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第34話 森の来訪者は迷宮の言葉を知っている

「お前が、“消えない迷宮”になれるかを見に来た」


 その一言が落ちた瞬間、余はしばし本当に動けなかった。


 意味が分からぬ。


 だが、軽い言葉ではないとだけは分かる。


 迷宮は攻略されれば消える。


 ロードも存在ごと消える。


 それは余にとって、この世界の始まりから与えられている絶対の前提だ。だからこそ余は侵入者を殺し、迷宮を育て、生き残ろうとしてきた。


 その前提へ、まるで別の穴を開けるような言葉。


 消えない迷宮。


「……」


 白い部屋の空気が、いやな形で重かった。


 外では人間側の再評価組が迷っている。


 中では、迷宮の言葉を知るらしい森の来訪者が、余の方角を見ている。


 最悪だ。


 本当に最悪だ。


 だが、だからこそ頭を回せ。


「管理音声」

《はい》

「現状整理」

《はい》

「こいつは迷宮の何かを知っている」

《可能性高》

「しかも余のコア方向を読んでいるように見える」

《はい》

「だが確証はない」

《はい》

「再評価組はまだ外」

《はい》

「なら、今はこやつをここで止めるか、話を引き出すかだ」

《その二択です》


 よろしい。


 少し落ち着いた。


 話を引き出す。


 ただし、迷宮の奥へ通しすぎずに。


 止める。


 ただし、全力で潰しに行くのは危険だ。強い。ゴブリンを二体、入口でほぼ無音で落とした相手に、今の前衛戦力だけをぶつけても、損耗の方が大きい可能性がある。


「……なら、迷わせつつ喋らせる」


《妥当です》


 余はすぐ、迷宮全体へ命令を飛ばした。


「グズ、正面に出るな」

「ギィ……」

「死ぬぞ」

「ギィッ!」

「鼠、左右から切れ。追うな。位置をずらせ」

「チチッ!」

「ゆら灯蛍、二群とも消すな」

《維持》

「茸は待機。咳は最後の手だ」


 来訪者は、そんなこちらの布陣を見ているのかいないのか、静かに立っていた。


 小柄だ。


 やはり子供ほどの背丈に見える。


 だが、立ち方が妙に古い。


 落ち着きがある。しかも、恐れが薄い。侵入者の多くは、迷宮の中でどこかに緊張の棘を立てているものだが、こやつにはそれが少ない。


 警戒はしている。


 だが、怯えてはいない。


 その時、フードがまた少しずれ、顔の下半分と耳が見えた。


 白っぽい肌。


 細い顎。


 そして長く尖った耳。


 森妖族――少なくとも、人間ではない。


「……森の民か」

 余は、迷宮全体に響かせるような形で声を落とした。

「おぬし、何者だ」


 来訪者はぴくりともせず、少しだけ首を傾けた。


「声、か」

 低い。

 落ち着いている。

「やっぱりいるんだね、中に」

「……質問に答えよ」

「先に確認しただけ」

「余の問いに答えよ」


 前より少し、声に威が出た気がした。


 内心はかなり落ち着かぬが、少なくとも配下の前では崩したくない。ましてや、この得体の知れぬ来訪者には。


 来訪者は、数拍だけ沈黙した後、短く答えた。


「名は、まだ言わない」

「まだ?」

「そっちが名乗るなら考える」


「……」


 図々しい。


 いや、慎重なのか。


 余は小さく歯噛みする気分になった。


「管理音声」

《はい》

「腹立つ」

《はい》

「だが会話できる」

《はい》

「そこは大きい」


 人語を解し、迷宮の言葉に触れ、しかも交渉のような返しをする。


 ただの侵入者ではない。


 だが、ならばこちらにもやりようがある。


「余は、迷靄洞のロードである」


 そう名乗った瞬間、自分でも少しだけ胸の奥が熱くなった。


 以前なら、“ロード”と言うのに妙な引っ掛かりがあった。何だそれは、という感じが拭えなかった。だが今は違う。


 迷靄洞のロードだ。


 それは、余がここまで育ててきた自分の名乗りだ。


 来訪者は、フードの奥でわずかに目を見開いたようだった。


「……本当に名乗るんだ」

「問われたからな」

「変わってる」

「何がだ」

「普通はもっと隠そうとする」


 その言い方に、余は眉をひそめた。


 “普通のロード”を知っている口ぶりだ。


「おぬし」

 余は低く言う。

「ロードを知っておるな」

「うん」

「どうやって」

「森には森の見方がある」


 答えになっていない。


 だが、嘘とも言い切れぬ。


 来訪者はそのまま続けた。


「私は迷宮を“穴”としては見てない」

 足元の湿りを見る。

 ゆら灯蛍の揺れを見る。

 細穴を見る。

「中に意思がいて、育って、飢えて、消えるものだって知ってる」

「……」


 ぞくり、とした。


 今の言葉は、かなり踏み込んでいる。


 人間の冒険者がここまでロード視点に近い認識を口にすることは、まずない。せいぜい“核がある”“迷宮が活性化している”といった表現だ。


 だがこやつは違う。


 育つ。


 飢える。


 消える。


 その三つを並べた。


 それは余にとって、かなり近い感覚だった。


「管理音声」

《はい》

「本当に危ないな、こやつ」

《はい》

「知りすぎておる」

《はい》


 その危険さに対して、余の中で二つの感情が同時に膨らんでいた。


 一つは、当然警戒だ。


 知りすぎている者は危ない。


 迷宮の中へ入れてよい相手ではない。


 もう一つは――好奇心だった。


 知りたい。


 どうして知っている。


 “消えない迷宮”とは何だ。


 そして、なぜ余を探してきた。


 その時、入口側で再評価組が動き始める気配がした。


 まずい。


 会話に時間を使いすぎれば、外の四人が入ってくる。


 そうなれば盤が崩れる。


「森の民」

「……」

「おぬしが何を知っていようと、今は時がない」

 余は声を低く絞った。

「外に人間がいる」

「知ってる」

「知っておるのか」

「いたから、先に入った」


「……は?」


 また間の抜けた声が出た。


 先に入った?


 つまり、わざとか。


 外の再評価組より先に迷靄洞へ入り、余と話すために。


「おぬし」

「うん」

「かなり性格が悪いな」

「そうかも」


 否定しない。


 余は本気で少し呆れた。


 だが同時に、ますますただ者ではないとも思う。再評価組の気配を読んだ上で先に入ったのなら、森の感知も相当だ。


「なら手短に言え」

 余は切り替えた。

「“消えない迷宮”とは何だ」

「確定した言葉じゃない」

「何?」

「森の古い呼び方。滅びない迷宮、残る核、抜け道を持つ穴、いろんな言い方がある」

「……」


 耳慣れぬ言葉ばかりだ。


 だが共通しているのは一つ。


 普通なら消えるはずの迷宮が、消えぬということ。


「そんなものが、あるのか」

「たぶん」

「たぶん!?」


 思わず声が荒れた。


 重大なことを言うなら、そこはもっと確かにしろ。


 来訪者は、ようやく少しだけ困った顔をしたようだった。


「見たわけじゃない」

「ではなぜ言う」

「伝承と痕跡がある」

「痕跡」

「消えたはずなのに、消え切っていない迷宮の跡。森の奥に、少しだけ残ってる場所がある」


 余は黙った。


 それが本当なら、とんでもない話だ。


 迷宮は消える。


 ロードも消える。


 それが絶対の前提ではなかったのか。


 もし“少しだけ残る”ことがあるなら、それは余の生存戦略そのものを揺るがす。


「……なぜ余に」

「迷靄洞が、少し似てるから」


 その返答は、予想よりずっと速かった。


「何にだ」

「残りそうな迷宮に」


「……」


 余は、本当に意味が分からなかった。


「ふざけるな」

 思わず低くなる。

「余はまだEだかDだかそのあたりの弱小寄りだぞ」

「でも、残り方の筋は似てる」

「何を根拠に」

「噂」

「噂で!?」


 こやつ、本当に性格が悪いな。


 だが次の言葉で、余は少し黙った。


「前から喰う迷宮は、勝つか消えるかになりやすい」

 来訪者は静かに言う。

「でも、お前の迷宮は違う」

 ゆら灯蛍を見る。

 湿った壁を見る。

 細穴を見る。

「人の選択を削る。引き際を狂わせる。判断を裂く」

「……」

「そういう迷宮は、“全部が壊れても少し残る”形に育つことがあるって、森では言う」


 その言葉は、昨日の余の自己定義と妙に噛み合っていた。


 侵入者に正しく選ばせない迷宮。


 それが、残る迷宮の筋に似ている。


 そんな話を、今このタイミングでぶつけられると――揺れる。


 かなり。


「管理音声」

《はい》

「どう思う」

《情報不足》

「役に立たぬな」

《ただし》

「何だ」

《来訪者は、迷靄洞の中核をかなり正確に捉えています》

「……うむ」


 そこが厄介なのだ。


 全部が胡散臭い。


 だが、雑ではない。


 しかも、余が昨日掴んだ“迷靄洞の核”に妙に近い所を突いてくる。


 外から見ただけでそこまで言えるなら、ただの詐欺ではない。


 その時、入口側で剣士の声がした。


「入るぞ」

 再評価組だ。

「先行侵入者あり。内部異常も確認済み。慎重に進む」

「了解」

「記録開始」

「術式印、展開」


「……ちっ」


 余は舌打ちしたい気分になった。


 時間切れだ。


 外の四人が入ってくる。


 ここで森の来訪者と人間側評価組が接触すれば、何が起きるか分からぬ。最悪、こやつの存在が余計な方向へ広まる。


「森の民」

「うん」

「名を言え」

「じゃあ先に、私の条件」


 まだ条件を言うのか。


 かなり図太い。


「短くしろ」

「また来る」

「……」

「その時、もっと奥まで入れるなら、名前を言う」

「ふざけ――」


 言い終わる前に、来訪者は壁際へ一歩退いた。


 鼠が切る。


 灯りが揺れる。


 だが、その隙間を読むようにして、来訪者は細穴の連なる陰へ身を滑らせた。


「待て!」


 余が叫ぶ。


 グズが追おうとする。


 だが追えない。


 狭い。


 湿っている。


 そして来訪者は、まるで“迷宮側の動き”を読んでいるかのように、こちらの妨害が薄い角度だけを抜いていく。


「こっ、この……!」


 余は本気で焦った。


 逃がすのはまずい。


 だが追えぬ。


 しかも入口からは再評価組が迫っている。


「管理音声!」

《はい》

「見失うな!」

《追跡継続中》

「可能か」

《……完全には困難》

「くそっ!」


 数拍後、鼠から返ってきたのは、最悪でもあり最善でもある報告だった。


《対象、外周細路を逆用し離脱》

「外へ出たか」

《森側へ抜けました》

「……」


 余はしばらく黙った。


 逃げた。


 いや、“引いた”。


 必要なことだけ言って、再評価組とぶつかる前に離脱した。


 それはたぶん、最初からそうするつもりだったのだろう。


「……性格が悪い」

《はい》

「かなり」

《はい》


 だが、その置き土産は悪すぎる。


 消えない迷宮。


 残る核。


 残りそうな迷宮。


 そんな言葉だけを置いて消えるな。


 余の頭がぐちゃぐちゃになる。


「ロード」

 その時だった。

 管理音声が珍しく、少しだけ強く呼んだ。

《再評価組、入口通過》

「……うむ」


 切り替えねばならぬ。


 森の来訪者は消えた。


 だが今、迷靄洞にとって避けられぬ盤が始まる。


 再評価組だ。


 しかも先ほどの混乱を、あちらはある程度見ている。


「状況」

《四名、進入開始》

「先行侵入者の痕跡は」

《入口戦闘痕あり》

「隠せぬか」

《今からでは困難》

「なら逆に使う」


 余は一気に思考を切り替えた。


 森の来訪者のことは、いったん頭の隅へ押し込める。


 今は再評価。


 迷靄洞をどう見せるか。


 それだけに集中しろ。


「グズ、生きておるか」

「ギィ……」

 少し痛そうだが動ける。

「よい。下がれ。今日は無理をするな」

「ギィッ」

「鼠、入口痕跡を“何かが荒らした感”として散らせ」

「チチッ」

「灯りは消すな。だが最初から見せすぎるな」

《了解》

「今日は、迷靄洞の答え合わせだ」


 再評価組が、ゆっくりと中へ入る。


 剣士が転がるゴブリンを見て眉をひそめた。


「先行者、かなり手慣れてるぞ」

「二体を入口でほぼ瞬殺か」

 斥候。

「人間業?」

 記録板の男が息を呑む。

「断定不能」

 術者が低く言う。

「だが、対象迷宮そのものの変化ではない。戦闘痕は外部侵入者由来の可能性高」


 よい。


 少なくとも、すぐ迷靄洞の評価へ直結はさせていない。


 ならばこの四人には、迷靄洞本来の色をきちんと見せる。


 しかも、先ほどの異質な来訪者に正面突破された直後だからこそ、余は少し冷えていた。


 冷えている時の方が、妙に頭が回る。


「……よし」

 余は静かに言った。

「おぬしらには、余の迷宮を見せてやろう」


《王っぽいです》

「うるさい」


 だが、否定しきれぬ。


 さっきまで焦っていたはずなのに、今は妙に静かだ。


 森の来訪者が残した言葉のせいかもしれぬ。


 消えない迷宮。


 残る核。


 もしそんな道が本当にあるなら、余は今まで以上に生き残り方を考えられる。


 ならば、今この再評価もただの格付けではない。


 余がどんな迷宮として立つか、その一つの証明だ。


 剣士たちが進む。


 印を置く。


 灯りを警戒する。


 迷靄洞の湿りが、静かにそれを待っている。


 そして余は、白い部屋で静かに目を細めた。


 森の来訪者の正体は、まだ分からぬ。


 だが一つだけはっきりしている。


 今日の再評価が終われば、余はあの言葉を無視できなくなる。


 消えない迷宮。


 それは、余にとって最悪に危険で、最高に魅力的な誘いだった。

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