7月27日 ―8―
なるほど、話を聞いた限り俺が『彩』に参加する意味はあるみたいだ。そして引き受けるのは簡単だ。さらに厄介なことに、かなり引き受ける方向で心が固まりつつある。
やはり、母さんならどうするかなって思ったのが良くなかったと思う。最初は絶対に無理だと、ばっさり切ってしまっていたのに……。一方で不安もあるのだが。公演なんてストレスで発狂してしまうのではないだろうか? 八割方は心が決まっていたが、残り二割を埋めることが出来ずに悩んでいると部屋のドアが開いた。
「ただいまー。彩ねえ、説得してくれた?」
赤髪幼女が戻って来た。随分と時間がかかったな。
「したわよ。話は大体聞いてもらったから、後は自分でお願いしなさい」
「うん、わかった。ありがとう、彩ねえ。やっぱり彩ねえはあたしの心強い味方だなー。よし! あたしのお願いだもんね。しっかり、あたしからお願いするよ」
「まったく……。いつも、それくらい聞き分けがいいと助かるのだけど」
「今回はまじめなお話だからそういうのしないの! というか、しっかり聞き分けてるよ! 素直に従うべきかどうかを!」
「それを聞きわけが悪いって言ってんのよ!」
今回もしてるよね、とは言わない方がいいんだろうな。まあ、言えもしない訳だけど。
「あー、はい、はいはい、ごめんなさい。今、まじめなお話だって言ったのに、もう。……あー、えっと、兄ちゃん! あたしと一緒に歌ってください。もうあたし一人じゃダメなんだ。だから、お願いします」
……直球だな。こんな小さな子を前にして、これで断ったら俺は相当酷い奴だと思う。
さて、この子のお願いは前半に若干誠意を欠いていた気もするけれど、それはいい。今ので一割。ただ、どうにも自分の中にしっくり来ないことがある。だから、この子にも一つ聞いてみよう。これで一割が埋まるのなら引き受ければいい。
「聞いても、……その、いい、ですか?」
「なにかな? 兄ちゃん」
「その、……どうして、えと、俺に? ……それ、……あ、えと、歌うのは、……君が、やりたい、こと、……なんじゃ、ないの?」
俺はカラオケが好きだから、通って色々と練習もする。この子は歌いたいから人前で歌う。さっき、彩さんもそう言っていたと思う。自分がやりたいことだから、自分のパフォーマンスを引き上げて本番に望む。成果が喜んでもらえるのなら、嬉しいだろう、楽しいだろう。それならわかる。
でも、この子は初対面の俺に助力を求めた。自分がやりたいのなら、それは自分でなすべきことのはずだ。それが、しっくり来ない理由。どうしてそうするのか、知っている気はしているんだ。でも、はっきりしないから、この子の答えには少し期待してしまう。
「え? そんなの決まってるじゃん。あたしは、やりたくてやってるよ。だから楽しいし、頑張れる。だけど、あたしが楽しいだけじゃダメだから、このままじゃダメなんだよ。あたしじゃ、みんなに満足してもらえるだけのことは、できない。けど、兄ちゃんの力を借りれば、それができるはずなんだよ。だから、兄ちゃん……手伝って!」
一割が――埋まった。しっくり来ない、でも答えは知っている。何のことはない、今までの自分の思考とは違って、でも母さんが言っていたことと被るからだった。
『楽しいは正義だ。でも、自分だけが楽しきゃいいってもんじゃない。自分が楽しんだ上で周りの人間まで楽しませてこその正義。独りよがりの正義なんて、周りもいい迷惑だろう?』
自分がやっていて楽しいことをやる。それだけなら、俺だってここ数ヶ月やってきた。何せ『正しいは正義』だ。
でも、この子は――母さんは、自分が楽しむだけじゃ足りないと言っている。それは、俺がしてこなかったことだ。今年の春はその典型的な例だと思う。結局俺は、俺だけが楽しければいいと思っていた――彼らを楽しませる気など端からなかった。まったく、俺って奴は自分に都合の悪いことは気付かないでいられるのだから、嫌になる。
『楽しいは正義』って言葉は、母さんの座右の銘。俺の目標は母さんだから、春先の新しい生活が始まった時から意識している言葉だ。その意味も教えられていたのだから気付いてしかるべきだった。だが、春には言葉面だけを捉えて自分の正解を疑わなかった。幸いにも今、間違いに気付かせてもらえた。ならば、変わらなければならない。目標から逸れて行ってしまっていたのだから。さて――この子に答えを渡さないと。
「俺、から、……お願い、します。一緒に、その、歌わせて、下さい。俺も、人に、楽しんで、その……もらえること、したい、です。俺を、『彩』のメンバーにして、下さい」
最後の答えを聞いて、この子のようになりたいと思った。目標に、一人追加しよう。それに『彩』でのことは、今度は間違いなく俺にとっての『正義』になるだろう。
だから、お願いされたからやるという返事はしたくなかった。これは俺がやりたいことだから。俺の意思で始めるのだということを表明したかった。
そして、その表明に合わせて一つの決意を固める。俺は、これを絶対に投げ出さない。唯の一人にも必要とされなくなるまで。それまでは、精一杯に俺と関わる人に楽しんでもらえるように頑張ろう。
「ありがとう、兄ちゃん! でも、次の一回ならホントのメンバーにならなくてもいーんだよ?」
「えと、俺は、……その、その次のこと、も、……考えて、います。め、迷惑じゃ、なければ、……なん、ですけど。俺に、出来ることが、ある、間は、や、やらせて、下さい」
「迷惑な訳ないよ! やった。彩ねえ! やったよ。すごい楽しみだなー」
「そうね、良かったじゃない、アリア。それから、太郎さん。引き受けて頂いてありがとうございます。私も楽しみです」
「いえ、えと、……まだ、何もして、その、いないです、から」
「そんなの関係ないよ。兄ちゃんが『彩』に入ってくれるって言ってくれただけで、あたしはすごく嬉しいんだから」
なんとも、そこまで言われると体がムズ痒い。まあ、いいか。この子が楽しそうだと、俺まで楽しくなってくる。不思議だ。
「アリア、これから一緒にやっていくんだから、太郎さんに挨拶しなさい」
「あっ、そうだね、彩ねえ。最初は肝心だもんね。えっと、あたしは赤城アリアです。よろしく、兄ちゃん。あたしのことは、アリアって呼んでほしーな」
「よ、よろしく、お願い、し、します。えと、俺は」
「待った、兄ちゃん。兄ちゃんがいくつだかは知らないけど、あたしみたいな子供に敬語を使うのは変だよ。必要もないよ。というか、あたしが慣れないからやめてほしーよ」
「えと、……わかっ……た」
「そうそう、その方がいーな。ごめん。話、途中で止めちゃったね。続けてよ、兄ちゃん」
「あ、うん。俺は、……山田、太郎。よ、よろしく。えっと、アリア、……ちゃん、で、いい、かな?」
「うん、よろしく兄ちゃん。それでいーよ。そっかー、兄ちゃんは山田太郎って言うのかー。何だか凄い脇役臭い名前だなー。彩ねえもそう思わない?」
「私はそんなこと思ってないわ。太郎さんに失礼よ、アリア。名前は生まれた時に貰うものだもの。太郎さんだって好きでこんな脇役臭い名前している訳じゃないわ」
彩さんも脇役臭いと思ってますよね! 否定によるフォローからの本音は、非常に堪えるので止めてもらえますか? あと、大事なことなんですけど、俺はこの名前かなり気に入っていますので。
「彩ねえ……。それじゃあたしを怒れないよ……」
「えっ? あっ、た、太郎さん……、これはアリアが使った言葉をついそのまま使ってしまったというかですね、その――」
「えと、き、気にしな、いで、下さい。その、……俺は気に、しない、……ので」
何か、嫌な予感がしたので彩さんの言葉に被せて言う。
「そうですか? でもですね、太郎さん。たとえ脇役でも主役になるんですよ。ほら、よく映画とかでもあるじゃないですか。敵役だったキャラクターがスポットを当てられたり、準ヒロインが主役の物語ができたり。スピンオフって言うんでしたっけ? だからですね、太郎さんだって、人生をスピンオフさせてしまえばいいんですよ」
名前の話だったのに、俺の人生が脇役と運命付けられている話になっていますよ、彩さん。嫌な予感は的中だった。言葉を重ねるごとに俺のメンタルにダメージを与えてくるのは勘弁してほしい。
「彩ねえ、誰も兄ちゃんの人生が脇役なんて話はしてないよ。彩ねえが兄ちゃんを見てなにを思ってたか、丸わかりだなー」
「そ、……そんなこと、ないわよ。私は太郎さんが脇役臭いな――」
「彩ねえ、もう喋らない方がいいよ……」
アリアちゃんが話を切って、傷が深くなる前に俺を救ってくれた。手遅れ感が否めないが……。
「え、えと、……太郎さんって、呼びやすくていい名前よね。あ、はは」
彩さんが乾いた笑いを漏らす。もう何も言うまい。いや、俺は何も言っていない訳だがアリアちゃんがほぼ代弁してくれたので。
「えと、兄ちゃん。そろそろ、カラオケを再開しよっか」
その意見には俺も賛成だ。でも、次はアリアちゃんの番だから俺に確認を取る必要はないのだが。
「そう、だね。どうぞ、えと、歌って」
「あれ? さっき言わなかったっけ? 一緒に歌ってって。じいちゃん達に聴かせるために兄ちゃんと練習したい曲がいっぱいあるんだよ」
そういって、ポケットからゴソゴソと紙切れを取りだして俺に見せてきた。
「これが、えと、今度歌う、曲?」
「そうだよ。兄ちゃん、知らない曲はどれかな?」
それは、介護施設で歌う曲のリストのようだった。歌う場所が場所だからか、全て演歌だ。何曲か星印が着いている曲があるが何だろうか? まあ今はいいだろう。
俺は全部の曲を知っていた。二ヶ月前の俺なら知らない曲もあったであろうが、伊達にカラオケに週五で通っている訳ではなかった。毎週木曜日は演歌の日である。
「えと、大丈夫。知ってる」
「ホントに全部わかるの? なら、あたしに教えてよ!」
「えと、うん。……そう、だね。どの、……曲からに、その、しようか?」
そうして、俺とアリアちゃんは次の公演に向けた練習を始めた。会話はテンで駄目だが、歌になると問題なく声が出てくるところが自分でも不思議で仕方がなかった。
それにしても、赤髪幼女と二人で延々と演歌を歌い続けることになるとは、入店時の俺には思いも寄らないないことだった。俺の契機にもなったと思うし、この出会いは偶然というより奇跡の領域だと思う。
それに加えて黒髪の綺麗なお姉さんもいる。練習では彩さんの存在も重要だった。彩さんは俺とアリアちゃんの歌を聞いて感じたこと、思ったことなど忌憚のない意見を聞かせてくれた。とても客観的に見てくれているのがわかる意見が多く、その都度俺たちは助言を意識しつつ歌う。
アリアちゃんが言うには、「彩ねえは、感性が年寄り臭いから、じいちゃん達に合った調整になるよね」ということらしい。それを聞いた彩さんがキレてとても怖かった……。それと、歌い続けて喉を休めたくなると彩さんはそれがわかっているかのように曲を入れて歌ってくれた。それが喉を休める上でとても助かる。
こうして初めての、カラオケで相部屋という奇妙な体験は過ぎていった。ちなみに、彩さんの歌は、何というか、その――残念だった。
今回の話は割と自分自身への戒め感が……。
実践が難しいんですけれども。
精進します。




