そのよん
――4――
翌日。
当然ながら、一度失敗した以上、犯人がもう一度食いつくとは限らない。そこで、他の先生方にも協力を促し、前回のように複数箇所の張り込みを要請。
それ以外にも居住区の見張りや一人にならざるを得ない生徒の護衛などかなり広範囲に人をさかなくてはならないから、実質、囮を買って出てくれた笠宮さんの警護は私と陸奥先生のみ、ということになる。
「準備はどう?」
「いつでもいけます!」
「うん。良い返事ね。でも、無理はしない。いいね?」
「はいっ」
陸奥先生が、能力、幻視の応用で、変質者が私と陸奥先生の存在に気がつかないように最大の注意を払ってくれている。
そのため、陸奥先生は私たちを常に見晴らせる場所にいなければいけないため、少し遠巻きだ。けれどそのおかげで、私は笠宮さんのほんの五歩後ろで待機することができた。
「行くよ」
「はい……っ」
空はどんよりと重い雲に覆われているが、雨は降り出していない。
視界はやや良好。探知術式も展開済み。さぁ、仕上げだ。
「【術式開始・形態・防御・様式・個別・術式停滞】」
「え? 今のは……?」
「二年生になったら教えるよ。さ」
「ええと、そうじゃなくて、その……は、はい」
色々と難易度の高い魔導術式は、メリットもリスクも込み込みだ。
それはまぁおいおいとして、今は笠宮さんを促す。
「雨、降らないといいなぁ」
そう呟く笠宮さんの横顔は、なんとも儚げだ。
その儚さの裏に秘められた激情は、きっと、彼女だけのものなのだろう。ずっとしまっていた“それ”を表に出すことを許せるのは、他ならぬ彼女自身だけだ。
まるで本当に一人きりでいるような、独特な雰囲気。
あどけなく無防備な背中を見守っていると、不意に、黄の丸(未認識)の表示が脳内に映し出された。
結局昨日、認識することができなかった変質者。その影に間違いないと、培った勘が告げている。
「っ」
ふと、笠宮さんが足を止める。
彼女の目の前、数十メートル先から悠々と歩いてくるのは、私が認識した黄の丸。
今日は奇襲ではなく、怖がらせて、わいせつ行為に及ぼうとでも言うのだろうか。
「きヒっ」
男の口元が歪に歪む。
というかこの男の服装……あれ、目深に被った帽子も込みでよく見たことがある。というかこれ、ひょっとしなくても出入りの清掃員じゃないか。
「だめだよ、お嬢さん。ひとりでこんなところにいちゃあ」
「な、んですか? だれ、ですか?」
「そうだ! お兄さんが安全な場所に連れて行ってあげよう」
「こ、こたえてください」
「大丈夫、怖いことは何もない。そう、そうさ、ようやく出逢えたんだ。きっと運命なんだ。おれの、ひっへへっ、おれだけの妖精」
話がまったく通じない様子は、まさしく狂人のそれだ。
両手を広げてゆっくりと歩いてくる姿には、不気味なものを覚える。ああ、これは、この人間は、本当に“駄目”な人間だ。
「キヒッ、ハァッ」
ゆっくりだった歩みが、急激に加速する。
土埃をあげながら、進む足は二本から四本へ。
鋭く伸びた爪と、ギザギザに変化する歯と、帽子の下で光る瞳孔。
共存=変身型か!
「おれたちは、ツガイに――」
「【停滞解除・展開】」
「――なん、ギャヒンッ!?」
笠宮さんの前に踏み込み、防御結界を展開。
男はそれに勢いよくぶつかり、弾かれるように後ずさる。
「グルルルル……テメェ、いつの間に」
「特専も、出入り業者くらい精査しないとなりませんね。異能者が紛れ込んでいたとは……」
通常、出入り業者の人間に異能者がいる場合は、能力使用を感知する端末の所持が義務づけられる。持ち歩かなかっただけで厳罰が処されるGPSつきのモノなのだが……。
「どけよババア! おれはそのことツガイになるんだよォッ」
「ばっ……んんっ……そんな勝手なことを、見逃すわけにはいかないわ」
「僻みかババア」
……二十六歳ってババアなの?
え? いや、若くはないよ? でもさぁ、ババアってひどくない?
「“幻視迷宮”――これより先に、道はない」
「ッ!?」
と、私が我が身を犠牲にして時間を稼いでいる内に、陸奥先生が結界を張り終えてくれたようだ。
感覚幻惑結界。男の目には、周囲が壁で閉ざされているように見えて、かつその壁は乗り越えられない、と思い込むモノだ。
生物を壁やオブジェと認識させられなかったりと制約も多いが、効果範囲はピカイチの高等技術……って、陸奥先生、昨日よりも機嫌悪い?
「聞いていれば観司先生に酷いことばかりを――観司先生はお綺麗だろう! ふざけるな!」
あ、そこ。
い、いや、嬉しいけどさ、今は、ねぇ?
怒り心頭といった表情で言い放つ陸奥先生。あれなんか、キャラ違うくないか。
「うるせぇ! 十八才以上はババアだ! 二十歳越えたババアだろそのババア!」
「はぁ? アンタ、目が腐っているんじゃないか? 二十六歳はおばさんですらないだろ! 綺麗なお姉さんだ! いいか? お姉さんだぞ!?」
「ババアフェチかテメェ!」
「お姉さんだっつってんだろ! いいか、綺麗なお姉さんだッ! 復唱しろッ!!」
ひ、ひとの年齢をあんまり公言しないで欲しいのだけれどううむ。
第一、お姉さんって連呼しすぎではないだろうか。え? 陸奥先生って、そういう?
「観司先生、見ちゃ駄目です。両方見ちゃ駄目です」
「うん、まぁ、私は別に大丈夫。それよりも、笠宮さんはちょっと下がっていて」
「え?」
「まぁ、気を取り直して――“魔導術師の戦い”を、見せてあげる」
通常はもっとあらかじめ警告を発するのだが、既に相手は牙を剥いた後だ。
ならば、牙のお返しは弾丸でも構わないだろう。
「【術式開始・形態・攻勢展開陣・追加・防御展開陣・様式・短縮・付加・時限:十分・起動】」
細かい設定を付加するモノは、速攻術式では難しい。
だから陸奥先生が言い争いという名のナニカで時間を稼いでくれている内に、たっぷりと詠唱を済ませておく。
要素が多すぎて混乱している笠宮さんをその場に残し、歩きながら腕を前に突き出す。すると、複雑な紋様を描く白い魔導陣が展開した。
「【弾丸】」
「ババアにババアっていって何が――ぐっ?!」
「お姉さんだ! お姉さまでも――おわっ?!」
獣の如き反射神経で避ける男。
だが、避けきれず左腕にかすめる。
「陸奥先生は笠宮さんを」
「は、はい!」
「言及は後で」
「ひ、ひゃい!」
男は空中で体勢を整えると、獣のように四足で着地する。
靄のように見え隠れする尾と耳。鋭くなっていく爪。犬系の共存型。その中でも、身体を変質させる変身系の能力者だろう。
「なんだよそれェッ! 魔導術は異能の絞りカスじゃ!?」
「【弾丸】【弾丸】【弾丸】――魔導術は、独立した技術。とはいってもこんな裏技には威力低下や命中率低下やらとデメリットも多いけれど……あなた程度なら、それで充分」
いやまぁ、大怪我させることなく連行するために威力の低いやり方をしているだけなのだけれど……余計なことは言わなくても良いだろう。
唱える度に空を裂く弾丸は、当たっても打撲程度だろう。だが、飛びかかろうとする男を牽制し、その四肢にぶつける程度ならそれで充分。
ガギンッと硬質な音が響く。
男が踏み砕いた石畳が土煙をまき散らし、その第一歩を魔弾が掬う。
一歩踏み込む度に飛来する弾丸は、男の体力と抵抗を削る。
「あぎッ、グァッ?!」
「【弾丸】」
「ぎっ、くそッ」
「【弾丸】」
「あぎゃッ、ざッ、ごッ」
「【弾丸】」
一発ごとに男の身体が宙を舞い、跳ねるように転がっていく。
「おか、しいだろ! なんで、テメェみたいなのが、無名なんだよォッ!!」
「魔導術師は、異能者よりも格下。そんな風潮に惑わされるから、その利便性に気がつかない」
魔法は強大だ。
成すこと全て、理外の力となる。
魔導は脆弱だ。
現代兵器と遜色ない程度の力だ。
で?
だから?
極限まで利便性を追求してきた技術は、器用貧乏から万能へと進化する。これは、たったそれだけのこと。
「ひ、ひぃっ、近寄るなッ!!」
「たかだか制服を切り刻んだだけ。本当にそう思っているのなら、思い知りなさい。及ばない力で押さえつけられる恐怖を――!」
一歩踏みしめる度に、男は怯えて後ずさる。
無駄にいたぶる気は無い。このまま一息に――
「きゃぁっ!?」
「うわぁっ」
「!」
悲鳴。
突然のことに振り返ると、地面に倒れる陸奥先生の後ろ。
藻掻く笠宮さんが、“黒い狼”に咥えられていた。
「笠宮さん!」
「だ、大丈夫です、痛くは――それより、陸奥先生が……あぅっ」
探知に映らず潜行する能力。
それができるということは、それだけで“私たち”とは別の枠。
『グルルルル』
狼はうなり声をあげると、影に溶けるように消えていく。
慌てて弾丸を放つも遅く、その場に狼の姿はなかった。
「あの男も……ッ」
狼が連れて行ったのか、男の姿もない。
事態は一刻を争うだろう。アレに連れ攫われるなんて、なにをされるかわかったものじゃない!
どうする? 飛翔術式を展開。いや、追跡できないんじゃ無駄足だ。しらみつぶし? 時間が掛かりすぎる!
どうする、どうする、どうする――。
『わたしに、戦うチャンスをください……!』
ふと、戦うことを覚悟した笠宮さんの声が頭を過ぎる。
ああ、そうだ。笠宮さんは覚悟を決めた。きっと、今も戦っている。
だったら、私が“私から”戦うことを逃げたら、笠宮さんに顔向けできない……!
「大丈夫ですか?」
「ぐっ、は、はい。ごめんなさい、油断、しました」
「【術式開始・形態・治癒・付加・睡眠・展開】――麻酔効果と治癒です。結界を置いていきますので、救護が来るまで、そこに」
「は、い」
魔法の力で眠りに落ちる、陸奥先生。
肩口を派手に切り裂かれていたが、出血の割に傷は浅い。素早く処置を施したから、本来なら、寝かせる必要は無かったことだろう。
でも。
流石に、見せるわけにはいかない。
「来たれ、【瑠璃の花冠】」
マジカル・トランス・ファクト。
唱えて輝く魔法のステッキ。身を包むのは、いつもの魔法装束。
ひととおり強制ポーズを決めさせられて、私の世界が拡張される。
魔法を選択しながら追跡するのは、時間のロスだ。
結局、手順が高速化されるだけで、余計な手間はかかる。なによりも、“アレ”が“選択可能”な状況で、選ばないとステッキが誤作動を起こすクソ仕様。
だから、唱えよう。
そして、今度こそ思い知らせよう。
圧倒的に及ばない力で、一方的に蹂躙される恐怖を――!!
「【トランス・ファクト・チェーンジッ】!!」
2016/08/08
誤字修正いたしました。
2016/09/02
誤表現訂正いたしました。




