第130話 鑑定士は、宝箱に見返される
キト・ラウが死んだ。
ガルド・ロークが死んだ。
暁秤は、五人から三人になった。
普通なら、崩れる。
斥候を失い、盾役を失った。
帰路を読む目と、前線を支える壁を失った。
普通のパーティなら、そこで叫ぶ。
怒る。
混乱する。
死体を取り戻そうとして、さらに死ぬ。
だが。
Aランクは、そこで終わらなかった。
「セリア」
ユーファ・ベルが、魔導板を握り直した。
顔は青い。
声も震えている。
だが、術式は乱れていない。
「キトの記録、半分は読まれた。ガルドの防御癖も読まれた。ここから先、過去の記録は罠になる」
「分かった」
セリア・リンドは短く答えた。
双剣を下ろさない。
怒りで踏み込まない。
マルク・セーヴァの聖鎖は、まだ白く光っている。
彼はガルドの沈んだ泥を見た。
キトの血が染みた床を見た。
そして、祈らなかった。
代わりに、鎖を一度だけ鳴らした。
「撤退ではなく、再計量します」
「再計量?」
ユーファが横目で見る。
「この迷宮は、こちらが退くと読んでいる。なら、退路を固定する前に、戦場の値を変えます」
セリアが頷いた。
「暁秤陣、三点残光」
三人の立ち位置が変わった。
セリアが前。
ユーファが左後方。
マルクが右後方。
単純な三角形ではない。
どこを攻めても、残り二人が支える角度。
逃げるためではなく、壊すための陣形。
余は白い部屋で、思わず低く呟いた。
「……ここからが本番か」
《Aランクパーティ、戦術形態を変更》
「分かっている。油断するな」
《はい》
フィルエの声が森灰観測室から届いた。
「ロード」
「何だ」
「私、出る」
「まだ傷が」
「塞がった」
「痛むだろう」
「痛む。でも、あの聖鎖師は放っておけない」
マルクの鎖は、さっきから迷宮の奥を探っていた。
帰路だけではない。
契約線。
命脈契約。
フィルエと余を繋ぐ線。
そして、さらに奥、夜棺白庭へ沈めた古血の契約。
まだ見えてはいない。
だが、探ろうとしている。
それは、絶対に許せない。
「出ろ。ただし、前に出すぎるな」
「うん」
「無茶は」
「少しだけ」
「するなと言っている!」
返事の代わりに、森灰観測室の扉が開いた。
フィルエが白磁床へ足を下ろす。
肩から背にかけて、灰色の命脈紋が淡く光る。
彼女の周囲に、森灰の細い線が広がった。
それは糸ではない。
根でもない。
マナの流れを見て、そこへ灰を置き、迷宮の呼吸をずらす観測網。
《森灰観測網、戦闘展開》
管理音声が告げた。
フィルエの瞳が細くなる。
「マルクの鎖、見えてる」
「止められるか」
「止めるんじゃない。別のものを測らせる」
フィルエが指を動かす。
浅層から中層へ向かう白磁壁の一部に、偽の契約線が走った。
ただの魔力ではない。
本物の命脈契約に似せた、偽の脈。
マルクの聖鎖が、一瞬そちらへ引かれる。
「偽装」
マルクがすぐに気づいた。
「ですが、精巧です。迷宮内に観測者がいます」
ユーファの目が輝いた。
「やっぱり! 迷宮そのものじゃない。別の知性がいる」
「余計なことに気づくな!」
余は思わず叫んだ。
もちろん、人間どもに声は届かない。
届かせない。
フィルエは静かに言った。
「ユーファも危ない。あの人、宝箱を見すぎる」
「次はユーファだ」
「うん。私も手伝う」
◇
灰白小宝庫の奥に、白磁偽財殿が開いた。
そこは、まだ正式運用していない部屋だった。
白磁庭園から奪った白い回廊を、宝物室に見せかけた偽の財殿。
床は白い。
壁も白い。
奥に宝箱が一つ。
その周囲に、白磁花が静かに咲いている。
あまりにも綺麗だ。
だから罠だと分かる。
だが、罠だと分かっても、見なければならない者がいる。
魔導鑑定士、ユーファ・ベル。
「行くな」
セリアが言った。
「見るだけ」
「その“見るだけ”で死ぬ迷宮だ」
「分かってる」
ユーファは魔導板を二枚重ねた。
一枚は鑑定用。
もう一枚は反射防止用。
さらに、自分の片目に青い薄膜をかける。
「魔導鑑定・逆秤眼」
彼女の目に、青白い秤の紋が浮かんだ。
部屋の中の価値が、線として見える。
白磁床。
灰霧残滓。
宝箱。
花粉。
隠れた影糸。
戻り水。
偽の高価値反応。
ユーファは、それらを一つずつ切り分けていく。
「見せかけの宝物室。箱の価値は中程度。周囲の白磁花は罠。床の一部が戻り水で濡れてる。影糸は天井じゃなく床の反射。……でも」
彼女は笑った。
「宝箱そのものは、本物」
余は舌打ちした。
「見抜きすぎだ」
《高精度鑑定術式です》
「なら、見返す」
《正式宝箱機能、鑑定返しは未完成です》
「完成させるために使う」
《危険です》
「ユーファを帰す方が危険だ」
宝箱の紋が光った。
だが、ユーファは引かない。
むしろ魔導板を前へ出す。
「来る。鑑定返し」
彼女は待っていた。
宝箱が鑑定を返す、その瞬間を。
「魔導式・価値剥離」
ユーファの魔導板から、青い薄刃が走る。
それは攻撃魔法ではない。
宝箱に付与された迷宮価値を、一枚ずつ剥がす術式だった。
白磁外殻の価値。
中身の価値。
罠の価値。
記録の価値。
そして、所有印の価値。
剥がされる。
見られる。
切り分けられる。
《正式宝箱一基、機能低下》
「やらせるか!」
余は白磁花を開かせた。
白い花粉が舞う。
だが、ユーファは小瓶を投げた。
「灰霧封じ、応用」
小瓶が割れる。
灰色の薄膜が広がり、白磁花粉を包む。
花粉が空中で固まり、落ちた。
「こいつ、こちらの宝を使っているぞ!」
《以前流通した灰霧封じの小瓶に近い構造です》
「人間に使わせるための宝だが、迷宮内で使われると腹が立つな!」
セリアが前へ出る。
「ユーファ、あとどれくらい」
「十秒」
「五秒で済ませろ」
「無茶言う!」
ガルドはいない。
キトもいない。
それでも、セリアは前衛を一人で受け持った。
双剣が白磁床を叩く。
「暁秤剣・零線」
セリアの剣が、床に走る罠線を斬った。
戻り水の流れが一瞬止まる。
影糸が断たれる。
白磁花の根が切られる。
ただの剣技ではない。
罠線を読んで切る技。
Aランクの技だ。
「強いな」
《はい》
「だが、前に出たな」
フィルエが動いた。
森灰観測網が、セリアの足元ではなく、ユーファの鑑定線へ絡む。
鑑定とは、見ること。
見るためには、対象と自分を結ぶ線がある。
フィルエはその線を見ていた。
「そこ」
フィルエの指が、軽く曲がる。
ユーファの魔導板に、存在しない価値が映った。
白磁花の奥。
宝箱の下。
そこに、ありもしない高価値核。
ユーファの目が一瞬だけ動く。
「何かある」
セリアが叫ぶ。
「見るな!」
しかし、鑑定士は見てしまう。
価値があると見えたものを、見ずにはいられない。
ユーファは、ほんの一瞬だけ深く覗いた。
その瞬間、宝箱が見返した。
《鑑定返し、成立》
宝箱の紋が、青白く反転した。
ユーファの逆秤眼に、偽の価値ではない、迷宮そのものの欲が流れ込む。
白磁庭園を喰った記録。
銀刻の五人を喰った記録。
白灰匣の噂。
白銀磁片の値札。
人間どもが宝を見た時の目。
それらが一気に、鑑定士の目へ流れた。
「っ、あああああ!」
ユーファが片目を押さえる。
魔導板が割れる。
だが、彼女は倒れない。
「まだ!」
血を流しながら、彼女は術式を組み直した。
「魔導式・等価爆砕!」
宝箱の価値を爆ぜさせる魔法。
宝箱そのものを破壊し、その価値分の衝撃を周囲へ放つ術式。
まずい。
宝箱を爆弾にされた。
「フィルエ!」
「押さえる!」
フィルエの森灰網が宝箱を包む。
だが、ユーファの術式は強い。
正式宝箱の価値が膨れ上がる。
中身。
罠。
外殻。
所有印。
全部が爆発の価値に変わる。
「白磁床を沈めろ!」
《戻り水、展開》
宝箱の下に戻り水が走った。
価値の爆発を、床下へ落とす。
白磁床が割れる。
灰霧が噴く。
白磁花が吹き飛ぶ。
宝箱が砕けた。
《正式宝箱一基、破壊》
《白磁偽財殿、損傷率31%》
「高いぞ、被害が!」
《Aランク魔導鑑定士による術式です》
「分かっている!」
だが、ユーファも無傷ではなかった。
鑑定返しを受け、等価爆砕を強行した反動で、右目が完全に濁っている。
セリアが彼女を引こうとする。
「ユーファ、下がれ!」
「無理。もう見た」
ユーファは笑った。
血まみれで。
「この迷宮、宝を見せてるんじゃない。宝を見る目を育ててる」
余は少し黙った。
「……本当に見すぎる女だ」
ユーファは割れた魔導板の欠片を握った。
「セリア、帰ったら言って。宝箱は触るな。鑑定も深くするな。あれは、見てくる」
「自分で言え」
「無理かな」
フィルエの森灰網が、ユーファの足元へ伸びる。
セリアがそれを斬る。
だが、斬った場所から灰が舞い、ユーファの視界を白くする。
マルクが浄化鎖を投げた。
「聖鎖・視界結び」
鎖がユーファの目元へ伸び、灰を払う。
だが、宝箱の砕けた紋が、その鎖に絡んだ。
鑑定返しは、まだ終わっていない。
ユーファが見た価値が、彼女自身に残っている。
そこへ、白磁花粉が流れ込む。
今度は目ではない。
彼女の魔導回路へ。
「ユーファ!」
セリアが踏み込む。
間に合わない。
ユーファの胸元で、割れた魔導板が光った。
価値を量る板。
それが、霧灰白庭迷宮の宝箱に見返され、逆に量られた。
そして、過負荷で砕けた。
破片が彼女の胸を内側から裂いた。
《Aランク魔導鑑定士:ユーファ・ベル、討伐》
《獲得ソウル:1,360》
《取得:魔導鑑定核、錬金術式の残滓、鑑定眼の記憶片、宝物価値測定板》
白い部屋に表示が浮かぶ。
1,360。
三人目。
ユーファを喰った。
同時に、床に新しい通知が走る。
《迷宮宝物庫機能、追加特性を取得》
《新特性:鑑定返し》
《効果:宝箱、報酬品、灰白採取物に対する鑑定術式へ、偽価値、過剰価値、罠情報の一部偽装を返すことが可能になります》
「よし」
余は低く言った。
代償は宝箱一基と、白磁偽財殿の損傷31%。
安くはない。
だが、鑑定士を喰い、宝物庫機能が進んだ。
十分だ。
セリアはユーファの死体を見た。
マルクも見た。
二人だけになった暁秤。
だが、まだ崩れない。
セリアの双剣が、静かに下がる。
マルクの聖鎖が、白く強く光る。
「撤退する」
セリアが言った。
「できるならな」
マルクが答える。
その声には、祈りではなく怒りがあった。
聖鎖が、迷宮の床に深く刺さる。
「聖鎖・帰還錨」
白い鎖が、入口方向へ伸びた。
今までで一番強い帰路固定。
帰路喰らいの落武者の影が、白い部屋の奥で反応する。
刃が鳴った。
余は笑った。
「次はマルクだ」
フィルエが静かに頷く。
「私も行く」
「無理は」
「しない。でも、あの鎖は、私がずらす」
残る暁秤は二人。
セリア・リンド。
マルク・セーヴァ。
Aランクの隊長と、聖鎖師。
帰ろうとする二人。
ならば、ここからが帰路喰らいの時間だ。
「行くぞ」
余は白い部屋で命じた。
「帰り道を、喰え




