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足フェチが歓迎される異世界にバンザイ  作者: 足元日和


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最終話:救世主にも休足日を

 留め具は内側にあった。人類が火刑と信仰と存在意義を巡って大騒ぎしている最中、俺だけが気にしていた、真理への答えが出た。留め具の小さな音が響く。静まり返った法廷では、ブーツの留め具一つ外す音さえ、教義の崩壊より鮮明に聞こえた。


 セラフィナは顔を背けた。だが、伏せた睫毛の隙間から、俺の指先を見ている。顔は正面から逃げ、視線だけが足元へ戻ってくる。見ていないという体裁を守りながら、実務上は見逃さない。長年教団で培った建前と本音の分離技術が、こんなところで役立っていた。


「ゆ、ゆっくりにしてください」


「は、はい……」


「傷をつければ、教団の備品を毀損した罪に問います」


「足じゃなくて、備品の心配ですか?」


「両方です!」


 羞恥で赤くなっているのか、怒っているのか分からない。経験がないから分からないのだ。内側の留め具を下ろして両手を添える。長時間締め付けられていたふくらはぎから少しずつ隙間を作り、足首を支えながら、ゆっくりとブーツを引き抜いていく。


 セラフィナの足部に籠もった空気が解放されてゆく。革と聖油の香り。その奥から、体温に温められた人間の汗と、長時間の職務によって育まれた微かな蒸れが立ち上る。香水と呼ぶには正直すぎ、悪臭と呼ぶには慎ましすぎる。常識ある人間なら一歩退き、俺なら二歩近づく種類の空気だった。


(これは……教団の最高機密……)


 ブーツの中から現れたのは、雪色の素足だった。足首には革の縁が残した赤い跡が走り、踵と足指の付け根は、長時間立ち続けていたため僅かに強張っている。閉じ込められていた熱を逃がすように、五本の足指が小さく開き、すぐに羞恥を思い出したように戻る。セラフィナが法衣の裾で隠そうとする。


「隠したら測定できないでしょ」


 ルミナが容赦なく裾を戻した。


「ですが、これほど大勢の前で……」


「さっきまで、この男を大勢の前で焼こうとしてたじゃない」


 セラフィナは反論できず、唇を固く結んだ。測定器へ数値が浮かび上がる。


〖対象:異端審問官セラフィナ〗


〖足部疲労蓄積率:九十三パーセント〗


〖下肢魔力循環阻害率:八十一パーセント〗


〖慢性的疼痛:踵・足底部・ふくらはぎ〗


「そんなに細かい項目が必要なのですか!」


「私に言わないで。教団が用意した測定器でしょう?」


 教団の機械は正直だった。俺はセラフィナの踵を片手で支え、もう片方の手をふくらはぎへ添えた。細く見えた脚は、触れてみれば驚くほど硬い。何時間も審問席へ立ち、罪を読み上げ、弱音も疲労も履き物の内側へ押し込めてきた筋肉だった。


「……お願いします」


 ふくらはぎを下からゆっくりと揉みほぐす。指へ魔力が集まり、淡い光となってセラフィナの脚を包んだ。


「っ……」


 彼女の肩が跳ねる。声を出すまいとして、片手で口元を覆った。信仰は幾多の異端と戦争に耐えてきたが、固まったふくらはぎへの適切な圧には、開始七秒で防衛線を突破された。聴衆は顎髭を触りながら身を乗り出し、注意深く観察している。美術館の清掃員が思わず捨ててしまいそうな、謎の現代アートを熱心に鑑賞しているようだ。


 俺は足首を包み、滞っていた魔力を流す。くるぶしの周囲を親指で円を描くようにほぐし、腱の強張りを解いていく。セラフィナは顔を背けたまま、視線だけで施術を追っていた。罪悪感から見ているのか、身体が軽くなっていく理由を知りたいのか、あるいは単に気持ちが良いのか。三つとも認めたくない顔だった。やがて、足裏へ指を添える。


「んっ……」


 今度は明確に声が出た。セラフィナが慌てて両手で口を押さえる。評定官の一人が記録用の羽根筆を落とした。傍聴席の全員が、聞こえなかったことにするため、一斉に天井を見上げて祈りを捧げた。神は天上にいるらしいので、非常に自然な行動である。


「土踏まずが、かなり硬くなっています」


「そ、そこは……あまり……」


「嫌ならやめます…」


「やめろとは言っていません!」


 法廷へ異端審問官の必死な声が響いた。言った後で意味に気づき、セラフィナの顔が耳まで赤くなる。俺はこのやり取りを噛み締めた。貧乏人根性で噛み続けたガムよりも噛み締めた。張り詰めていた足底が少しずつ緩み、足指の力が抜けていく。長い法衣の下で隠され続けていた疲労が、俺の手の中へ溶け出していった。


「すご……白いのに、ちゃんと蒸れてる……へへ。あ、やべっ」


 思わず漏れた本音が、超翻訳を通して法廷へ届けられる。


「清廉を装う者にも、人としての熱は宿ります。汗を流し、疲れ、そして弱さを抱えることを、恥じる必要はありません」


 最後に、両手で彼女の足を包む。


「この足……どこにも捨てるところがないな……よい、とてもよい…」


 俺の口から出たのは、足フェチによる品質評価だった。法廷へ届いた言葉は違った。


「あなたが犯した過ちは、償わなければなりません。歩いてきた道を戻ることはできません。代わりに、これから向かう先を、自ら選び直せばよいのです」


 セラフィナの切れ長の瞳が、大きく見開かれた。目から溢れる一筋の聖水が、白い頬を伝う。是非ともその聖水を買い占めて、小瓶に詰めて転売したい。


 俺の手から溢れた光が、足先から腿へ、脚から全身へ駆け上がった。銀色の髪が風もないのに揺れ、法廷を覆っていた冷たい空気が一瞬で押し流される。測定器の針が、勢いよく振り切れた。


〖足部疲労蓄積率:〇パーセント〗


〖下肢魔力循環:完全回復〗


〖魔力出力:施術前比四・八倍〗


〖精神干渉:検出されません〗


〖判定:救済事象〗


 六つの評決灯が、一斉に白く輝いた。巨大な天秤が轟音と共に白の側へ傾き、黒い鉄球が皿から跳ね上がる。


 セラフィナは裸足のまま立ち上がった。傍らには、脱がされた香り立つロングブーツが、信仰を失った塔のように横たわっている。


「公開検証の結果を、認めます」


 声はまだ僅かに震えていた。それでも、彼女は法衣の裾で足を隠さなかった。


「被告人の行為から、精神干渉及び魔力収奪は検出されませんでした。これまでの証言と測定結果を踏まえ、異端の嫌疑を撤回します。また、教団の信条及び審問制度には、抜本的な再検討が必要です」


 評定官たちは互いの顔を見る。誰も異議を唱えない。自分たちが投げ入れた黒い鉄球の意味を理解したらしい。セラフィナはルミナへ顔を向けた。


「ルミナ……」


「なによ」


「私は……」


 言葉に詰まるセラフィナへ、ルミナが小さく息を吐いた。


「別に、あんたを否定していたわけではないわ。教団のためとか言って、本当の自分を隠しているのが気に食わなかっただけ」


 セラフィナの瞳から、再び涙が溢れた。彼女は裸足のまま壇上を降り、ルミナへ抱きついた。


「たくさん酷いことをしてごめんなさい」


「ちょっと。いいってそんなの」


 ルミナは顔を赤くしながら文句を言うが、押し返そうとはしなかった。背中へ回した両手は、むしろセラフィナが離れないように支えている。長年の確執が、公開足ケア一回で解決した。人類は対話と相互理解へ膨大な時間を費やしてきたが、最終的には足先に触れた方が早かったらしい。


「あの……俺は?」


 二人が同時にこちらを見る。


「その……結構、頑張った気がするんですけどぉ……あれ?」


 ルミナとセラフィナの視線が、俺の頭から爪先までをゆっくり往復した。そんなつもりはないのだろうが、その目には「誰?」「ああ、そういえば」「まだいたの」という三段階の検索結果が、順番に表示されていた。命を賭けて宗教改革を起こした男が、女二人の背景へぼかされていく。


 物語の中心に立てた時間は、およそ四十秒だった。新記録は十分に更新している。幼稚園の劇以来の更新である。傍聴席の誰かが呟いた。


「奇跡だ……」


「真の救済だ!」


「救世主様!」


 日和見主義の風見鶏たちが、一斉に俺へ押し寄せる。つい先ほどまで俺を焼こうとしていた甲冑男まで、兜を脱ぎ、涙を浮かべながら跪いた。


「救世主様!無礼の数々をお許しください!」


「い、いたい……ごつごつして」


「長年、右の踵に痛みがありまして!」


「私もだ!革靴のせいで小指が!」


「私は腰から下が全部重い!」


「救世主様、うちの領地へ!」


「専属契約を!十二ヶ月分前払いします!」


 勝ち馬投票の達人であり、記憶喪失スキルの高い人々は鞍替えが早い。火刑を求める群衆から施術を求める群衆へ、強者から一転して弱者へ。教団の改宗手続きは驚くほど迅速だった。


「お、押さないでください。一列で、一列で」


 俺の前へ、裸足と靴下とブーツが無秩序に殺到する。


「整理券を!まず整理券を配ってください!あ、もう一回並ばないで」


 書記官が羊皮紙を細かく切り、番号を書き始めた。先ほどまで死刑判決を記録していた筆が、足ケアの受付業務へ転用されていく。俺は甲冑男の踵を渋々揉み、評定官の浮腫みを嫌々取り、貴族の靴擦れを苦々しく治す。


「うお!鎧が軽い!救世主様の御手は全身へ通ずる!」


 日が暮れる頃には、法廷中央の火刑柱へ「最後尾」の札が掛けられていた。処刑器具として一度も役立たなかった鉄柱が、列整理用品として初めて社会へ貢献した瞬間だった。


 その夜、教団は盛大な宴を開いた。公式発表によれば、これは教義の誤りを認める謝罪会ではなく、「信仰解釈の発展的更新を祝う親睦会」らしい。


 処刑後の慰労会用として準備されていた料理が、そのまま並べられた。俺が焼かれる予定だった火は肉を焼くために使われ、火刑台の薪は暖炉へ運ばれた。人間一人を焼くより、豚三頭を焼いた方が参加者の満足度は高い。ゴシップ系の人たちはよく参考にすると良い。


 宴会場には、靴の形をした銀製の杯が並べられた。見た目を優先したため非常に飲みにくい。普通に傾けると酒が爪先部分へ残り、勢いをつければ踵側から顔へ降りかかる。貴族たちは威厳ある表情で何度も失敗し、法衣と正装を葡萄酒まみれにしていた。セラフィナも靴型の杯へ口をつける。


「どうやって飲むのですか、これは……」


「爪先を上にして、踵から飲むのよ」


 ルミナの教え通りにセラフィナが慎重に傾けた瞬間、溜まっていた酒が一気に流れ込み、鼻まで浸かった。


「審問官が鼻から葡萄酒を飲まないでよ」


「この杯を設計した者を審問します!」


 余興として、聖歌隊による「御足は我らを導く」という新曲が披露された。作詞に要した時間は十五分。教義より軽い旋律だった。続いて、目隠しをして持ち主を当てる「利き靴下大会」が始まった。最初に参加した甲冑男は、三枚すべてを「神の香り」と回答した。酔った貴族は靴型の杯を両足へ履こうとし、修道女たちは法衣の裾を持ち上げながら、片足立ちの耐久競争を始め、甲冑男たちは履き物を何秒で脱げるか競い合っていた。


 俺はその隙に、宴会場を抜け出した。両手は揉みすぎて震え、鼻は多種多様な靴の情報を処理しすぎて、もはや革と酒と人間の区別ができない。


「流石の俺でも、この宴が異様なのはわかるぞ……さすが異世界、なんでもありだなぁ」


 法廷裏の回廊へ腰を下ろす。夜の冷たい風が、熱を持った手のひらを冷ましていく。遠くから、靴型の杯を掲げる歓声と、何かが割れる音が聞こえた。


「ここにいたんですか」


 振り向くと、マルタが立っていた。いつもの服。土の色が残ったショートブーツ。救世主だの異端者だのと呼ばれても、最初から変わらず俺を見ていた目。


「流石に疲れたよ」


「私は奇跡を信じていましたよ。やっぱり、本物の救世主さまでした」


「なんかよく分からないけど、この世界ではそうらしい」


 マルタは俺の隣へ腰を下ろした。宴会場から漏れる灯りが、彼女の横顔を柔らかく照らしている。


「あの瞬間、確かに神の存在を感じました」


「ははっ。神なんか、都合のいい異世界にしかいないよ」


 魔力の枯渇で超翻訳は停止している。聖者の説法ではなく、三十路を越えても何者にもなれなかった男の言葉が、そのまま彼女へ届いた。マルタは不思議そうに小首を傾げたが、すぐに微笑みを浮かべた。


「では、ここにはいるんですね」


「え?」


 マルタは片方ずつショートブーツを脱いだ。今日一日、裁判の間履いていた靴下へ指をかける。


「救世主様にも、休養が必要ですから」


 するりと脱いだ靴下を、俺の手のひらへ乗せた。まだ体温が残っている。


「こ、これ……」


 マルタは素足を、そのままショートブーツへ戻した。布を失った足が直接革へ触れた感覚、靴の中で足指が小さく動くのを想像した。マルタは何事もなかったように立ち上がり、宴の華やぎへ紛れていった。


 手の中に残された脱ぎたての靴下を吸いながら、マルタが素足で履いているショートブーツを眺めた。神なんか、都合のいい異世界にしかいない。所詮は人間の作り出した、哀れな妄想に過ぎない。それでも、足フェチが歓迎されるこの異世界に、バンザイ。

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