3月 ―4―
それから二日間、何事もなく過ぎた。俺はいつも通りに家事に、庭弄りにと勤しんだ。もっとも、考えが頭の中をグルグルと回っていまいち集中出来なかったが。
親父も家でゴロゴロして休日を満喫しているようだった。普通に話しもするが、俺の家事については一切、互いに触れない。
そして、二日目、日曜の夜に親父に呼ばれた。
「よし。始めようか、太郎。随分と考えていたようだが、どうするか決まったか?」
「ああ。親父が納得するかはわからないけど。真面目に考えたよ」
「そうか。だが、それを聞く前に言いたいことがある。お前にだけ言わせておくのがずっと癪だったんだ。この機会に言わせてもらうがな――」
そこで、一度言葉を切る。
「僕は、僕が許せないんだよ。会社のために息子の時間を食い潰して、湊に合わせる顔がない! 親が息子を犠牲にしてるなんてありえないだろ!
それに僕に何が出来た訳でもなく、湊は逝ってしまった。その湊の望みが何かわかっていながら、何も出来なかったと告げるお前に自分を重ねて、家の事まで手の回らない僕の尻拭いを押しつけた!
糞みたいに使えない親父だ。そんな僕だから、無理だろうがなんだろうが、そんなもんは押し通して、やれることをやり続けるしかないじゃないか!」
親父が、ここ三ヶ月で一度も言わなかった胸の内を明かした。内で溜めこんだものだったのだろう。だが、それは――。
「違う! 親父はそんなんじゃない。悪いのは――」
「それはお前の考えだろう? 僕の考えはそうじゃない。これは誰が悪いかって話じゃないんだよ。どうやって自分が納得するかって話だ。太郎と僕じゃ、湊に対して思う所が違う。あるいは同じなのかも知れないが……。それでも相容れないものだろう?」
「……そうかもしれない。でも俺は……、俺は自分のために母さんの真似をして、それで親父にそんな風に考えさせてしまうのは、嫌だ……。
考えたさ、この二日。三ヶ月を振り返って、親父の姿も……。それでも俺がやることが母さんのためだなんて言える訳、……ない。
嫌なんだよ……。俺の我が儘で親父に無理させてたことが。何か出来ている気になって、母さんを理由にして、ただただ自分を慰めていただけなことが」
「……そうか」
一息ついた親父の雰囲気が変わった。
「その通りだな。お前は、お前のために時間を使ってるんだ。僕がそうしてしまっているように。母さんのためじゃない。だから、自分のためにやっているって自覚があるのなら、お前が次に進む準備が出来るまでは待ってやれるよ」
「待つって、どういう意味だ?」
いまいち親父の言葉が呑み込めない。
「いつまでに母さんのことにけりを付けるんだってことだ。お前が先に進めるなら待つ価値もある。僕の我が儘で、太郎にも心配をかけたと思う。尋常な仕事の量じゃないのは自分だってわかってたさ。だから、それもここまでにしよう」
「でも、先に進むって?」
「言っただろ? 母さんのことには、ちゃんとけりを付けろ。それが先に進むってことだ」
いつまでも家で母さんの真似ごとだけしてればいい訳がない。親父は何度も口にしていた。
「……わかったよ。二日間考えた答えとも一致する。さっき喚いたことが、俺の二日間の答えみたいなもんだ。母さんが言ってたしな。自分の間違いに気付いたのなら、それを悔いるよりすぐに正せって」
「それで? どうする?」
親父が先を促す。
「三年くれ。高校を出るまでだ。それまでに整理は付ける。それが出来たら、今度は母さんと親父の望むように、俺は俺の人生を楽しむよ。親父に無理されちゃそれも出来ないから、そっちも頼むよ」
人生の楽しみ方は問題ないと思う。いい手本がいたからな。毎日楽しそうだった。
「……ああ。いいだろう。僕もそれを目安に会社の方針を考えよう。もう無理はしない。さっき言ったろ? それに、今までのハードワークは会社の連中に割といい方に働いてたしな」
「やっぱり会社の人達も酷使してたんだ……」
「別に、そこまではしてないと思うが。一応フォローしてた訳だし。太郎、一番手っ取り早い兵隊の作り方って知ってるか?」
「はあ? えっと、戦場に放り込む?」
「そういうこと。習うより慣れろってな。フォローをしっかりしてやれば、みんなちゃんとやってくれるさ。まあ、中にはダメな奴も居るが、アリなんかも集団の中で必ず何割かは働かない奴が存在するって言うだろ。最近じゃそうじゃないかも、とか言われているみたいだが。それでも、割と組織にはそういう奴が必要なのかもしれないな」
「つまり、人材育成のためにも仕事を多く取ってきてたってことか?」
「狙ってじゃないんだがな。結果的にそうなってただけだ。計画性が足りなかったよなあ。急がなくてもお前が大丈夫そうなら、ここからはミスも怖いしペースを落とさせてもらうさ。使える人材が増えるに越したことはないが、急造すればどこかで綻びが生じるだろうからな」
必要だった、大したことはない、とでも言う様だが、親父にかかる負担は本当に相当のものだったんだと思う。じゃなきゃ、始発から終電まで、その上泊まり込みもある、それが三ヶ月間続くっていう、あの勤務時間はおかしい。
「ありがとう、……親父」
そう考えたら自然と感謝が口から零れていた。
「何だ、急に。まあいい。一応、一つ決めておこうか」
親父が、一つの約束ごとを提案して来た。
「お前は高校卒業したら、ウチ出ろ」
「え? 何で?」
「お前が三年で母さんの事に気持ちの整理を付けました、という証明。その頃には、もうウチでやるべきことは特になくなってるはずだろ? 何か問題が?」
俺個人としては、親父の言う通りだから問題はないと思う。
でもさ……。
「誰が家の事やんの?」
「僕に決まってるじゃないか」
「親父が家事をしている所を見たことないんだけど」
「やったことないからな。昔、手伝おうとしたら母さんが、私の楽しみを奪うとはいい度胸じゃないか。覚悟は出来ているな? って言ってきて泣きそうになって以来、家事をやろうなんて思ったことないよ」
泣くなよ! 確かに母さんにそれ言われると怖いけどさ。
「家事なんてやれば出来るようになるさ。太郎もそう思うだろ?」
「そうだな。実際に俺もそうだったし、賛成だ。でも、心の隅っこで警鐘が鳴ってる気がするんだ。親父に任せると家がゴミ屋敷になるって。カレーすら碌に作れないって」
「何だそりゃ? そうなる前に片付ければいいし、カレーなんか失敗する要素ないだろ」
「……俺もそう思う。気のせいだよな。わかった、いいよ。三年でけりを付けて、その後は家を出る」
その後は親父も無理をしなくなった。俺も少しだけ外に目を向けて、アルバイトを始めたりした。まあ、母さんが働いてた所を選んだのは多めに見て欲しい。
親父がきちっと三年で会社の人材を揃える所から何から整えたのは、さすがだった。親父が会社の人、伊藤さんや牧島さん達を連れてくることがあり、その時に聞いた話だ。
あの人達の話を聞くと、家での親父からは想像出来ない程に慕われていた。皆が隆昭さんは凄いと言う。気持ち悪くて仕方なかった。
三年間をそのまま過ごし、実家からそう離れていない大学を選び高校を卒業した。
気持ちの整理はたぶん親父と話した時についてしまっていたのだと思う。だから、三年間は儀式みたいなものだったのだろう。 決意を、時間をかけて捏ね繰り回して、自分の中でけりが付いたことを確認するための。
それからは、親父の意図とずれたカラオケ生活を送って、この間、彩さん達と出会ったばかりだ。
次話から7月29日に戻ります。