第39話 決断する
俺たちの舞台は終わった。
大団円を迎えて、観客からの大きな拍手を受けて。
「お疲れ様、とても……とってもよかったわよ」
舞台裏に戻ると、満足げな笑顔の志乃が俺たちを出迎えた。
目の周りが少し赤くなっているように見えたのは気のせいだろうか。
「ほんまや、間違いなく今までで一番の舞台やったな」
「それは間違いないわね。あの拍手の勢い聞いた? 次のクラスきっとめちゃくちゃプレッシャー感じているわよ?」
「うわ……性格悪いこと言い寄るわぁ……」
「何よ、なんか文句でもあるの?」
いつも通り、いや、テンションが上がっているかいつも以上にヒートアップする二人の言い合いを素通りして俺は着替えに向かった。
「お疲れ様、誠。すごかったよ! 僕感動しちゃった」
「怜央、それは言い過ぎだろ……」
「いやいや皆言ってたよ。特にラストの告白のシーンなんて……」
「やめてくれよ恥ずかしい」
本気で恥ずかしい。
後悔はしていないとはいえ、あれは二人称を変えただけで俺の本音なのだ。
それを褒められると、どうしてもくすぐったさを感じてしまうのは仕方のないことだと思う。
「……にしても、終わっちゃったね」
「ああ、終わったな」
更衣室には灰のように燃え尽きて、心ここにあらずといった人も散見される。
それだけ芝居に入り込んでいたのだろう。
俺も俺で体が重くなるような疲労感を感じていた。
ただ、それは肉体的なもの。
心のうちでは俺は晴れ晴れとしていた。
ずっとつっかえ続けていた靄がようやく晴れたからだ。
「誠はこのあとどうするの? まだ午後も文化祭は続くでしょ?」
「そうだな~、俺このあとは莉愛でも誘って回ろうかと思ってる」
「そっか、二人とも頑張ってたもんね。楽しんできてよ」
怜央は何かを察したのか、僕も一緒に……とは言わなかった。
この分だと隠してたつもりがバレバレだったのかもしれない。
「それじゃ、またあとでな」
「うん、また後で」
俺は怜央と別れて、莉愛を迎えに行こうとした。
ちょうど教室を出ようとしたした所で。
「誠!」
と怜央に声をかけられた。
「何だ?」
とぶっきらぼうに応えれば。
「その……頑張ってね!」
と手を握りしめた怜央が真剣な表情で俺に伝えてきた。
俺は、
「何をだよ、もう本番は終わっただろ?」
と分からないフリして返して見せた。
実際にもう、腹は括ってるんだ。
頑張らないといけない山はもうとっくに越えている。
※※ ※
「莉愛、どこにいるか知らないか?」
女子更衣室の近く。
クラスの女子を見つけて声を掛ければ、訳知り顔で
「呼んでくるからちょっと待ってて」
とパタパタと急ぎ足で莉愛を呼びに言ってくれた。
想像してるようなことにはならねえよ……。
「マコくん、おまたせ。どうしたの?」
相変わらず自然体で飄々とした莉愛が、シャツの裾を整えながら現れた。
少し急がせてしまったらしい。
その後ろではニンマリ顔の女子たちが、生暖かい視線を送ってきている。
バレてないつもりなんだろうけど、バレバレだからな?
「このあとって予定あるか?」
「ううん、ないよ」
「なら、時間もあるし、ちょっといろいろ校内を回るのはどうだ?」
「いいね。ちょうど私も気になるところがあったんだ」
「ならそこから行くか」
「うん、ありがと」
いつも通りの会話。
いつも通りのテンション。
なんだ、と露骨にがっかりしたような空気が背後で流れた。
それから俺たちは文化祭を思いっきり満喫した。
出店のジャンクな味付けのたこ焼きや焼きそばに舌鼓を打ち、明らかに怒られるんじゃないかっていうくらいはっちゃけたお化け屋敷では顔を見合わせて笑い、研究発表のテーマの難解さに頭を捻らせ。
俺たちはいつも通りに、文化祭を楽しんだ。
俺の決断でどう転がろうと、この時間があったことを忘れないように。
俺はこれから、莉愛に告白する。
返答次第では今まで通りの……こんな関係ではいられなくなるかもしれない。
だから今日この時間を噛みしめていたかった。
セーブがあれば、と思うけれどそんな軽い気持ちでいたくない。
全てが壊れるかもしれなくても……
それでも伝えたい思いがあるから。
そして俺と莉愛はその後も文化祭を満喫し……文化祭終了のアナウンスを共に聞いた。
※※ ※
「楽しかったね。マコくん、いろんな所一緒にまわれて」
「ああそうだな。思ったより楽しめたな……」
うちの高校は文化祭に力を入れているだけあって、どのクラスの催し物もレベルが高かった。
特にクラスの中で力学の実験と称してジェットコースターらしき物を作っているクラスもあって、研究発表もそれはそれで悪くないのかな、なんて思ったりした。
祭り終わりの空気がどこか寂しいのは、早くも暗くなり始めた秋空のせいだろうか。
夕陽の残照で深紅に染められた最寄り駅を出て、俺達は家路へとついた。
いつもと変わらない家路。
一人で歩いていた道。
そのはずが気付けば、いつも隣に莉愛がいるようになった。
他愛ない話で笑って、何気ない仕草にドキっとして……。
そんな日常を、世界を俺は変えようとしている。
──告白一つで世界を変えた物語。
俺たちのクラスの演劇のキャッチコピーだ。
ロミオはジュリエットに告白して、本当に世界を変えてしまったけど、それはきっとロミオたちに限ったことじゃないんだろう。
当たり前を捨てて、それでも伝えたい想いがあって。
全て壊れてしまうかもしれなくて、それでも溢れる想いがあって。
だから俺も世界を変えよう。
ほんの小さな世界だ。
学校の中、家の中だけかもしれない。
もしかしたら今みたいにこうして当たり前のように並んで歩けることもなくなるのかもしれない。
でも、もう我慢できなかった。
伝えられずにはいられなかった。
「なあ莉愛」
「ん? どうしたの?」
俺は何でもないように言った。
「ここでさ、莉愛と再会して……スーツケースを引っ張りながら家に向かったんだよな」
「懐かしいね……って言ってもまだ二カ月くらいしか経ってないのかな? びっくり、もっと前から一緒に居た気がするもん」
「ああ、確かにそうだな」
何でもない日常会話の続き。
今ならまだ思い出話に持ち込めば引き返せる。
ってそんなことするわけないだろう。
俺は──思い出話が嫌いなんだから。
「ここでさ、莉愛と再会して、一緒に過ごして。それでいいと思ってた。でも変わりたいと思ってしまったんだ」
「マコくん……」
強く真っすぐ、莉愛の目を見つめる。
その圧の強さにたじろぎもせず、莉愛もまた真っすぐ俺の目を見つめ返してくれた。
「莉愛」
「うん」
「好きだ」
好きだ。
たった三文字。
言ってしまえば驚くほど単純なその言葉を言うのにいったいどのくらいの時間迷ったのだろう。
「俺にはない自然体で……いつもノビノビと楽しそうにしている莉愛が好きだ」
夕陽に負けないくらい莉愛の表情が赤く染まっていく。
口をパクパクとさせて何か言いたそうにしている莉愛を無視して俺は溢れ出る言葉を吐き出していく。
「ふとした時に見せる照れたような表情が……隣で笑う横顔が……その全部が好きだ」
好きだ。
言葉にしたらもう止まらなかった。
「だから……俺と付き合って欲しい」
言葉は飾らない。
直球勝負だ。
俺はノーマルキャラで、どうしようもなく凡人だから、こんな時にロマンチックな愛の言葉をささやくことなんてできない。
俺にできるのはただ思いの丈を真っすぐに伝えることだけだ。
全てを伝えた俺は大きく息をついた。
答えはまだ何も聞いていないのに、心は晴れ晴れとしていた。
どんな結果が訪れようと全て俺の選択の答えだ。
後悔は絶対にしない。
「………しい」
「え?」
俯いたままの莉愛がポツリとか細い、今にも消え入りそうな言葉を漏らした。
俺は莉愛が言葉を続けるのをただジッと、微動だにせず待った。
「嬉しい」
「莉愛……」
「私も……マコくんが好き」
言われて、心臓が跳ねあがるような気がした。
全身の血の流れが知覚できるような、そんな気がする。
「ちょっと心配性だけど……いつも私を機にかけてくれる所が……好き。困ってる人を放っておけない優しい所が好き」
何だこれ。
正面切って好きって言われるのって……。
こんなにも恥ずかしくて、こんなにも嬉しい。
「ねえ、マコくん」
「何だ?」
「空気が読めないこともあって……ちょっと常識だって危なくて、足りない所だらけの私だけど本当にいいの? マコくんの隣にいて本当にいいの?」
莉愛の目からキラリと零れ落ちるものがあった。
それは小さいけど、叫んでいるかのようだった。
「いいに……決まってる」
「うん」
「そんな莉愛だから……好きなんだ」
欠点なんて誰にでもある。
でも今はもうそんな欠点すら愛おしく思えていて仕方がない。
「何それ……ちょっと……バカにされてるみたい」
莉愛は手の甲で零れ落ちる雫を掬い上げて、困ったように笑った。
「「あは……ははははは」」
そして俺と莉愛はどちらからともなく顔を見合わせて笑った。
疲れて表情筋がつりそうになるくらいの笑顔で。
最終話はこの後20時に投稿します。
二人の結末をどうか見届けてください。




