その決闘(デュエル)の倍率は? Ⅰ
緩衝地帯を支える街の中心部から離れて行くと、次第に人の気配は薄くなっていった。
本当にこんな場所に人が集まっているの?
ラウラに手を引かれているアザリアの中で猜疑心が芽生え始めると、街の外れにあるいつもの寂れた定宿に辿り着いた。
寂れた宿屋の裏、と言っても寂れていない店などここにはないのだが、ゴール地点から身を隠すように、そこは熱を帯びている。祭りの陽な熱とは違う、どこか陰を孕む人の熱に、ラウラは笑みを零し、アザリアは戸惑いを隠せない。
薄汚い掲示板に殴り書きされている【クラウスファミリア(クラウスの家族)】と【レプティルアンビション(爬虫類の野心)】の名。そして、その名の下に消された文字跡の残る倍率が明記されており、それを睨み、金を握り締め、欲望を露わにする人々の熱は際限なく上がっていた。
「ほら、おまえら、どうした? 【レプティルアンビション】に賭けたって儲からねえぞ! どんと一発かますやつはいねえのか?!」
「オヤジ、【レプティルアンビション】に1000だ」
「かぁー、またかよ。そんなしょぼくれた額なら、【クラウスファミリア】に賭けろよな、まったくよう⋯⋯ほれ」
1000ルドラ分の賭け札を渋々と渡すと、【クラウスファミリア】と出会った、あの宿屋の主人は、一方的な倍率になっている様を嘆いた。
賭けの倍率は50対2。
圧倒的多数が【レプティルアンビション】の勝利を予想している。
【クラウスファミリア】に賭けるのは端金を賭ける物好きだけで、金を握り締め目を血走らせる者達は、握り締めている金を【レプティルアンビション】に次々賭けていった。
「ふふ~ん、やってるね」
「ちょっと、ラウラ⋯⋯」
強者に向けられる視線は先程とはあきらかに違う。その視線に羨望や畏怖など存在せず、ただただ異物感だけを浮かび上がらせていた。
そんな、周りの視線などお構いなしのラウラは、小さくなっているアザリアの手を引き、賭場を仕切る宿屋の主人の前へ立つと、大きく胸を張り、余裕綽々とばかりに笑みを湛える。
「オヤジ、【クラウスファミリア】に30万!」
欲まみれの喧騒が、ラウラのひと言に水を打ったかのように静まり返る。そして次の瞬間、困惑と嘲笑が爆発した。
「はぁっ?! おいおい、姉ちゃん! そらぁないって」
「そうそう、金をドブに捨てるようなもんだ。オレに寄こしな、少しばかり増やしてやるからよ、クククク⋯⋯」
そんな嘲笑や暴言に耳を傾けず、ラウラは笑みを湛えたまま主人の出方を待つ。想像すらしていなかった展開に一番驚いていたのは、賭場を仕切る主人。嘲笑や暴言が行き交う中、主人は、目の前に置かれた、金の入った袋とラウラの笑顔を何度も往復し、困惑を隠せないでいた。
「じゃあ、私も【クラウスファミリア】に10万」
「へ? あ、あんたも?」
「うん」
主人の困惑に追い打ちをかけるアザリアも、金の入った袋を主人の目の前に置いた。
「ぶっわはははは、姉ちゃん達、大丈夫か?」
「オヤジ、どうせその金はオレ達の金になるんだ、先に寄こしちまいな」
「ゴールを待つ必要なんてないね。結果は決まってんだからよぉ」
男も女も、老いも若いも、関係なく、ラウラとアザリアに嘲笑や暴言を向けた。さっきまで縮こまっていたアザリアも、その嘲笑や暴言に吹っ切れたのか、堂々とした佇まいを見せている。
「ほら、オヤジ早く賭け札ちょうだいよ。アザリアにもね」
「わ、分かった⋯⋯ほら、本当にいいのか? 賭場としては盛り上がるけどよ、あんた達は上客だ、なんだか偲びねえよ」
「ふふ~ん、何言ってんの。当たるんだから、ちゃんと支払ってよね」
渋々と手渡された賭け札をポケットに捻じ込み、意気揚々と振り返るラウラに軽く手を上げる男がいた。
「よお、やっぱりラウラ・ビキだ。久しぶり!」
ニコニコと微笑む男とそのパーティーに、ラウラもすぐに気が付き手を振り返した。
「アハ、こんなところで会うなんてね。元気だった? あぁ~さっそく作ったんだね」
鎚の紋章を掲げるその五人組のパーティーに、ラウラは笑顔を見せた。
手を振っていたのは、人懐っこい笑みを見せているティム。リーダーであるロイとティムは漆黒のショートケープ、ベヒーモスのショートケープを纏い、ティムは意気揚々とそのショートケープを見せつけた。
「ラウラ、こちらって⋯⋯?」
「あ、そうそう。この間助けてくれた【ノイトラーレハマー(中立の鎚)】のパーティーだよ。この娘がね、ウチの大将のアザリア」
「その節は、ラウラを助けて頂き、ありがとうございました。あなた方と出会ってなかったら、今頃どうなっていた事か」
「ホント、ホント。ありがとね」
「アザリアって、あの、アザリア・マルテ!?」
丁寧に頭を下げるアザリアを見つめ、絶句するティムにロイは失笑する。
「いやいや、ちゃんと報酬を貰ったんでね、ウチとしても美味しかったよ。しかし、A級がふたりして、何でこんなところにいるんだ?」
「私はちょっと頼まれごとがあってね。ゴールの瞬間も見たいし、そのついでにちょっと賭けてきた。アザリアは⋯⋯何でついて来たんだっけ? ヒマだから?」
「ヒマじゃないよ、私もゴールが見たかったんだって。さっき言ったよ」
「そだっけ?」
「とりあえず【ノーヴァアザリア(新星のアザリア)】に緊張感はねえな」
ふたりのやり取りにロイも思わず失笑してしまう。
「ゴールが見たいって⋯⋯そういや何か競争してんだっけ?」
ティムが首を傾げると、ラウラは大きく頷いて見せた。
「そうそう。【クラウスファミリア】がね、B級と勝負してんのよ」
「クラウス⋯⋯って、この間の? え? B級? あそこB級だっけ? 違うよな」
「だね。まだC級だよ」
ロイが目を丸くしている横で、ひょこっとティムは背伸びをして、汚い掲示版に目を凝らす。大袈裟に溜め息を漏らし、首を何度も横に振った。
「うわっ、30対2だって。勝負になってないじゃん」
「ボロ儲けのチャンスだよ。さっきまで50対2だったんだけどね」
「さっきまで? って、まさか⋯⋯あんたいくら突っ込んだんだ?」
「私が30万で、アザリアが10万だっけ?」
アザリアが頷くと、ティムは驚きを通り越して呆れて見せた。
「金もったいなくね?」
「ぜーんぜん。もっと突っ込みたいくらいだよ」
余裕な姿を見せるラウラに、ティムは腕を組んで唸り始める。ラウラのあまりにも余裕な姿に、ティムの欲がムクムクと起き始めていた。しばらく悩む姿を見せていたが、意を決したのか勢い良く顔を上げる。
「よし。オレも【クラウスファミリア】に賭けて来る!」
「アハ、いいね」
「でも、3万ね。あんた達みたく金持ちじゃないんで」
「大丈夫、ボロ儲けだって」
「んじゃ、オレもひと口乗ろうかな。ここでまた会ったのも何かの縁だし、ゲン担ぎだ。ティム、オレの分も頼む⋯⋯1万な」
「いいね。今回の潜行はいい結果になるよ、きっと」
ラウラは【ノイトラーレハマー】に親指を立てながら、満面の笑みを向ける。アザリアは、そんなやり取りに少し呆れながらも、微笑みを持って見つめていた。
■□■□
ギルドの受付の前に、決闘の勝敗を伝えることになる掲示板が作られていく。
簡易的で質素なものでしかないその掲示板を、行き交う人々は必ず一瞥していた。
何が起こっているのか知らない人間は、概要を聞くと呆れて見せ、概要を知る人は、結果は知れていると、一瞥だけして通り過ぎて行った。
その掲示板の脇にある簡素なベンチに、イヴァンは杖を傍らに置き静かに座っている。その表情に、焦りや緊張はなく、淡々と落ち着いた姿を見せていた。
「イヴァンくんは、随分と落ち着ているね。こちらどうぞ」
「ありがとうございます、ミアさん」
イヴァンはミアが差し出したカップを素直に手にし、ゆっくりと口に運んだ。温かいカップから、ミアの優しさが伝わりイヴァンは心も温かくなるのを感じた。
「心配してないのね」
「そうですね、心配はしていません。きっと何も問題なく事が片付いて、そこに【クラウスファミリア】の勝利が書かれるだけですから」
イヴァンはそう言って、簡素な掲示板を指差した。
「そっか。信頼しきっているのね」
「はい」
イヴァンはミアに力強く頷いて見せた。
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壁がぐにゃりと変形する。
「行け!」
グリアムの掛け声で、一斉に取り囲もうと飛び込んでいく。だが、それを嘲笑うかのように、するりと視界から消えていき、やり場を失った手の平は、冷たい壁に触れるだけだった。
「だぁっ! クソ!」
同じ事の繰り返しに、ルカスは悔しさを露わにして、アイヴァンミストルが淡く光る天井を仰ぐ。一同の深い溜め息は、坑道に吸い込まれていった。
こうも、うまくいかんものか?
グリアムはシルバースライムの逃げた方向を見つめ、打開策を模索しながら、スライム一匹に翻弄されている自分たちの姿に、少しばかりがっかりしていた。




