連絡したらいいのかもわからなくて。
思い切って揚羽の勤め先にも連絡してみたんです。そろそろ育休が終わるのに、そちらにも連絡がないとのことでした。
事件の裁判にも行ってみました。でもそこにも揚羽はいなくて、警察? 検察? の人が、『鮫谷揚羽さんは**月*日から行方不明のため』と言って揚羽の調書というのを読み上げたんです。
びっくりしました。
揚羽は叔父さんが亡くなる前の日に京都の病院を出て、そのまま行方不明になってしまったそうなんです。旦那さんの実家にも、一言の連絡もないとのことでした。
私が電車の中で会ったのが、最後の目撃情報だったようなんです。
それきり、揚羽の行方はわかりませんでした。
十年後、キノコ狩りか何かの人が揚羽の実家の近くの山で死体を発見して、それが揚羽だと特定されましたそうです。
親族ではないので、お葬式があったのかも、どこに埋葬されたのかも私は知りません。揚羽が遺体で見つかったというのも、新聞で知ったのでした。
自殺なんかしないと思います。たとえ犯人に頭を殴られたせいで情緒不安定になっていたとしても、揚羽は赤ちゃんのことをずっと心配していました。それはメールのやりとりにちゃんと残っています。
やらなきゃいけないことがあるから実家に行くと、電車で揚羽は言っていたんです。だから叔父さんと一緒に、揚羽もあの犯人に殺されてしまったんじゃないかとずっと思っているんです。
今でも最後に見た揚羽の後ろ姿をはっきりと覚えています。あのとき揚羽は、お母さんの形見のグレーの上着を着ていました。家で襲われたときに怪我をした右足を、痛そうに少し引きずっていました。
はい、お母さんが殺されてしまって、その服をもらったんだって言っていました。『これを着てると、お母さんがそばにいるような気がするから』って。
お祓いには行きました。なんだか行かなきゃいけない気がして、電車で別れたあとその足で一宮に。言われたとおりに揚羽の名前を出したら、他の参拝のかたとは違う控室に通されて、立派な神主さんが長い時間をかけてお祓いをしてくれました。
『大丈夫だと思うけれど、もし何かあったら連絡してくれ』
って、名刺とかもいただいて。
……何かって、何でしょうね。殺人事件もあのあと起きなくなったし、それきりなんですけれど。
でも、どうしてあのとき揚羽を追いかけなかったのかと、今でもずっと悔やんでいます。追いかけて、もっと話を聞けばよかったと、本当に本当に悔やんでいます。




