7月29日 ―22―
「あの、彩さん」
部屋を出てすぐに彩さんに声をかける。
「どうかした?」
「えっと、女装の件で、相談が……」
割と死活問題なので何とかならないだろうか。あまり期待していないが。それとは別にもう一つ関連する用事があるが。
「あら? そう言えばそんなことになっていたわね。でも、申し訳ないけどもう私の手には負えないわよ?」
彩さんの返事に思わず深い溜息を吐いてしまう。まあ、自分で言ってしまったので、諦めるしかないのだろうな。佐橋さんあたりが録音とかしてそうだ。麗華さんに逆らうのは怖いから嫌だし。
「じゃあ、そっちはいいや。それとは、別に、お店って、俺、手伝わせて、もらえないかな?」
「え? どうしたの? 私が提案したのに言うのもなんだけど、さっきは無理って言ってたじゃない。 接客業よ? 大丈夫? アリアの風邪、うつっちゃったんじゃ――」
「その言い方は、ないんじゃないかな!」
あまりの言い様に思わず遮って抗議する。一息ついて落ち着いてから、言葉を続ける。
「さっきのは、女装の、代案でしょ? そうじゃなくて、俺は、こんなだから、何とかしたい。今日のこと、さっき話を聞いている時も、考えてた。それで、そう思ったから。迷惑をかける、と思うから、無理なら、いいんだけど」
「無理じゃないけど。私から持ちかけた話しだし。でも、注文取るのよ? お客さんとお話したりするのよ?」
「……俺のことを、よく理解してもらえてる、って喜ぶべき、なのかな、これは? 俺だって、あがり症では、あるけど、最初からこんなじゃ、なかったよ」
俺の言葉に彩さんが、少し納得したように頷く。
「そうよね。五歳の頃まで遡れば太郎さんだってきっと。でも、そこまで戻って自分は大丈夫だったなんて言われても……」
「言ってないから」
もの凄く平坦な声が出た。自分でも驚いたが、彩さんには何の意味もなさなかった……。
「あら、違うの? じゃあ、いつ頃かしら?」
「高校に入って、からだよ。それまでは、ここまで酷くはなかった。人と、表面上の付き合いしか、しなくなって。何か話す度に、言葉を考えるように、なった。この言葉で、この人は、何を思うのかって。人と深く付き合いたく、ないからこそ、波風立たたない様に、気を使った」
「そうね。私も少し、そういう所には気を使ったわ。やらなきゃいけないことがあるだけで、別にみんなと不仲になりたい訳でもなかったから」
彩さんも俺に共感出来るところはあるらしい。
じゃあ、何で彩さんは普通に話せるんだろう? やはり、俺が異常なのか?
「喋る前に、言うことを考えると、まるで、劇中で役を演じているようで、あがり症の俺は、平静でいられなかった。そんなことを、続けていたら、普通に喋る時も、緊張するように、なってしまって」
「そうなの? ならリハビリすれば治るってことよね?」
リハビリって呼び方、嫌なんだけど。
「そう思うから。働かせて、くれないかな?」
「私はいいわ。でも母さんに聞いてみないと。答えはわかってるけど」
彩さんがお店に入る前のドアで立ち止まる。
「そうそう、太郎さん。ウチのお店の名前、知ってる?」
「え? ……ごめん、知らない」
「だと思ったわ。自分から働きたいっていうくらいなんだから、知っておいてもいいと思うのだけど?」
彩さんが溜息混じりに言う。
「……ごめんなさい」
「働く気があるなら覚えておいてね? “Blissful Delight”よ。母さんが適当に和英辞典を引いて付けた名前だから本当にそういう英語があるのかは知らないけど、“至福の楽しみ”って意味を付けたかったんだって」
「至福の楽しみ?」
「そう。このお店であなたに至福の楽しみを。それは、お茶なのかもしれないし、食べ物かもしれない。母さんとの談笑かもしれないし、仲間内での一時かもしれない。このお店で楽しく過ごした時間が、あなたの幸福に至ればいい。そういう名前よ。もちろん母さん自身にとっては、それが“Blissful Delight”であるんでしょうね」
「そっか、なるほど。覚えておくよ」
これも、自分の楽しみが人にも楽しんでもらえるっていう、手本だと思う。
俺の目指す所の一つの形だ。
「頑張ってね。まずは、母さんに聞くことから始めましょうか?」
「うん。そうだね」




