第一章7 『ダリウル村は安全なのか?』
「まさか自分は被害妄想なのか?」
円香はブリアンナとエリオットと共に、ダリウル村へ向かう。そこで彼らはこれからどう生きるかを選ぶことになる。
新しい世界の理解が、ここから始まる……
円香は荒く息を吸い込みながら周囲を見回した。ブリアンナの姿が近くにないのを確認すると、すぐに飛び起きた。
夜は彼の夢の中と同じだった。
『またか?』
円香は自分に向けられる視線を感じた。
エリオットが焚き火のそばで彼を見ていた。
首をかしげながら、翼を軽く動かしている。
『全部夢と同じだ……まさか……?』
考えを遮るように、茂みから音がした。何かが隠れているような、暗闇から円香を見ているような気配。
『全部繰り返されてる!!』
『逃げなきゃ!!』
「円香、もう起きたの?よく眠れた?」
茂みからブリアンナが現れた。根につまずきながら歩いてくる。
円香は反射的に後ずさりした。だがブリアンナは普段通りだった。
「メドカ?大丈夫?」
彼女が一歩近づくと、円香はまた一歩下がった。そのまま何か温かくて毛のあるものに背中が触れ、動きを止めた。
勢いよく振り向くと、エリオットの顔があった。
「うわああ!!」
円香は飛びのいた。
「どうしたの?」
エリオットの困惑は隠せなかった。不満そうに鼻を鳴らす。
ブリアンナが近づき、耳をかいて落ち着かせる。
「円香、ど、どうしたの?」
『二人とも普通だ!!普通だ!!落ち着け!!』
「す、すみません……ただの悪夢です……」
ブリアンナは両手を広げ、円香の方へ差し出したまま、顔を真っ赤にした。
「こ、こっちに……おいで……安心させてあげる……」
「ブリアンナ、俺たちは今日会ったばかりだぞ……」
彼女はそのままの姿勢で円香を見つめた。
頬を膨らませ、眉をひそめて両手を二度握る。それは明らかに「早く」という合図だった。
「うんうん」
ブリアンナは握りこぶしの動きに声まで添えた。
『……え?』
『まるでわがままな子供だ……かわいい!!』
円香は彼女を見つめ、ため息をつくと、観念したように彼女の方へ歩き出した。
円香は一歩のところで不安そうに立ち止まった。
「お前って……ただ抱きしめたいだけだよな……?」
ブリアンナは強く頷き、さらに顔を赤くする。
「う、うん……」
彼は一瞬ためらったが、それでも一歩踏み出した。
彼女の腕が少し不器用だが、しっかりと円香を抱きしめた。
その体温は思っていたよりもずっと落ち着くものだった。
『あったかい……』
円香はそっと息を吐き、肩の力が徐々に抜けていく。
「まぁ……ありがとう……」
ブリアンナは何も答えず、ただ小さく寄り添うように抱きしめる力を強めた。まるで彼が消えてしまうのを恐れているかのように。
背後のエリオットは、何か言いたげに鼻を鳴らし、ゆっくりと足を踏み替えた。
数秒間、三人はただ静かに立っていた。
夜の空気は冷たく、焚き火だけが静かに音を立てている。
彼女の呼吸が少しずつ落ち着いていく。
円香は耐えきれず、そっと抱き返した。
「ブリアンナ……」
「ん?」
「なんでそんなに俺に優しいんだ?」
「わからない……円香……でも……あなたのそばだと安心する気がする……」
円香は彼女の顔を見ていなかったが、今その顔が真っ赤になっていると確信していた。
「そ、そうか……」
温かな抱擁はやがてゆっくりと解けていく。
円香はエリオットを見た瞬間、夢の中の怪物を思い出した。
すぐに頭を振って、そのイメージを追い払う。
円香は焚き火の方へ歩いた。
「円香、言い忘れてた……!」
「ん?」
「偵察に行って、小さな村を見つけたの……」
「村……??」
「うん……!!村人と話して、村長が家を一軒貸してくれることになったの」
「そんな簡単に?」
「うーん……少し違うけど……私の制服を見て、すぐに受け入れてくれたの」
「すげぇな!」
『やっと風呂入れる!!』
「そういえば、ブリアンナ!」
「なに?」
「通貨とか、この王国のこと教えてくれないか?」
彼女は驚いたように彼を見た。
「悪いけど、それも知らないってことは……どうやって首都にいたの?」
「……風で飛ばされてきた」
『くそ、何言ってんだ俺……!?』
ブリアンナは疑わしそうに彼を見る。
「まぁいいわ……一応信じる……」
「ありがとう……」
「じゃあ火のそばに座ろう。あなた、この世界のことほとんど知らないみたいだしね。あとでちゃんと“風で飛ばされた理由”も聞かせてもらうからね……!」
円香はその言葉に混じった皮肉を感じ取った。
「わ、わかった……」
二人は焚き火のそばに座った。
円香が地面に腰を下ろすと、ブリアンナもすぐ隣に座る。
エリオットは再び彼らの後ろに横たわり、寄りかかれるように体を丸めた。
「えっと……じゃあ説明するね……!この世界には七つの王国があって、それぞれが七つの大罪を象徴しているの。私たちは“暴食の罪”の王国にいるの」
「七つの大罪……?」
『この世界にもそんな概念が……?』
「うん!いくつかの王国は領土を広げるために互いに争っているんだ……」
「うんうん……じゃあ人々はどんな通貨を使ってるの?」
「金貨と銀貨を使っているよ。金貨のほうが銀貨より価値が高いんだ」
「それはもう知ってる……」
ブリアンナはニヤリと笑った。
「円香……どこから来たの? 絶対この辺の人じゃないよね!」
「……」
相手の鋭い視線に、円香はつい口を開いてしまった。
彼は大きく息を吐いた。
「遠い場所だ。日本っていうところから来た」
「に……日本?」
「そうだ。俺はそこのヒーローだった!」
「ひ、ヒーロー!!!!」
ブリアンナは叫び、円香を驚かせた。
「そ、そうだ……」
「冗談だと思ってたよ。自分のことをスーパーヒーローって言ったから。でも“スーパー”はよく分からないけど、ヒーローなら知ってる!」
「ほ、本当に!? ここにもヒーローがいるのか!?」
二人の声は思わず大きくなった。
「うん!それぞれの王国に一人ずつヒーローがいて、王たちが選ぶんだよ」
『ここにもヒーローがいるのか……!? ならここでもヒーローの仲間を作れるかもしれない……』
エリオットが不満そうに鼻を鳴らし、静かにしろと言わんばかりだった。
「……え?」
二人は同時に驚いて顔を見合わせ、そのまま笑い出した。
「ありがとう……これで少なくとも、ここがどこか分かったよ!」
ブリアンナはまた顔を赤くして、そっぽを向いた。
「ど、どういたしまして……」
「ク、クム……その村までどれくらいかかる?」
「うーん……だいたい三キロくらいかな。飛べば二十分くらいで着くよ」
『何?』
「ここに長くいなかったのに……エリオットは一緒にいたよね? どうしてそんなに早く戻れたんだ?」
「円香、言ったでしょ。エリオットは速さで有名なの。私を送って、それからあなたを見張るために戻ったの。終わったあと、騎手とペガサスのテレパシーで呼んだら、すぐ飛んできたの」
「すごいな、エリオット! お前、最高だ!」
ペガサスは誇らしげに頭を上げ、鼻を鳴らした。
「じゃあ……行こうか?」
「だ、うん!」
ブリアンナは手際よくエリオットに跨がり、次の瞬間、夜空へと舞い上がった。
円香も遅れずに地面を蹴り、衝撃波で背後の焚き火を消し飛ばした。
「円香、エリオットに乗ってみない?」
彼の目が輝いた。
「いいのか?」
ブリアンナはペガサスを見て、許可を取るように視線を送る。
エリオットは小さくいななき、了承した。
「いいよ」
円香は迷うことなく近づき、あっという間に彼女の後ろの鞍へと乗った。
「え、円香……ちゃんと掴まってて……落ちるから……!」
声が少し震え、頬がまた赤くなる。
『落ちても飛べるけど……まあ……』
『……嫌じゃない』
円香はそっとブリアンナの腰に手を置いた。
「着いたぞ」
「え、もう?」
『あいつ、本当に速い……でも、それでも“あいつ”には敵わないな……』
一瞬、円香の頭に「ナイン」の旧友の姿がよぎった。
二人はそっとエリオットから飛び降り、村の方へと歩き出した。
「家が見える!」
「うん、もうすぐだよ」
近づくと、円香は読めない文字の書かれた看板に気づいた。
『やっぱり……言語か……』
「ブリアンナ、あれ何て書いてある?」
彼は看板を指さした。
「文字も読めないの? ふぅん……あとで教えてあげる。あなたの日本って、本当にかなり遠い場所みたいね」
彼女は目を細めて文字を見つめた。
「“ダリウルへようこそ”って書いてあるよ」
「ダリウル……」
円香はその名前を小さく繰り返した。まるで味わうように。
村からはかすかな音が聞こえていた。人の声、時折の笑い、犬の鳴き声。夜にもかかわらず、まだ生活の気配が残っている。
入口にはいくつかのランプが灯り、道を暖かく照らしていた。
「行こう。もう村長とは話をつけてある」
「頼むから、気が変わらないでくれよ……」
「変わらないよ」
ブリアンナは自信ありげに頷いた。
二人は村へ入った。
気づいた村人たちが足を止め、不審そうにこちらを見る。
その視線は円香に長く留まっていた。
『なんでそんなに見られてるんだ……』
円香はわずかに眉をひそめる。
「気にしないで……あなた、目立つから」
ブリアンナは小声で言ったが、彼女自身も少し緊張しているようだった。
その時、整った服を着た中年の男がこちらへ歩いてきた。
「戻ったか」
彼の視線はすぐに円香へ向かう。
「……その男か?」
ブリアンナは一歩前に出た。
「はい。話していた人です」
男はしばらく黙り、円香をじっと観察した。
あまりにも長く。
円香は無意識に身構える。
「……よし」
ようやく男が口を開いた。
「歓迎する。私はグレックだ。何かあれば、あの家にいる」
彼は村の中央にある建物を指さした。
「ありがとうございます」
「ただし、問題を起こした場合は、彼の責任はお前たちが取れ」
ブリアンナは迷わず頷いた。
円香は彼女を見る。
『この子……簡単に背負いすぎじゃないか……?』
「ついて来い。宿を案内する」
男は背を向け、ゆっくりと歩き出した。
ブリアンナは円香を見て、少しだけ笑った。
「大丈夫だよ」
「……だといいけどな」
円香は静かに彼女の後を追った。




