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第38話 残響核は“消えそこない”ではない

「“消える形を最初からずらした迷宮”……?」


 余は、枝路全体へ声を低く落とした。


 言葉の意味は分かるようで、分からぬ。


 迷宮は攻略されれば消える。


 それが前提だ。


 なら、消える形をずらすとは何だ。


 消え方に形があるのか。


 攻略された後も、残るように育つことなのか。


 それとも、最初から消滅条件そのものが変わるのか。


「フィルエ」

 余は静かに言う。

「順を追って話せ」

「うん」

 森の少女は、ゆら灯蛍の薄い光の下で小さく頷いた。

「まず前提から。普通の迷宮は、“主”が強い」

「……それはそうだ」

「ううん、戦う強さじゃない」

 フィルエは首を振る。

「存在のまとまり方。中心が強い」

「中心」


 コア。


 つまり余自身のことか。


「迷宮は普通、“主の意思が内側へ積み上がる形”で育つ」

 フィルエは湿った壁へ軽く触れた。今度は壁を嫌がらぬ。むしろ確かめるような触れ方だった。

「魔物も罠も構造も、全部が中心へつながってる」

「……うむ」

「だから、中心を壊されると全部が死ぬ」

「それは知っておる」

「うん。だから普通の迷宮は、攻略されるときれいに消える」

「……」


 きれいに消える。


 妙に嫌な言い方だった。


 だが、理屈としては分かる。


 中心が強く、全てがそこへ依存しているなら、中心を失えば全体が崩壊する。


「残響核は違う」

 フィルエが続ける。

「中心が弱いって意味じゃない」

「では何だ」

「中心の外にも、“迷宮そのものの癖”を積みすぎた迷宮」


「……」


 余はそこで黙った。


 迷宮そのものの癖。


 言いたいことは、分かるような気がした。


 湿り。


 灯り。


 細穴。


 帰路崩し。


 判断攪乱。


 そういうものが、単なる配置や罠ではなく、“迷靄洞という迷宮の在り方”として染み込んでいく。


 そういう意味か。


「普通の迷宮は、主が消えれば止まる」

 フィルエ。

「でも一部の迷宮は、主が消えても“迷宮の方が少し残る”」

「それが残響核」

「そう呼ばれることがある」

「……少し残る、とは何だ」

「完全には生きてない」

 フィルエは淡々と言う。

「でも死体にもなりきらない」

「嫌な言い方だな」

「迷宮には似合うでしょ」

「……否定できぬ」


 実に嫌だが、否定もしにくい。


 そして、その説明はかなり危険だった。


 主が消えても、迷宮の方が少し残る。


 それはつまり、コア破壊=全消滅という絶対の前提に、薄く穴が開くということだ。


「それで」

 余は声をさらに落とした。

「“消える形を最初からずらした”とは」


 フィルエは、一度だけこちらを見てから答えた。


「残る迷宮は、後で残ろうとしてるんじゃない」

 淡い声。

「育つ途中で、“消えた後も癖が死にきらない作り”になっていく」

「作り」

「うん」

「具体的には」

「中心だけで回らない」


 その一言は、枝路の湿りより冷たく感じた。


「……どういう意味だ」

「魔物」

 フィルエが一本、指を立てる。

「罠」

 もう一本。

「構造」

 さらに一本。

「環境」

 最後に一本。

「それぞれが“主の命令”だけじゃなく、“迷宮の流れ”で噛み合い始める」


 余は黙った。


 かなり危ない話だ。


 かなり、だ。


 なぜならそれは、今の余が少しずつやってきたことに似ているからだ。


 湿り帯を作る。


 灯りを置く。


 鼠を走らせる。


 ゴブリンを横から見せる。


 全部、余が命じて始めたことだ。


 だが最近では、そこに“迷靄洞らしさ”が出始めていた。余が細かく毎瞬命じずとも、鼠は灯りの周囲で気配を切りやすくなり、ゴブリンの見せ方も少しずつ“横から嫌らしく立つ”ようになってきている。


 それは成長だと思っていた。


 だが、フィルエの言い方だと――それは“中心だけで回らなくなる”方向でもある。


「……危ういな」

《はい》


 管理音声が、珍しく短く言った。


 そうだ。


 危うい。


 非常に。


「フィルエ」

 余は問う。

「おぬし、それを良いことのように言うが」

「言ってない」

 即答だった。

「残響核は救いでもあるけど、歪みでもある」

「歪み」

「主がいるのに、主が全部じゃなくなる」

「……」


 その言い方は、正直気に食わなかった。


 余はロードだ。


 迷靄洞の主だ。


 余が全部でなくなる、という響きはかなり不快だ。


 だが同時に、それが生存へ繋がるなら無視もできぬ。


「普通の迷宮は、主が死ねば全部終わる」

 フィルエは静かに続ける。

「でも残響核の筋に入る迷宮は、主が死んでも“全部は終わらない”可能性がある」

「可能性、か」

「うん。そこが大事」

「確定ではない」

「全然」


 やはりそこは甘くない。


 完全な不死ではない。


 そもそも、主が死んで無事という保証もない。


 ただ、“全部は終わらない可能性”が生まれる。


 それだけでも十分に狂った話だが。


「……なぜ余がそれに似ている」

 余は低く問う。

「前にも言ったが、まだ弱小寄りだぞ」

「強さの話じゃない」

 フィルエ。

「組み方の話」

「組み方」

「お前の迷宮、最近“概念”になり始めてる」

「……」

「湿った洞窟にゴブリンがいる、じゃない」

 灯りを見る。

 壁の水気を見る。

 細穴の黒さを見る。

「迷う。帰れない。選べない。そういう性質が、構造と魔物と環境に一緒に染みてる」

「……うむ」

「そういう迷宮は、中心が壊れても、癖だけは残りやすい」


 余は、そこでしばらく口を閉ざした。


 反論はできる。


 まだ早い、とも言える。


 だが、全部否定もできぬ。


 迷靄洞は確かに、ただ敵を置いているだけではない。湿りも灯りも鼠も、全部が“迷わせる”という一つの性質へ寄っている。


 それが強みだと思っていた。


 そして今、その強みが別の意味を持ち始める。


「管理音声」

《はい》

「どう思う」

《理論としては一貫性があります》

「気に食わぬが」

《はい》


 気に食わぬ。


 非常に。


 だが一貫している。


「……なら、その筋に入れば余は助かるのか」

 余は最も大事なことを問うた。

「攻略されても、余は消えぬのか」


 フィルエは、そこで初めてはっきりと首を横に振った。


「分からない」

「……」

「そこを勘違いしないで」

 森の少女の声は静かだが硬かった。

「残響核は、“主が確実に助かる道”じゃない」

「では何だ」

「迷宮が“全部まとめて死なない可能性”」

「余自身は」

「消えるかもしれない」

「……」


 枝路の湿りが、急に冷たくなった気がした。


 そうか。


 そうだろうな。


 やはり、そこまで甘い話ではない。


 余自身が助かる保証はない。


 ただ、迷宮の一部が、あるいは迷宮性の何かが、消えきらずに残る可能性がある。


 それは余の生存とは、似ているようで微妙に違う。


「なら、価値は半分だ」

 思わず吐き捨てるように言った。

「余が消えるなら、迷宮だけ残っても――」

「半分?」

 フィルエが、ほんの少しだけ眉を動かした。

「半分もあれば十分だよ」

「何」


 その返しは予想外だった。


 フィルエは、淡い灯りの下でこちらを真っ直ぐ見た。


「何も残らないより、ずっといい」

「……」

「森はそう考える」

「森の都合だろう」

「そう」

 あっさり認める。

「でも迷宮にとっても、全部ゼロよりはいい」


 その言葉は、少し腹立たしかった。


 全部ゼロよりはいい。


 たしかにその通りだ。


 だが、主である余からすれば、“余が消えるかもしれぬ”時点で、簡単に飲み込める話ではない。


 迷宮だけ残る。


 あるいは癖だけ残る。


 それが何になる。


 余がいなければ、それは余の勝ちではないのではないか。


「……」


 だが、その一方で、冷たい理屈もある。


 完全に消えるよりは、何か残る方がましだ。


 もし余自身が完全に消えるとしても、そこに何か再起の芽があるなら?


 あるいは、余の痕跡がどこかに継がれるなら?


 そこまで考えた時、自分でも嫌になるほど、関心が深くなっているのを感じた。


「フィルエ」

 余は慎重に問う。

「残響核が残った後、どうなる」

「いろいろ」

「曖昧だな」

「だって安定してないから」

 フィルエは壁から指を離した。

「しばらく嫌な穴が残るだけのこともある」

「……」

「新しい主がそこに巣食うこともある」

「何?」

「まれに」

「まれ、か」

「でも一番多いのは、“痕跡として残るだけ”」

「……使えぬな」

「そうだよ」


 そうなのだ。


 使えぬ。


 価値はある。


 だが使いづらい。


 完全な答えではない。


 生存の保証でもない。


 だが、生き残りの筋が“ゼロか百か”ではないと分かるだけでも、盤は変わる。


「……なるほどな」


 余は静かに息を吐いた。


 残響核は不死ではない。


 主の救済でもない。


 攻略されても大丈夫という話では、全くない。


 だが、迷宮が“全部まとめて死なない形”へ近づく理屈ではある。


 つまりこれは、“終わり方の選択肢”を増やす話なのだ。


「管理音声」

《はい》

「これもまた、選択の話だな」

《はい》

「気に食わぬ」

《はい》

「だが嫌いではない」

《はい》


 フィルエが、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「今の言い方、迷宮っぽい」

「知るか」


 だが否定もしきれぬ。


 余はもう、人間のように“生きるか死ぬか”だけで物を見ていないのかもしれぬ。


 残るか。


 残せるか。


 消え方をずらせるか。


 そういう見方が、少し分かり始めてしまっている。


「では聞く」

 余は改めて問いを切った。

「残響核の筋に入るには、何が要る」

「全部は分からない」

「またそれか」

「本当に分からないから」

 フィルエは肩をすくめた。

「でも、森で言われる傾向はある」

「言え」

「三つ」

 細い指が立つ。

「一つ。迷宮の性質が、魔物や罠じゃなく、環境そのものへ染みてること」

「……湿り、灯り、帰路」

「うん」

「二つ」

「主の命令がなくても、“迷宮らしい反応”が少しずつ起き始めること」

「……」

「三つ」

 フィルエは一拍置いた。

「主自身が、“核だけが自分じゃない”って考え始めること」


「……何?」


 最後の一つが、嫌な形で引っかかった。


「どういう意味だ」

「お前、まだ“コアが自分”だと思ってるでしょ」

「当然だ」

「それは間違いじゃない」

「なら何だ」

「でも残響核の筋に入る主は、“自分が迷宮全体へ滲み始めてる”って理解し始める」

「……」


 余は完全に黙った。


 それは、さすがに受け入れづらい話だった。


 余はコアだ。


 迷靄洞のロードだ。


 自分が迷宮全体へ滲む?


 何だその曖昧な言い方は。


 気味が悪い。


 だが――今までの話と噛み合いはする。


 中心だけで回らない。


 迷宮そのものの癖が染みる。


 主の命令を離れても、“迷宮らしい反応”が起き始める。


 その時、主もまたコア一点ではなく、迷宮全体の流れへ広がり始める。


 理屈としては、分かる。


 分かるが、気味が悪い。


「……それは主にとって良いことなのか」

「分からない」

「役に立たぬな」

「うん」


 正直すぎて腹が立つ。


 だが、その正直さがあるからこそ、今の話も妙に嘘っぽくない。


「フィルエ」

 余は低く言った。

「おぬしはなぜ、そんなことを余に話す」

「迷宮の痕を追ってるから」

「それでは答えにならぬ」

「……」

 フィルエは少しだけ黙り、そして珍しく視線を外した。

「森の奥で、一つ消えきらなかった穴を見た」

「……」

「そこにはもう主はいなかった」

 静かな声。

「でも、“迷宮だったもの”だけが残ってた」

「それで」

「怖かった」

 その一言は、想像よりもずっと生っぽかった。

「でも、きれいだった」

「……」


 余は、その言葉にはすぐ返せなかった。


 怖くて、きれい。


 迷宮に向ける感想としては、かなり変だ。


 だが分からなくもない。


 死んだはずなのに少し残るもの。


 終わったはずなのに、終わりきらないもの。


 それはたしかに、怖くて、きれいかもしれぬ。


「だから見てる」

 フィルエは再びこちらを見た。

「次に似た筋へ入る迷宮があるなら、何が違うのか知りたい」

「実験材料扱いだな」

「半分は」

「半分は何だ」

「……助かる道があるなら、見つけたい」


 余は、そこで初めてフィルエの声の底にあるものを少しだけ理解した。


 興味本位ではない。


 いや、興味はある。


 だがそれだけではない。


 何かを見つけたい。


 残したいのか。


 確かめたいのか。


 森の側にも事情があるのだろう。


「……」


 枝路に沈黙が落ちた。


 ゆら灯蛍が静かに揺れる。


 湿った壁がかすかに光を返す。


 鼠は壁の向こうで気配を殺し、グズは一段奥で寝るのを我慢しているたぶん。


 その中で、余はゆっくりと考えた。


 この情報をどう使う。


 どう受け止める。


 そして、どこまで信じる。


「管理音声」

《はい》

「今、最も重要な結論は何だ」

《残響核は不死ではない》

「うむ」

《ただし、迷宮の終わり方を変える可能性はある》

「そうだ」

《そして迷靄洞は、その筋に近い可能性がある》

「……うむ」


 それが、今夜の収穫だった。


 大きい。


 非常に大きい。


 同時に、かなり危ない。


「フィルエ」

 余は静かに言う。

「今夜の話、外へ漏らせば戻れぬぞ」

「漏らさない」

「なぜ言い切れる」

「人間に知られたら全部壊れる」

「……そこは同意だ」

「だから私は人間がいる日に来なかった」


 その筋だけは、一貫している。


 ならば今は、そこを信じるしかない。


 完全には信じぬ。


 だが、利用し合う程度には。


「では次だ」

 余は声を落とした。

「残響核の筋へ近づくとして、余は何をすべきだ」


 フィルエは、そこで初めて少しだけ考え込んだ。


「……二つある」

「言え」

「一つは、“迷宮の癖”をもっと全体へ染み込ませること」

「うむ」

「もう一つは」

 森の少女は、少しだけ目を細めた。

「お前のコアを、コアのままにしすぎないこと」


「……は?」


 その一言は、今夜の中でも最悪級に危険な響きを持っていた。


 コアを、コアのままにしすぎない。


 それはつまり、余自身の在り方へ手を入れろということなのか。


 あまりにも、危ない。


 あまりにも、興味を引く。

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