第36話 子供の無邪気な質問は時に大人を困らせる
目の前で泣いている女の子を無視することもできず、何とかして泣き止んでもらおうと試みるが……
分からん。
俺の習得したスキルに泣いている子供を泣き止ませるスキルは存在していない。
ただ、どうしたの? 大丈夫? と聞くことしかできなかった。
「迷子……だよね」
「十中八九そうだろうな」
それなりに広い園内に、大量の人。
これで迷子が発生しない方が難しいというものだろう。
わんわんと泣くばかりの子供、放っておくわけにもいかない。
しかし、どうすればいいのか……。
「ねえねえ、お父さんとお母さんとはぐれちゃったの?」
莉愛もまた新品のフレアスカートが汚れることも躊躇わず、膝をついて女の子の目を覗き込んだ。
「迷子……お父さんとお母さんが」
「なるほど、そう来たか」
プライドが高いのかあくまで迷子なのは両親の方というスタンスらしい。
「莉愛……悪いな、観覧車は後でいいか?」
「え?」
「探そう、この子の親」
せっかく莉愛が楽しみにしていた所悪いが、ここで誰かに預けておいて自分達だけ観覧車に乗って続きを楽しみましょう、なんてできるはずがない。
観覧車は後回しだ。
今はこの子の親を見つけないと。
「莉愛、ちょっとその子のこと見ておいてくれないか?」
「うん、大丈夫だけど……どうするの?」
「迷子センター、多分この施設のどこかにあるだろ」
そう、こんな迷子が多発しそうな場所で迷子センターがないはずがないのだ。
俺は地図を広げてインフォメーションセンターを探した。
「げ……結構距離があるな」
最寄りのインフォメーションセンターでもここから十分は歩いていくことになりそうだ。
それも俺と莉愛のペースで、の話だ。
あの手の小さい子供を連れていくとしたら倍の時間はかかると思った方がいい。
いや待てよ……子供がそう遠くまでいくとは考え辛い。
迷子の女の子の両親もこの近くにいるんじゃなかろうか。
入れ違いになる危険性もある。
「とりあえず……話を聞くしかないよな」
俺は再び迷子の女の子と向き合った。
莉愛があやしてくれていたおかげで、今はグスグスと鼻を啜ってはいるが先ほどみたいに話の通じない状況ではなさそうだ。
「ねえ、君名前は何て言うの?」
「知らない人に教えちゃダメって……ママが」
「なるほど、しっかりとした親御さんだ……」
俺は正直子供が苦手だ。
言動が支離滅裂過ぎて振り回されてしまうから。
だが、今はそうも言っていられない。
「あのね、お兄ちゃんとお姉ちゃんが、君のお父さんとお母さんを見つけてあげるからさ」
「……ほんと?」
「ええ、本当よ」
「ゆうかいしない?」
「しないしない」
……随分疑り深い子供だな。
よっぽど用心深い親なんだろう。
だったら目を離すなよな。
「じゃあお名前教えてくれるかな」
「みあ」
「みあちゃんね、名字は何て言うのかな?」
「さえき」
「さえきみあちゃんね。お姉ちゃんはね、ゆうひりあ、っていうの。こっちのお兄さんがマコくん」
「りあおねーちゃん、マコ」
「俺だけ呼び捨てかい……まあいいけど」
相変わらず俺には警戒心を向けてきているが、莉愛には心を開いてくれたようで、表情も少しずつ明るくなってきた。
「莉愛、お父さんとお母さんとどこではぐれたか聞いてくれないか」
「うん、まかせて」
ここは役割分担だ。
莉愛に任せておけば問題ないだろう。
俺はその間に周囲の人物を一通り確認してみた。
……迷子を捜しているような親らしき人はいない。
もしかしたら結構遠くからここまで来たのか?
「マコくん、みあちゃん話してくれたよ」
「どうだって?」
「あのね、お花見るのに飽きた所に観覧車が見えたから走ってきたんだって」
「ありそうだなぁ……」
観覧車が見えた。
これだけの情報じゃどこにいたかは判別できない。
観覧車は結構広範囲から見えるのだ。
お花を見るのに飽きたってことは、俺達がいたみはらしの丘付近にいた可能性もあるが、他にも花が咲いている場所はたくさんある。
決めつけは避けるべきだろう。
「よし、迷子センターいくか」
「そうだね、アナウンスしてもらうのが一番かも」
「みあ、迷子じゃない」
「はいはい、そうだね。迷子なのはお父さんとお母さんなんだよな」
「マコ、いいやつ」
どうやら警戒心を解いてくれたらしい。
「それで……どうして俺の服を掴んだの?」
「パパかと思ったから」
「なるほど……」
じゃあこのみあちゃんのお父さんも似た様な色のジャケットを着ているのだろう。
それで俺をお父さんと間違えて、服を引っ張った、という感じだろうか。
「ねえねえ」
「ん?」
「ふたりもパパとママなの? 結婚してるの」
「んなっ」
子供特有の無邪気だけど場を凍らせがちな質問!
その質問に俺と莉愛は顔を合わせて……耐え切れず照れたように逸らした。
「えーと……違うよ? 俺と莉愛おねーちゃんはね……友達なんだ」
そう、友達。
日本語って関係性を指し示す言葉が足りない。
というより言葉で規定できる関係性の方が少ない。
友達なのは間違いないが……なんて言えばいいのだろう。
「友達……」
莉愛がどういうわけかシュンとしたように表情を曇らせる。
確かに他に適切な言葉があったかもしれないな。
家族……っていうのもなんか違うし……
今日に限って言えば……あくまでフリだったけど……恋人、とか。
なんて答えるのが正解だったんだ?
※※ ※
結局、迷子センターに送り届けてそのままはいさよなら、というのも薄情な気がしたので両親が到着するまで一緒に待つ事にした。
みあちゃんの両親が現れたのはそれから三十分以上経ってからで、そのころになるとみあちゃんは疲れて寝てしまっていた。
みあちゃんのお父さんはなるほど俺と間違えるわけだ、と納得してしまうほど似た様なジャケットを着ていた。
「本当にありがとうございました」
「ほら、美亜、ちゃんとお礼を言うのよ」
いかにも優しそうな両親は恐縮しきった様子で俺たちに頭を下げてきた。
「じゃあね~、りあおねーちゃん、マコ~!」
その中でみあちゃんだけが明るい笑顔で笑っていた。
子供の適応力ってすげえよ。
「行っちゃったね」
「ああ、びっくりしたな」
「ふふ、絶対志乃の計算外だよ、これは」
「そうだな」
秋の日は釣瓶落とし。
時刻はまだ四時過ぎだと言うのに、西の空が薄い朱色のグラデーションを作り始めていた。
「今からどこか回る……っていうのは難しそうだな」
「そうだね……帰ろっか」
「だな」
莉愛は少し名残惜しそうに言った。
俺も出来るならもうちょっと……一緒に居たかったが明日は学校。
高校生がそう遅くまで出歩くわけにもいかない。
「ごめんな……」
「え?」
「観覧車、乗れなかっただろ」
俺は間違ったことをしたとは思っていなかったが胸中は後悔で満ちていた。
せっかく莉愛が楽しみにしてくれていたというのに台無しにしてしまった。
「ううん、気にしないで……だって」
そこまで言って莉愛は、ハッと何かに気づいたように目を丸くした。
「ねえマコくん!」
「おう……どうした。そんなテンション高くして」
「私分かっちゃったかも?」
「……何が?」
あまりにも突拍子もない言葉に俺はただ呆然とするしかなかった。
何を言わんとしているのか、理解できない。
「そっか……だからロミオは、ジュリエットは」
「おーい、莉愛?」
「うん、やっぱりそういうことだったんだね……」
莉愛が何かを掴んだらしいことは分かった。
だが、何がどうして、何がきっかけでそうなったのかが、俺には分からなかった。
「ありがとう、マコくんのおかげだね。私やっと、やっと分かったの。私は……」
「俺は別に……」
何もしていない。
言いかけて言葉に詰まった。
意思深に、薄く頬を空と同じ朱色に染めて、照れたように笑う莉愛。
その表情が、あまりにも綺麗で。
この感情は不要だ。
何故ならこの感情は俺の育成する【生田誠】ではなく俺自身のものだから。
そう言い聞かせて、自分を偽ってきた。
でももう、限界だった。
──俺は莉愛が……
 




