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幻紗邸 -2-

「俺はあいつの護衛ついでに、あんたの顔を見に来ただけだぜ」


 仔犬──ニッキのことは、猫宮が預かっておけばそれで済む話だ。たとえそうでなくとも、わざわざ二人きりになれる場所へ連れてくる必要などない。

 では、依頼に関する話なのかと問われれば、それも違う。次の仕事についてはすでにメールでやり取りを終えており、今さら改まって口に出すようなことではなかった。

 ならば、猫宮から何を聞き出したいのかという疑問が生まれる。


「それが嘘ではないと分かっているさ。それでも、お前さんが人を連れているのが、実に珍しいと思っての」

「……いいだろ、別に」


 予想外の反応に、大塚は興味深げな表情を浮かべて見つめていた。


「ほぉ、否定しないか。確かに桂木くんは良い子だが、いったい彼のどこを気に入ったんじゃ」

「何言ってんだ、あいつと会って二日そこらだぜ?気に入るってほど関わってねぇよ」


 何とか誤魔化そうとする猫宮に対し、大塚はそれを見透かしたように、穏やかに諭すような口調で言葉をかけた。


「感情は、時間では測れんよ」


 猫宮は顔をわずかにしかめ、言葉を飲み込み、ぐっと詰まらせた。


「さあさあ、話してみなさい」

「あー……気に入ったつーか、気になったのは……」


 大塚に押し切られ、猫宮は言葉を選びながら、何と答えようかと思案した。

 自分の恩師を彷彿とさせたところ。

 外見に関わる話ではない。ニッキに放った桂木の言葉が、猫宮の心中に深く刻み込まれていた。


『うちに来るか?』


 そのひとことで、猫宮に一瞬、過ぎったのだ。独り、『死を待つだけ』だった自分に、手を差し伸べた恩師のことを。

 そんなことを猫宮が素直に口にすることはなく、あぐらの上でくつろぐおはぎの背をそっと撫でながら、茶化すように言葉を返す。


「反応が面白いからだな」


 決して虚偽ではない。彼の表情は豊かで、見ていると飽きることなく面白く感じられた。

 呆れを隠せぬ顔を見せたのち、大塚は真摯な面持ちで質問を投げかけた。


「彼を専属にするか?」

「……。あんただって分かってんだろ。これまで何人もダメだったんだ」


 専属とは、優先的にその祓い屋の担当になること。また、同じ担当と仕事のやり取りをすることを指す。完全に固定するわけではないが、優先的に組み合わせる。信頼関係の構築や業務の効率化などの利点があり、専属関係になる者は多い。


「そもそも、少し見えるわりにあいつ、妖にも霊にも耐性ないだろ。心臓もたねぇぞ」

「確かにのぉ」


 基本的に、霊を専門とするのは霊媒師や僧侶であり、祓い屋は妖を専門とする。これは、多くの者はどちらか一方しか見ることができないためだ。

 桂木の場合は霊と妖の双方を、程度に応じてではあるものの、まれに視認し得る体質を有している。しかし、やや稀有な存在であるが、霊的なものに対する耐性は著しく乏しかった。


「桂木くんも充分、珍しい体質なのじゃが……」


 対して猫宮は、妖のみならず霊すらも明瞭に視認し得る、極めて稀有な祓い屋である。霊か妖か判然としない事例、あるいは堕ち神を相手とする案件を扱う。

 ほとんどの現代人は神の存在を直接知覚できない。彼らが堕ち神の危険性を知るのは、古文献や伝承や、実際に起きた被害からである。そのため依頼は自然と猫宮のような特殊な祓い屋に集まる。

 それは紛れもなく、過酷な環境である。


「耐性がなくては、やはりお前さんの現場は厳しいか」


 そんな猫宮のもとに、霊的耐性のない桂木を専属としてつけたらどうなるか──その結果は、火を見るよりも明らかであった。


「まぁ、俺から言わなくても、向こうから願い下げだろうよ」

「……一時(いっとき)、お前さんの担当が離職続きになったのは、何もお前さんのせいではない。それほど危険な案件だったということじゃ」


 どれほど覚悟を決めて臨んだとしても、怪我や精神的な負荷は避けられない。猫宮に回される仕事は、その被害のリスクが桁違いに高いのだ。それでもなお、専属をつけたいと思えるのか。


「俺は、あいつの『表情がころころ変わる自然体』が好きだ」


 その声は、わずかに罪悪感が滲んでいた。

 霊や妖というものは、ただそこに在るというだけで人を怯えさせることがある。だからこそ、安易に祓うことはせず、まずはその存在が害か否かを見極めるのが猫宮の流儀だった。

 ──しかし、あの時、桂木の恐怖と痛みに歪んだ面影は、胸の奥を鋭く刺した。

 桂木は腹を抱えて笑っている方が似合っている。


「だから専属は要らねぇし、今まで通り、誰とも知らねぇ担当との接触は最低限でいい。つーか、文面レベルで十分だぜ?」

「そこまで気を遣らなくとも……。桂木くんは、さっきも問題なくお前さんと接していたじゃろう」

「それは、──あいつが、俺のことを知らねぇからだ」


 思わぬ事実に瞠目する大塚。


「桂木くんは、お前さんのことを知らないのか……?」

「あの性格で知らないフリは無理だろ」

「うーむ。小耳に挟むくらいはしそうじゃが……下手に深入りしない、噂を真に受けない、辺りの性格が原因じゃろうか?」

「さぁ?他人事だと思って、右から左に流してたんじゃねぇか」


 実のところ、ふたりの推測は当たっている。

 考察も程々に、話は終いだとばかりに、両の手をぱんっと打ち、猫宮がまとめを述べる。


「結論、俺が『歩く厄災』みたいなもんって知ったら、あいつも離れていくだろ」


 それが賢明であるがゆえに、猫宮は平然とそう語った。言葉なく、大塚は、哀惜を湛えた瞳で彼を見据えていた。

 そこへ、音に反応した犬が、好奇心を抱いて猫宮に近寄った。


「あいつ遅っせぇなぁ〜?」

「わっふ!」


 本当にやることがなくなった猫宮は、ニッキを撫でることにした。


「にゃっ……!!」


 あいにく、嫉妬に駆られたおはぎが、猫宮の手を軽くはたいたことで、その穏やかな時間は、長くは続かなかった。


「にゃぅー」

「『もうダメ』?……そうか」


 バス停においては、寂しげなニッキへの配慮から、猫宮の腕に抱かれることを黙認していたおはぎ。しかしながら、今はもはやそのような譲歩を要する状況ではない。ゆえに、嫉妬心を抑える理由もまた、なかった。


「悪ぃな、遊んでやれなくて。代わりにそのネクタイ、好きにしていいぞ」

「わんっ!」

「ほっほっほ、仲が良いことで」




 ---




「!」


 桂木のネクタイで遊んでいたニッキが、ふと動きを止め、耳をそば立てる。すると、次第に足音が近づいてくるのが聞こえ始めた。

 襖の前で足音が止まり、やがて声が投げかけられた。


「桂木です。お待たせしました」


 大塚の承諾を得て襖が開かれると、真っ先にニッキが桂木のもとへ駆け寄った。良い子にしていたか、と問いかけながら撫でまわす。

 すると突然、大塚が、思いもよらないことを口にした。


「桂木くん。猫宮の仕事に同行しなさい」

「え?」

「は?」


 それはあまりに唐突で、当然ながら、ふたりの表情には驚きの色が浮かんだ。

 大塚屋においては、その業務の性質上、心身への負荷がきわめて大きい。ゆえに、各任務の後には必ず休養日が設定されており、また、突発的な依頼の増減にも即応できるよう、日程には常に余裕が設けられている。


「おい、何を勝手に」


 困惑する猫宮をよそに、休養日の調整、手当の取り決め、仕事内容の確認と、話は次々に運ばれていった。それらが済むと、桂木はあっさりと同行を承認した。


「桂木くん自身のために、少しでも耐性をつけた方がよいと思ってのぉ。それに、お前さんにも、悪くない経験になるじゃろうて」

「……。あそこは『家柄を重んじる奴ら』も結構来るんだ。連れてったら、こいつまでいろいろ言われんじゃねぇのか」

「なに、『大塚屋(うち)』に対して、敵対的な行動を取る愚か者はそういないじゃろう」


 大塚が難しいなら、次は桂木を説得しようと考えた。


「あんた休養日の意味分かってんのかよ。あんな目に遭ったばっかだってのに」

「心配しなくても、今回は危険な仕事じゃない上に、本当に同行だけだ」


 ニッキとの生活のためには、金はいくらあっても惜しくない。危険が伴わない案件であれば、なおさらである。


「それに、お前がいるんだから大丈夫だろ」


 猫宮のことをよく知らないにもかかわらず、厚い信頼を寄せていた。猫宮はその不意打ちに戸惑い、言葉を失ってしまう。

 微笑みを浮かべながらそれを見届けていた大塚が、決定の合図として静かに声を発した。


「──というわけじゃ。猫宮をよろしくのぉ桂木くん」

「はい、任せてください」

「俺に拒否権は……?」


 この場においては無いらしい。

進捗や裏話など▶︎X @shigeyama_shige

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