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第100話 白杭は、迷宮の歯になる

白杭は、まだ迷宮の腹の中で震えていた。


 北側偽脈の空芯。


 戻り水が流れ込み、白砂が沈み、赤錆噛みが固定金具を齧ったあの場所で。


 人間側から奪った白杭が、ゆっくりと灰色に染まっている。


《白杭一本、解析継続中》


「まだ終わらぬのか」


《白杭内部に封迷圧の芯があります。無理に砕くと、周辺の戻り水が一時的に停止する恐れがあります》


「それは困る!」


 思わず声が裏返った。


 いかん。


 最近、少し王らしくなってきたと思っていたのに、白杭一本でこれだ。


 だが仕方ない。


 戻り水は、今の迷靄洞の命綱だ。


 封鎖隊を食い、測量を狂わせ、白砂を嘘に変える主力。


 それが止まれば、余はまたただの薄暗い洞窟に戻る。


「……慎重にやれ」


《了解》


 白い部屋の床には、北側の断面図が浮かんでいた。


 白杭は、まるで骨のように迷宮の中へ刺さっている。


 その周囲を戻り水が舐める。


 赤錆噛みが、金具だけを削る。


 灰灯喰い蟲が、白い封迷圧の残り火を吸う。


 影縫い大蜘蛛の糸は、杭の影だけを薄く留めている。


 抜けないように。


 暴れないように。


 食えるところから、少しずつ。


『ロード』


 フィルエの声が、契約糸から届いた。


『外、動いた』


「早いな」


『聖杭技師が、回収の準備をしてる』


「回収?」


《捕獲された白杭を、外部から共鳴させて引き抜く術式と思われます》


「そんなことができるのか!」


《白杭同士が同じ封迷圧で鍛えられている場合、可能性はあります》


「聞いていないぞ!」


《今、初めて観測しました》


「なら仕方ない!」


 余は監視面を切り替える。


 迷宮入口の外。


 そこには、白い天幕と杭列が並んでいた。


 聖杭技師がいた。


 本人だ。


 白杭を肩に置き、弟子たちに短く指示を出している。


 若い測量士もいた。


 少し離れた場所で、報告板を抱えて立っている。


 顔色は悪い。


 だが、目だけは北側ではなく、迷宮入口を見ていた。


 あいつは分かっている。


 今から何が起きるか、全部ではなくとも、嫌な形で分かっている。


「フィルエ、聞こえるか」


『少しだけ』


「拾え」


『うん』


 契約糸が震えた。


 外の声が、白い部屋に細く流れ込む。


「……迷宮は杭を飲んだ。ならば腹の位置が分かる」


 聖杭技師の声だ。


「北側が中心であるかどうかは、もはや問題ではない。奪われた白杭と迷宮内部の水脈が繋がっている。その線を引き戻す」


 弟子が問う。


「戻せますか」


「戻せなくとも、迷宮の腹を裂ける」


 余は固まった。


「……腹を裂く?」


《危険です》


「分かっている!」


 白い部屋の床に、警告が走った。


《外部共鳴反応、検知》


《捕獲白杭、振動開始》


 北側の白杭が震えた。


 じん、と。


 戻り水の流れが乱れる。


 白砂が跳ねる。


 影縫いの糸がきしむ。


 杭の中に残っていた白い圧が、外の杭列へ向かって鳴り返している。


「まずいまずいまずい……!」


『ロード』


「分かっている! 慌てていない!」


《慌てています》


「黙れ!」


 だが、叫んだ瞬間、余は見た。


 白杭から外へ伸びる共鳴線。


 まっすぐだ。


 あまりにもまっすぐ。


 聖杭技師は、迷宮の中に手を突っ込んでいる。


 確かに危険だ。


 だが逆に言えば。


 その手首は、迷宮側からも掴める。


「……管理音声」


《はい》


「共鳴線は、道か」


《追跡者にとっては、道として扱える可能性があります》


「よし」


 余は笑った。


 喉の奥で、焦りがまだ残っている。


 だが、頭は動き始めた。


「灰刃追跡者」


 奥で、刃が鳴る。


「その白い線を覚えろ。外へ繋がる道だ」


《迷宮外への直接追跡は不可能です》


「外までは行かなくていい。線に触れている人間まででいい」


《封線追い、変形可能》


「やれ」


 灰刃追跡者の気配が、北側へ沈んだ。


 落武者のような影が、白杭の周囲に立つ。


 刃を構える。


 斬る相手は人間ではない。


 線だ。


「カゲヌイ」


《待機中》


「共鳴線の影を縫え」


《線の影は不安定です》


「一瞬でいい。引かれる力を止めろ」


《了解》


「影縫い大蜘蛛。白杭に糸を巻け。ただし本体ではなく、杭が震える空間ごとだ」


 天井から、黒く湿った糸が降る。


 白杭に触れる寸前で止まり、周囲の空気を絡めるように輪を作った。


 杭の震えが鈍る。


 外の共鳴が、少しだけ詰まる。


「赤錆噛み」


 壁裏で、小さな歯音が響く。


「金具ではなく、今度は白杭の表面を一口だけ齧れ」


《危険です。赤錆噛みへの負荷が大きいです》


「一口でいい。封迷圧の味を覚えさせろ」


 数匹の赤錆噛みが、白杭へ近づいた。


 迷ったように鼻を動かす。


 白杭は金属ではない。


 だが、金具の芯に混じる白い圧がある。


 赤錆噛みの歯が、白杭の表面に触れた。


 ぎり。


 一匹が弾けるように後ろへ転がった。


 口元から灰色の煙を吐く。


「死んだか!?」


《生存。変質反応あり》


 赤錆噛みの歯が、赤錆色から灰白色へ変わっていく。


 小さな体が震える。


 目が白く濁る。


 そして、もう一度白杭へ噛みついた。


 ぎりり。


 今度は、白杭の表面に細い傷が入った。


《赤錆噛み一部個体、派生変質》


《仮称:白錆噛み》


「白錆噛み……!」


《赤錆噛みが白杭の封迷圧を微量摂取し、白杭・白砂・封迷金具への噛みつき適性を獲得した派生個体です》


「よし、よしよしよし!」


 これは大きい。


 新しい魔物を一から買ったのではない。


 既存の赤錆噛みが、敵の道具を食って変わった。


 迷宮らしい進化だ。


「白錆噛み、共鳴線の根元を齧れ!」


 小さな灰白色のネズミが、白杭に群がった。


 封迷圧の線が、ちりちりと乱れる。


 外で、聖杭技師の眉が動いた。


「……噛まれたな」


 弟子が顔を上げる。


「何がですか」


「杭だ。迷宮が、杭を食っている」


 聖杭技師は白杭を握り直した。


 周囲の杭列が鳴る。


 ちりん、ちりん、と。


 測水鐘に似た音。


 だが、もっと硬い。


 もっと白い。


 その音に、若い測量士が肩を震わせた。


「下がれ」


 聖杭技師が言う。


「回収では足りない。焼く」


 弟子たちが、一斉に白布を解いた。


 そこにあったのは、細い杭ではない。


 白い楔。


 短く、太く、刃のような形をしている。


《新規器具を確認》


「何だ、あれは」


《白杭の破砕用楔と思われます。刺した杭を外部から割り、周辺の迷宮組織を焼く道具と推定》


「最悪ではないか!」


 聖杭技師が、白い楔を地面に打ち込んだ。


 外から、共鳴線に沿って白い火が走る。


 入口を越え。


 通路の土を抜け。


 北側の白杭へ向かう。


 焼かれる。


 戻り水ごと。


 白杭ごと。


 北側偽脈ごと。


「グズ!」


 入口の泥が盛り上がった。


 泥門番長ゴブリンが、棍棒を引きずって現れる。


「入口の楔を潰せ!」


「グオオッ!」


 グズが外へ出ることはできない。


 迷宮の外では、力が落ちる。


 だが、入口の内側に刺さった共鳴の響きなら叩ける。


 グズは棍棒を振り上げ、入口床を殴った。


 どごん。


 泥が跳ねる。


 共鳴が歪む。


 外の楔そのものは壊せない。


 だが、迷宮に入ってくる白い火の足場を泥で汚せる。


「もう一度!」


「グオッ!」


 どごん。


 入口の床が泥に沈む。


 白い火が、泥の中で一瞬鈍った。


「カゲヌイ、今だ!」


 影縫い罠師の針が、白い火の影を刺した。


 一瞬。


 本当に一瞬だけ。


 火の影が地面に縫い止められる。


「追跡者!」


《封線追い、斬撃》


 灰刃追跡者が、白杭の横で刃を振った。


 白い火そのものは斬れない。


 だが、火が通ってきた線は斬れる。


 共鳴が、ぷつりと切れた。


 外で悲鳴が上がった。


聖杭技師の弟子が一人、膝をついた。


 手に持っていた白い楔が、灰色にひび割れている。


「師匠、線が返って――」


 言い終わる前に、その手元から灰色の水が吹いた。


 血ではない。


 戻り水だ。


 迷宮の中を流れていたはずの水が、共鳴線の切れ目から逆流した。


 弟子の腕を濡らす。


 白い手袋が灰色になる。


「離せ!」


 聖杭技師が叫ぶ。


 だが遅い。


 灰刃追跡者の圧が、線を伝って弟子の影に触れた。


 刃そのものは外へ出ない。


 だが、追跡の印は届く。


 弟子の足元の影が、ひとつ遅れて動いた。


 若い測量士が叫ぶ。


「その人を杭列から離してください!」


 聖杭技師が振り返る。


「なぜ分かる」


 若い測量士は答えない。


 答えられない。


 迷宮で見たからだ。


 灰刃追跡者が、線を読むところを。


 逃げ道の終わりに立つところを。


「離せ!」


 今度は、聖杭技師自身が弟子の襟を掴んで引いた。


 直後。


 弟子がいた場所に、灰色の斬痕が走った。


 地面が浅く割れる。


 外だ。


 迷宮の外なのに。


 完全ではないにせよ、追跡者の刃圧が線を通って届いた。


《追跡者、封線干渉成功》


「よし!」


 余は拳を握った。


《ただし迷宮外干渉は極めて不安定です。連続使用は不可》


「一度で十分だ!」


 外の部隊が乱れる。


 弟子が一人、腕を押さえて倒れる。


 白い楔がひび割れる。


 杭列が鳴り止む。


 聖杭技師が、迷宮入口を睨んだ。


 若い測量士は、その横で震えている。


 だが、彼は何も言わなかった。


 迷宮が共鳴線を逆に噛んだこと。


 白杭を食い始めていること。


 追跡者の圧が線を伝うこと。


 それらを、すべて言えば助けになったかもしれない。


 だが彼は、一拍遅れた。


 その一拍で、弟子は腕を失いかけた。


 余は見ていた。


「今、わざと遅れたな」


《可能性があります》


『うん。迷った。でも、言わなかった』


 若い測量士は、完全に味方ではない。


 だが、もう完全な敵でもない。


 沈黙が、迷宮側へ傾き始めている。


 聖杭技師は撤退を命じた。


 早かった。


 怒りに任せて突っ込む男ではない。


 弟子を回収し、割れた楔を捨て、杭列を畳ませる。


 ただし、去り際に若い測量士の方を見た。


「君は、何かを知っているな」


 若い測量士は黙っている。


「迷宮の中で何を見た」


「……戻り水を」


「それだけではない」


 若い測量士は、迷宮入口を見た。


 そこには、泥がある。


 グズが叩いた泥。


 白い火を鈍らせた泥。


 その奥で、誰かが見ているような気配。


 若い測量士は、目を伏せた。


「分かりません」


「そうか」


 聖杭技師は、それ以上問い詰めなかった。


 だが、疑いは消えていない。


 むしろ濃くなった。


 若い測量士は、もう人間側に戻っても安全ではない。


 迷宮の中でも安全ではない。


 どちらにも居場所がない。


 だからこそ、落ちる。


《外部共鳴、停止》


《捕獲白杭、安定》


《白錆噛み、三体生存》


「三体か」


《赤錆噛み七体に変質反応。うち四体は封迷圧に耐えられず休眠。三体が活動可能》


「十分だ」


 白い部屋の床に、新しい表示が浮かぶ。



派生個体登録候補:


白錆噛み


由来:

赤錆噛みが白杭の封迷圧を微量摂取し、白杭・白砂・封迷金具への噛みつき適性を得た派生個体。


役割:

白杭固定具の劣化。

白砂器具の破損。

封迷圧の細線への干渉。

聖杭技師系装備への対抗。


注意:

白杭本体を長時間噛ませると自壊の危険あり。



「登録しろ」


《登録にはソウルを消費します》


「いくらだ」


《三体の安定登録に、二十四》


「高い!」


《特殊派生個体です》


「……払う」


《登録完了》


 白い部屋の奥で、ソウルが減る。


 痛い。


 だが、必要経費だ。


 敵の主力装備を噛める魔物は、今後必ず効く。


「よし。白杭は?」


《封迷圧の一部を消化。新規罠構造を形成可能》


「出せ」



新規罠案:


《灰杭返し》


概要:

敵の白杭・封迷杭が迷宮内部へ刺さった際、戻り水と白錆噛みによって杭の封迷圧を汚染。

杭を封印具ではなく、迷宮側の逆流路・追跡路・偽反応源として利用する。


必要条件:

戻り水の近接。

影縫い補助。

白錆噛み一体以上。

灰刃追跡者の封線追いと相性良。



「採用だ」


《正式採用しますか》


「する」


 白い部屋の床下で、戻り水が鳴った。


 白杭はもう、ただの敵の武器ではない。


 迷宮の歯になった。


 刺されたら痛い。


 だが、噛み返せる。


 その夜。


 白い部屋に、紙の擦れる音がした。


 余は顔を上げる。


「何だ」


《ダンジョン新聞です》


「この忙しい時にか」


《号外を含みます》


「読む」


 白い床の上に、黒い文字の新聞が広がった。


 ロードだけが読める紙。


 人間には届かない、迷宮側の情報網。


 最初に目に入った見出しは、余のことではなかった。



【Bランク迷宮・葦骨沼、討伐隊を撃退】

救助に来た第二隊まで沼地へ誘導。

新戦術《助けに来る者を主食にする》が注目を集める。



「嫌な戦術だな」


《参考になります》


「するなとは言っていない」


 次の見出し。



【Sランク迷宮・黒鐘霊廟、勇者一行により消滅】

鐘鳴りの即死階層を突破され、コア破壊。

上位迷宮にも“勇者対策の再検討”を求める声。



 余は黙った。


 Sランクでも消える。


 攻略されれば、終わり。


 ロードも、迷宮も、存在ごと消える。


 分かっていたことだ。


 だが、新聞の文字で見ると、白い部屋の温度が少し下がる。


「……Sでも死ぬか」


《はい》


「なら、余はSでは足りぬ」


《目標を更新しますか》


「最初からだ」


 余は新聞をめくった。


 最後の見出しで、手が止まる。



【白磁庭園、周辺の低位迷宮を吸収】

白磁系ロードによる“庭園化”拡大中。

霧・灰・湿地系迷宮との相性不良が報告されるも、侵蝕速度は高い。

次の標的地域について、複数ロードが警戒。



 白磁庭園。


 敵対ダンジョン。


 人間側ではない。


 迷宮を喰う迷宮。


 白い庭を広げるロード。


 余は新聞の文字を見下ろした。


 北側では、奪った白杭が灰色に沈んでいる。


 入口では、グズが泥に棍棒を立てている。


 奥では、灰刃追跡者が新しい線を覚えている。


 白錆噛みが、白い歯を鳴らす。


「来るなら来い」


 余は言った。


 声は、思ったより低かった。


「人間の杭も、敵迷宮の庭も、余の腹で噛み砕いてやる」


 戻り水が、床下で静かに笑うように鳴った。

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