狼人(ウエアウルフ)
クソッ、クソッ、クソッ、クソッ!
キルロは、目の前の狼人を追いながら、自戒の念に押し潰されそうだった。
助けられなかった。
目の前なのに救えなかった。
救わなかった⋯⋯。
自己嫌悪の欠片が足元に絡みつき、足の重さを感じてしまう。
ハッ、ハッ、ハッ⋯⋯。
キルロの口からは、吐く息がこぼれ落ちる。この不快感も一緒にこぼれ落ちればいいのに。そして、何も考えなくていいように、頭を空っぽにしてくれと思わずにはいられない。
何も考えたくないのに、背中かろ届く不快な断末魔。その断末魔は、後悔にも似た感情を呼び起こし、キルロの心を犯していた。
今は、ひたすら走るんだ。
キルロは不快な断末魔を切り捨てるかのように、脇目も振らず一心不乱に走り続けた。
背後の不快な断末魔が遠のく。キルロは狼人の背中を見つめ必死に食らいついた。
断末魔も咆哮も、聞こえなくなる。すると、狼人はようやく、スピードを落とした。
「もう大丈夫だ。しかし、お前さん、ひでぇ顔してるぞ」
低く穏やかな声に、息のあがったキルロが顔を上げた。
通常、獣人の眼は良いはずだ。むしろ悪いという話を聞いたことがない。しかし、この狼は、獣人の耳にも掛けられように作った特注の眼鏡をかけている。
獣人なのに目が悪いのか?
眼鏡と整った顔立ちからか、理知的なにおいを漂わす独特の雰囲気を纏う狼人。
眼鏡の奥で鋭く光る瞳が、キルロ達の様子を窺っていた。
細身の手足は獣人らしく長めで、皮鎧のみの軽装備は、動きを妨げないようにしているのだろう。
「大丈夫だ」
キルロは、自分に言い聞かせるように狼人に答えた。狼人が立ち止まり、少し呆れがちに言い放つ。
「大丈夫っていうヤツは大概、大丈夫じゃないんだよ」
キルロは、言い返す言葉が、見つからず言い淀んでしまう。
そんなキルロの姿に、狼人は穏やかに続けた。
「あんまり、気に病むなって言っても無理だろうが、お前さんは、お前さんの出来る最大限をあそこで見せた。あれ以上は、だれがどうあがいたところで、無理ってもんだ」
キルロは思わず青い空を仰ぐ。だが、心のザラっとした泡立ちは、どうにもならない。
狼人は、肩をすくめさらに続ける。
「まぁ、間違いなくあそこにいた何人かは、お前さんの声に救われたはずだ。突っ込んで行ったバカ共に希望を見たヤツは、多分瞬殺、抱いた希望も瞬殺。そこで我に返ったヤツは、お前さんの叫びを思い出し、あそこから立ち去るだろう。立ち去らない奴は、抱いた希望が間違いだった事を認められず、クソみたいな希望と共に消えるだけだ。立ち去るという選択肢をお前さんは、唯一、あの場で与えたんだ」
その言葉にキルロは、答えが見つからず黙ってしまう。
この狼の言葉を理解は出来るが、納得出来ないでいた。
「割り切れとは言わん。でも、切り替えろ」
狼人は、キルロの瞳をジッと覗き込み視線を逸らそうとしなかった。
キルロは、その吸い込まれそうな瞳から視線を外してしまう。その言葉を、今は飲み込むしかないと、ゆっくり頷いて見せた。
■□■□
村に戻ると数人の住人が、様子を伺いにやってきた。帰って来ない冒険者に気が気でないのだろう。
まとめ役とおぼしき壮年の男が、聞きづらそうに経過の報告を願い出る。すると、狼人は、キルロを制止して片手を高く掲げた。
「今、この村は、非常に危険な状態に陥っている!」
狼人が、良く通る声で朗々と語り始めると、住人達は集まり始め、ざわめきが生まれる。
「あ、あの、どういう事でしょうか?」
まとめ役の男は、大きな不安を隠せないでいる。
「とても危険なオークが生まれ落ちてしまった。討伐に出た先発陣は、全滅に近い状況だ」
住民のざわめきと不安だけが、膨らんでいく。だが、狼人は、気にする事なく続けた。
「この村で、一番速い脚を持っているのは誰だ?」
住人達を見回し狼人が問いかける。一人の若者が、躊躇しながら手を上げた。
「私の馬が、一番速いと思います⋯⋯」
「では、あなたに、この村の行方を託しましょう。ギルドに行き、亜種が生まれ、村に危機が迫っていることを訴えて下さい。そして、援軍の要請を、強くお願いするのです」
若者は、その言葉に表情を引き締め、強く頷いた。
「今、書状を書くので、ギルドに必ず渡して下さい。いいですね?」
狼人は、羊皮紙に急いでペンを走らせる。
その書状を受け取り、若者はすぐにギルドに向けて馬を走らせた。
「お前さん、ちょっといいか?」
ざわつく住人達を横目に、狼人はキルロの耳元で囁き、顎で空き家を指して見せた。キルロは黙って頷き、その空き家へ隠れるように入って行く。
「遅くなった。マッシュ・クライカだ」
狼人は、名乗るとすぐに手を差し出し、キルロはその手をしっかりと握り返した。
「キルロだ。こっちはキノ」
互いに名乗り合うと、キルロはすぐに疑問をぶつけた。
「なあ、なんでオレ達を助けたんだ?」
「あの混乱した場で、的確な判断が出来てたのは、お前さんだけだった。それだけの事だ」
「そうか⋯⋯」
キルロは納得を見せたものの、あの行動が、的確だったという実感はまったくなかった。
「なぁ、ギルドに訴えるって事は、援軍を待って叩きに行くって事だよな?」
キルロの問いかけに、マッシュはニヤリと口端を上げて見せる。まさかの反応にキルロが戸惑っていると、マッシュは薄い笑みを浮かべたまま答えた。
「まさか。ギルドに走らせるのは、ヤバさを煽らせて報酬を上げる為だ。住人が血相を変えて飛び込んで行けば、ギルドも動かざろうえない。書状には現状と護衛兵を動かせ、さもなくば報酬を上げて、クエストのランクアップして手練れを寄越せと書いた。この程度で、ギルドが護衛兵を動かす事はまずないから、これで報酬アップとなるはずだ」
報酬アップ!? そんな事を考えていたのか。
呆気に取られているキルロを横目に、マッシュは続ける。
「亜種だぞ? 報酬アップがあって、いいレベルだろう? オレとお前さんで、あいつを叩くぞ。クエストが刷新され、新しい冒険者が来るまで4日はあるはずだ。それだけあれば充分だ」
「他のヤツらはどうする⋯⋯」
キルロが言いかけると、キノが村の入口を気にする素振りを見せた。
納まったはずの住人達のざわめきが、また届き始めた。
キルロとマッシュは、不審に思い、ざわめきの方へ急いで向かう。
そこには、重傷の冒険者達が、数人帰還していた。
マッシュの言っていた、我に返ったヤツらか⋯⋯。
戻って来れなかったヤツらは、多分、そういう事なのだろう。
落ち着き始めていた心がまた粟立ち始め、キルロの顔は険しいものになっていく。
キルロの隣で、マッシュもその光景に視線を向けていた。表情は変わらず、冷静な瞳でその光景を見つめていた。
「ヤツらはもう心が折れている。立ち上がるヤツがいれば、もちろん共闘を願い出るが⋯⋯お前さん、アレを見て、立ち上がるヤツいると思うかい?」
マッシュの言葉に、キルロは返す言葉が見つからなかった。
自分で歩けるヤツはまだマシだった。片腕をもがれているヤツ、中には両足があらぬ方向に曲がり、呻き続けてるヤツもいた。キルロは反射的に、呻きを上げている冒険者へと走り出した。
住人達の献身的な治療は、さながら野戦病院の有り様だ。
「【癒光】」
キルロは、冒険者に静かに呪文を詠う。手から落ちる白光の球が、重傷者に吸い込まれていった。その姿にマッシュは驚き、目を丸くしていた。
“すまねぇ”と話す気力のある冒険者は、キルロに感謝を述べるが、キルロは黙って首を横に振る事しか出来ない。助けられなかった者達の贖罪にはならないと、キルロはヒールを落とし続けた。
「へぇ~、お前さん、ヒールを使えるのか!? 面白いヤツだな」
マッシュが素直に感嘆の声を上げるが、キルロの表情は冴えないままだった。
「少しだけだよ」
キルロは、そう呟くように答える。
「なぁ、ヒールが使えるから、あの場で助けられたかも⋯⋯なんて、思っていないよな?」
マッシュは、少し皮肉ぽい口調でキルロに問いかけた。
治癒系だろうが攻撃系だろうが、唱えてる間は一種の瞑想に近い状態になってしまう。強力なものほど瞑想に近い状態は長くなり、最前線でなんの援護もなく呪文を唱えるのは、裸でモンスターの前に寝転ぶようなものだ。
あのオーク亜種が暴れている現場で、援護もなしに呪文を唱えるのは自殺行為と変わらない。
「思っていたら、何も言わずに突っ込んでるよ」
キルロはもどかしさと共に、そう答えた。
「そらそうか」
マッシュは軽く頷きながらキルロの答えに納得する。
「なあ、マッシュ。あのオークおかしくないか? あんな変わり種にあった事あるか?」
「亜種はあるが、こんな村の近くってのは、ないな」
「そうか。しかし、なんで群れないはずのオークが群れているのだろ?」
「これはあくまでも憶測に過ぎないんだが、圧倒的な力の差を持つ亜種が生まれた事で、亜種を頂点とする、小さなヒエラルキーが出来てしまったんじゃないか。今まで横一線だったオークの力関係が、イレギュラーが発生した事で、縦にも線が出来てしまい、力関係が変わってしまった。その事で、群れというイレギュラーも発生してしまったんじゃないかと思うんだが、どうかな?」
合点の行く説明だ。亜種の存在が、オークのパワーバランスを崩し、イレギュラーを発生させた。
もしそうなら、通常の群れで動く怪物と違い、連携に関して言えば稚拙な可能性が高い。
「という事は、連携は甘そうだな」
「ああ、そこは間違いないだろ。連携して何かをするって事は出来ないだろうな」
「突くとしたらそこか?」
「どうかな、そこは突くというより、考えなくても良いって感じじゃないか」
突破口になるほどの事柄ではないのか。
「なぁ、お前さん。なんで強力な亜種が、たまたまとはいえ生まれたと思う?」
今度はマッシュがキルロに問いかけた。
そんな事、考えた事もなかったな。
なぜ? に理由があるのか?
キルロは、咄嗟に思考を巡らすが、何も浮かばない。
「マッシュは何か知っているのか?」
キルロが首を横に振ると、マッシュは顔を上げて村の出口付近を見つめた。
「これも憶測の域を出ないが⋯⋯それより⋯⋯なぁ、お前さん⋯⋯」
マッシュは答えを遮り、冒険者を必死に治療している住人達を見つめる。
「バカな冒険者を救えなかった事、いつまでも悔やむな。お前さんが守るべきは、あそこで必死に治療してくれている住人達じゃないのか? 違うか?」
マッシュの言葉は、キルロに突き刺さった。
あまりに当たり前の事だがキルロの中で、スッポリと抜け落ちていた事に気づかされ、自分のマヌケさえを悔いる。
「確かにそうだな、アンタの言う通りだ」
「分かればいいさ。まぁ、オークらが、この村を襲うことは無いと思うけどな」
「そうなのか?」
「憶測に過ぎないから住人には内緒だ。どちらにせよ討伐しない事には、西側の生活圏が潰れたままだからな」
「へえ、優しい面も持ってるんだな、住人の為なんて」
「当たり前だろう」
マッシュがニヤリと笑った。