聖女、真実の愛を見つける
ティアナは少しばかり綺麗になった空気に大きく深呼吸した。
「はー、新年行事終わってようやく一休みできるわ~」
「あんなことがあって感想がそれって、お前すごいな」
大礼拝の聖なる力で各地にあった瘴気はある程度浄化される。魔晶石ができるほどの魔物は無理でも弱体化はされているはずだ。
最も時間が経つと力が弱まり瘴気が復活してしまうのだが、インターバルがあるとないではだいぶ違う。新年くらい休ませろというのが本音だ。
「しっかしエミーリオ様には驚いたわ。いくら美人でも化粧ぐっちゃぐちゃになるほど泣いてると引くよね」
「そんなとこ見てるのはお前くらいだ」
「いやだって、私『祝福』してたから見てなかったんだもん。後で教えてもらってびびったけど。綺麗な花には棘があるって本当だったのね」
使い方が間違っている。
エミーリオはバラなどではなくトリカブトだ。もしくは火焔茸。触れるだけで死に至る猛毒だ。
「綺麗なお姫様の中身は腐ってたけどな」
「アベル王子がすごいよね。どんなエミーリオでも愛してるって、あれぞ真実の愛って評判になってるのよ」
その噂もエミーリオを苦しめている。
学園ではエミーリオに騙されていた生徒や学園長が謝ってきた。
まんまとエミーリオの策略に嵌ってティアナの本当の姿を見失っていたことに悔恨の念を抱いている。今後はもっと慎重に裏まで調査しますと誓ってくれた。
ティアナはエミーリオの取り成しで学園に残っていたので、今度こそ退学をと申し出たら学園長に泣かれてしまった。補講も課題も真剣に取り組むし、テストもできる時で良い。何年留年してもいいから退学だけは勘弁してくれと縋られた。
ここでティアナを退学にしたらエミーリオの友人や関係者全員退学だ。ついでに来年度の入学希望者が激減する。学園存亡の危機だった。
「まあ、あれだけのことやらかしてた女でもいいってのは真実の愛なんだろうな」
マティアスが遠い目をした。
あれも祝福のせいだろう、と教皇がこっそり教えてくれたのだ。
エミーリオのような人間には良心を芽吹かせ、懺悔と贖罪をさせる。アベルは元々善人だったので、愛を強化する結果になったのだ。
アベルは自分の良心に従い、エミーリオと生きることを選んだ。彼女が何をしていたか、知ることすらしなかったアベルの、それが贖罪だ。
エミーリオを正しい道へと導く。愛するからこそアベルはエミーリオと茨の道を進むのだ。それがエミーリオにとってどんなに苦痛でも。
「いいなぁ~。私も真実の愛ほしーい」
そこら辺に転がっているものではないが、言うのは自由だ。
「今度フィオとリリーが結婚するから思う存分眺められるぞ」
「ちくしょう親友め! 聖女が祝福してやるわ!」
「呪ってんのか祝ってんのかどっちだよ」
「どっちもだよ! 親友の幸せは嬉しいけど悔しいの!」
単純に先を越されたからではなく、誰とも知らない男に親友を取られてしまったジレンマだ。
フィオとリリーの恋人はフルホネット公爵家の諜報員ではない。彼らはエミーリオの騒動に紛れて村を去って行った。その後、落ち込む二人を慰めた村の男と恋に落ちたのである。
「嫁に行っても村のやつだからいつでも会えるだろ」
「幸せにならなきゃ呪ってやる~」
「やめろ。お前が言うとシャレにならん」
ごつん、とテーブルに突っ伏したティアナに、マティアスが笑って息を吐く。
大礼拝の祝福で助かった、と各地から聖女へのお礼が後を絶たない状況だ。特にフルホネット公爵家の被害に遭っていた者たちは泣きながら聖女への感謝を捧げている。
マティアスはそれらの貢物をありがたく使ってティアナのためのケーキを焼いた。バターと砂糖の甘い匂いが部屋に満ちている。
マティアスは立ち上がると、突っ伏したままのティアナの左手を取った。
「なに……」
ティアナが顔を上げ、左手を見ると、薬指に指輪を嵌めようとしているマティアスに絶句する。
「欲しいんだろ? やるよ、真実の愛」
「マティアス! ……だってあんた、跡継ぎでしょ!」
両親はマティアスに継がせるつもりだし、マティアスもそのつもりで修行してきた。
当然ながら、早く結婚して子供を作るべきだと思っているだろう。
だからこそ、ティアナはマティアスを諦めようとしたのに。
「店っつっても村のパン屋だぜ? ご丁寧に自分の子に継がせる必要なんかないだろ。子供できたってパン屋になりたくないって言うかもしんねーし?」
「……それ、自分のことじゃないの」
子供の頃は朝早くにたたき起こされて店の手伝いをするのが嫌でたまらなかった。どうせ、お客は村人しかいないし、村人は家で焼くほうが多いのだ。店が潰れなかったのはそれでも需要があったのと、店のパンが美味しいからだ。
特に菓子類は喜ばれ、ケーキは誕生日の付きものとなった。
幼馴染しかいない学校で、店を馬鹿にされれば怒り、パンを褒められれば得意げにしていたマティアス。
「ちゃんと覚えててなによりだ」
子供の問題だけではない。ティアナは聖女で、マティアスの手伝いはできないのだ。村に帰ることなど滅多にない。
マティアスを大切にして、彼のために尽くしてくれる人と幸せになる。ティアナはそんな世界を守るのだ。そうすることが、ティアナにできる精一杯だった。
――世界で一番おいしいパンが焼けたら、お嫁さんになってあげる!
そう言ったのはいつの頃だったろう。お姉さんぶって、店を悪く言われたと泣いていたマティアスを慰めた。
「二十年もあれば充分だろ。世界一のパンを焼いてやるよ」
「馬鹿じゃないの……。あんな、子供の約束……」
左手の薬指にはめられた指輪が滲んだ。
「うっせえなあ。しょうがねえだろ、あん時の顔に惚れちまったんだからよ」
「マティアス……」
「それからずっと、ティアナだけが好きだった」
「マティアス……!」
ぷいっとそっぽを向いたマティアスの顔は真っ赤だ。
ぼろぼろ泣くティアナは返事ができずにいる。
本当に良いの。これから先二十年、お役御免になるのを待っていてくれるの。ずっとずっと、私を好きでいてくれるの。
不安は山ほどあるのに喉が詰まって何も言えない。しゃくりあげるティアナに赤い顔のマティアスは困ったように彼女の顔を胸に引き寄せた。
「ごちゃごちゃ考えてないで、笑って「うん」と言えばいいんだ。いいな?」
ティアナはうなずいた。いつの間にか、幼馴染の男の子が男の顔になっている。手の平も胸の厚さも、子供とは違っていた。
「……結婚しよう、ティアナ」
「うん!!」
笑いながらうなずいたティアナは、残念ながら涙と鼻水でひどい有り様だったが、不思議とあの時の笑顔と重なって見えた。
――その後、お役御免となったティアナと、パン屋の店主になったマティアスがどうなったかは、ティアナの『真実の愛はパンと共に』という手記に詳しい。
お下がりとなった聖女には珍しく教会の保護を断った彼女は民間に降り、パン屋の嫁になった。
彼女を待ち続けたパン屋は弟子がおり、結婚後は弟子を養子にしていっそうパン作りに励んだ。
店は『世界で一番美味しいパン』『真実の愛の味』というキャッチコピーが話題となり、二人が聖女のネームバリューを存分に利用したことをうかがわせている。
店に立つティアナはいくつになっても少女のような笑顔を浮かべ、店を繁盛させたという。
これまでお付き合いいただきありがとうございました!
元は短編で考えていたこの話、思ったより長くなったので短編連載としましたが、いかがでしたでしょうか。
けっこう場面が飛ぶので、句切ったほうが読みやすいかと思いました。
ラストはありがちというか定番というか……うん。なハッピーエンドでしたが、悪を貫いた悪役令嬢はきっつい終わり方です。処刑エンドも好きですが、個人的に死という逃げ場がなく無理矢理改心させられるのはとんでもなく苦痛だと思います。彼女に救いはありません。
ティアナが底抜けに能天気だった分、エミーリオには闇を背負ってもらいました。
枢機卿お爺ちゃんはどうなの?と思われるかもしれませんが、彼らは聖職者なので前知識アリ状態で祝福食らったのできちんと改心しました。悪事といってもフルホネットのような酷いことはしてません。悪を消化できるしたたかさをもってます。
閲覧ありがとうございました!!