3話
ローラは相手の正体に気がついてから、それとなく観察することにした。男はいつもフラりと現れてはしばらくローラを見て去っていく。
その繰り返しで、その事に飽きたのはローラだった。だから何気ないフリをして話しかけた。一緒にお茶をしませんか? と。
ローラは何気なく言ったつもりだったが、男からしたら唐突なお誘いだった。それでもにっこり笑って差し出される紅茶を見て、お茶を共にすることにした。
それ以来、2人はお互いの正体や関係性に気づかないフリをしたまま、付き合ってきた。
「もう今さらですわ、閣下。覚悟を決めてください。契約は誰にも不履行にできないんですから!」
「割りきりが良すぎないか?」
「こんな陰気臭い顔をした夫なんて喜ばれませんよ!」
「気にしてることを思いっきり突いてくるよな……」
泣いても笑っても2人は結婚する。だったら少しでもより良い関係を築きたいと思うのは間違いなのだろうか。
少なくともローラはそう考えて、嫁いでから何をするか。嫁ぐまでに何をするか。持っていくもの、置いていくもの。それぞれ悔いがないように生きてきた。
そもそも花嫁に望んでおいて今さら尻込みするなんて、失礼な話だ! と内心で憤慨する。
「いずれ、誰かに嫁いだんです! 異形なものかもしれませんが、同じことです!」
「いや、異形はだいぶ違うだろう」
「手足があって話せるなら問題ありませんわ!」
「許容範囲が広いな」
叫んだ気持ちはローラの本心だった。
契約相手と結婚する、と言われたときから相手がどんな姿で、どんな性格をしているのか。ローラはその事ばかりが気になっていた。
【大公】は有史以来、現世に顕現したことはない。故に、どんな姿をしているのか誰にも分からなかったのだ。
目も背けたくなるような化け物かもしれない。そう脅されていたローラは見た目は人間と変わらない姿に、秘かにホッとしていた。
そして彼と言葉を交わしていくうちに、心配ごとは露と消えた。
男は言葉も通じるし、感情もある。少なくともローラが見る限り、残虐性や暴力性も窺えない。特殊な方法で契約は結ばれたが、一般的な政略結婚と同じではないか! という結論に至ったのだ。
「こうやって結婚前に交流が持てた私は幸運ですわ。顔も知らない人の元に嫁ぐ可能性もあったんですもの。それとも閣下は私という存在を知った上で、そんな渋い顔をしていらっしゃいますの?」
「なに?」
「私が気に入らないから、そんな陰気臭い顔しているのですか? 私を妻にするのは不満ですか」
交流を持った上でローラは納得したが、同じ状況で閣下が不満を持ったというのならば由々しき事態である。
結婚まで日にちがないのだから、急いで改善をしなくては!
「どこが不満なんです? おっしゃってください!」
「いや、不満なんて……」
「嘘をおっしゃらないで! そんなキノコが生えそうな顔をしておいて、何も思ってないわけありませんわ!」
「ひどい言われようだ……」
陰気臭い顔をしている自覚はあるので、男は特に否定はしなかった。しかし余計にじめじめっとした空気を醸し出し、憂鬱という顔をする。
さぁ、言え! 今すぐ言え! 隣で鼻息荒く男を睨むローラを見て、しょうがないなって苦笑した。
「お前に不満なんてないよ」
「嘘おっしゃい!」
「嘘じゃない。不満なのは俺自身だ」
「閣下に?」
目を丸くするローラを見る。ローラに不満なんてなかった。ローラは巻き込まれただけなのだから。
不満があるとするならば、浅はかで考えなしだった自分自身にだ。
「俺が気まぐれを起こさなければ、お前はこんなことにはならなかった」
「こんなこと?」
「もっと自由に生きられただろう。迫りくる期限に怯えて暮らすこともなかった」
男がローラの前でこんなに饒舌なのは珍しかった。そしてこんなに感情豊かにしていることも。
ローラは男の言葉を聞いて呆れた。そして再び怒りが湧き起こる。
「私は不自由でも、ましてや不幸でもありませんでした」
「ローラ?」
「むしろよっぽど自由に生きてきました! それも閣下のお陰なんですよ」
ローラは契約のお陰で、王女として負うべき責務は何もなかった。国王夫妻もローラのやりたいようにやらせてくれた。
生まれた瞬間から、たどり着くべき最後は決まっている。だからその間に何をするのか、それはローラの自由だ。
確かにローラは契約に縛られ、人生が決まってしまった。しかしどう生きるかを決めるのはローラ自身だ。
「私はやりたいようにやってきましたわ。これまでの生き方で、後悔していることなんてありません」
「確かにやりたいようにやっていたな……」
男は見守ってきた思い出を振り返る。ローラは幼女の頃からやんちゃだった。泳ぐ! と言っては池に飛び込んでみたりお菓子を作る! と叫んで厨房に押しかけて粉塵爆発を起こしかけたり。
最近では仔馬から育てた愛馬ヒースに飛び乗って、あちこちを走り回っていた。
たしかによっぽど自由に生きている。悲壮感というよりは躍動的で衝撃的に生きている。
「私、不幸なんかではありません。この先も不幸になるつもりはありません。閣下はどうですか?」
呼びかけられて、男は悩む。自分は不幸だったのだろうか。
答えはすぐに出た。――否。むしろ今まで生きてきた永い時の中で、一番幸福に似たものを感じていると言えるだろう。
ローラが生まれたときに感じた温かな息吹。あれが欲しいと思った。だから陰からローラの成長を見守り、手折ることをためらいながらも、手を伸ばすことを諦めることが出来なかったのだ。
「俺も不幸になるつもりはない。……お前のことも、不幸にしたくない」
「後ろ向きな宣言ですわね。そこは幸せにしたいって言ってほしいですわ」
「幸せが何なのか、俺にはよく分からない」
男は絶大な力を持ちながら、執着心を持たないが故に群れずに生きてきた。幸福も不幸も感じたことはない。
今回、ローラが不幸になると思ったのは、契約の生贄にされるとは人間的価値観から見ると、最低だろうと推察したからだ。そして得体が知れないからこそ、ローラの反応が怖かったとも言える。
それなのに、ローラは妙に結婚に乗り気だったので、男は別の意味で怖くなっていた。
「まぁ、良いですわ。閣下が噂とは違ってヘタレなのは承知の事実です」
「ヘタレ……」
「それに私が幸せにすれば良いことです! 一緒に幸せになりましょう」
そう言ってローラがにっこりと微笑む。まるで赤子の時に初めて男に笑いかけた時のような無垢な笑顔で。
その顔を見て、男はようやく悟った。あの日、あの笑顔に見つめられた時に自分の心はとっくにローラに奪われていたことに。運命は動かしようのない拘束力で二人を結びつけたのだ。
男がその事実に気が付いたとき、身体の中にあったわだかまりやモヤモヤが消えたのを感じる。そしてホッとしたように笑みをこぼした。
「……ローラ、」
「なんです?」
「結婚式、楽しみだな」
思いがけない言葉に、ローラは固まる。男が柔らかく微笑んでいるのを見て、彼女は全てを悟った。
男が自分の中に遭った葛藤に区切りをつけ、自分との結婚に前向きになってくれた。それだけで十分だった。
「そうですわね。ところで閣下、」
「ん?」
「そろそろ名前を教えていただけません?」
ローラの言葉に男が目を丸くする。そういえば名乗ったことはなかった。
現世で呼ばれている【大公】は通称みたいなもので、もちろん名前ではない。
「名前はしばらく待ってくれ」
「なぜですの?」
「俺くらいの位階になると真名の一部を知っただけでも、その重さに耐えられなかったりする。契約がきちんと結ばれ、俺の配下という位置づけが決定してからの方がいいだろう」
「やはりそうなんですね」
納得! という顔のローラに男は首を傾げる。
「神官様がそうおっしゃってしましたの。未来の旦那様の名前を教えて、と駄々をこねたときに」
「駄々をこねるんじゃあありません」
「そこで真名のことも教えられたので、私にもくれぐれも簡単に名乗ったりしないように、と注意されましたわ」
「……うん?」
そんなにおバカじゃありませんのに! と憤慨するローラを見る。その話の流れだと、「ローラ」という名前は真名ではないということになる。
尋ねると。ローラはあっさりと頷いた。
「真名は旦那様になる方だけにお教えします。つまり閣下ですわ」
「なんて名前なんだ?」
好奇心を抑えられず、男が食い気味に聞く。するとローラはいたずらっ子のような顔をで微笑んだ。
「内緒です」
「は?」
「結婚式当日に教えますわ。真名の交換の時に」
その言葉を聞いて、その言葉の真意を悟り、男は苦笑した。
なるほど。知りたければ期日通りに結婚式が行われるように尽力しろということか。
「楽しみは後に取っておくと、得られた時の喜びは倍増ですわよ」
「心にとめておこう」
鷹揚に頷く男に向かってローラはドレスのことや、結婚式の内容に愛馬のヒースの引っ越し相談など様々なことを相談した。
男はそれに答えながら頭の片隅で考える。戻ったら身辺整理をしなくてはならない。花嫁を迎える準備をしなくては。
そんなことを考えている自分に驚き、またそれを楽しんでいる自分にも驚く。
ローラと一緒だと、一生飽きないだろうなぁ。楽しそうにおしゃべりをするローラを見て、男は頬を緩めた。
部屋の中には花嫁の明るい声と、それを祝福するかのような、明るい日差しが降り注いでいた。
―END―
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
最初の前書きでも書きましたが、これはオムニバス形式の予定です。
この子達の続編を書くかもしれないし、同じ世界観の違う話を書くかもしれません。
また書き溜まったら、ひっそりと更新します。
ここはひとまず、完結です。
ありがとうございました。
藤咲慈雨