第123話 小さな欲は、足を止める
灰白採取物。
名前は安直だ。
だが、安直でも役に立てばよい。
白磁花粉の結晶。
灰霧石。
影糸の切れ端。
赤錆噛みの抜け牙。
戻り水を吸った小石。
白磁床の薄い剥片。
どれも、ひとつひとつは大した宝ではない。
だが、外の錬金術師や魔道具職人が見れば、少しは欲しがる。
少し欲しがる。
ここが重要だ。
死ぬほど欲しい宝なら、人間は無茶をする。
まったく価値がないなら、拾わない。
だから、浅層に散らすものは、少し得をする程度でいい。
「管理音声」
《はい》
「灰白採取物の配置は」
《浅層入口から灰霧回廊までに、合計二十七点を配置済み》
「多すぎないか」
《一見して拾えるものは六点のみ。残りは壁際、泥中、白磁片の陰、影糸の近くに配置しています》
「よし」
余は白い部屋の壁面を見た。
浅層の通路に、小さな光が点々とある。
白い粉の結晶。
灰色の小石。
黒い糸の切れ端。
錆色の牙。
どれも、人間なら手を伸ばしたくなる位置にある。
だが、拾うには少しだけ屈まねばならない。
少しだけ仲間から目を離さねばならない。
少しだけ道を外れねばならない。
少しだけ、足を止めねばならない。
その「少し」が、迷宮では命を削る。
「フィルエ」
「うん」
「これで人間は止まるか」
「止まる」
「本当にか」
「落ちてるものを見ると、止まる」
「人間は落ちているものを拾うのか」
「拾う」
「罠かもしれなくても?」
「拾う」
「箱だけではなく、床のゴミまで拾うのか」
「価値があると思えば」
余は少し沈黙した。
人間の欲は、箱より細かいところにも宿るらしい。
宝箱を置くことばかり考えていたが、足元に落ちた小さな価値の方が、かえって厄介かもしれない。
なぜなら、宝箱は警戒される。
だが、落ちている小片は油断される。
「では、拾わせよう」
《外縁部に反応》
「来たな」
《冒険者、四組。合計十三名》
「増えたな」
《噂の拡大によるものです》
「ランクは」
《EからCランクまで混在。Cランク相当は三名。Dランクが多数。Eランクも二名確認》
「Eは帰せ」
《入口威圧を強化します》
「Dは少し痛めて選別。Cは浅層へ通せ」
《承知しました》
壁面に、森の外縁が映る。
人間が多い。
非常に多い。
装備もばらばらだ。
古い革鎧。
新しいが安物の剣。
借り物らしい盾。
妙に高そうな採取袋。
小瓶を大量にぶら下げた錬金術師見習い。
あきらかに迷宮慣れしていない若者。
そして、遠巻きに見ている数人。
入る者。
入らない者。
様子を見る者。
戻ってきた者から話だけ聞こうとしている者。
霧灰白庭迷宮の外が、少しだけ市場のようになり始めていた。
「……入口の前で商売を始めそうだな」
《可能性があります》
「許可していないぞ」
《外部領域です》
「不便だな!」
その中に、ニル・カートはいなかった。
今日は来ていない。
白銀磁片を持ち帰ったばかりだ。
さすがに休んでいるか、あるいは次の準備をしているのだろう。
その方がいい。
ニルはまだ育てる。
いや、育てるではない。
継続誘導対象だ。
「今いる人間どもには、灰白採取物を試す」
《はい》
「殺しすぎるな」
《殺傷性を浅層基準へ調整します》
「ただし、舐めた者は痛めろ」
《はい》
霧が開く。
最初に入ったのは、Dランクらしき四人組だった。
前衛、短剣、弓、採取袋持ち。
全員、顔に欲が出ている。
恐怖もある。
だが、欲の方が少し勝っている。
「白い箱は見つけたら触るなよ」
「でも中身は欲しいだろ」
「箱じゃなくて、今日は落ちてるやつだ。白い欠片とか灰色の石とか、それだけ拾って帰る」
「そんなもので金になるのか?」
「白い花片が銀貨四十八枚だぞ。小さいのでも銀貨にはなる」
余は頷いた。
「そうだ。そう思え」
《誘導成功》
「まずは見つけやすいものを拾わせろ」
《白磁花粉結晶、一点露出》
白い壁の足元に、小さな結晶が落ちている。
白磁花粉が固まったものだ。
光を受けると、微かに白く輝く。
採取袋持ちがすぐに気づいた。
「これじゃないか?」
「触るな、棒で」
「小さいな」
「小さくても売れるかもしれないだろ」
棒でつつく。
何も起きない。
袋に入れる。
何も起きない。
四人が、少しだけ笑った。
その笑いを見て、余も笑った。
「一つ目は無事に拾わせる」
《はい》
「二つ目で迷わせる」
《灰霧石を配置済み》
灰霧石。
灰霧を吸った小さな石だ。
地味だ。
だが、魔術師や錬金術師には価値があるかもしれない。
問題は、それが通路の少し横に落ちていることだった。
拾うには隊列を崩す必要がある。
採取袋持ちが気づいた。
「右にある。灰色の石」
「やめとけ。道から外れるなって言われただろ」
「でも、見えてる」
「見えてるから罠なんだろ」
よし。
人間が学習している。
だが、欲もある。
採取袋持ちは少しだけ迷った。
そして、一歩、道を外れた。
「愚か」
余は低く呟いた。
《影糸準備》
「殺すな。足だけだ」
《はい》
灰霧石を拾った瞬間、通路の壁から細い影糸が伸びた。
採取袋持ちの足首に絡む。
「うわっ!」
転ぶ。
袋が開く。
さっき拾った白磁花粉結晶が床に転がる。
「だから言っただろ!」
「引け、引け!」
仲間が引く。
影糸は強くない。
切れる。
だが、切るには数秒かかる。
その数秒の間に、霧が少し濃くなる。
遠くでゴブリンが笑う。
「ギギ」
「近いぞ!」
「石は捨てろ!」
「嫌だ!」
「命と石どっちが大事だ!」
「売れる方!」
「馬鹿か!」
素晴らしい。
人間は本当に面白い。
結局、採取袋持ちは灰霧石を握ったまま、仲間に引きずられて戻った。
足首には細い傷。
命はある。
拾得物もある。
恐怖もある。
「良い」
《浅層採取物、二点取得》
「三点目は危険を上げる」
《赤錆噛みの抜け牙を配置済み》
赤錆噛みの抜け牙は、少し価値が高い。
武具職人や罠師が欲しがる。
ただし、抜け牙が落ちている場所には、赤錆噛み本人が近くにいる。
いや、本人ではない。
同族だ。
人間から見れば違いは分からぬ。
弓使いが見つけた。
「牙だ」
「何の」
「赤い。金属を噛むやつじゃないか?」
「それ売れるのか?」
「たぶん」
「拾うなよ」
「いや、牙なら軽いし」
そう言って、弓使いが屈んだ。
その背中。
矢筒。
金具。
「赤錆噛み」
《待機中》
「噛め」
赤錆噛みが壁の割れ目から飛び出した。
かり、と矢筒の留め具を噛む。
「またかよ!」
弓使いが叫んだ。
前にも別の弓使いが矢筒を失っている。
噂は聞いていたはずだ。
だが、自分の時は大丈夫と思う。
人間らしい。
留め具が外れ、矢が落ちる。
弓使いは牙を拾い、矢を諦め、泣きそうな顔で仲間に押されて戻った。
「もう帰るぞ!」
「まだ三つ拾っただけだろ!」
「三つ拾って矢を失ったんだぞ!」
「黒字か?」
「知らねえよ!」
四人は揉めながら戻る。
命はある。
採取物はある。
損失もある。
恐怖もある。
ちょうどいい。
《一組目、撤退》
「よし。生還させろ」
《帰路を軽くします》
次に入ったのは、Eランク混じりの二人組だった。
入ってすぐ、牙跡を見て硬直する。
霧の中で、存在しない大型獣の影が揺れる。
さらに、マネが何を思ったか、低い唸り声を出した。
「グルルル……」
二人は同時に悲鳴を上げた。
そして逃げた。
「……早いな」
《Eランク相当です》
「よし。あれは帰してよい」
《恐怖噂を持ち帰ります》
「ついでに、入口で転ばせろ」
《泥滑りを軽く起動》
二人は逃げる途中で転び、泥だらけになり、さらに大声で叫びながら外へ出た。
よし。
あれはもう来ないかもしれない。
だが、話すだろう。
霧の中に大きな獣がいた、と。
間違いだ。
だが、噂としては強い。
次に入ったのは、Cランク相当の二人だった。
男と女。
軽装だが、動きが良い。
採取袋ではなく、封印布と鑑定小板を持っている。
宝目当てというより、素材調査寄りか。
「こいつらは少し慎重だな」
《Cランク相当。素材採取経験あり》
「殺すな。少し奥へ入れろ」
《承知しました》
二人は白磁花粉結晶を見つけても、すぐには拾わなかった。
周囲を確認する。
魔力の流れを見る。
床の湿りを調べる。
それから、封印布で包んだ。
「ここの素材、かなり混ざってる」
女が言った。
「白磁系なのに灰が噛んでる。水もある。普通じゃない」
「売れるか?」
「売れる。でも、ギルドが先に押さえるかも」
「じゃあ今のうちか」
「今のうち」
余は少し眉をひそめた。
ギルド。
やはり絡んでくるか。
個人の冒険者が拾うだけならよい。
だが、組織が採取権を管理しようとすると面倒になる。
「フィルエ」
「うん」
「ギルドが採取制限をかける可能性は」
「ある」
「面倒だな」
「でも、制限すると価値が上がる」
「……なるほど」
採取許可証。
高額素材。
危険指定。
専属パーティ。
そうなれば、入る人間は減るかもしれない。
だが、その分、来る者の質は上がる。
そして素材価値も上がる。
悪いことばかりではない。
「なら、ギルドが欲しがる程度には出す。だが、独占できるほどは出さない」
《調整が必要です》
「調整しろ」
《はい》
Cランク二人組は、灰霧石、白磁花粉結晶、影糸の切れ端を拾った。
影糸の切れ端には、小さな罠を仕込んでいた。
拾うと、手袋に糸が絡む。
強く引けば指を切る。
丁寧に外せば傷は浅い。
女は丁寧に外した。
「焦らないな」
《経験があります》
「良い。帰せ」
《追撃なし》
二人組は帰った。
手堅い。
恐怖は少ない。
だが、素材の価値を見ていた。
あれは商人やギルドへ情報を流す。
別の意味で広告塔になる。
「今日はよく育つな」
《採取型報酬構造が機能しています》
「まだ正式な宝物庫機能ではないのだろう」
《はい。現在は代替構造です》
「代替でこれなら、正式解放後はかなり面白そうだな」
《危険でもあります》
「分かっている」
その時、浅層の奥で問題が起きた。
またゴブリンかと思った。
違った。
Dランクの一人が、仲間から離れていた。
灰霧石を追って横道へ入りすぎたのだ。
仲間は気づいていない。
本人も、まだ戻れると思っている。
だが、横道の奥には戻り水の浅い溜まりがある。
入れば足跡が写る。
さらに進めば、影縫い大蜘蛛の小糸場だ。
「これは死ぬな」
《高確率で死亡します》
「死なせるか?」
《生還者としての価値は低いです》
「だが、死体は宣伝しない」
《死亡痕跡は恐怖噂になります》
「うむ……」
迷った。
これは試験だ。
拾得物に夢中になり、仲間から離れた者がどうなるか。
その答えを迷宮が出す必要がある。
全員を生かすと、舐められる。
だが、殺しすぎると宝の噂が恐怖に潰される。
「殺すな。だが、ひどい目に遭わせろ」
《具体的には》
「片靴を奪え。採取袋を裂け。髪を少し糸で切れ。血は出していい。骨は折るな」
《詳細な加減ですね》
「成長しただろう」
《はい》
横道に入った男は、灰霧石を拾った瞬間、足元の戻り水に足を取られた。
転ぶ。
採取袋が裂ける。
拾った小片が散る。
上から影糸が降りる。
「うわああああ!」
叫ぶ。
仲間が気づく。
助けに来る。
だが、そこへゴブリンの笑い声。
さらに、マネが余の声で叫んだ。
『食うな!』
「今それを言うな!」
『今それを言うな!』
迷宮内の混乱はともかく、人間側には効果があった。
「何か喋ったぞ!」
「ロードの声だ!」
「食うなって何だよ!」
「知らねえよ!」
仲間たちは男を引っ張り出した。
片靴を失い、採取袋を裂かれ、髪の一部を切られ、顔を泥だらけにして。
だが、生きている。
「帰るぞ!」
「でも拾ったのが――」
「帰るんだよ!」
いい判断だ。
その組も撤退した。
結果として、今日は四組すべてが生還した。
ただし、全員が何かを失った。
盾の金具。
銅貨。
矢。
足鎧。
片靴。
採取袋。
誇り。
そして、少しだけ冷静さ。
代わりに持ち帰るものもある。
白磁花粉結晶。
灰霧石。
影糸の切れ端。
赤錆噛みの抜け牙。
恐怖。
笑い話。
悔しさ。
次への欲。
《浅層採取型報酬構造、初回試験終了》
「結果は」
《生還者十三名中十三名》
「全員帰したか」
《はい》
「採取物持ち帰りは」
《八名が何らかの灰白採取物を持ち帰り》
「損失は」
《装備破損、軽傷、精神的恐怖、多数》
「よし」
余は満足した。
殺していない。
だが、ただ帰したわけではない。
恐怖と欲を持たせた。
これで噂はさらに増える。
そして、低ランクはこう言う。
入っただけでひどい目に遭った。
Dランクはこう言う。
拾えたが、危なかった。
Cランクはこう言う。
素材は本物だ。もっと奥には価値がある。
それぞれの声が、外で混じる。
霧灰白庭迷宮は、ただの死地ではなくなる。
危険な採取場。
死ぬかもしれない宝庫。
命と財布を天秤にかける場所。
それがいい。
《報告》
「何だ」
《迷宮独自報酬構造の進行度がさらに上昇しました》
「ほう」
白い部屋の床に、表示が浮かぶ。
⸻
迷宮独自報酬構造:試験段階二
結果:
・白灰匣による高価値報酬流通、成功
・灰白採取物による浅層探索時間延長、成功
・低ランク選別、成功
・中ランク生還誘導、成功
・外部噂形成、拡大中
評価:安定化には継続運用が必要
⸻
「まだ足りぬか」
《正式な宝物庫機能解放には、継続的な外部価値流通、迷宮名の定着、報酬と危険の均衡が必要です》
「迷宮名の定着か」
人間はまだ、霧灰白庭迷宮という名を知らない。
白庭化した旧迷靄洞。
旧迷靄洞。
白い箱のある迷宮。
銀刻が戻らなかった場所。
そう呼んでいる。
余の正式な名は、まだ外へ出ていない。
「名も売らねばならぬか」
《はい》
「名前を知らずに死ぬのも悪くないが」
《Aランク到達条件として、外部認識の安定が重要です》
「面倒だ」
だが、少し楽しみでもあった。
人間どもが、いつか正式にその名を口にする。
霧灰白庭迷宮、と。
恐怖と欲を込めて。
その時、余の迷宮は次の段階へ進むのだろう。
「管理音声」
《はい》
「外部にはまだ、正式名を出さない。だが、名が必要になる状況を作れ」
《具体的には》
「白庭化した旧迷靄洞では長すぎる。商人も冒険者も短い呼び名を欲しがる。いずれ勝手に名をつけるだろう」
《外部通称の発生を待ちますか》
「そうだ。こちらから押しつけるより、人間自身に呼ばせる方が強い」
《了解しました》
フィルエが、静かに言った。
「名前も宝みたいだね」
「どういう意味だ」
「自分で持っていくより、向こうに拾わせた方が残る」
余は少し黙った。
それから、笑った。
「よいことを言う」
「でしょ」
「では、人間どもに拾わせよう」
宝を拾わせた。
恐怖を拾わせた。
次は、名を拾わせる。
霧灰白庭迷宮。
余の迷宮の名を。
あいつら自身の口で。
「さあ、外で騒げ」
余は浅層を見下ろした。
灰白採取物を拾い、泥で転び、糸に怯え、帰っていく冒険者たちの背を。
「次に来る時は、もっと良い値札を持ってこい」




