10 入城
唐突に光が掻き消える。暗闇の中、幸臣はひとり虚空を落ち、硬い床が迫るのを見て咄嗟に全身をマナで覆った。
硬い床に背中から落ちる。
痛みに呻いていると、見上げた先の天井にぽっかりと穴が空いているのが見えた。かなり高い位置にある。穴の輪郭を光が縁取っていて、そこから光のサラサラと光の粒子が零れ落ちてきていた。
あそこから落ちてきたようだ。
「いっつぅ……」
背中が痛い。硬い床の上に大の字にのびている。なんて無様な格好だろう。でも、お気楽にそんなことを考えられるのだから、それだけでも死ぬより幾分かマシに思える。
あんな場所から落ちてきた割にはそこまでの怪我は負っていないのだから、やっぱり幸いなことだと思うことにした。
周囲は暗く、明かりの類はない。天井から零れ落ちる光を頼りに周囲を見回すと、回廊のような場所にいることがわかった。
(ここ、どこだろう?)
幸臣は手をついて上半身を起こした。頭が少しふらつくものの、大きく支障はなさそうだ。
壁の片側は全面が窓になっている。しかし、窓の向こうには明かりひとつなく、景色は一切見えない。もう片側の壁は所々に像のような影が見て取れる。天井には火のついていないシャンデリアが等間隔に並んでいる。
ここは、どこかの城の中だろうか。
いっそ耳が痛くなるくらいの静寂に包まれている。
「……クラウス?」
試しに呼びかけてみたけれど、返答はなかった。囁くくらいの声量だったのに、壁や天井の至るところに反響している。
衣擦れの微かな音すら、静かな回廊の遠くの方まで響いた。
(誰もいないのか)
床についた手が冷えてきた。指先を揉んで息を吹きかけると、冷えは少しだけ和らぐものの、強張りがどうにも抜けきらない。
冷たいはずなのに掌はじっとりと汗をかいている。
「……」
立ち上がって今度は回廊の先に目を凝らしつつ、前後を確認する。
やはり誰もいない。それどころか、虫や動物の鳴き声さえもない。まったくの無音にぞわぞわと身の毛のよだつ感じがする。
暗いせいか、回廊はどこまでも終わりなく続いているように見えて……。
それとも、本当に終わりがないとか……?
「まさかね……」
足元すら満足に見えないから、そう思うだけだろう。
下手に動かないほうがいいのかな。遭難なんかしたときには、闇雲に動かないほうがいいって言うし。
(どうしよう)
問いを投げても、返ってくるのは冷たい沈黙だけだ。
唾を飲みこむ音がやけに大きく響いた。けれど、それも暗闇のなかへ遠く消えていく。指先から冷えていくような感覚に、幸臣は身体をぶるりと震わせた。
やっぱり、ひときっきりでじっとしてるのなんか無理だ。少しでも動きたい。
前か後ろか、どちらへ行こう。
どちらの方向も、そんなに変わらないように思える。暗い回廊、先が見えにくいのはもちろんのこと、何が潜んでいるかもわからない。
早くこの場を離れたいような、でも、進みたくもないような。進まない選択肢なんてないけど、そうなるとどっちに進むべきかが悩ましい。
いっそ本当に本物の幽霊か何か出てきてくれればな。そうすれば、否応なくどっちかへ駆け出せるのに──冗談混じりで、そう考えたとき、不意に天井の方から声が聞こえた。
「──ッ!?」
ビクッと肩を揺らして恐る恐る上を見上げる。
何もいない。声も途切れた。けれど、穴を縁取る光が渦を巻き始めている。
「……なんだ?」
そのまま注視していると、光が一際強くなるのと同時に穴の向こう側から小さな塊が落ちてきた。
瓦礫か何か……いや、違う。甲高く声をあげている。空中でもがきながら落ちてくる。それはつまり、生きてるってことだ。瓦礫なんかじゃない。
助けを求めているように見える。
(でもな……)
直前まで変な想像をしていたせいで、なかなか、その勇気は出なかった。
受け止めてみたら何かの肉塊とか、触手だらけの目玉とか、血だらけの赤ん坊とか、そういうのってホラー物ならありがちじゃないか。
正体がわからない以上、安易に手は出せないというか、出したくないというか。
つまり、これは合理的に考えた結果の判断であって、決してアレの正体を確かめるのが怖いからとか、そういうことじゃないんだ。
そんなことを考えながら一、二歩後ろへ退くと、頭上数メートルの位置に近づいた瞬間、塊が前触れもなく数倍、数十倍に肥大した。
「うぉわっ!?」
泡を食って飛び退く。床が揺れるほどの衝撃と同時に光の粒子が舞った。危うく押し潰されるところだった。
暗闇のなか、舞い散る光にその体躯が浮かび上がる。
白黒のスベスベしていそうな肌。顔の片側にある大きな傷に、黒と銀、左右で違う瞳の色。
というか、
「ネラ!?」
同じように目を丸くして、大きな頭が首を傾げた。
てっきり完全に逸れていたものと思っていたのに、同じ場所に落ちてくるとは思わなかった。
「いや、君がここに来たならもしかしてクラウスも?」
可能性はあると思ったけれど、期待と裏腹に、じわじわと穴は小さくなっていっている。
先ほどのように何かが出てくるような気配は微塵もなくて、みるみる小さくなっていき、そうして注視しているうちに穴は完全に塞がってしまった。
「……ダメか」
ネラが低く短く鳴いた。少し目を瞑ってから、ゆっくりと視線を戻すと、軽く鼻で小突かれる。何やら文句でもありげな様子だ。
そう、うまくはいかないぞと。それに、俺がここにいるのに他のやつを頼りにするなんて生意気だと、そんなことを言ってる感じがする。
幸臣は思わず笑った。
「とりあえず、君と逸れないでよかった」
幸いなのは、ひとりきりじゃなくなったってことだ。この音の無い暗闇に、誰かと一緒にいるだけでも救われる。
ネラはまだ機嫌悪そうに口の端を歪めていたけれど、幸臣が安堵の表情を向けると仕方なさそうに息を吐いた。
ネラがスキルを発動する。と、見る間にその体躯が縮んで、やがて子犬くらいの大きさになると、ぴょんと跳び上がって幸臣の頭にしがみついてきた。
結構重い。
「……あの?」
どういうことだろう? 問いかけると、ネラはそこが定位置だとでもいうように、頭を叩いてきた。
「このまま、乗せてけってこと?」
どうやらそのようだった。ビシビシ頭を叩いてくる。
サイズの割に怪力で、意外にというか普通に痛い。いつまで留まっているつもりかと言いたいらしかった。
でも、進めって言ったってなあ。どっちに行くかもまだ決められてないのに、進むも進まないもない。
道標になるようなものが何かないか、前後をもう一度入念に眺めた。けれど、違いはなさそうだ。
これじゃ決めようが……。
そんな幸臣の考えを見透かしたように、頭の上で、ため息を吐く気配がした。
「──」
胸ビレでネラが前を指し示す。暗闇と同化してわかりにくく、しばらく気づかずにいると、強く叩かれた。
もう少し加減ってものを知って欲しい。
それに、前を選んだのだって理由なんかなさそうだ。もっと慎重に考えた方がいいんじゃないかなと思うと、また叩かれた。
「わかった、わかったよ。前ね、了解」
それでいいんだと言いたげに鳴くネラを頭の上に、幸臣は慎重に暗闇の中を歩き始めた。
「やっぱり、どうにもヤな場所だなあ」
暗闇に目が慣れてきて、少しは先が見えるようになってきたのに、回廊の突き当たりはまるで見えてくる気配がない。まわりの景色があまりにも変わらないせいで、何度も同じ場所を通っているような錯覚に陥りはじめた。
人の生活感がない城の中というのも影響しているのかもしれない。これでもう少し明るければ、旅行のパンフレットに載っていても違和感ないくらい綺麗な場所なのに。
反響する足音を聞きながら黙々と進む。しばらくして、横合いに扉が見え始めた。
装飾のなされた扉。左右に騎士然として並ぶ甲冑が二体、抜き身の剣を胸の前で構えて、回廊を睥睨したまま揃って沈黙している。
扉は木製だ。花を模った意匠にどこか見覚えがあって、ふと考えてみると、砂漠の建造物の地下にあった扉とそっくりだった。
意匠の細部は暗くて見て取れないし、扉自体も四角く片開きの構造ではあるけど、似ているように思える。
(……なんだか)
扉を眺めているうちに、不意に妙な感覚に襲われて、甲冑の方へ視線を向けた。兜の隙間から、無いはずの目に睨まれているような錯覚を覚えた。
中に人がいるとは思われない。音や気配はなく、一応、中を覗き込んでみたけれど、やはり何もいないようだった。きっと気のせいだ。そのはずだ。
気を取り直して、扉に向き直る。開けるか迷って、でも、
(やめとこう)
なんとなくだった。
ネラは開けたがっているものの、なんとなく抵抗がある。
「ネラ、ごめん。行こう」
ひとまずは回廊を進むのを優先したい。そう心に言い聞かせて、回廊へ足早に歩を進めた。けれど、
「……あれ」
変わりばえのない景色を進んでいるうちに、また扉が見えてきた。回廊の突き当たりはまだ見えないままだ。
扉の意匠は先ほどのものと、よく似ている。それに甲冑が二体、左右に並んでいるのも同じ。似ているというより、似すぎているような……。
後ろを振り返っても、さっきの扉はもうみえない。
「……」
扉に近づかず、横目に通り過ぎる。
でも、距離が離れて見えなくなった頃に、また同じ見た目の扉が少し先に見えはじめた。
「ネラ……少しお願いがあるんだけど、何か目印になるようなものを作れる?」
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【契約獣一覧】
ネラ Lv.21
【スキル】
潜坑 砂礫操作 砂匣 ソニックサージ 念波 スケールチェンジ
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〈砂塵操作〉のスキルは周囲の砂を操作するだけのものだ。けれど、もうひとつ別のスキルを併用すれば、砂地以外でも本領を発揮できる。
不思議そうに身体を揺らすネラにさらに頼み込むと、しぶしぶといった様子で、背中から吹き出した砂から星型のオブジェを作ってくれた。
けっこう凝ってる。もっとテキトーにするかと思ったら意外だった。
「ありがとう」
扉に近づき、オブジェを前に置くと再びその場を離れた。ひとつ考えついたことがあって、それを確かめるためにだ。
そして、それは正解だった。
「やっぱり……同じだ」
もう一度、回廊を進み、そして、もう一度、扉が見えはじめた。ゆっくりと近づいて扉の前を確認した幸臣は、そう独りごちた。
オブジェを拾い上げ、手の中でくるくると回す。
どこから見ても同じだ。さっき置いたものと確かに同じ。
つまり、これは──僕は、同じ場所を何度も何度も通ってたってことになる。
思わず、唾を飲み込んだ。
終わりがない? その通りだ、終わりなんかあるはずない。
左右を見る。回廊はどこまでもどこまでも広がっている、暗い底なしの穴みたいに……そんな比喩として考えていたことが、まさか現実にその通りだなんて。
(気味が悪い……)
あらがいようのない大きな力に引かれている。そんな気味の悪さに悪寒がした。
回廊を進んでも別の場所に行ける気はしない。ということは、この扉を開けるより他はないってことになる。
扉の前で立ち止まったまま、しばらく考えていると、ネラが苛立ったように身体を揺さぶって、そのまま扉を押し開いた。
「あ、ちょっと……! もう少し慎重に」
後頭部をネラの尾ビレが強かに打ちつける。
「いたっ!?」
躊躇ってばかりいるのを咎めるように、さらに二、三度叩いてくる。
遠慮がない。かなり痛い。
馬か何かと勘違いされてるんじゃないだろうか。鞭を入れられてるみたいだ。
「──、─!」
表情は見えないし言葉もわからないけど、何故か酷く罵られたような気がした。
優柔不断とか意思薄弱とか、多分そんな感じ。
「こんの、痛いってば!」
対抗して、頭を素早く振る。
少し驚かす程度の軽い仕返しのつもりだったのに、ネラの小さく、それに比例して軽くなった身体は、幸臣の頭にしがみつく暇もなく前方にすっ飛んで、開きかけの扉に激突した。酷く油断していたらしい。
「あ……」
大理石の上にぼとりと落ちる。予想もしていなかっただろう現状に、目を見開いたまま固まるネラを、急いで抱え上げた。
これで、何もなかったことになってくれないものかな……。
「あの……ごめんね? そんなつもりじゃなかったんだけどさ」
返答はない。まだ呆然としている様子のネラを頭に乗せる。
「よし、行こう」
今あったことは努めて考えないようにして、幸臣は扉の先に足を踏み入れた。
そこは背後の回廊とうってかわって少し広めの部屋だった。ただそれも、普通でないという点で言えば似たようなものと言える。
回廊はほとんど真っ暗なのに対して、部屋の中は明るい。
けれど、その明るさは火や電灯とは違って、部屋の中に置かれた家具が暗がりに浮かび上がるような薄青の明かりだ。
上を見上げて、納得した。でも、同時に首を捻った。
──月がある……。
それが実物でないことは一目見てわかる。
絵──月を抱く乙女の絵、円形の絵画の中に彼女は微笑んでいる。
回廊に比べて天井は随分と低いけど、見劣りはしない。精巧な細工が施されたその天井の中心で、月の発する光に照らされた乙女の頬はふっくらと赤らんで見える。まるで生きているかのように。
その美しさに、幸臣はしばらく見惚れた。
「──」
「ん?」
ネラが短く鳴いた。幸臣の髪を引き、注意を引こうとする。
部屋の中央に置かれたテーブルを挟んで、対面に幸臣が入ってきたのとは別の扉がある。そちらへ進もうということらしい。
確かに風変わりなのは天井画だけで、それ以外は至って普通の部屋だ。何かを隠す場所はないし。
絵を鑑賞している暇なんてないぞと、そう言いたいのだろう。
「ごめん、そうだね。行こう」
後ろ髪をひかれつつも、幸臣はネラの言葉に従って部屋を通り抜けた。
扉の向こうもまた、同じような部屋だ。置かれている家具や壁に飾られた絵画、彫像など全体的な雰囲気では少し異なっているものの、天井に絵が書かれている点や部屋全体の広さは似ている。
今度は龍と戦う騎士の絵だ。キャビネットを開きながら天井画を眺めた、
ここでは、龍の吐き出す火が赤々とした光を部屋中に放っている。真っ赤な火の躍動、これもまた本当に生きているかのような黄金色の龍。
さらにそこから続く部屋も、その先も、天井には光を放つ絵画が様々に描かれていた。太陽や月、大海から覗く魚の瞳、昼夜の狭間に揺れる白い大樹の黄金の葉──貴賓のための部屋と思われる場所は必ずと言っていいほどに。
通り抜ける途中途中には、家具等の装飾の少ない部屋も点在している。それらの部屋には天井画が描かれていないところも共通していて、おそらくは用途が異なるのだろうと思った。
大樹の天井画のある部屋から通り抜けた先にあったのも、そういった質素な部屋のひとつだった。
「……」
けれど、ここまで通ってきた部屋とは少しだけ様子が違っている。
いくつか挙げるとすると、その部屋には刀剣や鎧などが飾られて絵画や彫刻の類は少なく、何より、これまで通ってきたような扉とは趣の違う扉がある。そして、その両隣に窓が、
(あそこから、外に出られるのかな)
ここは、外部から来た客を最初に通す場所だろうか。扉はおそらく城の外へ通じている。けれど、窓から外の様子が自然と目に映って、どうしてもその扉を開ける気にはなれなかった。
真っ暗だ。
窓辺に寄って目を凝らす。天井画が無く部屋全体が暗いのと同様、いや、それに輪をかけて城の外は真っ暗だった。
いや、というより、
(吸い込まれそうだ……)
暗い深海の淵に浮かんで、星の見えない夜空を見上げるような。
(……!)
そこに何かが揺れた気がした。暗闇の中、対照的に白い何かが。薄ぼんやりと輝いているようにすら見える。
「……いや」
違う、これは室内の様子が窓に反射しているだけだ。
放たれた矢のようにびゅっと振り向くと、斜め後ろの扉がいつの間にか開いていて、そこをちょうど、白い服を着た女性が通り抜ける瞬間だった。
黄金の髪と帯か何かがするりと揺れる。閉じかけの扉の向こうへ消えていくのを、ぼんやりと掴めるはずもないのに幸臣は手を伸ばした。
「待って!」
白昼夢……幻覚? そんなわけはない。誰かがいるのは間違いない。
そして、あれは絶対にクラウスじゃない。女性だった。誰か別の人だった!
「ちょっと、待ってください!」
扉まで走り、ほとんど飛びつくような形で押し開ける。
先は短い廊下だ。左右に連なるように、また扉が並んでいる。
あの女性の姿はない。
(一体、どこに?)
抗議するように頭を叩いてくるネラに気遣う余裕もなく、幸臣はそばにある扉を勢いよく開けた。
狭い部屋だ。中にはいくつかの寝台と、その脇に小さなサイドテーブルが置かれている。
ひょっとするとここは城の衛兵のために設けられた部屋なのかもしれない。部屋の中に置いてあるのがそれだけだったなら、幸臣もそう納得するだけして次の部屋にすぐさま向かっていったはずだ。
けれど、違った。
部屋の中を見た瞬間、幸臣は身動きを止めた。それは、
「……誰?」
寝台の上に人間大の影が寝そべっているように見えたからだ。
不思議なことに影は幸臣が部屋に入っても身動きひとつしない。声かけへの返答もない。
(寝てるのか?)
不思議と、声をかけるのを躊躇って、幸臣はゆっくりと寝台に近づいていった。
あの女性? わからないけど、なんとなく違う気がする。
そろそろと足を忍ばせながら、自分でもどうしてこんなに慎重になっているのかわからなかった。
「これって、鎧……?」
ベッドの脇に立ってまじまじと見つめる。それは、城の回廊に飾られていたのと同じ甲冑で間違いなかった。
なんだ、と思った。人じゃなかったんだ……。
でも、どうしてこんなところに?
ひとつ疑問が浮かぶと、それに引っ張られて他にも数珠なりに浮かんでくる。
だって、そうだ。寝てる人間を真似て、こんなものを置く真っ当な理由なんて考えつくはずもない。お化け屋敷じゃあるまいし、まるで、こっちのことを驚かそうとしてるみたいじゃないか。
まあ、それだって万が一、この甲冑が置かれたものではなくて、自分からこの姿勢を取ったのだとしたら話は別だけど。
「……いや、まさか」
幽霊なんかいるはずはない……と、信じたい。
もっと現実的に建設的なことを考えるべきだ。だって、ここに鎧が置かれている理由なんか知りようはないのだから。
とりあえず、あの女性を探さなきゃ。
他の部屋も、そう思って素早く振り返る。と、幸臣の視線がそれらを捉えた。
「……っ!!」
入り口の左右、壁際にずらっと甲冑が立っている。姿勢はバラバラ、でも、そのすべてが幸臣に視線を注いでいる。
いや、そうじゃない……そんなわけがあるものか。兜がこちらへ向けられているだけのことで、空っぽの鎧が“視線”なんか向けられるはずはずはない。だって、目がないじゃないか。目がなきゃ、視線も何もない。
でも、さっきまであんな物あったかなとは思った。
暗いから見逃しただけ? 多分そうだ、絶対。
だって、そうじゃなきゃ、甲冑がひとりでに動いたって以外に説明のつけようがないもの。
強張った身体を少しずつ前に動かして、左右の甲冑から絶えず視線を外さないようにしながら部屋を出る。
扉を閉めて、そうしてはじめて肩の力を抜くことができた。ネラも同様に警戒していたらしく、頭の上でゆるく身体をほぐしているのが感じられた。
「はあ……」
他の部屋を覗く気力が湧かない。あの女性も気のせいだったと思って、ここらで引き返しちゃダメかな。
(ダメだよなあ……)
俯いてゆっくり呼吸をしていると、視界の隅に白い光の粒子がふわふわと入り込んできた。
「……」
光はゆっくりと明滅しながら廊下を横切って飛んでいく。蛍に似ているけど、それよりずっと鮮明だ。
疲れきっていて、驚くこともできずにぼんやりと光を追っていると、幸臣の見ている前で、光は突き当たりの扉に吸い込まれるように消えていった。
光を吸い込むと同時、扉が様相を変えはじめた。何の変哲もない木の扉に、スルスルと天井や床から伸びてきた蔦のようなものが覆っていく。
硬く複雑に絡まり合い、分厚い壁が扉と幸臣とを隔てるように形作られていく。
何かが、この先へ進むのを邪魔しようとしている。そして、また別の何かが、むしろ幸臣を導こうと城の奥へ続く道を指し示している。
そんな感じがする。
「ネラ……何か起きたら援護をお願い」
疲れてはいるけど、これはチャンスだ。ここまで露骨に隠そうとする以上、何かが、あの向こうにあると見て間違いないはずだ。それが自分たちにとって利になるか害になるかはわからないけど。
ネラに呼びかけると、応答はわずかに牙を鳴らす音だけだった。
でも、それで十分だ。
マナを全身に巡らせて〈身体強化〉を施す。淀みなく、念入りに。何が出てきても、対処できるように。
扉に近づくにつれて鼓動が早まるのを、呼吸をして落ち着けた。
そのまま静かに手を当てる。と、手の甲に不可思議な紋様が浮かんだ。けれど、それも一瞬のことで、見間違いだったのかもしれない。わからない。
というより、それに構う暇はなかったというべきかもしれない。
次の瞬間、ベリベリと蔦が剥がれはじめた。何かを嫌って避難するような動きで、壁や天井の隅に消えていく。と同時に、扉が自然に開きはじめ、その向こうから漏れ出た光に思わず目がくらんだ。
まぶしい……!
真夏の陽光と見紛うほどの光が、部屋の中に満ちている。
光源はおそらく天井のほう。ここもまた天井画があるようだ。でも、どんな絵が描かれているかはとても見る気になれない。眩しすぎる。
部屋の中央には小さなテーブルがポツンと置かれていた。それ以外に家具はなく、部屋の広さを考えれば、なんとも不釣り合いな内装だ。
けれど、そんなことはどうでも良くなった。テーブルの上に置かれたものを見た瞬間、幸臣はこうして導かれた理由がわかった気がしたからだ。
(これだ)
何かの木の小枝が置かれている。金色の葉がついていて、手に取ってみると白い肌はすべすべの陶器みたいだ。
根本は手折られたようにギザギザとささくれ立っている。
これは何の木だろうと思うと同時に、以前ウィンドウで見た、ある名称が思い出された。
──《白の大樹》。
「──ッ!」
真後ろで音がした。ガチャッと金属同士がぶつかる音。
嫌な気配がして前方へ飛び、テーブルについた手を軸に身体を反転させる。と、袈裟斬りに振り下ろされた剣が床を掠めてヂッ! と甲高い音を立てた。
「なんなんだ、一体!」
続く二撃目、斬り上げを後ろへ飛んで避けると脚を斬られたテーブルがその場に崩れ落ちた。
これ以上ないくらい明るいんだ。相手の姿は一目瞭然だった。
「動く……鎧」
予感していたことではあったけど、それが見事に的中した。
一体だけじゃない。幸臣が入ってきた扉が開くと、同じ甲冑が数体入ってきて、その奥にもぞろぞろと、さらには廊下に並んだ部屋からも出てきているのが見えた。
動きは緩慢だ。剣は鋭利でも避けるのは容易い。
振りかぶった甲冑の腕を抑えつけて剣を奪い取り、左右から斬りかかろうとする別の甲冑もろとも横一閃に斬り裂く。
斬るというより、砕くという方が近かった。破片が勢いよく飛び散った。
マナを纏わせる暇がなかったために折れてしまった剣を放り、床に落ちた他の剣を素早く拾い上げる。仲間が倒されたにも関わらず、他の甲冑は一切の動揺も見せずに近寄ってくる。
恐怖がない?
それも幽霊らしいといえばらしいけど、もっと明白な理由から彼らは止まることがないのだと悟った。
「……まさか! 再生!?」
砕けた鎧の破片がひとりでに浮かび上がりはじめるのを見て、幸臣は目を見開いた。大きな破片により集まるように小さな破片が組み合わさっていく。
完全に元通りになるまでにそれほど時間はかからず、最後に兜が上に載ると甲冑は何事もなかったかのように動き始める。
兜の向こうから絶えず睨むような視線が向けられている。それを睨み返しながら、幸臣は剣を正眼に構えた。
頬を汗が流れ落ちる。その感覚が、今は酷く不快だ。
城内は寒々しい暗闇に包まれている。幸臣が甲冑に襲われる少し前、彼と逸れたクラウスはひとり回廊を歩いていた。
(一体、どこまで)
すでに歩き始めてから四半刻は過ぎている。にもかかわらず、いまだに回廊の突き当たりにすら辿り着けてはいない。
妙に思えた。こんなにも長いはずはないと。
確かめるために光球を遠くへ放っても、ある程度進むと突然、マナが統制を外れて掻き消えてしまう。そのため、遠方の確認もできずにいた。
横にそれるような道や扉もなく、ただ延々と回廊が伸びている。果てがない。まるで、捻れた空間の内にいるかのようだ。
(あるいは、幻惑に落とされたか)
そう考えれば、腑に落ちる点も多い。そして、この回廊が幻惑であるのなら──。
「〈エンチャント・ディバイン〉」
試しにと、クラウスは《王典》から葉を一枚取り出した。葉の周囲を純白の光が覆う。それを確かめてから、クラウスは葉を床に落とした。
──この葉が標となるはずだ。
葉が床に触れると同時、光が床を伝わり回廊全体に伝播する。
遠くの方へ瞬く間に広がっていった光の波が、今度は回廊の彼方からさかしまに流れてくる。それが葉の放つ光と交わった瞬間、眩い光が周囲を照らし、それまで見えていた景色が白く煙りはじめた。
回廊の壁や天井の輪郭が揺れ、徐々に曖昧なものになってゆく。視界すべてが白く覆われる。クラウスは眩んだ目を瞬かせて、何も見えない煙の中を、ひとつの確信と共に歩きはじめた。
風など吹いていないのに、煙が後方へ流れてゆく。方向感覚だけを頼りに歩を進めていると、少しずつ煙が晴れてきた。
周囲を見渡す。景色そのものは大きく変わっていない。しかし、暗闇が少し薄れ、先ほどまで辿り着く気配もなかった回廊の突き当たりが目の前に現れた。
「やはり、幻影であったか」
突き当たりから横方向に廊下が続いている。今いる回廊に比べて、幾分か幅が狭く天井も低い。
光球を向かわせて廊下の内部を照らし出す。遮蔽物は少なく、何かが潜んでいるということはなさそうだ。
それでも、何が起きても対応できるようクラウスは慎重に進んだ。
(これは……)
廊下を歩いているうちに、ひとつ気づいたことがある。壁や天井に線のようなものが現れ始めたのだ。ゆっくりと進みながら観察し、ようやくその線が何かの根だと思い至った。
根は壁を覆うようにして次第にその本数を増やしてゆく。
床や天井に至るまでびっしりと、余白が見えないくらいに色濃くなりつつあるのを見ているうちに、薄ら寒いものが背筋をなぞり上げるような感覚がした。
この根はまるで、全身に張り巡らされた血管のようだ。末梢から中枢へ、近づきつつあるのだと悟った。
「タカオミ……」
心配だ。ここにきて、さらにその気持ちが強まった。
この根と先ほどの幻影が無関係とは言いがたい。幻影から抜け出す手段を持たなければ、その先を想像して自然と歩調が早まった。
(すでに……囚われておるやもしれぬ)
気を張って根をなるべく踏まないよう先を急ぐうちに、ひときわ根が密集している場所に行き着いた。
これではあまりに異様に過ぎる。何かを隠していると言っているようなものだ。
そう思い、根の隙間を覗くと、向こう側に空間が広がっていることがわかった。なんとか通れないものだろうか。手を差し込んで隙間を広げようとしても、硬くてうまくいかない。
であれば、ものは試しだ。
「光よ」
マナを練り上げ、操作する。
〈ホーリーシールド〉──魔力の向上に伴い可能になった技、光の盾を小さく展開し形状を整える。より薄く、より鋭く。そうして出来上がったのはむしろ、礫か、あるいは刃と呼ぶべき形状のものだった。
狙い澄ます。
壁の中央、根が張る方向とちょうど直角になるように、指を縦に振る。
そして、刃が縦一閃に走った。
「……なんと」
鈍い音を立てて、確かに刃は根に直撃した。しかし、結果は表面にわずかな傷をつけただけにとどまった。
声を上げたクラウスの目の前で、刃がつけた小さな傷すら、横から伸びてきた別の根に覆い隠されてしまった。
ならば、と新たに数枚の光の刃を展開し同時に斬りつけても、結果は同じだった。
塞がりつつある傷を前に、クラウスは息を吐いた。根は幾重にも絡まりあって堅牢な壁を形成している。一切の揺らぎを見せず。
これでは、不足だ。
(だが、道はこれ以外にない。何としてでも通らねば)
可能性があるとすれば、何だろうか。取れる手立てがあるとすれば──。
「〈エンチャント・フレイム〉」
詠唱とともに、刃の純白に赤い光が交わる。刃が火花を散らしはじめ、熱が周囲に波紋のような揺らぎを生んだ。
可能性があるとすれば、もうこれしか残されてはいない。
それは、祈りに近かった。
手を前にかざし、軽く指を振るう。それに従って光の刃が一斉に根へと向かい、そして、
「──!」
至極あっさりと、根の中に滑り込んだ。
刃が触れた箇所から、焦げた黒い線が走る。炎がじわりと根の繊維に絡みつき、焼け焦がしながら奥へと侵食してゆくのがわかった。
根が小刻みに震えた。
まるで痛みを訴えるように、壁をなす無数の根がさざ波のように蠢く。断ち切られた箇所から黒い煙を噴き出しながらも、しかし、それでもまだ抗っている。
ならば、さらなる一撃を。
刃を形成するマナに集中し、さらに注ぎ込む。小さな刃の中に収まりきらないほど多量に、統制を外れない境界は保った状態で。
クラウスは数歩後退し、マナの統制を瞬時に解いた。
「……!」
張り詰めた糸が引きちぎれるような感覚がした。それと同時に、刃が弾けた。
閃光と轟音、顔に打ち付ける熱波に目を細める。
引きちぎられ、焼け焦げた根が崩れ落ち、そこには、暗い穴がぽっかりと口を開けていた。
まだ、かすかに根が揺れている。
「根だけで、よもやこれほどとは……」
あくまで根にすぎない。本体は別にあると見て良いだろう。根の末端に多少の傷を与えたところで、きっと殺し切れはしない。
けれど、今の一撃は相当に堪えたと見える。
壁の修復は酷く緩慢で、何より、焼け焦げた根は回復することができないらしく、だらりと垂れ下がったまま動く気配がない。
対抗する術はあるということだ。それだけでも幸いと思うべきだろう。
穴の内側を覗き込むと、さらに多量の根で覆われているのが見えた。足の踏み場もないほどに黒々としている。
しかし、今更引き返す選択肢はない。
ここまで厳重に隠されているのなら、それは敵の急所になりうるものだ。それが何かを知らねば、道は決して開かれない。
(タカオミ……ネラ……)
何事もなく進んでいるにせよ、何かに囚われているにせよ、この城の深層を目指せば自ずと合流できる。
そんな予感があった。




