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今日踏み出すのは、幸せへの一歩  作者: 高瀬海之


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最終話










 テオバルトがベリンダと出会ったのは学生時代。

 しかしそのころは、次期侯爵の女性で、それなりに優秀な同級生という認識しかなく……正直その彼女が移動してくると聞いても、すぐに顔を思い出すことも出来なかった。

 そしてやってきた彼女は、言ってしまえば平凡な、貴族女子としてはよくいる、清潔感のあるそこそこ綺麗な女性という風貌で、少し強い風が吹いたら飛んでいってしまいそうな儚さがあった。

 学院の制服姿以外知らなかったせいかもしれないし、卒業から時間が経っているかもしれないが……。

 あんなひとだっただろうか? とぼんやりした感想を漏らしたテオバルトに、コーネリアスは少し哀しそうな顔をして言った。


『確かに、学生時代とは随分印象が違うね』

『ああ……あの頃は威風堂々という言葉が似合いの令嬢だったのにな』


 レオナルドまでがそう言うということは、卒業後の数年で随分と印象が変わったのだろう。

 単純に、大変だったのだろうな、と思った。

 テオバルトに教えられていたベリンダの情報は、成人間近で跡取りを外され婚約も解消になり、王宮官吏として務めることになったこと。様々な部署を経験した後、とある部署でありえない激務の末に身体を壊してしまい。休職後、王家が責任をとるかたちでコーネリアスの配下になったことだけだった。

 たった数年でこれだけの事が起きれば、人が変わっても仕方ないと納得した。


 大変な思いをした女性だ、なるべく優しく接しよう。


 それがベリンダに最初に抱いた気持ちだった。

 しかし、テオバルトが何かする必要もなく、ベリンダはあっさりと新しい職場に馴染んだ。

 当主教育の為せるわざなのか、それとも王宮で様々な部署を渡り歩いたからなのか、彼女はすこぶる優秀で、なのにそれをひけらかすこともなく。それとなく他者に寄り添いながら、誰かの些細な疑問にも、国の重大な議題にも区別なく、忠実に貪欲に仕事に打ち込む姿に好感を持った。

 ベリンダのもつひたむきさに、素直に憧れた。

 そうやって、男ばかりの執務室に咲く清涼な香花の芳香のように、ベリンダはテオバルトの日常の一部になった。

 だからテオバルト自身にも、いつから彼女にそういう気持ちを抱いていたのか定かでない。

 気付いたら、心の大半を占めていた思い出のひとの面影が消えていて……ただただ真面目に職務を熟すベリンダの真剣なまなざしの横顔が、最初の日の印象とは真逆の、とても美しい顔だと思うようになっていた。

 最初にそれに気付いたのはレオナルドで……ベリンダ嬢をいくら見ていても仕事は終わらんぞ、と突っ込まれたのが始まり。

 当のベリンダは、無意識の行動をからかわれて慌てふためくテオバルトに笑うことも、照れることもなく。真面目な顔で、私に手伝えることなら遠慮なくおっしゃってくださいと事務的に言っていた。


 その無機質な視線が、テオバルトの恋心に火をつけたのだ。


 自分でも単純だと思う。

 ただ毎日一緒にいて、有能な女性だから好ましく思って、好きになった。でも、彼女にとってこれは仕事、自分は同僚。それ以上もそれ以下もない扱いが不満で、彼女の特別になりたいと思ったのが恋の始まりなんて。

 仕事でしかない関わりをなんとか個人的なものにしたくて、距離を縮めたいと思うのに、どう接しても彼女が求めるのは、テオバルト自身はなく、彼の手の中にある仕事だけ……しかし、それを手がけている間は、彼女と共に在れる。

 遅くまで二人で残業して、資料を読み込み。悩み協力して、困難な状況を打破していくのは純粋に楽しかった。

 ……でも、どんなにちかくで過ごしても、決して縮まらない男女としての距離。

 最初はそれも気を引く手かと疑った。その次は、女子に人気のあるテオバルトに応じる危険を警戒しているのかと……。


 でも違った。

 もっと重くて、どうしようもないものが、彼女にはあった。


 教えてくれたのは、やはりレオナルド。

 祖母の死後からのベリンダの不審な行動の意味を求めて彼女に接触しようとしたテオバルトを制し、自宅に招いたレオナルドは、人払いをした自室で、ベリンダの傷について教えてくれた。



『彼女が必死に仕事を熟すのは、それしか彼女に残されたものがないからだ』



 誰かの、何かの、かけがえない存在になろうとする彼女の手管。



 決して誰かのためではないし、テオバルトの気を引くためでもない。

 全部ベリンダの自己満足のため。

 そんな自身の傷を知った彼女が今どういう行動をとっているかまで教えられて頭を抱えたテオバルトは、酒気を呷る親友の冷めた青い目を見つめて聞く。


『……なあレオ、これは政略か?』

『いいや』

『じゃあどうして今話したっ』


 何も知らなければっ、知ってしまったら、それはっ……飲み込んだ非難を目の前の親友ともに視線で投げつける。


『何も知らせないまま彼女が去れば、お前には後悔が残るだろう? ……このことを知ったお前が今後どうしようとオレは関知しない、コーネリアスも同じだ』

『今更、知らんぷりなんて出来るわけないだろう!!』

『それがどちらの意味にしろ……お前は好きにすればいい。そして、もしも何か協力が必要なら、そのときはオレに言え』

『……レオ?』

『かつて誓ったんだ。お前が次に誰かを好きになったとき、オレの手助けが必要なら、オレは持てる力で全部で支援すると。そのときが来たならオレに言え。喜んで協力する』


 彼の誓いの理由に、テオバルトのかつての想い人が関係しているのは間違いないだろう。大切に胸にしまっていた初恋の女性は今、レオナルドの弟の妻になって幸せに暮らしている。

 その経緯において迷惑をかけたのはテオバルトの方だったのに、何故か無関係なレオナルドがずっと引け目を感じているらしいのは知っていた。

 だから、テオバルトの恋のためなら何でも協力するという親友の言葉に嘘はないのだろう。


 叶わなかった初恋をやっと過去にして、新しい恋に踏み出したのに……今度の相手はあのとき以上にとんでもなく厄介な女性だった。


 居場所を求めて求めて、でも、手に入れたことに気づけない、信じる心を忘れた人。


 多分……それらはいつでもベリンダのそばにあっただろう。

 でも手の中にあっても、ベリンダには見えず、見つけられなかっただけで。


 愛も、恋も、想いも、夢も、希望も。

 すべて指間をすり抜けていく儚いものと思っている彼女には、それらは永遠に見えない。


 全部彼女の傷の、心の問題だから……。


 だが、猜疑心を生み出す深い深い心の傷を、必ず癒やしてやるなんて大層なことテオバルトには簡単に言えなかった。まだ、想いに自信がなかった。

 だから、距離を置くことを選んだ。


 抱いた想いはこちらの一方的なもの、彼女は気付いてすらいない。

 ならテオバルトが手を伸ばすことをやめても、ベリンダは気にしない。

 知らなかったふりをしても、レオナルドも、コーネリアスも許すと言った。

 親友たちが関わらないことを許そうと思えるくらい、彼女の傷は深い。そんなもの、他人の自分には背負えないと諦めた。



 なのに……先刻見送った後ろ姿に、泣きたいほど胸が震えた。

 すべてを知り諦めた上で、矜持を持って去ろうするベリンダの立ち姿はどこまでも気高く、眩しく、優雅で。 


 何故か、これが本当のベリンダだと、感じた。


 レオナルドが威風堂々と言っていた学生時代の彼女をテオバルトは覚えていなかったのに、どこか懐かしく……愛おしく。

 身のうちにある果てしない傷を自覚しながらも耐えて立つ背中に、壮絶な美しさを感じて勝手に全身が震えた。

 そして腹の底からこみ上げてきたのは、止めどない激情。



 ベリンダを行かせるな!!



 突然溢れた感情に自分でも驚いた。遠くなっていく彼女の背中に向けて、もう一人の自分が愛しい愛しいと叫んでいる。


 オレは愛されたいのではない。ただ愛したい。ひたすらに、君を愛したい!!


 諦めるなっ……唐突にこみ上げてきた激情に促され、テオバルトはベリンダを追ってきた。



 ベリンダが求める限り、ずっとそばで愛を紡ごう。

 たとえそれがこの先一生だとしても、諦めない。

 ただ君の幸せのために。



 話し終わりに強く言い切ったテオバルトは、涙の乾いたベリンダの頬に手を添えて言う。


「愛してるベリンダ」


 しかし、触れる手を拒むようにベリンダは小さく頭を横に振った。


「……だめ、それじゃあなたが、しあわせになれない」

「大丈夫、オレは幸せだ」

「……うそよ」

「君がそばにいてくれたらいい」

「……それだけしか、できない」

「それだけでいい」


 ベリンダの乾いていた瞳が、再び溺れそうな涙に濡れる。赤くなって見上げてくる瞳には、瞬きする度にテオバルトの言葉を信じようとする必死さと信じまいとする意思が交互に揺れる。

 苦しそうに歯を食いしばる仕草に顔を歪めて、テオバルトは片手で彼女の目元を覆う。


「ベリンダ、オレの言葉を今すぐ信じてなんて言わない。無理はしなくていい」

「でも……」

「オレは君の傷を知って、それでも君を選んだ。簡単には傷つかない」

「そんなの、無理よ、うそよ……」

「オレの望みは、君が幸せになることだけだ」

「でも……」

「オレは君に愛されたいんじゃない、オレが君を愛しただけなんだ」



 身勝手な想いなんだよ、と言ってテオバルトは静かにベリンダを抱きしめた。



「だから、どうかオレにとってかけがえない存在の君の幸せを、諦めないでくれ、ベリンダ」

「テオ、バルト様……」


 かけがえない存在。

 探し続けた居場所。


 与えてくれるというのに簡単に信じられない悔しさに、ベリンダは歯を食いしばって泣いた。

 胸に顔を埋めて泣くひとを包み込むよう抱きしめて、テオバルトは空を見上げる。



 彼女の望むものは、今の彼女では絶対に見つけられない。

 たとえすぐそばにあったとしても、傷つくことに怯え竦む彼女にはまだ見えない。


 ……きっと、彼女の心の傷が完全に癒える日などこないだろう。


 だから、テオバルトに出来るのは、そこに傷があることを認めた上で、ベリンダが上手く傷と付き合って生きていけるように手助けすることだけ。


 そのために、これから先もずっとずっと、彼女に囁き続けよう。


 愛している。

 大切だ。

 そばにいて欲しい。


 たった三年。

 されど三年。

 ただ一緒に過ごしただけの時間に抱いた想いが、どれほど尊いか。


 何も知らずに愛したのに、すべて知っても諦めきれなかった想いがどれほど執念深いか。


 嫌になるほど伝えよう。

 今なら、それが自分の愛し方だと、胸を張って言えるから。










 


 ベリンダが幸せへの一歩を踏み出したところで、この話は終わりです。

 執念深いテオバルトに愛されて、きっと彼女は幸せになることでしょう。


 尚、もし、テオバルトの初恋が気になりましたら、拙作の『転生執事は坊っちゃまの幸せだけを願う』も読んでいただけると嬉しいです。そちらにも、チラリと彼ら三人出てきます。


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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