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我流自権先  作者: いせゆも
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我流自権先・4

 今日のキヌとハヤからの放課後の誘いは断りました。学校が終わったら一度家に帰り、あるものを持ってから、緑霊館へ赴きます。なかなかに重いのですが、私の足取りはとても軽いものでした。

 緑霊館を訪れるのはなんだかんだ、二週間ぶりほどでしょうか。頑張って整備していましたのに、また不気味に戻っています。これから少しずつ、綺麗にしていきましょう。

 勝手知ったる他人の家。それこそ家主である先生より、館を管理する宗司様より、詳しい自信があります。

 その私が目指す場所は、ただ一カ所。私の前進を、隔てるものなどありません。

 そして。

「先生。お久しぶりです。ぜひ、お顔を拝見したいです」

 ノックをしながら私は言いました。外出した跡もありませんし、確実に在室しています。

 反応はなにもありません。いつもなら、何かしらの反応は返ってきますのに。そういうことだと、私は僭越ながら解釈しました。 

 書斎の扉を開きます。当然ですが、開いたのです。すでに鍵は掛けられていません。

 ですよね。宗司様から、七君からの願いなら必ず聴き届ける、と言われましたから。

 先生を苦しめるための策略です。嘘であるはずがありません。まあこんな反則な手はこれで最初で最後にするつもりですが。私と先生は、持ちつ持たれつ、打算で成立する仲ではないのです。もっと、深いところで結びつきたいのです。

「先生」

 文机を庇うようにして伏せている先生の背中に、私は呼びかけます。ぴくん、と小さく跳ねる身体。そちらできたか、と背中で伝えてきます。

 長い沈黙が続き、ようやく先生から行動で破ります。こちらへ振り返り、瞳だけでなく真っ赤になった目を、私と合わせます。一週間ぶりにお姿を拝見できた先生は、必要以上にやつれているように感じました。

「どうした、…………、小娘」

 途中、先生は何度も口ごもりました。常にすらすらと言葉を並べ立てる職業の男性が、やっとのことで絞り出せた言葉は、単純なものでした。

「ハツさんとは、どういった女性だったのですか」

 回りくどいことをしている余裕はありません。

 先生からその名を直接訊いたことは、ただの一度としてありません。それが私の口から発されたことの意味。先生はギリッと歯ぎしりをしました。情報源など考えるまでもありません。憎しみを、より一層募らせていることでしょう。そんなこと、知ったものではありません。

「……ふん。一般的な小娘らしく、年上の男に嫉妬でもしているのか?」

 普段は早口な先生ですが、今日はとても慎重に、一言一言を選んでいる印象を受けました。

「そういうことにしておいてください」

 意趣返し。つくづく先生は、恨みを決して忘れない人です。

 私は先生から目を離しません。何秒ほどだったでしょうか。にらみ合いが続きます。先に諦めたのは、先生が先でした。

 あの女性からの願いを、あの人は断りません。

「……ハツ、な。その名前を聴くのは、いつぶりだろうな」

 フウと一つため息を吐きますと、蕩々と語り始めてくれました。

「ハツはいいやつだった。……が、それでは世の中を渡って行けるものではない。喰い物にされるだけだ」

 世の中、先生や宗司様のように、善意だけで行動してくれる人がいる前提で生きていくことなど、できないのです。

「俺は愚図共から、迫害を受けてきた。人間扱いなんてされない。呪術の人形とそう変わらん。俺は長らく食事とは、襖の向こうから出現するものだと思っていた。看病などしては、呪いが降りかかると言われるなんてざらだった。病気になろうが医者も呼ばず、粥を作ってなどくれず。……こんな状況をどうにかしよう。熱意を持ってすれば、きっと聴きいれてくれる。そう考えたお人好しが、いたんだよ」

 もし私が、同じ立場だったとしたら、どうするでしょうか。

 ……きっと、同じことをするのでしょうね。

「あいつは不思議な女だった。掴み所がない。風よりも軽やか。いつか消えてしまうのではないか。そうだな……小娘。お前のように、いつだって存在が不明瞭だった」

「私はいつだって、先生のお側でお慕え申し上げておりますよ」

「そう思っているのはお前だけだ」

 まだこれは本題ではない、と先生は話を修正します。

「これがまた、今になって思えば有能な女でな。俺のお側付きでもなかったくせに、やけに俺の相手をしていた。仕事を放棄しているのかとも思ったが、なんのことはない。人よりも早く仕事を終え、人目をはばかりつつ、離れ小屋まできていただけだ」

「随分と、お気に入りのお坊ちゃんだったんですね」

「だろうな。俺に接しても、なんの利点もない。いつだって自信のない俺だが、あれは確信を持てる。ただ単に、物好きなだけだったと」

 私よりも遙かに悪条件。それでも彼女は、人間なら誰だって受けられる権利、愛を教えるため先生と「遊んでいた」わけですか。

「ある時、宗司の野郎が、うちの屋敷に忍び込んだ。俺が目当てだったらしいな。幽霊を探す程度のつもりだったらしいが、迷惑なものだ。それだけならまだしも、ハツはそれからしばしば、宗司を招き入れるようになった。俺に友達ができて嬉しいんだと。あいつと友達など、ふざけるな」

 その言葉は本心だと、私はどうも思えません。

「それでも、あの頃は三人とも、無邪気であった。このまま続いていられる。太陽が昇っては落ちる、似ているが日々変わりゆくその景色を眺めていたはずなのに、忘れていたんだ」

 同じ日は、二度と戻っては来ません。

「――きっかけは、そうだな、宗司が英国に留学した頃か。いや、それ自体はどうでもいい。勝手に英国だろうが地獄だろうが行ってこい。たまたま時期が重なっただけだ」

 なんとはなく、私にも分かってしまいます。宗司様の口からは語られなかった空白が、これで埋まります。

「ハツは使用人の身でありながら、読み書きはおろか、琴に生花、書道、女に必要な技能は、全て併せ持っていた。……もともと、良家の子女だったらしい。幼い時分はそれはもう豪勢に暮らしていたのだと。

 どことなく、どこかの誰かと似たような境遇です。まあその誰かさんは、そこまで良い生まれとは言えませんが。家は洋食屋として大層繁盛していますが、好きな作家の小説を欲しがる以外は、物欲もなく、慎ましく生活しています。

「それだけ有能ならば、誰でもできる使用人の仕事よりは、もっと金を生んでくれる職業がある。そういった所に――すると、どうなるかは小娘でも分かるな」

「…………」

 私とて、先生がいなければ。危険が目の前に立ち塞がっていたのですから。とぼけてなどいられません」

「うちの財産からすれば、その程度で得られる金なぞ微々たるものだったが……生憎俺の親父は、女が堕ちていく様を観察するのを、何よりも愉悦としている男だった」

 私には先生の父上の考えは絶対に理解できません。私は、愛する人が喜んでくれることこそ、至上の幸福としていますから。

「どんな気持ちなんだろうな。自分の腹の中に、自分以外の人間が居る感覚というものは。あまつさえ、恋に恋をしているような小娘が、誰とも知らぬ男との結晶を、一身に受け止めているというのは。男の俺では、どれだけ夢想をしようとも、決して同じだけの絶望は得られない」

 そう言われましても、私自身はそのような立場には、まだ立てません。ですが、私の周囲でなら、それに近い状況に立たされている人がいます。

 キヌは未来を絶望しています。もしも現在進行形で、あの不安が的中している最中なら……キヌは、笑い続けることができるのでしょうか。

「それどころかまだしも、ハツが長らく家を空けている間に、俺はこの洋館に移された。厄介払いだ。……が、ハツの目にはそう映らなかった。奴らは、ハツに嘯きやがった。俺は何処か遠くへ行ったのだと。聡いハツは、もともと病気がちな俺が、遂にそうなったのだと早合点した。そして、後を追うように……」

 そこで先生は一旦、口を閉じます。

「どこまであいつが吹き込んだかは知らん。だが、自分の見聞きしていないことまで他人に伝える男でもない。俺は俺で勝手に話させてもらった」

 こんな場面でありながら、私は少し、苦笑してしまいました。憎んでいるくせにお互い、こうして相手のことをよく分かっているのです。

「そうですか。……ふう」

 これで、両者の目線からの、真実が語られましたか。あまり話に矛盾が生まれないあたり、二人ともきちんと自分の了見で語ったようです。

 まあこんなことは、使用人としての私の、ちょっとした嫉妬心からきた興味であって。

 閑話休題。私にとって、その程度でしかないのです。

 むしろこれからが、本題とまで言えるでしょう。

「先生。私は訳あって外出します。戻ってくるかは……先生次第でしょうね。お客様が訪問するはずですから、ぜひ彼女を、館に招き入れてあげてください」

「……ああ」

 弱々しかったのですが、確かな、受け入れの言葉でした。

 さて。ここからが本番ですか。

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