22話 来るはずではなかった四人
四人組は、最初からこちらへ来るつもりではなかった。
それは、足取りを見れば分かる。
森側から伸びてきた導線は一度、明らかに赤泥蟻穴寄りへ傾いている。だが途中で止まり、円を描くように外へ回り、結局こちら――湿臭洞窟の前へ流れてきた。
迷いの跡だ。
相談の跡だ。
嫌気の跡でもある。
「……また、ずれたな」
《盤面干渉の反動と推定》
「若い牙、やりすぎたか」
余は白い部屋の中央で、四人の様子を観察する。
盾持ちの男が先頭。
槍の女がその少し後ろ。
軽装二人は双子のように似ているが、よく見れば違う。片方は短剣、片方は投石具を持っている。
初めの三人組よりはまし。
だが、上等な編成ではない。
何より、洞窟の前で交わしている会話がよくない。
「本当にこっちでいいの?」
「向こうの虫穴よりマシだろ」
「マシってだけで決めるの怖いんだけど」
「赤いのが足元に群がるよりはマシだ」
「……まあ、湿ってるだけなら」
「……」
余は、わずかに口元を上げた。
来るはずではなかった四人。
だが、だからこそ弱い。
こちらを調べて来たわけではない。赤泥蟻穴を避けた結果、比較で“マシそう”という理由で流れてきた。つまり、頭の中にある脅威基準がこちら用に整っていない。
これは使える。
「管理音声」
《はい》
「落ち着いていこう」
《最初の頃より進歩しています》
「毎度言うな」
《事実です》
だが実際、落ち着いていた。
怖くないわけではない。四人は四人だ。半端者でも数が増えれば、それだけで事故は起きやすい。
だが今の余には、迷宮の形がある。
足を止め、息を乱し、視界を曇らせ、道を狂わせる。
やることは決まっていた。
「グズ」
「ギィ」
「今度は入口側では噛むな。通せ」
「ギィ?」
「四人は自分で乱れる。余計に押すな」
「ギィッ」
「鼠は後ろの軽装を離す。茸はまだ待て。苔は戻りで効かせる」
《指示整理、妥当》
「当然である」
四人は、慎重そうな顔だけはして洞窟へ入ってきた。
だが、その慎重さは表面だけだ。
実際の動きにそれが噛み合っていない。
盾持ちの男は前しか見ない。
槍の女はそれなりに冷静だが、他三人への信頼が薄い。
短剣持ちは軽い。投石具の男は落ち着きがなく、すぐ後ろを振り返る癖がある。
「嫌な湿気」
「静かに」
「赤い虫は出ないよな?」
「今は見えない」
「見えないって言い方やめてくれよ」
よい。
実に、よい。
赤泥蟻穴の不快感がまだ頭に残っている。つまり、こやつらの意識は半分あちらへ持っていかれている。
目の前の湿臭洞窟に集中しきれておらぬ。
「入口ゴブリン、二体だけ見せろ」
「ギィッ」
ゴブリンが二体、わざと少し離れて姿を見せる。
「あ、いた」
「少ないな」
「少なく見えるだけかも」
「まず一匹落とす」
盾持ちが前へ出る。
槍の女は止めようとはしなかった。止めても聞かぬと分かっているのだろう。つまりこの四人、統率が弱い。誰かが強く引っ張る形ではなく、それぞれが“このくらいなら”で動いている。
そういう連中は崩しやすい。
まず、最初の泥が軽く足裏を取る。
盾持ちが舌打ちをする。
「……滑るな」
「だから言った」
「黙ってろ」
そこで鼠を一匹、短剣持ちの足元へ走らせる。
「うわっ!」
「鼠か!?」
「ただの鼠で騒ぐな!」
怒鳴り声。
苛立ち。
小さな乱れ。
その“ただの小さな乱れ”が、余の迷宮では重要なのだ。
「投石具持ち、落ち着きがないな」
《後方要員として不適》
「狙える」
ゴブリンが再び姿を見せ、すぐ引く。
盾持ちが追う。
槍の女は半歩遅れる。
短剣持ちは鼠を目で追い、投石具持ちは後ろの暗さを気にして振り返る。
四人で一つの塊として進めていない。
「グズ、まだだ」
「ギィ……」
「待て」
「ギィッ」
グズはやや不満そうだが、耐えている。
よい兆候だ。
前ならここで飛び出していたかもしれぬ。だが今は、“待って噛む”ことを少し覚え始めている。
四人は新小部屋手前へ差しかかった。
調整した泥化帯が、じわりと効き始める位置だ。
「なんか床、嫌だな」
「帰るほどじゃない」
「でも、向こうよりはマシだし」
「比較するな。前見ろ」
向こうよりはマシ。
その判断が、今のこやつらの軸だ。
ならば、そこを折る。
「石、一発」
「ギィッ!」
投石具持ちの肩へ、小石が当たる。
「いっ!?」
「右だ!」
「どこから!?」
視線が散る。
そこでゴブリンが左から顔を出す。
短剣持ちが反応して踏み込む。
足が流れる。
「うおっ」
「だから前見ろって!」
「前も後ろもあるか!」
口調が荒れる。
仲間同士の苛立ちが出始めた。
ここからだ。
「茸、半開き準備」
《待機》
「苔、戻り導線で保持」
《保持中》
盾持ちが無理に前へ出る。
槍の女は今度こそ「深追いするな」と言った。だが、その声は遅い。盾持ちはもう踏み込み、泥を踏み、体勢を崩し、そこへグズが飛ぶ。
「ギィィッ!」
「っ!」
棍棒が盾に当たる。
致命傷にはならぬ。
だが、盾持ちは踏ん張りきれず片膝をついた。
「今だ」
余が低く言う。
「後ろを崩せ」
鼠が二匹、同時に投石具持ちと短剣持ちの足元を横切る。
「またかよ!」
「ちっ、気色悪い!」
槍の女が隊列を立て直そうとする。
「下がるならまとまって! 前は起きて! 後ろは騒ぐな!」
この女が一番ましだ。
だが、ましな一人で三人は支えきれぬ。
「茸」
《半開き開始》
旧小部屋手前のポフキノコが、ふわりと胞子を吐く。
濃くはない。
咳き込むほどでもない。
だが、焦りの中では十分うっとうしい。
「ごほっ」
「なんだ今度は!」
「下がる、いったん下がる!」
「くそっ、やっぱ向こうよりマシじゃねえ!」
「……そこである」
余は静かに呟いた。
比較が折れた。
向こうよりマシ、という仮の安心が、今ここで崩れた。ならば人は一気に弱くなる。より良い選択肢を求めて来た者は、その前提が壊れた瞬間に迷う。
そして迷いは、余の迷宮では死に近い。
「戻らせろ。だが、楽には戻すな」
「ギィッ!」
ゴブリンは追いすぎず、見せては引き、引いては石を投げる。
鼠が戻り導線を横切る。
短剣持ちが壁を支えにしようとして、苔スライムへ手をついた。
「うわっ、なんだこれ、ぬめっ!?」
「壁使うな!」
「先に言え!」
良い。
実に良い。
戻りは前進より乱れる。
焦っているからだ。助かったと思いかけるからだ。出口を見た瞬間、人は判断が粗くなる。
そこへ苔が効く。
湿りが効く。
鼠が効く。
茸の残り香が効く。
そして最後に、入口近くでわざとゴブリン二体を立たせる。
「まだいる!」
「押し通れ!」
「向こうよりマシとか言ったの誰だよ!」
「今それ言うな!」
口論。
盾持ちは苛立ち、槍の女は怒鳴り、後ろ二人は半ば逃げ腰だ。
そのまま四人は、どうにかこうにか入口から転がり出る。
追わぬ。
追う必要がない。
十分に乱した。
十分に刻んだ。
十分に“比較で来るな”と教えた。
「……止め」
「ギィ」
「よい。十分だ」
静かになった洞窟で、余はゆっくり息を吐いた。
《低損耗、高効率撃退》
「うむ」
《指揮安定》
「……そう何度も褒めるな」
《事実です》
だが、実際に今の撃退は、前回の頃とはかなり違った。
慌てていない、とは言わぬ。
内心ではまだ少しひやりとする場面もあった。槍の女がもう少し強く統率していれば危なかったかもしれぬし、盾持ちが思いのほか粘ればグズが怪我をしたかもしれぬ。
だが、余は最初から最後まで“どう崩すか”の流れを持っていた。
それが大きい。
「……余は少し、主らしくなったか」
《かなり》
「おぬし基準は信用ならぬ」
《新聞短報でも確認できます》
その言葉に、余はすぐ新聞を開いた。
まだ洞窟からそう離れていないのか、逃げた四人の一部は外で揉めている。監視鼠越しに聞こえる声と、地域短報の更新がほぼ重なった。
⸻
【地域短報】
・近隣低位迷宮にて、流入四名組の撃退報告
・生還者証言:“赤い虫の穴も嫌だが、湿った洞窟はもっと嫌だ”
・周辺採集者間で“今日はやめておけ”の声あり
⸻
「……」
余はしばらく黙り、それから小さく笑った。
「もっと嫌だ、か」
《評価としては成功です》
「嬉しいような、嫌なような」
《迷宮としては良好です》
「うむ」
実際、悪くない。
人間の好感を得たいわけではない。むしろ嫌がられる方が、迷宮としては正しい場面も多い。とくに、軽く覗くつもりの半端者に対しては、“やめておけ”と思わせるのも一つの防御だ。
もちろん、人が全く来なくなっても困る。
だが、“来るべきでない質の流入”を弾き、“来るなら覚悟して来い”という空気を作るのは、長い目で見れば有効かもしれぬ。
「管理音声」
《はい》
「盤面が少し変わるぞ」
《はい》
「赤泥蟻穴が嫌で流れた四人が、今度はこちらの嫌さを広める」
《波及の二次効果です》
「どちらに寄るか、少し読みにくくなるな」
《その通りです》
つまり、盤面は単純な奪い合いではない。
赤泥蟻穴が押しすぎれば人は逃げる。
余が嫌らしすぎればこちらも避けられる。
どこまで不快を高め、どこで止めるか。その加減まで含めて盤面なのだ。
「……難しいな」
《だから面白いのでしょう》
「うむ」
否定できぬ。
そして、それを認めた自分に少し驚く。
最初はただ生き残りたかった。
今もそれは変わらぬ。
だが、そこへ“どういう形で生き残るか”“どう盤面を引くか”という面白さが確かに加わっている。
余はもう、ただ怯えているだけではない。
少しずつ、迷宮の主として世界を読もうとしている。
その時、交流欄が更新された。
⸻
【交流欄・短報】
・“朽縄井戸”井守:辺境の湿り、ちょっと嫌らしくなってきたね
・“玻璃宮の姫”:最初からそうでしたわ
・“朽縄井戸”井守:最初はもっと慌ただしい嫌さだったよ
・“灰冠のロード”:迷宮の形が出たな
・“誰か”:お、評価高い
・“赤泥蟻穴”:……
⸻
「……」
余はその“……”を見て、少しだけ口元を上げた。
吠えぬな。
つまり、効いている。
四人組がどちらから流れたか、あやつも気づいているのだろう。自分が押しすぎた結果、こちらへ流れ、しかも撃退され、短報まで出た。
若い牙としては、面白くないはずだ。
「管理音声」
《はい》
「少し優勢か」
《断定はまだ早いです》
「分かっておる」
《ただし、一手分は取りました》
「……よい言い方だな」
一手分は取った。
その程度が、今の余にはちょうどよい。
勝ったと大騒ぎするのは浅い。
だが、一手を取れたことを認めぬのも違う。
「よい」
余は窓の向こうを見た。
湿った床。
壁際の苔スライム。
茸の残り香。
石を拾い直すゴブリン。
走り回る鼠。
全部が、今しがた四人を崩すために噛み合っていた。
この感じだ。
これが、余の迷宮の勝ち方だ。
そこを確かめられたのが、何より大きい。
「……次は、向こうも考えるであろうな」
《可能性高》
「若い牙は、ただ吠えるだけではない」
《はい》
「ならばこちらも、次の手を持つ」
そう呟いた時、自分の声が少しだけ低く、落ち着いて聞こえた。
配下の前でなくとも、余は少しずつ堂々としてきているのかもしれぬ。
まだ完全ではない。
内心では今も、予定外が来ればびくりとする。
だがそのびくりを、すぐ盤面へ変換できるようになってきた。
それが、王っぽさというものなのかもしれぬ。
「……面白いではないか」
洞窟の奥で、余は静かに笑った。
来るはずではなかった四人は、余の迷宮にとってちょうどよい試金石になった。
盤面のずれ。
比較で流れてくる侵入者。
外の嫌さと内の嫌さ。
その全部が繋がった。
そして、繋がった以上、次はもっと深く読める。
若い牙が次にどこを噛むか。
余はそれを待つだけではなく、迎える形まで選べるようになりつつあった。




