第35話 向き不向きってものがある
電車に揺られること一時間。
ぎこちなさは残りながらも、会話が途切れることはなかった。
他の乗客から何故か生暖かい視線が向けられている。
その居心地の悪さを感じているのは俺だけなようで、莉愛は園内の地図を見始めると「ここに行ってみたい」「これを食べてみたい」と無邪気に笑っていた。
電車を降りればわずかに香るのは潮と花の匂い。
九月の暮れの空気と相まって、とても爽やかに感じた。
さすが人気スポットということもあってか、家族連れやカップルの姿も多く見られる。
その中でも視線を独り占めにする莉愛と共に海浜公園直通のシャトルバスへと乗り込んだ。
「ねえ、最初はどこに行こっか」
「そうだな……昼までは時間があるしまずはみはらしの丘に行くなんてどうだ? 一番の有名スポットらしいし」
「うん、いいと思う」
「それからのことは……軽く何か食べながら決めようか」
「そうだね。ゆっくり歩いてたら行きたい場所とか見つかるかもしれないし」
志乃から渡されたデートプランにはオススメスポットがいくつかコピペで貼られているだけで、あとはほとんど丸投げとだった。
──それだったら最後まで責任持って、ルートまで決めてくれよ……
と愚痴を言ってみたら、
──誠は遊園地で最初にどれに乗って……最後にはこれに乗るって全部ガチガチに決めないとダメなのかしら? 大事なのはその場の雰囲気に合わせたアドリブよ。
とド正論で返されてしまった。
確かにデートの目的は楽しむことであって、ガチガチに組み上げた予定を遂行することじゃない。
──というわけで、莉愛が何をしたいのか常に察せるようになさい。
無茶ぶりだとは思ったが、世のカップルの男性諸氏はきっとこのスキルを身に着けているのだろう。
だとしたらこれもスキル獲得のミッションだと割り切ってチャレンジしてみる他ない。
幸い莉愛は、表情にすぐ出るから全く空気の読めない提案ばかりして愛想を尽かされる……なんてことにはならないはずだ。
バスは程なくして海浜公園に到着し、俺達はみはらしの丘へと向かった。
近づくにつれてその全貌が露わになる。
「綺麗……」
莉愛がウットリとした声を漏らした。
俺も目の前に広がる光景に圧倒されて、それに続く言葉が出てこなかった。
九月の暮れのみはらしの丘は炎のように真っ赤に色づいたコキアで満たされていた。
その合間に見えるのはコスモスだろうか。
潮風に乗って芳醇な花の香りが鼻孔をくすぐった。
「思った以上だな」
「あ、そうだ。マコくん、写真撮ろうよ写真」
「別にいいけど……珍しいな」
「いやー……それは~……気分っていうか?」
こういう時でも莉愛の演技はぎこちなかった。
多分志乃から二人で写真でも撮ってきなさい、というミッションでも課されているのだろう。
「それじゃ、通りがかりの誰かに頼むか……」
「いや、そうじゃなくて自撮り! 自撮りしようよ」
「自撮りって……まあいいけど」
志乃のやつ……莉愛が普段から自撮りとかしないことを分かっててこんな指令を出しやがったな。
「ねえマコくん。スマホのカメラってこれどうすればいいの?」
案の定、莉愛は自撮りの仕方が分からないらしかった。
どこで見たのをマネたのか、不器用な中腰に手をへんな角度で伸ばして首も捻りそうになっている。
花も一緒に映そうとしているのだろうか。
それにしても不格好が過ぎる。
せっかくの綺麗な装いが台無しだ。
見るに見かねて俺は莉愛のスマホを取り上げることにした。
「ほら、俺が取るから」
カメラを自撮り仕様に切り替え、右腕をぐっと伸ばして画角を調整する。
俺たちだけじゃなくて景色もちゃんと映るようにしっかりと。
「おっけ。入ってきて」
画角の調整が終わり、莉愛を招きいれる。
そこまではよかった。
「うん、えーとこうかな」
莉愛が画角に収まろうと近づいてくる。
……肩と肩とが触れ合いそうになるまで近づいた。
そう、スマホのカメラで自撮りをするには体を密着させるくらい近づかないといけないのだ。
しかも、俺の姿勢はカメラを持っているために固定されてしまっている。
手が回ってないだけでほとんど莉愛を抱き寄せるような形になってしまっていた。
ほのかに甘い匂いがした。
それは背後を彩る花の香りではなく、莉愛のものだ。
香水でもつけているんだろう。
呼吸をする度に、甘い香りが胸に届き、それがどうしようもなく俺の胸を強く脈打たせる。
なんとも心臓に悪い。
俺はその鼓動が莉愛に聞こえる前に距離を取りたくなって、急いでシャッターを切ることにした。
そのせいもあったのだろう。
「どう……どんな感じ?」
莉愛がひょこっと顔を出してスマホを覗き込んできた。
「ごめん……ブレた」
撮った写真は俺の動揺を映すばかりで、表情をはっきりとは映してくれなかった。
要するに酷いブレ具合だった。
「ぷっ……あはは」
「笑うなよ、俺だってそんなに自撮りし慣れてるわけじゃないんだから」
「あは、あはは……だって、マコくんめっちゃできそうな雰囲気出してたのに」
「それは……ちょっと見栄をはった……だけだし」
スマートな男なら、ここでバッチリと盛れる自撮りを取って見せるのだろう。
帰ったら、自撮りの勉強しよ……。
言い訳をさせて欲しい。
まさか俺に自撮りのスキルが必要になる日がくるなんて思ってなかったから……。
異性と二人で、何処かに行くなんて想定して俺はスキルを取得していないんだ。
俺のスキルはあくまで学校の中でしか使えないものばかりだ。
莉愛と一緒にいるようになってから、莉愛には隙を見せてばかりだ。
俺はもっと……SSRのやつらと隣に並んで歩けるような、そんなSSRの……に相応しい【生田誠】にならないといけないのに。
「悪い、この写真はさっさと消して、他の人に写真撮ってもらおう」
「え、いいよ消さなくて」
「なんで? ブレブレで顔もほとんど分からないんだぞ」
「でも私は、これもこれでいいと思うんだ」
莉愛が何故そう言ったのか分からなかった。
こんな恥ずかしいものは渡せないと、多少は抵抗したものの。半ば強制的にそのブレブレの写真をシェアすることになってしまった……。
※※ ※
「美味しかったね。あのシフォンケーキ」
「見た目が青っていうのは若干どうかと思うが……味は良かったな」
みはらしの丘を満喫したあとは、自然に囲まれたこじゃれたカフェで軽い昼食を取った。
地元の食材や、名産品をこれでもかと主張させたメニューの数々や、そのビジュアルに驚きはしたが、味は普通に美味しく満足のいくものだった。
特にネモフィラ推しがすごく、青々とした食欲減退効果がありそうなメニューが豊富にあった。
俺たちがさっき行ったみはらしの丘では春になるとネモフィラの花が一面をライトブルーに染め上げて、とても幻想的な景色を生み出すらしい。
季節によって別の花々が景色を彩るのも、この海浜公園が人気の所以なのだろう。
「それじゃ、次はどこ行こっか」
「ここからは少し遠いんだが……砂丘もあるみたいだぞ」
「砂丘……って砂漠みたいな?」
「いや、少し違うな。砂丘っていうのは風で運ばれた砂が作る丘……のことらしいぞ」
ちょうど見ていたパンフレットの所に砂丘と砂漠の違いが書いてあったので、俺はそのままを伝えた。
莉愛はあんまりぴんときていないのか、頭に疑問符を浮かべて首を傾げている。
俺と莉愛の間に流れる空気はいつも通り……とは言い難かった。
普段は壁なんて作らない莉愛との間に若干の距離を感じる。
お互い意識しないようにしているが、これはデートということになっているのだ。
普段と違う恰好、普段と違う場所、普段と違う関係性。
自然と振る舞い方も普段とは違うものになってしまう。
いや、莉愛はきっといつも通りなだけで……俺だけが妙なことを意識して……勝手に莉愛から距離を取っているだけなんだろう。
だって、莉愛は演技の勉強のために来ているんだから。
それ以上のことなんて考えていないはずだ。
だから俺も……莉愛がジュリエットの気持ちを理解できるように……ロミオに徹するんだ。
俺自身でも【生田誠】でもなくて、今日はロミオのように。
「あ……観覧車」
莉愛が無邪気な声をあげる。
声に釣られて莉愛の向いている方を見ると、大きな観覧車がゆっくりと動いていた。
「乗りたいのか……?」
「いやでも今日は……」
「今日は?」
歯切れの悪い莉愛の言葉。
自分の中の何かと葛藤しているように見えた。
「だって今日は……デート……だから。いつもみたいに私が振り回してばっかじゃダメなんだよ」
「どういうことだ」
「知ってるよ。マコくんが色々頑張ってエスコートしようとしてくれてること、志乃が忙しいのに今日のシナリオを考えてくれたこと。だから、今日の私はそれに応えないといけないと思ってたのに……まだ私、ロミオとジュリエットのこと何も分からなくて」
そうか、莉愛も莉愛なりに今日のことをデートだと思って、いつもと違うように振る舞おうとしていてくれていたのか。
だから、今日の莉愛は少し不自然だったんだ。
なんだ、緊張していたのは俺だけかと思ってた。
そう考えると少し心が軽くなった。
無理して取り繕う必要なんてないんだ。
だって莉愛は莉愛のままでいるのが一番だから。
「だから、行こうよ。砂丘。観覧車はやっぱりいいや」
どう見ても諦めきれていない名残惜しそうな顔。
やっぱり俺は、俺達は……
「ぷっ……はは、あはははは」
「もう、何でマコくんが笑ってるの!?」
結局こういうことに向いてないんだ。
志乃には悪いが、今回のシナリオは駄作だ。大失敗だ。
演者の力量をはき違えたんだ。
俺たちには普通のカップルみたいなことなんて……出来やしないんだ。
だから。
「乗ろうよ、観覧車」
「え? でも……」
分かりやすく感情が揺れ動く莉愛。
本当は乗りたいんだろ?
「もうさ、辞めにしよう。デートのフリ、なんてさ」
「え……でも私まだ」
「付き合うよ、家で、理解できるまで、何度だって」
そうだ、何も今ここで何かを掴まなくちゃいけないわけじゃない。
所詮高校生の文化祭だ。
演技が下手でも誰も責めやしない。
それにまだ文化祭まで半月もあるんだ。
これから毎日家で特訓しよう。
そうすれば、今は無理でも……ロミオとジュリエットの気持ちが分かるようになるかもしれない。
「いいの?」
「いいんだよ。せっかく遠い所まで来たのに演技のためだけ、なんてつまらないだろ?」
「つまらなくはないけど……だってマコくんが一緒にいてくれるし」
「え?」
「いや、そういうんじゃなくてね! ほら、マコくんがいるといつも通りみたいで安心するっていうか……」
ビックリした。一瞬ドキっとしてしまった。
……勘違いでよかった。
そんなこと……あるはずないのに。
「もう志乃のシナリオのことは忘れてさ。普通に今日を楽しもうよ」
「うん……志乃には悪いけどね」
「その代わり、帰ったら家で特訓だからな」
「え~、マコくん意外と妥協してくれないし……」
「そりゃ、時間は有限だからな」
笑った。いつも通りに。
顔を見合わせて、吹き出すみたいに。
そして俺と莉愛は観覧車の方へ向けて歩き出した。
いつも通りの距離感で。
「ねえ……」
「ん?」
観覧車が近づくと、莉愛が甘い声を出した。
ドキリと心臓が早鐘を撃って、ドクンと大きく脈が鳴る。
「本当はね。志乃に言われたことも……演劇のことも関係なくね。マコくんと一緒にデートする今日のことは楽しみに……してたんだよ?」
「──え?」
それはつまりどういうことだ?
と聞こうとしたその時。
俺のジャケットの裾がクイっと引っ張られた。
力強いその勢いにつんのめりそうになる。
踏まれるにしては位置が高すぎる。
何事かと思って振り返ると……目に涙を浮かべた小さな女の子がいた。
「えと……どうした?」
五歳くらいだろうか。背は俺のへその辺りまでしかない。
膝を折って目線を合わせて、怯えさせないように優しい声音で話しかけると、
「……パパじゃない」
「え?」
「パパとママじゃないのぉぉお!!」
そういって目に貯めた涙を爆発させるようにして、辺り一面に響き渡るような大きな声で泣き始めた




