第92話 測量杭は、嘘の脈を読む
白い杭は、迷宮の外に打たれていた。
入口から離れた森の中。
まだ余の支配域ではない。
まだ迷靄洞の床ではない。
だが、杭の先端から細い白光が地面へ染みている。
それは、土を照らしているのではない。
魔力の流れを測っている。
《外部測量杭です》
「見れば分かる」
《人間側名称は不明。ただし用途は推定可能です》
「言え」
《迷宮外縁の魔力流、霧の濃度、侵食方向、入口周辺の歪みを測定しているものと思われます》
「つまり、余の腹の外側を触っているわけか」
《表現は不快ですが、概ね正確です》
白い部屋の監視面に、森の映像が広がる。
人間は四人。
冒険者ではない。
鎧も薄い。
剣も最低限。
代わりに、白い測量具、糸巻き、記録板、杭箱を持っている。
戦う者ではなく、調べる者。
だが、戦士より厄介なこともある。
剣はゴブリンで止められる。
調査は、次の剣を正確に連れてくる。
「殺すか?」
《現在位置は迷宮外です。直接干渉は限定的です》
「分かっておる」
『まだ殺さない方がいい』
契約糸が揺れ、フィルエの声が入った。
森から来たもの。
すでに余と契約している、外を見る目。
今は迷靄洞の外縁に潜み、人間側の動きを読んでいる。
「理由は」
『あの杭、たぶん壊された時の記録も送る。壊したら、“迷靄洞は外の測量杭に反応して攻撃する”って情報になる』
「では放置か」
『放置も駄目。正確に測られる』
「面倒だな」
『うん。だから、嘘を測らせる』
余は少し黙った。
そして笑った。
「よい。余も同じことを考えていた」
《後出しですか》
「違う。今考えた」
《正直です》
「黙れ」
人間たちは森の中で低く会話している。
「第一杭、固定」
「白流、薄い。入口から距離があるせいか」
「いや、薄すぎる。Bランク迷宮なら、もっと外縁に滲むはずだ」
「報告と違うな」
報告と違う。
その言葉は良い。
人間は報告と現実が違うと、二つの反応をする。
警戒するか。
都合よく解釈するか。
今回は、後者へ誘導する。
「フィルエ」
『なに?』
「森側の魔力流を、薄く見せられるか」
『できる。でも完全には無理。僕は森を読めるけど、森そのものを支配してるわけじゃない』
「完全でなくてよい。入口側だけ薄く、横へ流れているように見せろ」
『横?』
「迷靄洞の外縁が、北側へ偏っているように見せる」
『実際は?』
「実際は、まだそんなに伸びておらぬ」
『嘘つき』
「迷宮だぞ」
フィルエが笑った。
『了解。契約糸を少し使う』
森の中で、見えない糸が揺れた。
風ではない。
草の露がわずかに震える。
木の根の間に流れていた微細な魔力が、ほんの少しだけ向きを変える。
白い杭の先端が、それを拾った。
杭に刻まれた白い線が、北側へ傾く。
「反応あり」
「北へ流れている?」
「迷宮の侵食方向は北か?」
「入口正面ではなく、北側から回り込む構造……?」
よし。
測れ。
間違えろ。
「管理音声」
《はい》
「迷宮内の本脈も少しだけ偽装する」
《内部魔力流を動かすと第二層整備に影響します》
「本物は動かさない。外から見える浅い脈だけだ」
《浅層偽脈を形成しますか》
「そうだ」
白灰庭区画の端に、湿灰を細く流す。
その中に、白灯器の砕片を少量混ぜる。
さらに、骨鳴核片の粉を微量。
強い脈ではない。
弱く、薄く、外から測ると本物に見えるだけの偽物。
「名前をつけるなら、偽脈だな」
《浅層偽脈を登録》
「第二層の本脈とは繋ぐな。囮専用だ」
《了解》
迷靄洞の入口近くで、白灰が薄く光った。
人間側の杭が、それを拾う。
白い線がさらに北へ傾く。
「やはり北だ」
「迷宮の外縁侵食は北側に偏っている」
「入口正面を固めるより、北斜面を押さえるべきか」
「第二杭を北へ」
人間たちが動いた。
入口から離れる。
迷靄洞から離れる。
だが、余の狙いからは近づく。
「フィルエ、北側に何がある」
『古い倒木帯。湿気が溜まりやすい。あと、獣穴が多い』
「白灰這いを外へ出せるか?」
《白灰這いは迷宮所属魔物です。外縁外での活動は不安定です》
「完全に出さない。入口近くの獣穴と第二層の浅い亀裂を繋ぐ」
《外縁仮穴ですか》
「そうだ。まだ道ではない。ただの湿った亀裂だ」
『やるなら慎重に。森側の獣が騒ぐと、人間にバレる』
「騒がせない。白灰這いは音が薄い」
第二層の巣穴で、白灰這いの群れが顔を上げた。
小さな白灰色の目。
湿った牙。
まだ新しい魔物だが、こいつらは未整備空洞で生まれた。
狭い亀裂を通るのに向いている。
「三匹だけだ。外には出るな。獣穴の奥で待て」
《白灰這い三体を外縁仮穴へ誘導》
白灰這いたちが、湿灰の細い亀裂へ潜った。
這う。
這う。
土と根の間を、音もなく進む。
外では、人間たちが第二杭を打ち込んでいた。
「第二杭、固定」
「白流、濃い」
「やはり北側だ」
「入口から離れているのに濃いぞ。外縁がこちらへ伸びている」
違う。
そこにあるのは、本物の外縁ではない。
余が用意した嘘の脈だ。
だが、嘘も測られれば記録になる。
記録になれば、人間は信じる。
「第三杭も北へ」
「了解」
人間たちはさらに動く。
そこで、一人が足を止めた。
若い測量士。
記録板を持っている男だ。
「待ってください。おかしくないですか」
「何がだ」
「外縁が北へ伸びているなら、霧も北へ濃くなるはずです。でも霧は入口正面の方が濃い」
「風向きだろう」
「いえ、風は東です。霧の流れと杭の反応が合っていません」
ほう。
気づく奴がいる。
「フィルエ」
『見てる。あの子、森の呼吸を読んでる。専門の測量士じゃないけど、勘がいい』
「邪魔だな」
『殺す?』
「まだだ」
余は監視面を睨んだ。
今殺せば、他の人間は警戒する。
だが、疑わせたまま放置しても厄介だ。
なら、疑いの方向を変える。
「マネ」
「ギ?」
「声だ」
「ギィ」
「人間の声ではない。森の獣の声を真似ろ。北側に大型獣がいると思わせる」
「ギ!」
「あと、弱った冒険者のうめき声を少し混ぜろ」
「ギィ?」
「迷宮から逃げ延びた誰かが北側で死にかけている、と思わせる」
マネは目を細めた。
そして、喉を震わせた。
森の奥から、低い獣の唸りが響く。
続いて、かすかな人間の声。
「……たす……け……」
測量士たちが一斉に振り向いた。
「今の、聞こえたか?」
「人の声だ」
「生還者か?」
「馬鹿な。討伐隊は全滅したはずだ」
「だからこそ確認する価値がある」
疑っていた若い測量士が、顔を強ばらせる。
「待ってください。都合が良すぎます。杭が北を示した直後に声がするなんて」
「なら、罠か?」
「罠の可能性が高いです」
「ここはまだ迷宮外だぞ」
「でも、この迷宮は外縁に干渉する可能性が――」
隊長格の男が、若い測量士を睨んだ。
「可能性ばかりで動けなくなるな。我々は調査に来ている。声がしたなら記録する。確認もする」
よい。
人間は役割に縛られる。
調査に来た者は、異常を無視できない。
「白灰這い、待て」
三匹の白灰這いは、獣穴の奥で息を潜めている。
外には出ない。
まだだ。
人間たちが北へ進む。
倒木帯へ近づく。
湿った土。
折れた根。
獣穴。
白い杭が二本、森に刺さっている。
その周囲だけ、魔力が北へ流れているように見える。
若い測量士が、記録板を握りしめる。
「やっぱり変です。足跡がない。声がしたなら、誰かが通ったはずなのに」
「古い獣道だ。土が荒れている」
「荒れすぎています。まるで、足跡を消すために荒れているみたいだ」
本当に嫌な奴だ。
剣士より嫌だ。
「フィルエ」
『うん』
「こいつは生かして帰すと面倒だな」
『でも、今殺すと“北側が本命”って確定する』
「なら、違う形で消す」
『違う形?』
「迷宮の罠ではなく、森の事故に見せる」
フィルエの契約糸が、少しだけ強く震えた。
『……ロード、かなり悪くなったね』
「褒めるな」
『褒めてる』
「ならよい」
倒木帯には、古い根穴があった。
人間の足なら入らない。
だが、土の下は空洞になっている。
そこへ白灰這いが潜っている。
「白灰這い、一匹だけ根を噛め」
《根穴崩落の可能性》
「大きく崩すな。足元だけだ」
白灰這いの一匹が、湿った根を噛んだ。
小さな音。
誰にも聞こえない。
根の支えが少しだけ緩む。
若い測量士が、そこへ足を乗せた。
「待ってください。この下――」
ばき。
土が抜けた。
若い測量士の体が傾く。
「うわっ!」
完全な落とし穴ではない。
膝まで沈む程度。
だが、足首が根に挟まった。
「大丈夫か!」
「動かないでください! 下が空洞です!」
「引き上げろ!」
二人が手を伸ばす。
その瞬間、白い杭が反応した。
根穴の下で、白灰這いが白灯器の欠片を噛み砕いたからだ。
白い光が土の下から漏れる。
「白流反応!」
「下に迷宮脈があるぞ!」
「やはり北側が本命だ!」
違う。
下にあるのは、ただの欠片だ。
だが、杭はそう読まない。
人間もそう読まない。
若い測量士だけが、顔を青くした。
「違う……これは、見せられてる……!」
「何?」
「この反応、浅すぎます! 本物の脈じゃない!」
「黙ってろ、まず足を抜く!」
いいや。
黙らせるのは余だ。
「白灰這い」
三匹のうち一匹が、根穴の奥から這い上がった。
外へ出るなと言った。
だが、穴の中ならまだ外ではない。
土の陰。
根の下。
若い測量士の足元。
白灰這いは、音もなく足首に牙を立てた。
「っ――!」
叫びかけた口を、測量士は自分で押さえた。
賢い。
騒げば、仲間が混乱する。
だが、毒ではない。
白灰這いの牙は湿灰を入れる。
傷口から、冷たい灰が血に混じる。
「おい、どうした」
「……何か、いる」
「何?」
「下に、何か――」
白灰這いがもう一度噛んだ。
今度は深く。
測量士の顔が歪む。
引き上げようとした二人が力を込める。
足首は根に挟まっている。
抜けない。
その上、湿灰で滑る。
「抜けない!」
「根を切れ!」
「待ってください! 杭の反応が乱れます!」
「人命が先だ!」
人命。
その言葉を聞いて、余は何も感じなかった。
ただ、計算した。
一人死ねば、残り三人は帰る。
全員殺すより、情報を持ち帰らせた方がいい。
ただし、その情報は嘘でなければならない。
「白灰這い、引け」
《噛みつき個体を後退》
白灰這いが根穴の奥へ消える。
若い測量士の足首には、灰色の傷だけが残る。
根を切られ、ようやく引き上げられる。
彼は地面に倒れ、荒い息を吐いた。
「何に噛まれた?」
「見えません……灰色の、小さい……」
「魔物か?」
「分かりません。でも、ここはもう……外じゃない」
その言葉に、全員が黙った。
よい。
恐怖は植えた。
北側が本命だという誤情報も植えた。
外が危険だという事実も植えた。
しかも、まだ誰も死んでいない。
死体はソウルになる。
だが、生きて帰る恐怖は、次の獲物を連れてくる。
「撤収する」
隊長格の男が言った。
「第三杭は?」
「中止だ。第二杭までで十分だ」
「ですが記録が不完全です」
「負傷者が出た。杭反応も取れた。戻って報告する」
若い測量士が、苦しげに首を振った。
「報告には……書いてください。北側反応は偽装の可能性があると」
「分かっている」
分かっていない。
人間は報告書に注意書きを入れる。
だが、上にいる者は見たい部分を見る。
“北側に強い反応あり”。
それだけで十分だ。
「フィルエ」
『うん』
「このまま帰らせる。ただし、帰路に薄い霧を流せ」
『迷わせる?』
「迷わせない。むしろ真っ直ぐ帰らせる」
『どうして?』
「迷わず帰れた方が、北側測量の信頼度が上がる」
フィルエが少し沈黙した。
『本当に悪くなったね』
「何度も言わせるな。迷宮だぞ」
人間たちは撤退を始めた。
負傷した若い測量士を支え、杭を一本だけ残し、もう一本を回収する。
全部は持ち帰らない。
一本残した。
継続観測用だろう。
「残した杭はどうする?」
《破壊可能です》
「しない」
《では?》
「育てる」
《測量杭を、ですか》
「そうだ。杭に偽脈を吸わせ続けろ。人間が次に見に来た時、もっと北が濃くなっているようにする」
《長期偽装に移行します》
「白灰這いの巣は、杭の真下からずらせ。露骨すぎる」
《了解》
白い杭は、森の中に残った。
人間が迷宮を測るための道具。
今は、余が人間を測るための餌だ。
白い部屋に戻った意識で、余は第二層の整備を再開した。
外では測量隊が帰る。
中では、勝利の解体が続く。
灰刃追跡者は、白灰庭区画の奥で修復を受けていた。
隊長の剣が、欠けた太刀の横に置かれている。
灰刃追跡者は動かない。
だが、その片目は剣を見ている。
「食わせてよいか?」
《剣素材を灰刃に統合可能です》
「やれ。ただし全部ではない。隊長の剣筋を少し残せ」
《剣筋を残す?》
「強い人間だった。動きは使える」
《戦闘記録を灰刃追跡者の標定補助に転写します》
「そういうことだ」
隊長は死んだ。
だが、その剣は残った。
ならば、敵の強さも迷宮のものにする。
灰刃追跡者の太刀に、隊長の剣片が沈む。
灰色の刃に、わずかな鋼の光が混じった。
《灰刃追跡者、修復率上昇》
《新補助特性:剣路記憶》
「よし」
次に、音界銀輪。
マネがまだ見ている。
「食うな」
「ギ……」
「見るだけだ」
「ギィ……」
カゲヌイが銀輪の縁を針でつつく。
影縫い大蜘蛛が糸を垂らし、銀輪に触れる。
銀輪は小さく震え、白い部屋にかすかな音を返した。
《音界銀輪から反響情報を取得》
《偽音罠への応用が可能》
「具体的には」
《音の発生位置をずらす罠、命令声の反響分裂、足音の遅延再生が可能です》
「よい」
七鳴笛穴の記事が頭をよぎる。
音で勝ったBランク迷宮。
なら、迷靄洞も音を使う。
ただし真似では終わらない。
音を、道と一緒に殺す。
「マネ、練習だ」
「ギ!」
「余の声を真似てみろ」
「ギィ……」
マネが喉を震わせた。
「よは、さいしょから、ろーどだ」
「……」
《似ています》
「似ておらぬ!」
《内容も正確です》
「黙れ!」
マネはなぜか誇らしげだった。
腹立たしい。
だが使える。
「第二層に、声が遅れて聞こえる通路を作る。撤退命令が遅れて届き、突撃命令だけ先に届くような場所だ」
《悪質です》
「褒めるな」
《褒めていません》
白い部屋の監視面で、第二層の形が少しずつ変わっていく。
白灰這いの巣。
湿骨兵の伏兵穴。
灰刃追跡者の巡回路。
音界銀輪を利用した反響節。
白灯器の残骸を埋めた偽光源。
結界短杖を解析して作る、結界の縁を逆に縫う罠。
そして、外へ向かう偽脈。
迷宮が、ただ広くなるのではない。
厄介になる。
人間が持ち込んだ対策を、次の人間を殺す道具へ変える。
それが、勝利の解体だ。
しばらくして、ダンジョン新聞の端がまた黒く滲んだ。
⸻
【黒蜜蟲窟より】
まだ返事がない。
迷靄洞の灰灯喰い蟲、死骸率が高い。
巣を作らず戦場投入している証拠。
忠告する。
蟲は剣ではない。
群れは武器ではなく、腹だ。
取引を望むなら、白灰を寄越せ。
望まぬなら、そのまま燃やし尽くせ。
⸻
「こいつ、本当に腹が立つな」
『でも、言ってることは正しい』
フィルエが言った。
「契約糸を勝手に開くな」
『開いてた』
「絶対に嘘だ」
『うん』
「認めるな」
余は新聞を見た。
蟲は剣ではない。
群れは武器ではなく、腹。
つまり、蟲を使い捨てるのではなく、蟲が食い、増え、巣を維持する構造が必要だということか。
赤針蟻塚の記事にもあった。
勝っても繁殖基盤を焼かれれば危ない。
「黒蜜蟲窟とは取引する」
《白灰庭区画の灰を渡しますか》
「そのまま渡すと思うか?」
《思いません》
「なら聞くな」
余は少し考えた。
「白灰そのものではなく、白灯器の残骸を混ぜた劣化灰を渡す。迷靄洞の本質までは読ませない」
《偽装灰を生成します》
「加えて、相手からは繁殖槽の作り方を引き出す。灰灯喰い蟲専用ではなく、白灰這いにも応用できる情報が欲しい」
《取引文を作成しますか》
「余が言う」
新聞の黒蜜文字に向けて、余は返答を刻ませた。
⸻
【迷靄洞より、黒蜜蟲窟へ】
蟲を燃やすだけの愚か者ではない。
ただし、灰を欲しがる蟲のロードをそのまま信じるほど若くもない。
繁殖槽の構造、分巣の作り方、焼却後の再繁殖手順。
それを出せ。
代価として、白光を吸った灰を渡す。
白灰庭区画そのものの灰ではない。
不満なら、飢えた巣を抱えて黙っていろ。
⸻
《送信しますか》
「送れ」
新聞の文字が沈む。
返事はすぐには来ない。
ロード同士の取引は、戦いではない。
だが、油断すれば喰われる。
相手は蟲のロード。
蟲を通してこちらを侵す手段くらい考えているはずだ。
「黒蜜蟲窟から受け取る物は、直接迷宮本体に入れるな」
《隔離区画を用意します》
「第一層と第二層の間に仮の虫籠を作れ」
《了解》
これでよい。
取引も罠にする。
罠も取引にする。
そうやって迷宮は太る。
夜。
外縁の白い杭は、まだ森に刺さっていた。
白い線が、ゆっくり北へ傾き続けている。
人間が帰った後も、測り続けている。
そして、間違い続けている。
余は監視面でそれを眺めた。
「管理音声」
《はい》
「今日の収支」
《ソウル獲得は前戦闘分が大きく黒字。今回の外縁対応でソウル獲得はありません》
「ないな」
《ただし、外部測量隊へ偽情報を付与。白い杭を逆利用中。第二層整備進行。灰刃追跡者修復進行。音界銀輪解析開始。黒蜜蟲窟との取引交渉開始》
「つまり、今日も勝ちだ」
《戦闘勝利ではありませんが、戦略的利益はあります》
「勝ちだ」
《はい。勝ちです》
余は満足した。
ソウルが増えない日もある。
だが、次のソウルを連れてくる情報を作れたなら、それも収益だ。
白い杭。
偽脈。
負傷した測量士。
北側が本命という誤解。
迷宮外も危険だという恐怖。
それらは全部、次の侵入者を形作る。
人間は対策してくる。
なら、対策の形をこちらで決めればいい。
『ロード』
フィルエの声が、少しだけ硬かった。
「どうした」
『帰った測量隊、途中で別の部隊と合流した』
「追撃隊か?」
『違う。護衛じゃない。杭を持ってる人たちでもない』
「何者だ」
『白い箱を持ってる』
監視面が森の遠方へ向く。
迷宮の支配外。
はっきりとは見えない。
だが、フィルエの契約糸を通じて、ぼんやりと輪郭が届く。
人間が六人。
その中央に、白い箱。
棺のようにも見える。
箱の側面には、短い杭が何本も刺さっている。
そして、箱の蓋に文字が刻まれていた。
フィルエが読む。
『封迷箱』
「封迷箱?」
《該当情報を検索》
管理音声が一瞬沈黙した。
《危険指定道具の可能性》
「何をする箱だ」
《迷宮の外縁魔力を一時的に封じ、入口周辺の歪みを固定するための装置と推定》
「つまり」
《迷宮を、外から縛る道具です》
白い部屋が、静かになった。
余は監視面の向こうの白い箱を見た。
人間は剣だけで来ない。
杭だけでも来ない。
次は箱だ。
迷宮を外から縛る箱。
余は笑った。
「よい」
《よいのですか》
「縛りに来るなら、縛られたふりをする」
『ロード』
フィルエの声に、少し不安が混じった。
「なんだ」
『あれは、たぶん危ない』
「分かっている」
『本当に?』
「分かっている。だから喰う」
余は第二層の監視面を見た。
未完成の巣穴。
修復中の灰刃追跡者。
音界銀輪。
白灰這い。
湿骨兵。
マネ。
カゲヌイ。
影縫い大蜘蛛。
グズ。
そして、外を見る契約者フィルエ。
「次の相手は、迷宮を縛るつもりだ」
余は静かに言った。
「なら、縛った縄ごと中へ引きずり込む」
白い杭が、森の中で淡く光った。
それは人間が残した測量道具だった。
今は、余が人間を呼ぶための釣り針だった。




