9月 ―1―
「郎ちゃん、これお願いー」
「うん。了解」
カウンターに出された軽食と紅茶を、盆に載せて受け取る。そのまま注文をしたお客さんのもとへ。
お客さんは商店街の肉屋のおば――お姉さんだ。俺は人の名前を覚えるのが苦手なので、その特徴で多くのお客さんを記憶している。この人は“お肉さん”だ――もちろん口には出せない。言ったら最後、明日にはお肉さんの所の店頭に並んでいることになるだろう。
肉屋なのでお肉さんなのだが、お肉さんは偶然にもふくよかな体系をしていらっしゃる。偶然なんだ、本当に……。
「お、お待たせ致しました」
「あら、どうも。でも“お”で一度つっかえたから減点かねぇ。はい、紙出して」
「……厳しいですよ」
それ以外は割とスムーズに言葉が出たのだから見逃してくれまいか。
「見逃すとこれに付き合っている意味ないしねぇ。だから適当には行かないよねぇ。ちゃんと理由は答えてあげるから、精進しなよ」
お肉さんの言葉に、俺のために麗華さんが作ったスコアシートを渋々と差し出す。
「相変わらず気持ち悪い絵は入ってるねぇ。これ、何とかなんないのかい?」
「いや、そのエイリアン、消そうとすると麗華さんが大変なので……」
「仕方ないねぇ。でも、麗華ちゃんは犬って言ってた気がするけど――はい、終わりっと」
減点分の書き込みがなされたスコアシートを渡される。
「毎度、どうもです」
俺の言葉にお肉さんが片手をバタバタと振って笑いながら返す。
「いーよ、いーよ。人の粗捜しなんてみんな大好きだからねぇ。これに付き合ってる連中は、気晴らし程度のお遊びだと思ってやってるよ。それに、あたしゃ先月の見そびれてるからねぇ。今回に期待してるのさ」
お遊び程度で貴重な点を間引かないで欲しい。点数がプラスの間は良いが、今月はもうマイナスに突入して長い。先月から始まった訳だが、あの時は一週間経たずにマイナス百点に達した。
スコアシートは百点を持ち点として月頭に麗華さんから渡される。加点されることはなく、俺がミスをする毎に減点されていく。プラスの間は残った点数の割合で減給され、マイナスに入ってからは百点に達することで厳罰が下ることになっている。
先月に一度経験済みだ……。減点はお客さんの裁量次第という、なんともアバウトなシステム。まあ今まで、皆さん妥当なラインで減点してくれている――一人を除いては。
コミュニケーション能力を鍛えるのがここでの目的であるために、主にスムーズな会話を行えなかったことがミスになる。それと、麗華さんに敬語を使うのも駄目。「彩ちゃんには、敬語じゃないのに、お姉さんには敬語なのー?」と言われて、イエス!って答えたら、危うく店が臨時休業になる所だった。
あの人がそんなことを言ったものだから、佐橋さんが店に来た時に「あれ? 僕には敬語なのかい?」とか言って、五十点も減点しやがった。あれは納得いかなかった。麗華さんに抗議したら却下されるし……。一週間も耐えられなかったのは、あの人のせいだ、間違いない。
「とりあえず、全部終わったかしらー?」
カウンターに戻ると麗華さんに声をかけられた。
「ええ。注文は全部出ま、……たよ」
「今のは見逃してあげましょー」
麗華さんには、未だに時たま敬語で話そうとしてしまう。彩さんの時は最初だけで割とすんなりと敬語止められたのに。
どうしてかなー。
「今月は今ので何点になったのかしらー?」
麗華さんに言われて確認する。もう今月は諦めていたので覚えていなかったが、マイナス九十八点――あと二点だった……。
絶対にもたないな。
麗華さんが、点数を確認して言う。
「あら、もうほぼ確定ねー。今月は何しようかしらー?」
無茶は止めて欲しい。先月は、あの後で話題にも上らなかったので有耶無耶になったと思っていた女装で接客をさせられた。お客さんは皆、主旨を理解しているために、笑いながら写真を撮って帰って行くので泣きそうだった。
拡散とかしてたらどうしよ……。
「あの、あまりキツイのは……」
「じゃあー、今月も先月と――」
「キツイのは嫌だって言ってるでしょ!」
「でもー、そういうペナルティが無いとー、やっぱり頑張れないと思うのー。今月も諦めちゃってる郎ちゃんはグダグダだしー」
「頑張るから! もっと他にあるでしょ?」
「そもそもー、郎ちゃんがお給料いらないって言うからなんだけどー? 点数プラスの間は気を抜いてるのが見ててわかるしー。減給で頑張れないんだものー、精神か肉体に苦痛を伴う罰が無いと頑張れないじゃないー」
そうだ。これが始まったのは俺が給料は要らないって言ったのが発端だった。こちらから言って手伝わせてもらっているし、迷惑をかけるのが目に見えていたからそう言ったのだ。だが、麗華さんだけじゃなくて、彩さんも譲司さんもアリアちゃんも怒るのだものなあ。まあ、それを見てニヤニヤと笑っている人も居たが……。
それで、麗華さんが俺の目的に沿うようなゲームをしようと言いだして、スコアシートを働く初日に渡された。俺がミスをしなければ働きの分だけお金を出すのは当然だということだった。ただ、減給だけじゃ頑張れないだろうからゲームを成立させるために、マイナスを振り切ったら罰を与えるという話で。
その時は軽い気持ちだったな。「じゃあ、それで」って承諾したら……。駄目だ、やっぱり諦めちゃいけない、頑張ろう。
「わかった。あと二点、死守します!」
「はい、一点減点ねー」
「ちょっと待って! 今のは決意表明だから!」
言ってる傍から、五割持って行かれた!
「大丈夫よー。私の他に、一点だけ持ってく人はいないからー。それにー、あと一点、切りがいいじゃない」
「スコア見れば皆さん空気を読むと思うな! ですよね?」
そう言って、お客さんに振り返ると皆で目線を逸らした。
完全にアウェーだよ、ここ!
「とにかくー、一点、頑張って守り抜いてねー。それと今日はもういいわよー。カラオケにでも行ってきたらー? やること多いからー、あまり行けてないでしょ?」
麗華さんがそう勧める。まだ昼の二時だが、お言葉に甘えさせてもらおう。
「うん。じゃあ折角だから行ってこようかな」
麗華さんが手を差し出してくれたので、付けていたエプロンを手渡す。
「それじゃ」
「いってらっしゃーい」
麗華さんとお肉さん達に見送られて、店を後にしてカラオケに向かう。




