花
ジュ！ っと、食獣花が吐き出す酸が草を溶かす。溶けた草から立ち昇るに細い煙にキルロの鼓動は早くなり、自身の焦りを体に伝えていく。
危険極まりない未知の生物と対峙し、キルロは恐怖に塗りつぶさぬように必死に抗う。頭上の大きな花を見上げると、花芯に向かうハルヲとシルの矢は、吐き出される酸に阻まれ、辛うじて袋に突き刺さった矢が、ブラブラと所在なく揺れているだけだった。
ダメージの蓄積は皆無かよ。
こんなもん、どうしろっていうんだ。
思考を回そうにも、吐き出される酸がそれを拒む。
「ダメだ！ 矢の意味ねえぞ！」
叫ぶキルロに、ハルヲの舌打ちが聞こえて来そうだ。
「茎もダメだ！ 硬すぎる！」
後ろに回ったマッシュのナイフも茎に弾かれ、マッシュの叫びは、パーティーを憂鬱にさせた。
打開策を見出せぬまま、時間だけが過ぎていき、いたずらに体力と思考を削る。パーティーを見下ろす花は、鬱陶しい虫でも払うように、淡々と酸を吐き続け、そして次なる餌をひたすらに求めた。そこには捕食という根源的な欲しかなく、感情の起伏などまったく感じられない。
！！ ヤバッ！
草葉に隠れた大きな石に、キルロは足を取られてしまう。もつれた足は、態勢を大きく崩し、地面に膝をついてしまった。
そこに容赦なく襲い掛かる酸の雨。
キルロは咄嗟に小さな盾を掲げた。
小盾に降り注ぐ酸の雨が小盾を溶かし、そして鉄をも溶かす酸が、掲げた盾を通り抜け、キルロの体を溶かして行く⋯⋯はず⋯⋯？
小盾を掲げたまま目を閉じるキルロは、感じるはずの熱を感じない。キルロは、酸の雨の合間を縫い、掲げた盾を確認していった。
？！
溶けてねえじゃん。
キルロの小盾には、腐食したような痕がついただけで、盾は酸の雨を防いでいた。
助かった。しかも、この酸は盾で受け止められる！
て事は⋯⋯。
「おい！ こいつに、鉄は溶かせねえ！」
とは言うものの、盾持っているのはキルロひとりだけ。そこからの攻略の糸口は、相変らず見当たらない。
「もう一度！ やるよ！」
ハルヲの叫びにシルは弓を構え、マッシュは茎を叩く。だが、同じ事を繰り返したところで結果は見えている。
ハルヲが舌を打ち、シルは弓をいったん置いて呼吸を整えた。
シルは弦を引き直し、花を睨む。
花芯も袋もダメ。
ならば！ こっちはどうなの？
シルは視線を下へ向け、根元を睨んだ。茂みに隠れた根元に向かい、矢継ぎ早に弓を引く。力強い線を描きながら、シルの矢が空気を切り裂いていく。
狙うは根元。
花の根元にシルに矢が、いくつも突き刺さる。深々と次々に突き刺さるシルの矢に、花は今まで見せたことのない大きな動きを見せた。
キシキシと脚から軋む音を鳴らし、花は一直線にシルへと向かう。頭上の大きな花は激しく揺れ、驚くべき速さで、シルに向かって行った。明らかに今までとは違う花の動きに、パーティーは手応えを感じる。
イヤがっているわね。
シルは好機と判断し、この機を逃してはならないと、花に対峙したまま、矢を放ち続けた。
距離はまだ大丈夫！ 撃て！ 撃て！
ギリギリまで撃つ！
シルの矢が根元に次々に突き刺さる。致命傷を狙うシルは、向かってくる花をギリギリまで引き付ける。
クン。
突然、花がお辞儀をした。
舐めるなとでも言うかのように、シルの目の前に大輪の花を咲かせ、花芯がシルを睨んでいるように感じてしまう。
あったはずの距離の余裕が、一気に無くなってしまった。
しまった！
花の見せた想定外の動きに、シルの体は固まってしまい、パーティーの空気も困惑と共に固まる。
ヤバい！ ヤバい！ ヤバい！
キルロの頭の中で、警鐘が赤い点滅を繰り返し、気が付けば叫んでいた。
「シル！！」
突然、眼前に現れた黄色の花芯に、シルは目を見開く。動かぬ体は、気持ち悪い黄色の花芯を見入ってしまう。
飛び込め！ 動け！
キルロは、動けぬシルの前へと飛び込んで行く。
そして、黄色い花芯から吐き出される酸がシルを襲う。
間に合え！
キルロはシルへと手を伸ばす。
「がっはぁっ！」
間に合わなかった。
キルロの伸ばした盾を嘲笑うかのように、酸がシル腕を襲った。
クソ！
クソ！
クソ！
キルロは、自分の不甲斐なさを悔いる。
「だれか頼む！ ９０秒くれ！」
「代わる」
キルロの叫びにマッシュが飛び込みキルロの小盾を掴み取る。
キルロは、シルを抱え茂みへと飛び込んで行く。
シルの服が溶けていき、露わになった肩口を、ジワジワと削られるかのように皮膚を溶かしていく。シルの真っ白な肌は赤くただれ、露わになった肉が酸によって溶けていく。
「ぅぅぅ⋯⋯」
声を殺し、苦しみに耐えるシル。キルロは、そんなシルの姿に顔をしかめた。
急げ、急げ、急げ！
「今、楽にしてやるからな。【癒復白回光】」
苦しむシルに、キルロは手をかざし、静かに詠唱する。キルロの手から大きな光の玉が、シルのただれた肌、抉れた肉を照らす。
少し黄色味を帯びた白い光の玉は、神々しい金色の光にも見え、その金色の光玉に、痛みをこらえるシルは目を剥いた。
何、この光？
その光は、シルから痛みを奪い取り、安らかな心持を運ぶ。溶けて抉れていた肉が、みるみる再生され、真っ白な皮膚が傷口を覆っていく。
な、何よこれ⋯⋯。
シルは、この光景に言葉を失い、ただただその金色の光に見入っていた。
ハルヲも矢を放ちながら、視界の片隅に映るその光に目を見張る。
ゆっくりと吸い込まれる光玉と比例するようにシルの肩口が回復していく。消えて行く痛み。そして、金色の光玉越しに、シルはずっとキルロを見つめていた。
「よし。シル、大丈夫か？」
「完璧ね」
「いいとこ八割だ、無理はするな」
シルは黙って頷くと、前線へまた飛び出した。
「団長、変わってくれ」
マッシュがキルロに盾を返すと、その足でハルヲの元へ向かい、自身のナイフを手渡す。
「ハル、合図をしたら、こいつをアイツの折れ曲がっている節へ差し込んでくれ。茎のあそこだ」
「わかった」
マッシュが、お辞儀している花の茎を指差した。ハルヲはナイフを受け取り、疾走する。
お辞儀している今がチャンスだな。
んで、袋の中身が酸ならイケる。
キルロは小盾を鳴らし、花の注意を向ける。
マッシュは花がキルロに気を取られているのを確認し、静かに近づいて行った。
花はひたすらに目障りなキルロの排除に必死。
マッシュはその様子を見つめ、一歩一歩慎重に近づいて行った。
「ハル！」
マッシュの叫び。
ハルヲは、くの字に曲がった茎の隙間へ、ナイフをがっちりと滑り込ませる。お辞儀している、人間で言えば腰の関節、その隙間にナイフを深く刺し込んだ。
「全員！ 下がれ！」
マッシュの叫びにキルロ、ハルヲ、シルが花から飛び退く。
マッシュは、地面に接地している食獣花の袋へ、火山石を投げ込むと、食獣花から距離を置いた。
そして、数秒の沈黙。
長く感じる。誰もがその様子を見守っていた。
ドゴォオ！！
くぐもった爆破音が袋から鳴ると、袋の入口から酸が飛び散り、周辺を溶かしていく。
爆発音に慄いた食獣花は、花を掲げ直すべくを、花弁を頭上へと跳ね上げていった。
ガキッ。
だが、節に射し込んだナイフが、花を掲げる事を許さない。突き刺さったナイフに、節には無理な力がかかる。元に戻る事をナイフに拒まれても、花は必死に花弁を掲げようと力を籠めた。
ピシッ。
ナイフを刺した節から、軽い亀裂音が鳴る。
爆発した袋からは酸が漏れ、根元へと降り注ぐ。自らの酸を浴び、食獣花は苦しみ暴れる。花弁がユラユラと揺れ始め、さらに酸を撒き散らしていく。そして、酸を嫌がる根元が、逃れようとさらに暴れ、花弁は大きな揺れを見せ始めた。
パキンッ。
ナイフの刺さった節が、暴れる花弁の重さに耐えられなかった。大きな音を立て、花が枯れて朽ち果てたかのように地面へと落ちていく。
「おい！ あそこ！」
キルロが根元を指差す。
重しの無くなった根元が、カサカサと逃げようとしていた。
根元は茂みへと飛び込み、パーティーから隠れるように逃げて行く。
しまった！
キョロキョロと茂みを探すが、パーティーの視界から消えてしまう。キルロ達は眉間に皺を寄せ、茂みを睨んだ。
「ハァアアアアアア！！」
茂みから聞こえるフェインの雄叫び。
キノやスピラ達と一緒に、後ろに下がっていたフェインの眼前に、根元は逃げ込んでいた。
フェインは目を見開き、カサカサと逃げるその根元一点を見つめ拳に全体重を乗せる。フェインの重い一撃が、破砕音を鳴らした。食獣花は、苦痛から逃れようと、キシキシと脚を動かしていく。だが、フェインの追撃がそれを許さない。フェインの拳が、何度も破砕音を鳴らし、食獣花の逃走を許さなかった。
「オオオオオー！」
キルロが剣を握り締め根元へと飛び乗ると、切っ先を力の限り突き刺す。めり込んでいく切っ先に、キシキシと鳴っていた節がゆっくりと止まり、食獣花は完全に沈黙した。
「ふぅ～終わったかな？ 皆、お疲れ！」
剣を引き抜くと、キルロが笑顔で皆を労った。
疲労の色は濃いが、安堵した空気にパーティーはようやく一息つく。
「スピラ、プロトンお疲れ。キノもお疲れさま、みんなを守ってくれて、ありがとう」
「はーい」
ハルヲはキノの笑顔を見つめ、みんなの頭を撫でていった。
