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第37話 一人で待てと言うなら、待ち方はこちらで決める

 匿名投函を閉じた後、余はしばらく何も言わなかった。


 白い部屋の中央で、ただ黙って立つ。


 一人で待て。


 人間がいる日は話さない。


 残響核を知りたいなら。


 短い文だ。


 だが、その短さの中に、こちらの関心を正確に刺してきている。


「……性格が悪い」

《はい》

「かなり」

《はい》

「だが、交渉はできる」

《はい》


 そこが重要だった。


 あやつは“また来る”と言っただけではない。


 次の接触条件を自分から示した。


 つまり、単なる覗きでも試しでもない。あやつの側にも、何か話す意思がある。


 ならば応じる価値はある。


 ただし。


「一人で待てと言われて、本当にそのまま待つほど余は素直ではない」

《良い判断です》

「そうだろう」


 条件は受ける。


 だが盤の組み方は余が決める。


 迷宮である以上、会うなら迷宮の中だ。


 しかも、相手が一度こちらの妨害をかなり正確に読んで抜けた以上、次は“ただ待つ”では足りぬ。


 会話の場が要る。


 奥へ通しすぎず。


 人間側から見えず。


 逃げ道も完全には自由にさせず。


 それでいて、“話す気”を削ぎすぎない場所。


「管理音声」

《はい》

「必要なのは、応接室だ」

《迷宮らしくない言い方ですが、本質は正しいです》

「うるさい」


 だが本質はその通りだ。


 迷宮内の応接室。


 もちろん椅子だの茶だのは要らぬ。余はロードであり宿屋の主ではない。


 だが、交渉のための“場”は必要だ。


 ただ殺すための通路ではない。


 かといって安全でもない。


 踏み込みすぎれば死ぬし、礼を欠けば通さぬ。そういう“細い均衡”の場だ。


「どこに置く」

《候補は三つ》

「出せ」


 白い部屋の床に、迷靄洞の見取りが浮かぶ。


 入口近く。


 新小部屋の脇。


 旧小部屋の手前から横へ掘る枝路。


「入口近くは駄目だな」

《はい》

「人間側に見つかる」

《はい》

「旧小部屋手前横枝は」

《隔離には良いですが、森の来訪者をそこまで通す必要があります》

「……奥すぎる」


 あやつが信用に足る相手か、まだ分からぬ。


 分からぬ相手を旧小部屋手前まで通すのは危険だ。今の迷靄洞の中核に近い情報を、無駄に見せることになる。


「なら新小部屋脇か」

《最適候補です》

「うむ」


 新小部屋手前から少し外した位置。


 正線からは見えにくい。


 だが完全な行き止まりではない。


 必要なら左右から鼠を通せる。


 グズも一体なら横から出せる。


 灯りも置ける。


 しかも、旧小部屋やコア方向の本当の筋は、まだ遠い。


「ここに浅い枝路を掘る」

《はい》

「湿りはやや強め」

《はい》

「灯りは一群だけ。落ち着く程度」

《はい》

「ただし出口には見せぬ」

《交渉用ですので》

「そうだ」


 迷わせすぎては駄目だ。


 相手が“話すために来た”なら、その意図が折れぬ程度には場を安定させる必要がある。だが、完全な安全地帯にするつもりもない。


 余はそこを慎重に考えた。


 どこまで張るか。


 どこまで見せるか。


「管理音声」

《はい》

「この場の目的は何だ」

《来訪者から情報を引き出すこと》

「うむ。では、殺意を強く出しすぎるとどうなる」

《来訪者が撤退寄りになります》

「そうだ」

「逆に緩めすぎると」

《内部情報を見られます》

「その通りだ」


 つまり必要なのは、“生殺与奪はこちらにある”と伝えつつ、“今すぐ殺す気ではない”と示す場だ。


 難しい。


 かなり難しい。


 だが、こういう盤は嫌いではなかった。


「……余も面倒なことをするようになったな」

《ロードらしいです》

「そうか」

《はい》


 作業を始める。


 ゴブリンに掘削を命じ、鼠に細穴との接続を調整させ、苔スライムで壁の湿りを整える。


 ゆら灯蛍は一群だけ。


 薄く、静かに。


 視界を奪うのではなく、“落ち着いてしまう明るさ”に寄せる。


 入口のようにも、罠のようにも見えぬ位置だ。


「グズ」

「ギィ?」

「ここは壊すな」

「ギィ」

「小便もするな」

「ギ……」

「絶対にするな」

「ギィッ」


 最重要事項である。


 せっかく交渉の場を作っても、そこらで小便をされたら台無しだ。余の威厳が湿気と別の方向で終わる。


《大事です》

「当たり前だ」


 半日ほどかけて整えたその場は、迷宮にしては妙に静かな区画になった。


 狭い。


 だが狭すぎない。


 逃げようと思えば逃げられる気もする。


 だが、実際にはその気になれば左右から塞げる。


 壁は湿っているが、苔は少なめ。


 灯りは揺れるが、出口には見えぬ。


 そして何より、“正線から少し外れている”ことが効いていた。


 ここに通された時点で、来訪者は理解するだろう。


 余は話すつもりだ。


 だが、主導権は握っていると。


「……よい」

《かなり良いです》

「うむ」


 次に考えるのは、“一人で待て”の条件だ。


 本当に配下を全部引っ込めるか?


 論外である。


 余はそこまで馬鹿ではない。


「管理音声」

《はい》

「“一人”の解釈を考える」

《はい》

「来訪者は何を求めている」

《人間の目がないこと、他者の介入がないこと、交渉相手がロード本人であること》

「そうだ」


 ならば、“余が直接応じる”形を作ればよい。


 配下の気配を薄くする。


 人間側の侵入がない日を選ぶ。


 そして、声としては余だけが出る。


 その上で、細穴には鼠を伏せるし、壁の向こうにはグズを置く。


 これは一人に含めぬ。


 少なくとも、余の倫理では。


「……だめか?」

《かなりロード的です》

「よし」


 自分に都合のよい解釈は、主の特権である。


 そして、相手もおそらく完全な善意ではない。ならばこちらが律儀に丸腰で待つ必要はない。


 問題は、日をどう選ぶか。


 人間が来ない日。


 あるいは、来ても入口付近で返せる程度の日。


 そして森の来訪者が動きやすい夜か、薄暮か。


「……夜だな」

《理由は》

「森の民は人間より、暗がりに馴染む可能性が高い」

《はい》

「それに余の色にも合う」

《はい》

「明るい昼に交渉は、何か気に食わぬ」

《感情も大事です》


 その言い方は少しむかつくが、実際そうだ。


 迷靄洞は暗く湿って揺れる迷宮だ。


 ならば異質な来訪者との接触も、やはり夜の方が似合う。


 そう決めた瞬間、余は新聞の簡易返信欄を開いた。


 匿名投函に対し、完全な返答が通るかは賭けだったが、試す価値はある。



【迷靄洞 より匿名返答】


“応じる。ただし場は余が決める。次の無人夜、森側から来い。灯りが一つだけ揺れる枝路へ通す。礼を欠けば戻れぬと思え”



「……」

《かなり良いです》

「そうか」

《はい》

「少し脅しすぎたか?」

《ちょうど良いです》

「ならよい」


 送る。


 返るかどうかは分からぬ。


 だが少なくとも、こちらの姿勢は示した。


 応じる。


 だが主導権は譲らぬ。


 ここまではっきり言えば、あやつもこちらを“ただ食いついただけの若いロード”とは見ぬだろう。


 ……たぶん。


 それから余は、夜までの運営を少し変えた。


 人間が来た場合に備え、入口付近はいつもより浅く見せる。


 派手に狩らぬ。


 むしろ“今日はあまりうまく噛んでこない日だ”と感じさせて、深く入らせず返す方針にする。


 余計な死体や騒ぎを残したくなかった。


 森の来訪者との二度目の接触を、人間側の噂に乗せる気はない。


「鼠、今日は入口寄りを厚く」

「チチッ」

「グズ、奥で寝るな」

「ギィ……」

「寝るな」

「ギィッ」


 そうして時間を潰すうち、夕刻が近づいた。


 幸い、その日は大きな侵入者が来なかった。


 浅い様子見が二組。


 どちらも入口付近の湿りとゴブリンで十分返せた。


 よい。


 静かな夜になる。


「管理音声」

《はい》

「来ると思うか」

《高確率》

「根拠は」

《匿名投函までして接触条件を出しています》

「うむ」


 その通りだ。


 あやつは来る気でいる。


 そして余も、待つ気でいる。


 ここまで来ると、もはやただの侵入者対応ではない。迷宮の外にある何かと、迷宮の内側が触れ始める感じがある。


 少し怖い。


 かなり面白い。


「……」


 夜。


 森の縁が深く暗くなり、迷靄洞の湿りがさらに濃く感じられる時間。


 枝路の灯りを一つだけ揺らす。


 静かに。


 出口には見えぬように。


 ただ、“ここだ”とだけ分かるように。


 余は白い部屋から、その場だけに意識を濃く向けた。


 鼠は壁の向こう。


 グズはさらに一段奥。


 灯りは穏やか。


 湿りは滑るが、転ぶほどではない。


 これが余の待ち方だ。


「来るなら来い」


 小さく呟いた、その時だった。


 森側外周の鼠が、一つの気配を拾う。


《接近反応》

「うむ」

《単独》

「……本当に来たか」


 窓を切り替える。


 森の暗がりから、あの小さな影が出てくる。


 前と同じフード。


 軽い足取り。


 迷いのない進路。


 だが前回と違うのは、入口前で一度だけ立ち止まり、迷靄洞の暗がりを静かに見たことだった。


 そして、そのまま森側から入ってくる。


 余が指定した枝路の灯りへ向かって。


「……」


 あやつは気づいている。


 これは待ち伏せでもあり、応接でもある場だと。


 その上で来た。


 ならば、少なくとも話す意思は本物だ。


 来訪者は枝路の前で止まり、揺れる灯りを見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「前よりずっと、性格が悪くなった」

 その声が、静かな枝路に落ちる。

「迷宮らしくていい」


「……褒め言葉として受け取っておく」

 余は、枝路全体へ声を落とした。

「では、名を言え」


 来訪者は、少しだけ黙った。


 そして今度は、前回のように誤魔化さなかった。


 フードを浅く上げ、長い耳と、淡い色の髪を見せる。


 年は若く見える。


 だが目は若くない。


 森の深い色をしていた。


「私はフィルエ」

 来訪者は静かに言った。

「森守りの外れ者。迷宮の痕を追ってる」


「……」


 余は、その名を胸の内で転がした。


 フィルエ。


 森守りの外れ者。


 迷宮の痕を追う者。


 危険だ。


 そして、やはり面白い。


「よい」

 余は静かに言う。

「ではフィルエ。今夜は逃がさぬつもりで聞く」

「うん」

「“残響核”とは何だ」

「その前に」

 フィルエは枝路の奥、揺れる灯りの下を見上げた。

「お前の方も、一つ答えて」

「……何だ」

「お前、自分の迷宮が“何を奪うか”を、もう言葉にした?」


 余は、そこで目を細めた。


 またそこを聞くか。


 だが今度は、分かる。


 これは試しだ。


 たぶん、ここで余が自分の核を言えぬなら、フィルエは深い話をせぬ。


「余は」

 湿った枝路に、静かに声を落とす。

「侵入者に、正しく選ぶ力を奪う」

 灯りが揺れる。

「進むか退くか。何を見るか。何を信じるか。その順を裂く」

「……」

「それが迷靄洞だ」

「……そう」


 フィルエは、小さく息を吐いた。


 それは安堵にも、納得にも見えた。


「なら、話せる」

 森の少女はそう言って、初めて真正面からこちらを見た。

「残響核は、“消えそこなった迷宮”のことじゃない」

「何?」

「逆」

 静かな声。

「“消える形を最初からずらした迷宮”の呼び方」


 白い部屋で、余は息を止めた。


 それはあまりにも、危険で。


 あまりにも、聞き逃してはならぬ一言だった。

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