第46話 揺れる心
「黒の勇者を殺し、その魔素を吸収しろ」
アリッサは耳を疑った。父が何を言っているのか理解が追いつかない。黒の勇者はレイトのことだろう。その彼を殺し、魔素を吸収する?
到底受け入れられるモノではない。
「仰っている意味が分かりません。それに、何故、彼を殺す必要があるのですか?」
「ギルド本部に向かった際、村を魔物の襲撃から、黒の勇者と共に救ったそうだな」
ミフアたちとの一件だ。
「はい。それがどうかしたのですか?」
「話によれば、黒の勇者が単独で魔物を排除……貴様は一国の指導者として、この事実と今までの経緯がどういった意味を示すか分かるか?」
少数とはいえ、ギルドの討伐隊が苦戦する魔物を単独で排除できる力。加えて、今まで成してきた所業の数々。彼が突出した力を有していることは自明の理だった。そして、国を率いる者として、その力をどう判断するか。
父が言いたいことはなんとなく分かる。頭では理解できる。しかし、それを認めることは出来ない。心が否定する。
「自国にその矛先が向く前に、排除する……」
「そうだ。奴の力は危険すぎる」
納得がいかない、いくわけがない。
「レイトさんに都合を押し付けたのは、こちらなのですよ! 傷つきながら戦って、最後に殺されるなんて、酷すぎます!!」
「逆に聞こう。奴がこちらに対し敵意を持った時、止める術があるか? 相手は最強の魔物『黒騎士』を単独で撃破するほどの力を持ち、未知の魔法を使う勇者だ。貴様の意見は感情論に過ぎん。力が必要なのだ。何者にも止められない絶対的な力が」
「だから、殺してその力を取り込もうと?」
「そうだ」
もし、レイトがこちらに対し敵意を持って剣を握れば、止める術は無いかもしれない。最悪、国が滅ぶ可能性だってある。しかし、今まで接してきたレイトがそんなことをするとは到底思えなかった。
「奴が異界人と言うことを忘れたわけではないだろう? 貴様も自分で言ったはずだ。『勝手な都合を押し付けた』と……なら、奴がこちらに敵意を抱いていても不思議ではない」
「でも……だからって……」
勇者の脅威がこちらに向けられる。それは召喚魔法を行う前に懸念されていたことだ。もし、彼が本当は敵意を持っていて、こちらを油断させるために嘘をついていたら?
考えるだけでゾッとする。しかし、他人の為に命を賭けていた彼を信じたい。自分のことを好きと言ってくれた彼の言葉を。
「平和な世界に勇者は必要ない」
こちらを見つめるイェノムの瞳は驚くほど冷たい。そして、アリッサは確信する。自分がやらなければこの人は、シエルに同じことをさせる気だと。
「……分かりました。最後の課題を受諾します」
アリッサは踵を返し、部屋を出た。
(こんな……こんなことになるなんて……)
自室までの廊下を一人で下を向いて歩く。どうしたらいいのか分からない。誰にも相談する事も出来ない。今やレイトは騎士団や親しい者にとって、欠かせない存在だ。それをこの手にかけるなど、出来るわけがない。
生まれて来てからいつかは、国を継ぐのだと漠然に思っていた。民の為に何が出来るかを第一に考えて生きて来た。魔物の侵攻が始まり、その想いはさらに強くなった。だからこそ、勇者を召喚した。
この命を捧げて民が幸せになるのなら、それでも構わないと思ったからだ。呼ばれた人には、勇者の役目を押し付けて申し訳ないが、それほど当時は事態が切迫していた。そして、やって来た彼は自分たちを救ってくれた。
戦ったこともないと言っていたのに、彼はいつも先頭に立っていた。平和な世界が訪れ、そんな彼に想いを寄せた自分は、これから彼にこの世界を楽しんで欲しいと願っていた。もし、彼が望むのなら自分の元を離れて、世界を旅しても構わないと最近では思っていた。
しかし、与えられたのは彼を殺すと言うこと。自分の命を捧げる覚悟はある。それが見知らぬ人で国に対し脅威となるのなら、この手を赤く染めることもしよう。それでも、彼は特別すぎる。殺すことなど出来るわけがない。
「アリッサ。どうしたんだ?」
目の前に彼の顔が突然現れた。驚きのあまり、尻もちをついてしまった。
「そんなに驚くなよ……ほい」
彼は右手を差し出した。しかし、その手を握り返せるわけもなく、アリッサは自力で立ち上がった。
「大丈夫……です……」
「顔色悪いけど大丈夫か?」
「はい、なんでもありません……」
やめてくれ、これ以上話しかけられると泣いてしまいそうだ。
「イェノム王に大変な課題でも言われたのか?」
「そんな所です……」
そう答えるのが精一杯だ。本当に大変で受け入れがたい課題を言い渡された。
「手伝えることあれば、なんでも言ってくれよ。いくらでも手を貸すぜ」
彼の笑顔を見ることが辛かった。溢れる感情を噛み殺したせいで、鼻がツンと痛くなる。まだ、泣いてはいけない。せめて、彼の前では何時も通りに振るわなければ。
「ありがとうございます……でも、今は一人で考えたいので……」
上手く笑えているのか分からない。でも、出来るだけ笑顔で彼に別れを告げ、自室へと逃げるように入った。中央にあるベッドに正面から倒れ込む。何から考えればいいのか、それすら分からない。
(お母様……)
今になって、母の言葉を思い出す。シエルを生んだその日に力尽き死んでしまった母の言葉を。
『あなたの人生を好きに生きなさい』
そう出来たらどれほど楽かと、今になって思う。王族としての役目も与えられた課題も全てを放り出して、逃げ出せたらと。
もし、一緒に逃げて欲しいと言えば、彼はついて来てくれるだろうか。昨日までなら、ついて来てくれると言い切れた。しかし、父であるイェノムの言葉を聞いて、今はその自信が揺らいでいる。
身体を反転させ、天井を見上げる顔を両手で覆った。明るいと思っていた未来は先が見えない。そこに辿り着いたとしても、一緒に居たい人は居なくなってしまう。
(どうしたらいいのか分からない……)
レイトを殺す決意が出来る訳もなく、かといって別の手段が思い浮かぶだけもなく。ただ、時間だけが過ぎて行った。一日、また一日と経つ度にレイトと顔を合わせるのがつらくなり、部屋に閉じこもる時間が増えた。
一週間が経つ頃には、以前はあれほど話していたレイトと、言葉を交わすことは無くなっていた。このまま、レイトを殺さなかったら、父はどうするだろうか。そんなことも考え始めた。
このまま、何事もなく……
そう思って、行動を起こさなかったアリッサ。しかし、運命は残酷にもそれを許さない。数日後、ある事件が起こり、彼女の運命は急速に動き出す。




