7月29日 ―13―
佐橋さんによって突然、俺の体が持ち上げられる。
この人、俺が全く動けないのわかってて足音殺して近付いてきたよ。何のためか知らないけど、そういう行動一つとっても人の悪さが滲み出てますよね?
「あの、佐橋さん?」
「何かな。太郎君」
「他なら、引き摺っても、何しても、いいので、別の、方法で、運んで、くれませんか?」
俺は佐橋さんに抱えられていた。
お姫様抱っこで。
力が入らないので首も座らないし、手もだらりと落ちて死体を運んでるようにしか見えないかもしれない――本当に、そうなっていたならば。
佐橋さんは、俺の170センチ弱の体躯をすっぽりと両手に収めて、首もうまい具合に内側に寄せて腕に乗せる。死体の状態よりずっと楽ではあるが、そのせいでイケメンにお姫様抱っこをされるという羞恥プレイになってしまっていた。
「いや、僕としてはこれが一番楽だから、今更他の方法を取るのは嫌かなー」
顔がニヤついてるんですけど……。
「おぶって、下さい。それのが、楽、でしょう?」
「一度降ろすのも面倒だし。それに、力が入らない人を背負うのって結構大変なんだよ、太郎君」
それは、そうかもしれないが……。仕方ない、正直に訴えよう。他に出来ることは無い。どうせ聞き入れてもらえないんだろうけど、最後まで足掻いてやる。
「あの、恥ずかしい、ので」
「そうかい? 僕はそうでもないよ」
佐橋さんのことを聞いてる訳じゃないんですよ。それに、俺だって抱える側だったらここまで恥ずかしくはないと思う。
「佐橋さんの、話じゃ、ないです」
「大丈夫よ、太郎さん。似合ってるから」
そのフォローは嬉しくない。しかも、視線の先で笑いながら言わないで欲しい。
いい笑顔ですね、彩さん。
それに様になっているのは佐橋さんだろう。俺が似合っていたら更に嫌だが。
「彩さん、それは、全然、大丈夫じゃ――」
言いかけたところで、彩さんの居る方、携帯で写真を撮影した時の音が鳴った。
ちょっと、彩さん! 何してんの?
「……、今の、何?」
聞き間違いであって欲しい。もしくは、被写体は通路を歩いていた猫とか――施設内に居る訳がないが。
「え? ああ、何でもないわ。気にしないで」
「いや、無理、だから」
「恥ずかしくはないけど。僕としても男を抱えてる写真なんて残したくないなー。彩ちゃん」
「ごめんなさい。さっき母さんから連絡が来てて、今の状況を説明したら写真送ってって」
麗華さんの頼みは、断り辛いよなあ。後で、面倒なことになりかねないし。
でも、待って欲しい。それで納得は出来ない。
「何で、正直に、言ったの?」
「え?」
「そうだねー。今の状況なんて説明する必要はないよね。麗華さんには大成功だったと言っておけば、それで良かったんじゃないかな?」
「そ、それは、ね……」
彩さんが言葉を濁す。
どうして言い淀むの?
「彩ちゃん、僕らを売ったね?」
どういうことですか、それ!
佐橋さんは彩さんと付き合いが長いし、俺にはない思い当たる節があるのだろう。
「太郎君の恥ずかしい姿を麗華さんは見たいだろうねー。後でこの話が麗華さんに伝わったら、何でその時に言わなかったって暴れるよー。その時の矛先はきっと彩ちゃん。間違いない」
佐橋さんの発言に一瞬目を見開いた後、彩さんが慌てた様に言葉を吐き出す。
「そ、そんなこと、ないわよ? わ、私が、二人を売ったなんて、人聞き悪いわ、亮さん。私はただ、恥ずかしそうにしてる太郎さん可愛いいなー、って思ってただけで。生で見れたことを母さんに自慢した時に母さんが面倒くさいことになるかも。先に言っておいた方がいいわね。なんてちっとも思ってないわ」
へー、そう。自分で解説してくれて本当に助かるよ。
それとね、彩さん。可愛いとか言われてもちっとも嬉しくない!
「ほらねー、太郎君。彩ちゃんはいい人ぶってるけど、割とこういうことをする子なんだよー」
「なるほど。彩さんは、いい人だけど、人を売ったり、する人、でも、あるんですね」
若干異なる返事で応える。とてもじゃないけど、彩さんをいい人ぶってるとか言えない。俺を呼ぶのに、麗華さんを寄こすような人ではあるけど。
「ごめんなさい。私が悪かったです……。呆れた感じでそんな風に言わないで下さい」
悪さをして怒られた子供のように彩さんが謝る。
「ごめんなさい。それで――」
「なんだい、彩ちゃん」
もう一度謝っておずおずと言いだす彩さんに、佐橋さんが先を促す。
「もう一枚だけ、取らせてもらっていい? 母さんが正面から撮った奴が欲しいって」
「今の一言で、彩ちゃんは自分が悪いなんてちっとも思ってなかったと証明されたよね、太郎君」
「そう、ですね」
俺が同意すると彩さんが慌てて弁明を始めた。
「待って。確かに悪いとは思ってるわよ。でも、もう母さんには話しちゃった訳だし。写真が一枚から二枚になっても大差ないじゃない。ここで断って母さんが機嫌悪くなったら、私が何を言われるか……。なら、もう手遅れの二人にもう一度犠牲になってもらった方がいいじゃない」
相も変わらず、必死に弁明しようとする彩さんの姿は滑稽過ぎて正視に堪えない。まあ、今は見えない位置にいるけども。
「悪いと思ってるなら、そこは彩ちゃんが犠牲になるところだと思うよ」
「それと、手遅れに、したのは、彩さん……」
だが俺らの言葉も空しく終わった。
「ごめんなさい。二人の犠牲は無駄にはしないわ」
そう言って、俺達の前に立った彩さんは結局写真を取った。
「あら? ぶれちゃった。もう一枚」
そんなことを言ってもう一度シャッターを切る。
三枚目、それ三枚目だから!
俺の知る彩さんらしからぬ行動は、なんとなく麗華さんみたいだと思った。さすが親子。
今、相手をしている彩さんの姿が麗華さんと重なった瞬間、俺は諦めた。彩さんのこういう姿はあまり見ていない気がするので新鮮だなあ、と自分に言い聞かせる。
これで、何とか納得して諦めて欲しい。頼むよ、俺。
「彩ちゃん……」
佐橋さんはまだ何か言いたげだが。俺は佐橋さんに、もう止めようと告げる。やっと喋るのも楽になって来た。体はまだ、無理だが。
「佐橋さん、諦めましょう。それより、さっきから立ち止まってます。早く、この恥ずかしい状況をお終いにしたいです」
「そうだねー。そうしよう。僕も疲れたよ」
その後は彩さんも静かになり、話もなく佐橋さんに早急に控室まで運んでもらった。
後日、彩さんが静かになった理由を聞いてみた。少し慌てていて変なテンションになっていたこと、そして余計なことを言ったことを反省していたらしい。結局、佐橋さんが変なことを言ったのが悪いと締めくくったが、佐橋さんって何か彩さんに言っただろうか?
確かに麗華さんに俺の無様な姿を伝えたの余計だった。その後の弁明も余計なことを言っていたし。そんな感じのことをもう少し柔らかく伝えると、「そのことじゃない。母さんに伝えたことではあるけど」と呟いていた。その返事に対して、じゃあ何が? と聞いたが教えてくれなかった。
違うと言うのであれば違うのだろうが、俺の指摘した所に関しても反省はしてもらいたかった。