第3話 悪くない……かな
訓練場の脇で仰向けに寝ていたレイトは目を覚ました。視界に入ってきたのはアリッサの横顔。彼女はレイトの左手に両手を重ね。その手からは微かに青白い光が出ている。
「気分はどうですか?」
アリッサが天使のような笑みで尋ねて来た。
「悪くない……かな」
レイトは息を深く吐くと、再び目を閉じた。アリッサによる治療が完了するまで、動くのは邪魔になると思ったからだ。訓練の度に負う傷はいつもこうして、アリッサに治してもらっている。
彼女は王国史上最高の医療魔法使いと言われ、本人によれば脳と心臓以外は全て元通りにできるとのこと。この力を有効に使うために本人の意思で、時に騎士団を連れて戦地に赴き人々を治療する。その姿から『王国の蒼い女神』の異名がつくほど、彼女の力は抜きん出ている。
「治りましたよ」
「ありがと」
レイトは立ち上がり左腕を見る。意識が途絶える直前に見た状態ではなく、健康な腕そのものだった。左拳を握り、力を込め、しっかりと力が入ることを確認する。
「どうですか?」
「大丈夫。相変わらず凄いな」
「私にはこれくらいしか出来ませんから」
アリッサの表情が少しだけ曇った。戦場で戦う兵たちを思ってのことだろう。魔法は使えても立場が戦場に出ることを許さない。生き残る2人の後継者のうちの1人だ。王族の血を絶やさないためにも、アリッサを簡単には戦場には出せない。これが王の判断だ。
(自分の娘だもんな、当然か)
自分にもし親がいれば消えた息子を心配して、探したりするのだろうか。レイトには居ない、帰りを待つ人も探してくれる人も。だからこそアリッサが少しだけ羨ましかった。親に必要とされ周りからも必要とされる彼女が。
もの想いにふけるレイトの足に衝撃が走る。振り向くとそこにはアリッサと同じ蒼い髪と瞳をもった幼女がいた。
「お姉さまをいじめるな!」
「なんだ、シエルか」
「なんだとは何よ!」
彼女はアリッサの妹であるシエル。王族の血をひく立派な姫だ。まだ7歳と幼いので主に城の中で使用人や兵に囲まれて生活をしている。
「あのなぁ。どこをどう見たら、俺がアリッサを虐めているように見えるんだ?」
「……お姉さまを欲情した目で見てた」
シエルがぼそっと呟いた。彼女はアリッサのことを心から尊敬し懐いている。その姉に馴れ馴れしい態度で接するレイトのことをよく思っていないらしい。初めて顔を合わせた時は、アリッサの後ろに隠れて顔を見せてくれなかった。後で理由を聞くと「変態だから」と答えたそうだ。
(俺を変態にしたのはどこのどいつだ)
アリッサがシエルに問いただすと、城で働く使用人の中にレイトのことを変態呼ばわりしている人がいると、教えてくれたそうだ。レイトはいつの日かその者の誤解を解くと心に誓っていた。一日でも早くシエルから発せられる蔑みの目を変えるために。
「いいか、シエル」
「なに?」
「お前の姉、アリッサをよーく見てみろ」
シエルは言われるがままに自身の姉を見つめる。整った顔立ち、強調し過ぎずされども存在感のある胸、引きしまった腰とつき出したヒップ。透き通るほどの白い肌。同じ女性ならその美貌に憧れ無いわけがない。
「お姉さまは綺麗」
「だろ? なら男の俺が見惚れちまうのは仕方の無い。本能的なことなんだ」
レイトはシエルと同じ視線の高さになるまでしゃがみこむ。
「この変態」
「シエルが俺のことをそう思っているのは悲しいことだ。でもなシエル」
レイトがシエルの両肩に手をバシッと置いた。異性に初めて肩を触れられたシエルはビクッと肩を震わせたが、レイトがそれを抑え込む。そして真っすぐ自分を見つめる黒い瞳のせいで動くことが出来ない。
「俺は将来、お前がアリッサに負けず劣らずの美人になると確信している!」
「ただの変態じゃないですか!」
アリッサがシエルとレイトの間に割り込み距離を離す。
「何するんだ、アリッサ」
「どうもこうも、7歳の妹に欲情するなんて正気ですか!?」
「将来性について語っただけだろ? 欲情はしていない!」
両手を広げ無罪を主張するレイト。それ見たシエルの顔が恐怖に染まって行く。
「姉さま……こいつ怖い」
涙目でアリッサの袖を握る幼女に、少しだけ心が奪われそうになったレイトは己を律する。深呼吸を繰り返し考えをまとめる。
「よし、シエル。仲直りしよう。怖がらせたのは悪かった。でも俺はお前と仲良くしたいんだ。な?」
手を差し出すがシエルはそれを握り返してはくれない。怯えた表情で手を見つめ、そしてアリッサの後ろへと隠れてしまった。
「シエル、部屋に戻りなさい。レイトさんには私から言っておくわ」
「うん……」
アリッサに促されシエルは、ペタペタと歩きながら城へと帰って行った。
「さてっと、レイトさん? 覚悟はいいですか?」
ニッコリと笑うアリッサだが目が笑っていない。
「ど、どうしたんですか? そんな怖い笑みを浮かべて?」
「怖い笑みだなんて御冗談が上手ですね。変態のレイトさんは」
ジリジリと距離を詰めて来るアリッサ。レイトはまるで大型捕食獣を前にした小動物のように、身体が不思議な圧にしばられて動くことが出来ない。アリッサとの距離が一歩、また一歩と縮んでいく度に、心臓の鼓動が大きくなり脳で警告が鳴る。
――このままじゃやばい
まだ、彼女と出会って一週間と経っていなかったが、魔法の訓練中にときおり見せる彼女のドSっぷりは身にしみていた。レイトが魔法を使うことが出来ないと言うと「そんわけないですよ、ほらやってみてください」と笑顔で言われ、魔力が底をつき動くことが出来なくなるまでやらされた。
アリッサとワンツーマンで過ごせると言うことで、レイトのことを羨ましく思っていた兵たちにもその過酷さに思わず同情されたほどだ。
「騎士団長に一発入れた記念です。今日はレイトさんが力尽きるまで魔法の練習をしましょう!」
「いやだぁぁぁああ! 誰か助けてくれぇぇぇえ!」
レイトの叫び声に見て見ぬふりをする兵たち、全てに見放されたレイトはこの後、シエルのスパルタ指導によりボロボロにされて城へ戻ることになる。その日の夜、メイドたちの間で「姫に手を出してボコボコにされた」と噂で流れることになるとは知る由も無かった。
夕食後、ガノに呼び出されたレイトは騎士寮に来ていた。木造の寮に入ると寮の食堂で兵たちが集まり宴会をしていた。兵に囲まれ同じように酒を飲むガノを見つけ近づく。
「よう、来たか」
「なんの用?」
「まぁ、とりあえず座れや」
ガノに促され近くの席に座る。ビールらしき飲み物が出て来たが、前の世界までの常識でアルコールに抵抗があったので水に変えてもらった。ガノと木で出来たコップで乾杯し、水を一気に飲み干す。ガノも一気に飲み干し、息を吐くとお酒特有の匂いが鼻孔を刺激した。
「今日はぶっ飛ばして悪かった」
「別にいいよ。怪我は治してもらったし」
ガノは「そうか」と言って豪快な声で笑った。彼の声に引きつけられたのか、続々と周りに兵が集まってくる。
「アリッサ様に治してもらえるなんて羨ましいっす!」
「姫様とはどこまで進んでるんです? グフフ」
「イチャイチャしやがって……」
兵たちが好き放題にレイトに思うことを言ってくる。主にアリッサ関連のことで。
「お前ら自分たちの姫をどんな目で見てるんだ!? あと、2番目! お前は何を妄想している!?」
兵たちの言葉に思わず立ち上がり、ツッコミを入れる。周りの兵たちは「まぁまぁ」とレイトをなだめ座らせる。普段は遠く眼で見るしかないアリッサは、兵たちにとって高嶺の花であり、憧れでもある。そんな彼女がレイトを通してだが、彼の訓練の度に顔を見ることで身近に感じられていた。
「いいじねぇか。レイト、答えてやれ」
「あんた隊長なら、規律が乱れているのは問題だろ!」
「細かいことはいいんだよ」
酒をグイッと飲みほしたガノの顔は、紅潮し大分お酒が回っているように見える。
「隊長! 勇者様に娘さんの話聞かせてあげてくださいよ!」
兵の1人が叫んだ。その声を聞いたガノは身を乗り出し「任しとけ!」と意気込む。そして、兵たちはレイトの肩を抑え立ち上がれない様にする。
「おい、なんで手を置くんだ? 動けないだろ」
「フッフッフ、勇者様。今日は長いようになりそうですぜ」
(怖い! 一体、何が始まると言うんだ!!?)
囲む兵たちの笑みに恐怖を覚えるが、何故か兵たちのテンションが上がってゆく。
「俺の娘はなぁ……」
嬉しそうに娘の話を始めたガノにレイトはある確信を抱く。
(この人、親バカだったのか……)
ガノの口は止まらない。いつまで続くんだと思い、帰りたくなるが兵たちが立てないように抑えつけているので、聞くしか選択肢が無い。結局、長い話が終わったのは深夜だった。