第104話 白い門は、泥で開く
白磁庭園の入口には、傷がついている。
灰白線喰いの追跡者が刻んだ、灰白の傷印。
白磁庭園は接続線を切った。
こちらの逆探知を断った。
中継庭園も失った。
それでも、傷だけは残った。
消えない印。
逃げ道を覚えられた証。
余は、白い部屋の床に浮かぶその印をじっと見ていた。
「……門は見えている」
《はい》
「だが、普通に行けば殺される」
《高確率でそうです》
「言い方」
《極めて高確率で損耗します》
「もっと悪くなったぞ」
白磁庭園本体領域。
あちらは敵対ダンジョンの腹だ。
中継庭園とは違う。
芽ではなく、完全体の白磁庭園騎士がいる。
庭番人形も増える。
白磁根も太い。
白磁花も本格的に咲いているだろう。
こちらの魔物を外に出せば、迷宮内ほどの力は出ない。
真正面から攻めれば、普通に負ける。
だから真正面からは行かない。
「門は、開けさせるのではない」
《では》
「汚して、噛んで、腐らせて、歪ませて、向こうが門として使えなくなったところを抜ける」
《白磁庭園の門機能を破壊しながら侵入する作戦ですね》
「そうだ」
余は床の表示を切り替えた。
⸻
作戦名:
《白門汚し》
目的:
一、白磁庭園本体外郭門への侵入路確保
二、灰白線喰いの追跡者による傷印固定
三、白磁門番騎士の撃破または機能停止
四、白磁庭園内部へ戻り水の細流を流し込む
五、次段階《庭心喰い》の侵攻起点を作る
投入:
灰白線喰いの追跡者
影縫い大蜘蛛の糸束
影縫い罠師カゲヌイ
白錆噛み 二体
赤錆噛み 四体
苔灰ゴブリン 二体
アンデッドゴブリン 五体
通常ゴブリン 十体
マネ
グズの泥核
戻り水細流
非投入:
グズ本体
フィルエ本体
迷靄洞コア直結構造
⸻
「通常ゴブリンも使う」
《損耗前提ですか》
「そうだ」
言ってから、余は少しだけ黙った。
昔なら、ここで妙な言い訳をしたかもしれない。
ゴブリンが可哀想だとか、できれば死なせたくないとか、そういう人間寄りの言い方をしたかもしれない。
だが、今は違う。
ゴブリンは戦力だ。
安い。
馬鹿だ。
だが、迷靄洞の腹を守る肉壁になる。
死んでも、今ならアンデッドゴブリンとして起き上がる可能性がある。
損耗は損耗。
だが、無駄死ににはしない。
「死んだゴブリンは、使えるなら起こせ」
《アンデッドゴブリン化条件を満たした個体は再利用します》
「よし」
奥で、ゴブリンどもが騒いでいる。
棍棒を振り回し、壁に頭をぶつけ、何かを食おうとしている。
……何か食おうとしている?
「管理音声」
《はい》
「あいつら、今何を食おうとしている」
《石です》
「石を食うな!」
《命令を伝達します》
まったく。
こいつらは本当に馬鹿だ。
だが、その馬鹿さに何度も救われている。
予想外の行動。
人間の常識を外す動き。
そして、恐怖を理解しない雑な突撃。
白磁庭園のような綺麗すぎる敵には、案外刺さる。
「門を汚すには、まず何がいる」
《泥、灰、戻り水、苔灰、錆、影糸》
「全部あるな」
《はい》
「なら行く」
『ロード』
フィルエの声が届いた。
『白磁庭園の門、閉じてる。でも傷印を消すために、表面だけ少し開いてる』
「傷を直すために、傷を見ているわけだ」
『うん』
「なら、そこに指を入れる」
『指?』
「牙でもいい」
余は、灰白線喰いの追跡者を見た。
「追跡者。傷をこじ開けろ」
灰白の刃が鳴った。
白磁庭園本体外郭。
白い森の奥に、その門はあった。
中継庭園の比ではない。
白い柱。
陶器の蔓。
左右対称の花壇。
白磁の噴水。
門扉には、細かい花の紋様が彫られている。
美しい。
綺麗だ。
腹が立つほど整っている。
その門柱の片隅に、灰白の傷があった。
追跡者が刻んだ印。
白磁庭園はそれを消そうとしている。
白い花弁が傷を覆い、白磁液が滲み、庭番人形が小さな手で磨いている。
だが、消えない。
傷は、白の下から浮かび上がる。
「そこだ」
《傷印、捕捉》
「戻り水、細流」
迷靄洞側から、細い水が走る。
白磁庭園にとっては毒。
迷靄洞にとっては血脈。
戻り水は、傷印に触れた瞬間、じわりと広がった。
白い門柱が嫌がるように軋む。
《白磁門、表層反応》
「苔灰」
二体の苔灰ゴブリンが、湿った灰と苔を抱えて走る。
外縁では動きが鈍る。
だが、森灰と森水で変質したこいつらは、まだ動ける。
白い門柱に、苔灰を叩きつけた。
べちゃり。
美しい白に、緑黒い染みがつく。
《白磁門、修復反応低下》
「白錆噛み」
白錆噛み二体が傷印へ飛びついた。
ぎりぎりぎり、と歯が鳴る。
白磁の門柱に、細いひびが入る。
門全体が震えた。
その震えに応じて、門の左右の花壇が割れた。
庭番人形が出る。
十体。
二十体。
いや、もっといる。
「多いな!」
《白磁庭園本体防衛圏です》
「知ってる!」
庭番人形たちが、一斉に指先を向けた。
白い粉が噴く。
「アンデッド、前へ!」
アンデッドゴブリン五体が前に出た。
陶器化粉をまともに浴びる。
腐った皮膚が白く固まる。
動きが鈍る。
だが、死んでいる。
呼吸がない。
恐怖がない。
固まりながらも、前へ進む。
その背中に通常ゴブリン十体がしがみついている。
「今だ、投げろ!」
ゴブリンどもが、泥団子を投げた。
グズの泥核から作った、重く湿った泥。
狙いは雑。
半分は外れる。
一つは味方の頭に当たる。
だが、残りが庭番人形と白い花壇に命中した。
白い粉と泥が混じる。
庭番人形の関節に泥が入る。
動きが乱れる。
「よし、馬鹿でも数を投げれば当たる!」
《命中率は低いです》
「当たったものを数えろ!」
赤錆噛み四体が、泥に足を取られた庭番人形へ群がった。
関節の芯を齧る。
白磁そのものは硬い。
だが、可動部には継ぎ目がある。
そこを噛む。
庭番人形の腕が落ちる。
足が折れる。
白錆噛みは門柱を噛み続けている。
苔灰ゴブリンは傷口に苔灰を塗り込む。
戻り水が染みる。
影縫い大蜘蛛の糸が、門の花紋に絡む。
「カゲヌイ」
《影針、門影へ》
影縫い罠師カゲヌイの針が、白い門の影に刺さった。
門は生き物ではない。
だが、迷宮構造には影がある。
入口としての影。
内と外を分ける影。
その影を縫う。
《白磁門、開閉機構に遅延》
「開くな。閉じるな。歪め」
《実行中》
白磁庭園が反応した。
門の奥から、剣音。
一体の白磁庭園騎士が現れる。
完全体。
白い鎧。
顔のない兜。
長い剣。
中継庭園で見た芽とは違う。
圧が違う。
存在そのものが、白い庭の秩序を背負っている。
《白磁門番騎士を確認》
「やはり来たか」
声が少し震えた。
だが、命令は止めない。
「通常ゴブリン、散れ!」
十体のゴブリンが散る。
いや、散れと言ったのに三体は同じ方向へ走った。
一体は転んだ。
一体は庭番人形に噛みついた。
馬鹿。
だが、それでいい。
白磁門番騎士の剣が振られる。
一閃。
ゴブリン三体が斬られた。
血ではなく、切断面が白く固まる。
《通常ゴブリン三体、死亡》
「起こせるか!」
《一体、アンデッド化条件発生》
「起こせ!」
白く固まりかけた死体が、びくりと跳ねた。
白磁化とアンデッド化がぶつかる。
骨が鳴る。
腐った魔力が、陶器の白を内側から汚す。
《アンデッドゴブリン変質個体、発生》
《仮称:白罅アンデッドゴブリン》
「白罅……?」
死んだゴブリンが起き上がった。
体の半分は白磁化している。
だが、白い陶器の表面に黒いひびが走っている。
完全な白ではない。
迷靄洞の死が、白磁庭園の陶器化を内側から割っている。
「使えるか!」
《短時間活動可能。自壊率高》
「なら突っ込ませろ!」
白罅アンデッドゴブリンが、白磁門番騎士へ飛びついた。
剣で斬られる。
だが、斬られた瞬間、白い体に走った黒いひびが広がった。
ばきん、と破裂する。
白磁粉と腐った灰が騎士の鎧にかかった。
《白磁門番騎士、表層汚染》
「よし!」
白磁門番騎士の動きが一瞬乱れた。
その一瞬で、灰白線喰いの追跡者が動く。
本体は迷靄洞側。
だが、傷印を通じて、刃の圧だけが門まで届く。
灰白の線が走る。
白磁門番騎士の足元にある退路。
門の内側へ戻る白い接続線。
それを追跡者が喰う。
《白線喰い、発動》
騎士が初めて、こちらを向いた。
顔はない。
だが分かった。
あれは驚いた。
逃げ道を食われていることに。
「逃げるな」
余は言った。
怖い。
だが、今は言える。
「余の門を開けるために、そこに立っていろ」
白磁門番騎士が剣を構える。
今度は追跡者の圧を斬りにくる。
白い斬撃が、傷印へ走る。
「影縫い大蜘蛛!」
糸束が斬撃の経路に絡む。
一瞬で白く固まる。
だが、斬撃の勢いは落ちた。
「カゲヌイ!」
《影引き》
門影がわずかにずれる。
斬撃が傷印から逸れる。
門柱の白い花紋だけが斬られた。
白磁庭園が、怒ったように門を閉じようとする。
《白磁門、閉鎖圧上昇》
「閉じるなと言っただろうが!」
余は叫んだ。
「グズの泥核、全部使え!」
《泥核全量投入》
入口でグズが吠えた。
迷靄洞の入口で練られた泥が、戻り水の細流を通じて一気に走る。
白磁門の根元に、泥がぶちまけられた。
美しい白い門が、下から黒茶色に汚れる。
門扉の継ぎ目に泥が詰まる。
そこへ苔灰が貼りつく。
赤錆噛みが金具めいた固定芯を齧る。
白錆噛みが傷印を噛む。
影糸が花紋を縛る。
戻り水がひびへ染みる。
そして、灰白線喰いの追跡者が門番騎士の退路を喰う。
白磁門が、悲鳴のような音を立てた。
《白磁門、開閉機構破損》
「開くか!」
《門としての正常動作、不能》
「なら、穴になるな」
門柱の傷印が広がる。
白い門が綺麗に開くのではない。
片側が歪み、片側が沈み、中央に汚れた裂け目が生まれる。
そこから、白磁庭園の内部が見えた。
白い回廊。
白い花壇。
噴水。
整った小径。
そして、その奥に何体もの騎士影。
「……見えた」
《侵入口を確保》
「突入はしない」
《はい》
「今回は門を壊すまでだ。欲張れば死ぬ」
《合理的です》
白磁門番騎士がなお動く。
退路を喰われ、表層を汚され、それでも剣を振るう。
強い。
完全体はやはり強い。
だが、門と繋がっている以上、こいつも門の一部だ。
「白錆噛み、離脱」
《離脱開始》
「赤錆噛み、負傷個体を引け」
《了解》
「アンデッドは残して足止め」
アンデッドゴブリンたちが、白磁門番騎士へしがみつく。
次々に斬られる。
固められる。
砕かれる。
だが、そのたびに泥と灰と死臭が白い鎧にこびりつく。
「通常ゴブリンは戻れ!」
残ったゴブリンどもが走る。
一体は逆方向へ走った。
「そっちではない!」
マネが余の声で叫ぶ。
「ソッチデハナイ!」
ゴブリンがびくっとして戻る。
「今のは助かったが、余の声を真似るな!」
「ヨノコエヲマネルナ!」
「だから!」
白磁門番騎士が最後に剣を振った。
逃げ遅れた通常ゴブリン一体の背が斬られる。
《通常ゴブリン一体、死亡》
「回収は」
《困難》
「……置け」
重い命令。
だが、出す。
全体を生かすためには、置く。
白磁庭園の門内から、新たな騎士影が近づいてくる。
これ以上は危険だ。
「撤退!」
戻り水の線が、投入部隊を引き戻す。
白磁門の裂け目から、白い花弁が伸びる。
追いすがるように。
だが、灰白線喰いの追跡者が刃を鳴らした。
その花弁に繋がる線を、一口だけ喰う。
花弁がしおれた。
《追撃線、遮断》
白磁庭園の門が遠ざかる。
森が戻る。
白い部屋に、部隊が転がり込む。
泥。
灰。
血。
白磁片。
砕けたゴブリンの骨。
負傷した白錆噛み。
肩で息をする苔灰ゴブリン。
歯を鳴らす赤錆噛み。
そして、灰白線喰いの追跡者。
刃に、新しい白い傷を宿して立っている。
《作戦終了》
白い床に、戦果が表示される。
⸻
作戦結果:
《白門汚し》
成果:
・白磁庭園本体外郭門の正常開閉機構を破壊
・灰白の傷印を拡張
・白磁庭園内部への汚染裂け目を形成
・白磁門番騎士一体の退路線を捕食
・白磁庭園内部構造の一部を確認
・白罅アンデッドゴブリンの一時発生を確認
損耗:
・通常ゴブリン四体死亡
・アンデッドゴブリン五体全損
・白錆噛み二体軽傷
・苔灰ゴブリン一体軽傷
・影糸束二束喪失
・グズ泥核全量消費
回収物:
・白磁門柱片
・白磁門番騎士の鎧粉
・白磁花弁片
・白磁門固定芯の破片
新規記録:
白罅アンデッドゴブリン
通常ゴブリンが白磁化斬撃で死亡した直後、迷靄洞のアンデッド化魔力と干渉して短時間発生。
自壊前提の突撃・汚染爆散に適性あり。
安定登録には追加検証が必要。
⸻
「……四体死んだか」
《はい》
「アンデッドも全損」
《はい》
「だが、門は壊した」
《はい》
余は、床に浮かんだ白磁庭園内部の簡略図を見る。
まだ一部だけだ。
白い回廊。
噴水。
花壇。
騎士影。
中心へ続くらしき小径。
そして、門の裂け目。
迷靄洞の泥で汚れた侵入口。
「次は、ここから入る」
《白磁庭園本体内部戦になります》
「そうだ」
《危険度はこれまでの比ではありません》
「分かっている」
余は静かに答えた。
以前なら、ここで声が裏返っていただろう。
今も怖い。
だが、配下の前で叫び続けるほどではない。
怖さは、命令の邪魔にならなければいい。
「グズには泥核を再生成させろ。無理はさせるな」
《了解》
「白錆噛みは治療。赤錆噛みは補充。通常ゴブリンは……」
《補充可能です》
「補充しろ」
死んだ分は戻らない。
だが、迷宮は止まらない。
ソウルを使い、戦力を整え、次へ行く。
「白罅アンデッドゴブリンは使えると思うか」
《危険ですが、白磁庭園戦限定の突撃汚染個体として有用です》
「安定化できるか」
《白磁粉、アンデッドゴブリン残滓、戻り水、灰を用いれば、低確率で生成可能》
「低確率か」
《はい》
「それでも試す価値はある」
余は、白磁門番騎士の鎧粉を見た。
敵の力。
こちらの死体。
戻り水。
灰。
それを混ぜれば、新しい嫌がらせが生まれる。
実に迷靄洞らしい。
『ロード』
フィルエの声が、契約糸から届く。
『門の奥、白磁庭園が道を組み替えてる』
「侵入口を塞ぐためか」
『うん。でも泥が残ってる。完全には戻せない』
「なら、時間があるうちに次を打つ」
《連続侵攻は損耗を拡大します》
「時間を空ければ、白磁庭園が修復する」
《それも事実です》
「なら、短く休ませて、すぐ行く」
余は、白い部屋の奥へ視線を向けた。
灰白線喰いの追跡者が、刃を床に立てている。
刃に絡む白い線が、門の奥を指していた。
逃げ道。
接続線。
騎士の退路。
庭園の奥へ続く道。
「次の作戦名」
《候補を提示します》
「言え」
《庭心喰い》
余は、笑った。
「よい」
白磁庭園の門はもう、綺麗な門ではない。
迷靄洞の泥が詰まり、灰が貼りつき、苔が染み、錆が噛み、死体が汚した裂け目だ。
そこから入る。
白い庭の心臓へ。
「白磁庭園」
余は、見えない敵へ呟いた。
「門は開いたぞ」
床下で戻り水が鳴る。
グズが入口で泥を練り直す。
影縫い大蜘蛛が糸を吐く。
カゲヌイが影針を削る。
白錆噛みが白磁片を睨む。
赤錆噛みが歯を鳴らす。
マネが小さく、余の声を真似た。
「モンハヒライタゾ」
「……後で説教だ」
だが、今はよい。
余の迷宮は、待つのをやめた。
白い庭の門を、泥で開けた。
次は、庭の心臓を喰いに行く。




