7月29日 ―11―
前に立って、軽く会釈をしていると後から入って来た佐橋さんが彩さんにマイクを渡す。
これから彩さんが挨拶を兼ねてアリアちゃんの手紙を読む訳だが、どうにもそちらに意識がいかない。目の前の光景に気を取られていた。
これだけの人を前にすると、傍から見るのとは全く別の迫力がある。一人一人、割とはっきりと顔が見えてしまう。とはいえ、緊張はしていない。これはさっきから何度も彩さんが助けてくれたおかげだろう。しかし緊張はないが、気分は高揚していた。ここがアリアちゃんの立つ場所だと、この人達をアリアちゃんが集めたと思うと、アリアちゃんと一緒に舞台に立っているように思えてくる。今なら、何でも出来そうだ。
そんなことを考えていると、彩さんがアリアちゃんの手紙を取り出していた。考え事をしていて話を聞いて居なかったが、大丈夫だっただろうか?
彩さんのことだから、俺が何かしなければならなかったのなら、ちゃんと言ってくれただろう。この先はちゃんと聞いておくべきだ。なにせ俺にも関わってくるはずだから。
「それでは、アリアからの手紙を読ませて頂きます。アリアの言葉をそのままお伝えしたいので、手紙の内容をそのまま読み上げます。失礼があった時はご容赦下さい」
彩さんはそう前置きをして、アリアちゃんの書いた手紙を読み始める。
『今日、集まってくれてありがとうございます。赤城アリアです。最初に、謝らなきゃいけないんだ。歌う機会をもらえたのに、あたしがちゃんと元気でいられなかったせいで、みんなに会うことができません。ごめんなさい。本当は、どんな状態でも、あたしは歌わないといけないのに。本当にごめんなさい。
でも、みんなにはちゃんと今日、楽しんでもらえると思うんだ。それはね、皆の前に立ってる兄ちゃんが居るから。この兄ちゃんは新しい『彩』の仲間です。あたしが、今日、大人しく休んだのは兄ちゃんが居たから。
みんな、たぶん兄ちゃんを見て、冴えない、特徴無い、面白み無い、普通を極めたような、無難な人だと思っているかな。あたしもそう思う。きっとこれから、普通過ぎて、見ている人が不安になるような挨拶をするんだろうね。
でも、それで見切りをつけちゃヤダよ。そんな普通過ぎる雰囲気からは、想像も出来ないほどの歌を披露してくれるから。あたしの代わりに舞台に立つこの兄ちゃんは、みんなに楽しんでもらうために全力を尽くす人だから、期待してください。
それじゃあ兄ちゃん。楽しんでいこう。最初は、悲しくなるほど普通な挨拶からだよ』
アリアちゃん、この内容で俺にどう楽しめと? 謝ってたかと思いきや、半分以上は俺のハードルを上げに来てるよね。何? 悲しくなるほど普通な挨拶って? それは、もう普通じゃないと思うんだ。歌の方もハードル上がってるけど挨拶の方が問題だよ。
「以上になります。それでは彼の方から、哀愁漂う普通の挨拶をしてもらいます」
だから哀愁漂っちゃったら普通じゃないんだってば。彩さんがそう言ってマイクを渡して来たので、思わず受け取ってしまう。もう後には引けない。
それにしても、ご老人達を前にこのノリは何なの? いつもこんな感じなのだろうか?
お爺さん達が付いてこられていないのではないかと思い、ざっと見回す。
……、見なければ良かった。
意外と皆さんこっちを注目して、俺が何をやるのか期待している風だった。なんとなく視線が「普通で平凡な兄ちゃんや、どんなこと言ってくれるかの?」と語っている気がする。
だが期待されても困る。本当に山も谷もない、まっさらで平坦で平凡な挨拶をしてやる。あまりの普通さに悔しがるがいい、ご老人達!
方針が決まったところで、マイクを通して挨拶を始める。
「えと、山田、太郎でしゅ――」
――噛んだ。……だが、ここで止めてはいけない。何事も無かったかのように挨拶を続けることで、噛んだという事実すらも失くしてしまえばいい。これは、面白みの無い挨拶なのだから。
「今日は、アリアちゃんの、代役を、務めます。代役以上の、働きが、出来るよう、全力を尽くします。よろしく、お願いします」
言い終えて、彩さんの方に目を向ける。
これで良かっただろうか?
俺の視線に気づいた彩さんが軽く頷いてくれた。大丈夫だったようだ。それを確認して、彩さんにマイクを戻す。
「はい。期待通りにつまらない挨拶でした。冒頭で噛んでから、それがなかったかのように取り繕う様は物悲しさもしっかりと感じさせてくれました。そんな挨拶しか出来ない彼ですが、彼の歌は皆さんを大いに驚かせ、満足させてくれるはずです。さて前口上はこの辺りでお終いにして、彼に舞台を譲りたいと思います。それではお楽しみ下さい」
そう言ってマイクをもう一度俺に差し出す。
ご期待に沿えて何よりだよ!
俺もつまらない挨拶をするつもりでやったけど、改めて彩さんに言われると凄く傷つく。
ちくしょう、泣いてやるからな、終わったら覚えてろ!
さて、実際に終わった後どうするかはその時に考えるとして、ここからは、俺がやれってことだろう。アリアちゃんと彩さんのせいで、緊張感も高揚感もどこかへ行ってしまった。酷くいつも通りだ。ありがたい。
彩さんからマイクを受け取る。彩さんはマイクを俺に渡すと、脇に下がった。
さあ、ここからが本番だ。
「それじゃ、一曲目、さっそく」
朝食の前、今日の予定を聞いたときに佐橋さんから、「今日は、太郎君の好きなようにやっていいよ。思うように楽しみなよー」と言われている。
さっそく好きなようにやらせてもらうことにしよう。
眼前の人達を見回し、深呼吸をして自分が平静であることを最後にもう一度確認し、歌い始める。
一曲目から予定と違う曲を歌う。俺が選んだのは初めてアリアちゃんと彩さんの前で歌った曲だ。佐橋さんに好きなようにやっていいと言われた時に、最初に決めたことだった。これが始まりの曲だから。この曲を歌うことは、俺が今日を楽しむ明確な意志になる。
聞こえてくるのは俺の歌声だけ。カラオケで歌ってばかりの俺だから、伴奏が無いのは新鮮だった。
それにしても、あの二人には本当に感謝しなければいけないな。こんなに余裕を持っていられるのは、会って三日目だというのに俺のことをしっかり理解してくれている二人のおかげだ。聞いてくれている人の顔を一人一人見ることが出来るのも、歌いながら色々と考えいられることも。
そのおかげで、皆がちゃんと俺の歌を聞いてくれているのがわかる。出だしから最悪ということは無さそうだ。
手前のお婆さんは一緒に歌ってくれているし、その隣のお爺さんは歌に合わせてリズムを取って体を揺らしている。さらに隣のお爺さんは、ずっと俺から視線を逸らさない。瞬きもしない。
……。
少しは動いて欲しい。おじいさんの視線に耐えつつ、一曲目を歌い終える。
会場中から拍手が上がる。まずはお辞儀をして拍手に応える。悪くはない出来と思った。
問題ないだろうか?
彩さんに視線を送ると頷いてくれた。大丈夫だということだろう。だが、あと十曲近く残っている。正直、このまま歌い続けるのはどうかと思った。聞いている人達も飽きてしまうのではないだろうか?
「あの、知っている曲は、一緒に、歌って、頂けると嬉、しいです。あと、私に、合わせて、手拍子を、して、いただけますか、皆さん?」
そう言って、次の曲に合った拍でマイクを持った手を打ち合わせる。ガン見は参考にならなかったが、その隣のお二人がやっていたことは参考にさせてもらった。
言って、しばらく続けているとぱらぱらと手拍子を打ってくれる方が現れ始めた。一度、始まってしまえば会場に広がるのはあっという間だ。この会場中から響く手拍子に負けない歌で応えよう。
そして飽きは俺にも言えることだ。今も楽しんでいると思うが、もっと楽しむために俺自身も色々とやらせてもらおう。
それ以降も問題なく進めることが出来た。飽きないため、飽きられないために、キーを変え、テンポを変え、声質を変え様々に歌い分ける。時には一曲の中でも。
一本調子で歌い続けるよりずっと楽しい。どれが受けがいいかを確認しておこうと思って、皆を歌いながら見ていたが、どれも同じように楽しそうに聞いてくれていた。満足してくれているかはわからないが、退屈そうにしている人は居なかった。
結構そういうことは顔に出るものだ。人の顔がここからだとはっきり見える分、失敗しているかどうかを確認するのは容易だった。
最後の曲まで歌い終わり、聞いてくれた人達に深く頭を下げる。
「ありがとう、ございました」
一時間ぶっ通しで歌ってしまった。俺もしんどかったが、それ以上にご老人方がしんどかったかもしれない。
休憩のこととか何も考えていなかった。大丈夫だっただろうか?
俺が顔を上げると、拍手が今一度上がった。楽しんでもらえた様で良かった。何より俺が、信じられないくらい楽しかった。ひとまず、自己評価は満足いくものだったなと考えていると、彩さんが近づいてくる。正直、喋るのも控えたい程度には疲れていたので、マイクを彩さんに渡す。
「本日は以上になります。まず、こちらの不手際で休憩を挟まずに長時間の拘束をしてしまったことをお詫び申し上げます。申し訳ございません。ですが、いかがだったでしょうか? 時間も忘れて楽しんで頂けていたなら幸いです。次の機会にはアリアと彼の二人でお届けさせて頂きます。楽しみにしていて下さいね。今日はありがとうございました」
彩さんがお辞儀をして、出てきた佐橋さんにマイクを手渡した。佐橋さんはマイクを受け取ると、アンプも抱えて部屋から出て行く。
今、片してしまうんですね。
もう終了でそのまま撤収ということだろう。彩さんも最後にもう一度、頭を下げて佐橋さんに続く。俺も彩さんに倣って後に続いた。出て行く時に今一度、拍手を送ってもらえた。
今更な気もしますが、歌とかよく分からないので、おかしな点があるかもですが、おめこぼしくださいませ。




