十話(3)
『‥‥‥‥‥‥見えてきましたよ』
快晴の昼間、ルイスさんの声で外に飛び出てみると、眼下の窪地にレニーが見えた。
「大きな街‥‥‥」
幌から顔を出したノア様は広大な景色に目を見開き、開口一番にそう呟く。
「意外でしたか?」
「はい、険しい山の中にこんな広い土地があるとは思ってなかったです」
興奮気味に語られた言葉からも分かる通り、彼女の鮮やかな赤い瞳は街の景色を映し続けている。そこに昨晩までの重い空気感はなく、むしろ溢れ出てくる希望に包まれていた。
「本当に、着くのが楽しみです」
目を輝かせているノア様の姿に、昨日までの全てが報われたような気がして、つい感傷に浸ってしまいそうになる。
「ノア様はこれから、何をしたいですか?」
「何を‥‥‥ですか‥‥‥」
荷車に乗り直し、気持ちを紛らわすように尋ねると、彼女は困ったように苦笑いを浮かべる。
「正直、自分でもあんまり分からないです。故郷では家を出る事自体禁止されていたので、外の世界に何があるのかもよく分かっていなくて‥‥‥」
彼女の口から出てきたのは暗い過去の話。きっとノア様の存在を世間から隠そうとしていたのだろう。その理由は保護か保身か、今となってはもう分からないことだ。
「あ、でも一つだけ‥‥‥使用人になってみたいです。私にとって、家族みたいな存在でしたから」
そう話すノア様は一人の女性、きっと同じ人を思い浮かべている。可能ならすぐにでも今の言葉を聞かせてあげたい気分だ。家族のように想ってくれていたと言われたらどんなに嬉しいだろうか。
「お願いしてみましょう。多分、許してくれますよ」
別に危険な職業でもない筈だし、理由がちゃんとあれば長続きもする。何よりリンドルさんのことだから、断りはしないだろう。
「嬉しいです。お礼にいつかお料理を振る舞いますね」
「それは楽しみです」
軽い冗談だと分かって受け取りつつも、一回くらいは食べてみたいものだ。冗談だろうから期待はしない。
「不安なことはありますか?」
「そうですね‥‥‥生活が肌に合うのかという心配はあります。故郷を出たこと自体、これが初めてですから」
確かに人によっては合わないこともありそうだ。特に食事は地域差が大きく出るだろうから、最初の方は苦労するかもしれない。
(ただの村人だった身からすればどれもご馳走だけど、ノア様は貴族だもんな)
直前までの野生動物みたいな日々も相まって、自分は今まで不味いと思ったことはない。だが立場が違えば舌も変わるもので、領主の娘として育った彼女が美味しいと思うかは分からない。
「‥‥‥でも、それも楽しめたらいいなと思ってます。何もない状態からの再出発ですから」
そう言って浮かべられた柔らかな笑みは、これまでノア様が見せたどの表情より晴れて見えた。
「どんな街なんでしょう?もう待ちきれないです」
「あと少しで分かりますよ」
そう言って、そわそわしている彼女を微笑ましく見守っている内に、荷車の動きが止まった。
『到着致しました。街に出たいのであれば、ここで降りてもよろしいですぞ』
「‥‥‥どうしますか?」
ルイスさんも先程の会話を聞いていたらしく、一時停止してまで尋ねてくれた。とはいえ長旅で疲れていると思うので、本人の意思に任せる。
「勿論降りたいですけど、この格好のままなのは‥‥‥」
「あ、そういえば‥‥‥」
言われて初めて意識的に視線を落とすと、ノア様は白い寝間着に身を包んでいた。寝ているところを連れ去ったのだから、よくよく考えたら当然のことだ。
「それじゃあ、一回帰って着替えましょうか」
「その方向でお願いします」
ノア様自身も寝間着であったことを忘れていたのか、恥ずかしそうに身を縮めて賛同する。
少し気まずい沈黙の中、荷車は静かに動き出す。何も言わないあたりに、ルイスさんのささやかな同情を感じた。
(‥‥‥ん?そう考えると、あの屋敷に女の子用の服なんてあるのか?)
家主が男なので、男子用の服があるのはまだ分かる。しかし家主以外使用人しかいなかったあの屋敷に、女子用の服など存在する筈がないことに、今更気がついた。
「ルイスさん、服屋にだけ寄ってくれませんか?」
『承りました』
ルイスさんからは分かっていたかのような即答が返ってきた。
「あ、あの‥‥‥気を利かせてくれたのは嬉しいのですが、今の私に服を買うようなお金は‥‥‥」
「気にしないでください。俺が出しますから」
遠慮するノア様の言葉を上書きするように奢る宣言をしつつ、山積みの荷物から金貨で膨らんだ小袋を取り出す。
「うーん‥‥‥服の値段には疎いんですけど、小金貨三枚あれば大丈夫ですかね?」
「えっと、多分大丈夫です‥‥‥って、そんな大金いただけません!服はなんとかしますから、大事にしてください!」
話の流れに乗せて事を進めようとしたが、気付いたノア様は慌てて首を横に振って受取拒否する。貴族だし小金貨程度なら見慣れているだろうと踏んだが、思ったより庶民的な金銭感覚を持っているのかもしれない。
とはいえ買わないと無いものは無いので、説得する方向に切り替える。
「なんとかと言っても、具体的にどうするのですか?」
「リグ様と同じものを着ます。身長もリグ様と同じくらいですし、私も着れると思います」
「俺の服はすぐ汚れてボロボロになるので駄目です。そんなもの着せられません」
実際、昨日の時点で既に一着血まみれにしている。綺麗に洗い落としたとしても、そんなおぞましいものをノア様に着せたくはない。
「汚れたくらいなら洗えばいいですし、ボロボロになっても直せばまた着れます。私はそれで十分‥‥‥」
「絶対に駄目です。過去のことだとしても、綺麗であるべき貴族の女性がそんな服を着てはいけません」
返り血の話は避けながら、思い浮かんだ理由を貼り付けて断る。その傍ら、決め手に欠けているとはいえそんなに嫌がらなくてもいいじゃないかと、ちょっとだけ不満に思った。
「とにかく、ちゃんとした服を着てください。そっちの方が好ましいですよ」
「好ましい‥‥‥それがリグ様のお金で買った服だとしてもですか?」
「え?まあ‥‥‥はい」
一般論として、そりゃ綺麗な服を着ていた方が印象は良い。それが他人に買ってもらった服でも悪いとは思わないし、誰も気にしない。
「好ましいんですね?リグ様から見ても」
「はい。ツギハギだらけの服より、清潔感のある服の方がノア様は似合うでしょうし」
大事に手入れされた艶やかで淡い金髪と、ステンドグラスのように煌びやかな赤眼、子供らしくも端正な顔立ち含めて、上質な服で飾るのが良い。特に、くすんだ髪と濁った瞳を持つ人間と比べれば尚更だ。
「それなら、ご厚意に甘えて‥‥‥」
「そうしてください」
どうにか決着が付いて、ノア様を服屋に連れていけそうだ。好ましい云々が決め手になったのは謎だが、上機嫌なようなので良しとしよう。
『話は纏まりましたね?それでは行ってらっしゃいませ』
いつの間にか馬車は止まっていて、幌越しに話を聞いていたルイスさんに促され外に出る。
「街に来て初めての買い物ですね、行きましょう」
「はいっ、楽しみです」
片手には少量の金貨を移した小袋、もう片手には足取りの軽いノア様の手を握って、昼間で賑やかな通りの一角、服の看板が提げられた建物に入る。
「いらっしゃい、子供の服ならあっちだよ」
入店すると、白髪混じりのおじさんが怠そうに奥の方を指差した。舐められてるなと思ったが、そんなこと気にも留めていないノア様に引っ張られ、指差された方に向かう。
「服が沢山‥‥‥この中から、自由に選べるのですか?」
「ええ、好きなものを選んでください」
新鮮味に感動して目を輝かせるノア様にそう言うと、嬉しそうに近くの服を片っ端から手に取って見比べ始めた。
(外に出れなかったから、こういうのも初めてなんだろうな)
小さな村で育った自分もこういう大きな服屋は新鮮ではあるが、そもそも外出すら出来なかった彼女は、自分以上に初めてで溢れているだろう。今こうして一挙手一投足を眺めているだけでもそれが感じれて微笑ましく思う。
(とはいえ、流石に古着ではあるな。やっぱり新品は注文しないと駄目か‥‥‥)
見た目は良くても、生地を触れば結局は誰かが着た後の服だと分かる。やはり、新品を手に入れるには特注品を作るしかないようだ。
ノア様は服選びに夢中なので、当分は目を離しても大丈夫だろう。手が空いた今のうちにと、先程のおじさんのいた入口に向かう。
「‥‥‥買うもんは決まったかい」
「別件だ。ここで仕立ての注文は出来るか?」
あまりに気怠げな態度が気に食わないので、相応の言葉遣いで尋ねる。別に生意気だと断られたら他を当たるのでこれで良い。
「出来るが‥‥‥金はあるのか?」
別に気にしていないのか変わらない受け答えで、やはりそこかという話を持ちかけてきた。まあ子供二人で入店しているのだから、大金は持っていないと思われるのも仕方ない。
「これくらいならすぐに出る」
第一印象で低く見られているのなら、行動で覆すのが一番だ。ということで、涼しい顔で小袋から小金貨を一枚ちらつかせる。
「なるほどな‥‥‥それで、何着欲しいんだ?」
まあまあな大金なのだがおじさんに驚きの反応はなく、変わらず怠そうに話を進める。もうこの人はこういう性分なのだろう。
「上から下まで全部五着ずつ。金額は?」
「小金貨二枚からだな。良い生地を使えば五枚以上はくだらない」
「綿布かつ上質なものでいくらになる?」
「六枚」
想定内の値段で、引き上げているようにも見えない。この怠そうなおじさんには一抹の不安を覚えるが、ルイスさんが選んだ店というのもあるので信じてみようと思う。
「それで頼む」
「あいよ。そしたら採寸だな。ついてこい」
「あ、服ってのは俺のじゃなくて‥‥‥」
ノア様の服だと伝え忘れ、かつ彼女は女の子だから男に採寸されるのは嫌だろうと思い、裏の工房に行こうとするおじさんを引き止める。
「あー‥‥‥あの嬢ちゃんの服か?」
「はい、なので採寸は‥‥‥」
「分かってる。おーい、ちょっと来てくれー」
おじさんが奥の工房の方へ声を掛けると、ドタドタと足音が鳴り、男勝りな雰囲気を纏った短い茶髪の若い女性が姿を現した。
「何の用?」
「あーっとな、嬢ちゃんの採寸を頼みたいんだが‥‥‥お、丁度戻ってきたな」
おじさんの視線の先に目を移すと、服を数着抱えてるノア様が立っていた。
「おお‥‥‥あの滅茶苦茶可愛い子かい?」
「そうだ」
「えっと、何の話でしょうか?」
仕立て屋の女性はノア様を見ると感嘆の声を上げ、高揚感のある声でおじさんに確認を取る。一方のノア様は、突然自分に視線が集中して困惑しているようだった。
「ノア様の服を仕立ててもらう話をしていました。で、仕立てるにはまず採寸する必要がありまして‥‥‥」
「それで私が呼ばれたんだ。お嬢ちゃん、ノアって言うのかい?」
長い説明は嫌いなのか、仕立て屋の女性は話に割り込むと、ノア様と直接の意思疎通を図ろうとする。
「初めましてお嬢ちゃん、私はミレイナだ。ここで女性服の仕立てをやっているよ」
「あ、えっと‥‥‥の、ノア、です。は、初めまして」
街に来て最初の他人なので人見知りしているのだろうか、ノア様はぎこちなく一礼して頭を上げると、助けを求める視線をこちらに向けてきた。何か出来るわけでもないので気まずいのだが。
「そんじゃあ早速採寸しに行くから、こっちにおいで」
「り、リグ様‥‥‥あの‥‥‥」
「大丈夫ですから、行ってきてください。その服は買っておきます」
「そんなぁ‥‥‥」
力強いミレイナによって本人の意思に反して進む物事に、ノア様は助けを求めてきたが、何も出来ることはなく首を振り、肩を落として工房へ赴く彼女を見送った。
「‥‥‥そんで、あの服も買うのか」
「当然」
二人になったところで、カウンターに積まれた服の行く末について聞かれた。どちらにせよ服が完成するまでの代用が必要なので、またノア様に何か言われないうちに買っておく。
「そんじゃあ会計だが、古着の代金はまけてやる。小金貨六枚だ」
「え‥‥‥いいのか?」
「その代わり、次もうちに注文しに来い。品質は保証する」
何か裏があるんじゃないかと、そう思ったのが馬鹿らしいくらいあっさりと腹の内を明かされた。相変わらず怠そうな態度をしているが、むしろ開き直っているようで信頼出来てしまう。
「損は無い筈だ。どうする?」
「‥‥‥服の出来にノア様が満足したら、その提案に乗ろう」
「なら契約成立は確実だな」
初めて浮かべられた笑みは不敵なものだった。これは余程自信があるらしい。
「自己紹介をしておく。ガットだ。好きに呼べ」
「リグだ。以後よろしく」
淡々として全く味のしない自己紹介だが、ここまでのガットの態度で慣れていた。そしてこれ以上会話が起こることもなく、ノア様の採寸を静かに待つこととなった。




