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プロローグ

真っ暗だった。


 上も下も、前も後ろも分からぬ。


 いや、そもそも――余には上も下もあるのか?


 目を開けようとして、そこで初めて気づく。目がない。まぶたもない。手足もない。息もしておらぬ。心臓が跳ね上がる感覚だけはあるのに、跳ね上がる心臓そのものが、どこにも見当たらなかった。


「…………は?」


 声を出した、つもりだった。


 だが、空気が震えた気配はない。喉を使った感覚もない。なのに、確かに余は“喋った”。


 何なのだ、これは。


 何なのだ、ここは。


 何なのだ、余は。


 混乱が限界を超える寸前、不意に暗闇の奥で淡い光が灯った。細い線が何本も伸び、幾何学模様のように広がっていく。やがてそれは壁となり、床となり、天井となって、真っ白な部屋を形作った。


 白い。


 やけに白い。


 床も壁も天井も、どこまでも白い。眩しいほどなのに、不思議と目に痛くはない。いや、そもそも余に目があるのかすら怪しいのだが。


 部屋の中央には大きな半透明の板――いや、窓のようなものが浮かんでいた。そこには、岩肌の通路が映っている。薄暗く、湿っぽく、見るからにしょぼい洞穴だ。


 そして、無機質な声が響いた。


《起動を確認。個体識別番号――省略。Eランクダンジョンコアの意識定着を確認しました》


「え、らんく……?」


《新規ダンジョンロードとして登録します。おめでとうございます》


「待て待て待て待て。今、何と言った」


《新規ダンジョンロードとして登録します》


「いやその前だ!」


《Eランクダンジョンコアの意識定着を確認しました》


「その後だ!」


《おめでとうございます》


「そこではない!」


 余の叫びを、白い部屋はむなしく吸い込んだ。いや、実際に音はしておらぬのかもしれぬが、とにかく心の中では盛大に叫んでいた。


 ダンジョンロード?


 誰が?


 余が?


 いやいやいや、冗談ではあるまい。余は王冠など被った覚えはないし、そもそも生前が何であったかも思い出せぬ。もっと言えば、今の余には首すらない。


「……ええと。質問を許す」


《許可します》


「余は、何だ」


《あなたは当ダンジョンの中核、すなわちダンジョンコアであり、その自我個体です》


「さっぱり分からぬ」


《分かりやすく表現します。あなたはこの迷宮そのものです》


「もっと分からぬ!」


 思わず叫んだ。迷宮そのものとは何だ。洞穴か。余はこのしみったれた岩肌の一部なのか。そんな馬鹿な話があってたまるか。


 だが、半透明の窓に映る洞窟を凝視した瞬間、奇妙な実感が胸――胸はないが――その辺りに広がった。


 あそこにある湿気が分かる。


 冷たい岩の感触が、なぜか分かる。


 通路の先の小部屋が、ひどく近く感じる。


 まるで、自分の皮膚の内側を覗き込んでいるような感覚だった。


「…………」


 嫌な沈黙が落ちる。


 嫌な予感しかしない。


「次の質問だ。余は、この迷宮そのものだとして……何をすればよい」


《ダンジョンを運営し、成長させてください》


「運営」


《侵入者を迎撃し、ソウルを獲得し、構造・魔物・罠を拡張します》


「侵入者」


《はい》


「……迎撃」


《はい》


「……ちなみに、迎撃に失敗した場合は?」


 ほんの少しだけ間が空いた。


 その沈黙が、やけに重かった。


《ダンジョンコアが破壊され、迷宮は崩壊します》


「ほう」


《その場合、あなたという個体も消滅します》


「…………ほう?」


《存在ごと消えます》


「待て待て待て待て待て待て待てぇい!!」


 今度こそ全力で叫んだ。


 消えるとは何だ、消えるとは! 目覚めたばかりで、己が何者かも分からぬうちに死刑宣告を受けたようなものではないか!


「おかしいであろう!? 余、今しがた起きたばかりなのだが!? 何の説明も教育も準備もなく、いきなり“侵入者に壊されたら存在ごと終了です”など、あまりにも世知辛すぎぬか!?」


《ダンジョン運営は自己責任です》


「世界が冷たすぎる!」


 白い部屋に、慰めはなかった。


 無慈悲である。


 あまりにも無慈悲である。


 だが、喚いていても状況は変わらぬらしい。余が消えたくないという一点だけは、どうやらはっきりしていた。何者か分からずとも、存在ごと消えるのは御免だ。それだけは断固として御免こうむる。


 ならば――やるしかない。


「……よい。分かった。余はやる。やるが、せめて最初の手札くらいはあるのであろうな?」


《初期ソウルを付与します》


 白い空間に文字が浮かぶ。


【所持ソウル:100】


「おお」


 何に使うかは知らぬが、ゼロよりは良い。ゼロは死ぬ。


《初期召喚可能魔物を表示します》


 続けて、三つの項目が現れた。


【召喚候補】


1. ゴブリン

2. 洞窟ネズミ

3. ポフキノコ


「…………」


 嫌な予感しかしない並びであった。


 何だ、ポフキノコとは。語感がゆるい。頼りにならなさそうという点では群を抜いておる。洞窟ネズミも、たぶん鼠であろう。役に立たぬとは言わぬが、いかんせん王の初期戦力としてはあまりにみすぼらしい。


 消去法で一つ残る。


「ゴブリン、か」


 いかにも弱そうではある。だが、少なくとも武器くらいは持てそうだ。二足歩行で、数も揃えやすそうで、何より“兵隊”っぽい。迷宮防衛の初手としては、たぶん一番それらしい。


「ちなみに、ゴブリン一体の召喚コストは」


《5ソウルです》


「安いな!?」


《初期個体としては標準です》


 ということは、二十体出せる。


 二十。


 ……多いのか? 少ないのか? 余には戦力の相場など分からぬ。だが、少なくとも一体や二体よりは心強い。数は正義という言葉もある。たしか、たぶん、どこかで聞いた。


「ゴブリンはどの程度の知能を持つ」


《低いです》


「どの程度だ」


《高等な命令遂行には期待しないでください》


「嫌な予告をするでない」


《ですが、単純命令と集団行動は可能です》


「ふむ」


 単純命令。集団行動。


 それで十分かどうかはともかく、今は他に選択肢もない。余は白い窓に映る自分の迷宮を見た。入口らしき裂け目から、コアがあるらしい最奥までは、そう長くない。いや、率直に言って短い。短すぎる。こんなもの、強い侵入者が来たら一直線ではないか。


 余は思わず呻いた。


「……弱い。余の城、弱すぎぬか?」


《現時点ではEランク相当です》


「フォローになっておらぬ!」


 だが、文句を言っても洞窟は広がらない。余は考えた。


 入口で食い止める部隊が必要だ。だが、突破された時のために奥にも守りが要る。全部を前に置けば、一気に潰された時に終わる。全部を奥に置けば、入口ががら空きになる。ならば、半々か。単純だが、悪くない。少なくとも今の余には、それくらいしか思いつかぬ。


「よし。決めた」


 余は咳払いをするような気分で、できるだけ威厳のある声を作った。王なのだから、たぶんこういう時は堂々としておるべきなのだ。


「初期戦力はゴブリンを採用する。ソウルは全てこれに投じよ」


《確認。ゴブリン二十体を召喚します》


 白い窓の向こう、湿った岩の床に、ぼこり、ぼこり、と泥の泡のようなものが膨らんだ。


 それが弾けるたび、緑色の小柄な人影が現れる。


 尖った耳。


 ぎょろつく目。


 粗末な棍棒。


 見るからに、あまり賢くはなさそうな顔。


 二十体。


 二十体のゴブリンが、余の最初の臣下として、じめついた洞窟に産声を上げた。


 ……いや。


 一体、産声の代わりに、いきなりその場で壁に向かって小便を始めたのだが。


「は???」


 次の瞬間、別の個体がそれを見て笑い、三体目が棍棒で一体目の頭を叩き、四体目が訳もなく転び、五体目が床を舐めた。


 余は理解した。


 理解してしまった。


「……余、ひどいのを引いたのではないか?」


《ゴブリンは初期兵として広く利用されています》


「世のロードどもは、よくこれでやってゆけるな!?」


 洞窟の中で、馬鹿そうなゴブリンたちが好き勝手に騒ぎ始める。


 頭が痛い。頭はないが痛い。


 だが、彼らが今の余の全戦力だった。


 このどうしようもなく頼りない二十体で、余はこの迷宮を守らねばならぬ。


 攻略されれば終わり。


 コアを砕かれれば消滅。


 ゆえに――


「整列せよ、馬鹿どもぉぉぉっ!!」


 最弱迷宮の、あまりにも頼りない初日が、こうして始まった。

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