7月29日 ―21―
戻ってきた彩さんを見たアリアちゃんが何か思い出したように声を上げる。
「もう一つ、聞きたいことがあったの忘れてたよ」
それに対して、部屋に入ってきたばかりの彩さんが怪訝そうに尋ねる。
「何? 急に」
「今日のことは説明してもらって納得もしたけど、どうして彩ねえがそんな風に考えられたのか、イマイチわかんないんだよね」
今日のこと、と言うと彩さんと話したことだろうか?
「隆昭さんに言われたのと、アリアを泣かせてしまったから。これじゃあ、不十分だって言うの?」
「そんなことないよ? でも、何だか彩ねえならそれぐらいじゃ変わらない気もするというか」
「それくらいって……、アリアが泣くなんて私にとっては結構なことよ」
「そう言うなら、叩くの止めてよ!」
「それはそれ、これはこれね」
彩さんのしれっとした最後の言葉にアリアちゃんが悔しそうに睨む。だが、すぐに止めて話を戻した。
「でも今日のは仕方なかったんだよ。上手くいかなかったら兄ちゃんには歌わせないってジョージが一昨日に言ってたんだもん。それは絶対に嫌だったから、あたしは行けないし彩ねえにフォローしてもらうしかなかったんだよ。結局、最後は日頃の不満をぶちまけちゃったけど」
「日頃の不満ね……。聞けて良かったわ、本当に。それより初耳なんだけど。父さん、そんなこと言ってたの?」
「聞いて、ないの?」
思わず俺が確認してしまった。アリアちゃんが知っていたので、彩さんも当然知っているものだと思っていた。
「知ってたら、最初から付いて行って――は、いなかったと思うけど、アリアが泣く前に動いていたかもしれないわね」
「でもそれだとなんだか余計に、彩ねえがあたしが泣いたくらいで兄ちゃんの所に行ったのがわからなくなったよ」
アリアちゃんの言葉に彩さんが少し俯いて考え込む。しばらくして答えが見つかったのか、顔を上げる。
「積み重ねと言うか、たぶん、太郎さんの変化に当てられたかな? 明確な理由がアリアと隆昭さんの話しだったから、そう言ったのだけど」
「兄ちゃん?」
「そう、太郎さん。初めて会った時、全然喋れてなかったじゃない? それでも、アリアに楽しめって言われてから少し雰囲気が変わって。『彩』に入るって言ってくれた時には一生懸命に話してくれて。でも、何で? って思った。これだけ喋るのが苦手なら、知らない人前に立つのも大変だろうにって。でも、それが変化を望んでいるようにも見えて。
今だから言えるんだろうけど、私も変わる必要があるんじゃないかって、どこかで感じていたんだと思う。もしかしたら、それでつい太郎さんに変な接し方もしてしまったのかもしれないわね」
「兄ちゃんが人生の終わりをさとった時だね?」
「違うわ。私がアリアに接する感じで太郎さんに声をかけてしまった時よ!」
それ、アリアちゃんが言ってる奴で合ってるから……。
「とにかく! その日が終わった時に夕飯の時と最初に合った時を思い返して、一日で太郎さん随分変わったなって。それに自分も。太郎さんが『彩』に入るからって、太郎さんと親しくする必要なんて、なかったはずなのにね。カラオケで部屋に入る前は例え相手が『彩』に入るって言っても、必要以上の会話はするつもりなかったのに。一日が終わってみれば、勢いで敬語を使うことすら止めてて」
彩さんが途中に苦笑を交えながら話す。
いや、苦笑じゃ済まないから……。
今かなり怖い話を聞かされたと思う。彩さんとの会話が今日まで事務的なものしかなかったらと考えると、もう俺の心はボロボロになっていたと思う。
「昨日も太郎さんのこと色々知って、その度に私は、私自身に少しずつ変わる準備をさせていたのかもね。それで、今日のアリアがトリガーを引いてくれたから、隆昭さんの言葉の意味もわかって、太郎さんが湊さんが亡くなってからどうしたのかも想像がついて。後で確認したら、やっぱり、ね。
気付いてしまったから、このままじゃ駄目だって。出来ることがあるのなら、私はアリアを泣かせる自分でいて良い訳がないって、そういうことよ」
一昨日、俺は自分の間違いに気付いた時に変わろうとした。俺の場合は初日の出会った数十分に集約されていた気がする。俺だけじゃなく、彩さんも、あの日に会えたことが切っ掛けで、その後のこともあって、変われたと言ってくれるのは嬉しかった。
佐橋さん、あなたが探していた切っ掛けになれたみたいですよ。
「……うん。今度は納得かな。兄ちゃんのおかげって、すごくしっくりくるよ。そうなんだよね。あたしがいくら言ったって、彩ねえが初対面の兄ちゃんと普通にお話しするなんて、今までならあるはずなかったんだよね。りょーりょーとだって、最初の三日は本当に形だけの会話しかなかったし」
佐橋さん相手でもか……。すごいな。あんなに話しやすくて、あっちから絡んでくる人も居ないのに。
「あの、その可能性があったと、思うだけで、辛いんだけど」
「そうはならなかったんだからいいじゃない。気にしたら負けよ」
誰にとっての負けなんだろうね? 俺は確定だとしても。
「さて、そろそろアリアは休もっか? まだ体調が回復してる訳でもないのだし。……私が話を長引かせちゃったんだけど」
彩さんの言葉に、そういえばと思った。朝より全然元気そうだからつい忘れてしまっていたが、アリアちゃんはまだ体調を崩したままだったな。
「うん。そうする。彩ねえ――」
「何?」
「いっぱい話してくれてありがと。兄ちゃんもね」
俺は「こちらこそ」と返す。それに続いて彩さんもアリアちゃんに答える。
「いいのよ。本当はもっと早くにやらなきゃいけなかったの」
「うん。じゃあ、おやすみ。二人とも」
「お大事にね」
「しっかり休むのよ。携帯置いてくから、何かあったら起きてこないで電話で呼んで」
アリアちゃんに声をかけて、彩さんの言葉にアリアちゃんが頷いたのを確認してから、静かに部屋を出た。




